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fae0e7 No.105427 [Last50 Posts]

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8de03d No.132860

Originally posted at >>>/qresearch/20467848 (241518ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【5】【6】

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>>132858

皇太子たちの後ろには、秩父の軍部職員と技術者たちが、1930年代に世界中で製造された醜い黒いセダンのような、普通の日産セダン6台に乗ってやってきた。そのあとをトラック3台分の重武装した皇宮警察が続いた。皇太子たちは、マニラ大聖堂、サン・オーガスティン教会、サンチャゴ砦、マッキンリー砦、サント・トーマス大学に特に関心を寄せていた。彼らは、これらの歴史的建造物のそれぞれに宝物保管庫を作る方法を見つけ、その宝物保管庫を新しいメイントンネルに支坑で接続することによって、目に見えないようにすることを望んでいた。秩父の技術者たちは、マニラの大きな地図を用意し、そこにすべての候補地が記されていた。その地図には、メイントンネルのルートが示され、将来の各ヴォールトへの小さなアクセストンネルを建設する必要がある場所が示されていた。宝物保管庫が偶然発見されたり、大砲や空爆の直撃を受けたり、将来同じ場所に建設されたりするのを避けることが主な考慮事項だった。ジュネーブ条約は病院、学校、捕虜収容所、教会、歴史的記念碑への爆撃を禁じているため、これらの場所に宝物保管庫を作ることが最善の保険となった。さらに念のため、各宝物保管庫は爆弾が貫通できないほどの深さ(約90フィート)に作られた。これらの保管庫は、将来、掘削、杭打ち、水掘削などの工事中に発見されるかもしれない。そのため、彼らは歴史的な記念碑の下など、将来の建築プロジェクトが立ち入り禁止になるような場所を選び、また既存の水源に近い場所も選んだ。アカシアの大木の近くなど、妙に詩的な選択もある。秩父宮の弟である三笠宮は、一族の中東問題の専門家だった。アカシアの木は聖書の中でメシア復活のしるしとして言及されている。アカシアは根が深いため、干ばつで枯れたり、台風で根こそぎ倒れたりすることはない。皇太子たちが最初に訪れた場所のひとつは、マッキンリー砦にあるマッカーサー元帥の司令部だった。マッカーサーの空襲用シェルターは、司令部の建物の前にある芝生に覆われた四角形の60フィート下にあった。コンクリートの階段が2段続き、鉄筋コンクリートの大きな部屋が3つあった。マッキンリー砦の将校クラブは、なだらかな尾根の一端に建てられており、遠くの海からの涼しい風を楽しむことができた。この尾根の片側にはテニスコートがあり、反対側にはパレード場があった。ゴールデン・リリーのメイン・トンネルは、パレード・グラウンドの下に掘られ、将校クラブの下の丘に掘られることになった。マッカーサーの防空壕へと続くコンクリートの階段の下で、新しいトンネルは左へ100フィート(約1.6メートル)ほど進み、将校クラブのプールの真下に出る。プールの真下90フィートの深さで、秩父は小さな宝物庫の掘削を命じた。丘は固い岩だったので、支保工は必要なかった。

イントラムロス内では、サン・オーガスティン教会とその隣にある修道院にいくつかの宝物保管庫を設置することが決定された。どちらも16世紀、不運に終わったスペイン艦隊をエリザベス朝時代のイギリスに送ったフィリップ2世の統治時代に建てられた。教会はマニラの東で切り出された切石で建てられた。教会の地下には、司祭、貴族、裕福な庶民の遺骨を納めた地下墓地があった。回廊の中庭には、熱帯植物が植えられた庭園があり、巨大な石の花の形をした噴水を取り囲んでいた。両側のアーチ型の通路の壁には、フィリピン人の群れを世話する司祭たちを描いた、幅6フィート、高さ8フィートの大きな油絵が26枚飾られていた。

教会の横には修道院があった。皇太子たちが1942年に訪れたとき、修道院は宗教的な聖遺物、聖人の像、豪華な司祭服でごった返していた。レシビドール(大広間)は長さ150フィート、幅50フィートで、一番奥には大階段があった。一方の壁には、地下墓地へと続く狭い階段があった。

父のサン・オーガスティン計画はすぐに具体化した。教会の回廊にある石の噴水は、ゴールデンリリーのメイントンネルが始まるサンタ・ルチア門から400メートルも離れていた。門から分岐トンネルを掘り、この泉の真下に宝物庫を作ることにした。宝物庫は30フィート四方で、金と美術品がぎっしりと詰まっている。マッカーサーのプールの下にある金庫のように、サン・オーガスティンの噴水の下にあるこの金庫は、将来にわたって安全であろう。

噴水の下からは、教会のカタコンベの下、フアン・デ・マシアス神父の地下墓地の真下に、もう一つのトンネルが掘られる。そこには、鉄筋コンクリートを敷き詰めた20フィート×30フィートの丸天井が作られる。この2つの保管庫が財宝で満たされると、そのアクセス・トンネルの入り口は超硬質セラミック・コンクリート化合物で封鎖され、見えなくなる。

ゴールデン・リリーは日本のセラミックの専門家を起用し、驚異的な硬度のコンクリートを作り上げた。セメントの栓をトンネルの壁の通常の部分に似せて成形し、その合成物を顔料と地元の土で着色することで、入り口は周囲の環境に完全に溶け込んだ。分岐トンネルの入り口が存在するとは誰も想像できないだろう。ロバート・カーティスが発見したのは、彼がオリジナルの地図を持っていたからだ。

サン・オーガスティン教会に隣接する修道院のレシビドールも宝物庫となった。スペイン人が最初にこの巨大な部屋を建設したとき、天井と、その上に追加された床と屋根の重量を支えるために、彼らの石工たちは巨大な切り石のアーチを奥の3分の2のところに取り付けた。秩父は教会の裏の敷地で、同じ淡い灰色の切り石の山を見つけた。ゴールデンリリーの石工たちは、これらの石と同じようなモルタルを使ってアーチを埋め、頑丈な壁にした。これでレシビドールの3分の1が閉ざされ、20フィート×50フィートの宝物庫ができた。レシビドールは公共のスペースではなく、修道院の住民のためだけのものだった。そのため、それがどのようなものかを知る人はあまりいなかった。しかし、修道院の現在の住人は部屋が変わったことに気づくだろうから、憲兵隊にはレシビドールに詳しい神父や教会の労働者を皆殺しにする仕事が与えられた。一方、教会の文書館や記録館では、関連文書や図面がすべて捜索された。これらは焼却され、記録係は刺殺された。(アメリカ軍がマニラを奪還したとき、修道院の地下の浅い墓穴から聖職者服を着た45人の死体が発見された。ほとんどの死体は手を後ろに縛られ、銃声で注意を引くのを避けるために銃剣で殺されていた)

秩父宮はユーモアを交えて他の王子たちを巨大な油絵が飾られた回廊の通路に案内し、「原住民を祝福する聖アウグスティヌス」と題された絵の前で立ち止まった。聖人は右手を上げ、新しいレシビドールの宝物庫の方向を指さしているようだった。秩父は側近に命じて、その手に指を一本余分に描かせ、偽装された入り口を直接指し示させた。この場所の施工図を作成した技師は、聖人の6本目の指を支点とした。(これは「六本指サイト」として知られるようになった)。

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8de03d No.132861

Originally posted at >>>/qresearch/20467855 (241520ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【5】【6】

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>>132860

次に、王子たちは近くのマニラ大聖堂に目を向け、2つの場所を選んだ。ひとつは大聖堂の前にある大きなアカシアの木の下に、もうひとつは祭壇の真下に掘られた。王子たちは、将来誰も祭壇の下を掘ることはないだろうと確信していた。両方のヴォールトは、サン・オーガスティン教会の石造りの噴水の下から枝分かれしたトンネルを通って掘られた。

リサール通りにあるサント・トーマス大学で、彼らは大きな地下室を見つけ、その一端を閉鎖して実質的な宝物室を作ることにした。この建物は、女性や子どもを含むアメリカ民間人の収容所であったため、爆弾から安全であった。赤十字が米軍に通告したため、大学は爆撃機の立ち入り禁止区域となった。その後、王子たちはサンチャゴ砦を構成するすべての建物と敷地を視察した。憲兵隊の本部はどこでも仕事ができる。いくつかの隠れ家が選ばれた。一つはサンチャゴ砦の前庭にある大きな噴水の下だ。マニラ大聖堂のアカシアの木の丸天井から枝のトンネルを通って行く。(1980年代、トレジャーハンターがこの噴水の下に3インチの穴を開けた。その穴を掘ったとき、腐敗した死体のガスが彼らを病気にした。連合軍捕虜は1943年に35マイルのトンネルのその端に生き埋めにされていた。サンチャゴ砦は臭いが消えるまで1週間閉鎖された)

サンチャゴ砦の2番目の隠れ家は、スペイン人将校の中庭にあるアカシアの木の下で、殉教した19世紀の詩人・小説家ホセ・リサールの記念碑のそばにあった。(この丸天井は1985年にイメルダ・マルコスに忠誠を誓う軍部隊によって回収された。1942年当時、4000人以上のアメリカ人とフィリピン人の捕虜がサンチャゴ砦の地下牢に監禁され、死刑になる前に尋問された。何千人もの洗われていない捕虜とくすぶった死体の臭いが、砦に独特の香りを与えた。パシグ川沿いの集団墓地は1942年にはすでに満杯だったため、憲兵隊はほとんどの死体をトラックで湾岸まで運び、はしけに積んでマニラ湾に捨てた。潮の流れによって、死体はコレヒドールを過ぎ、南シナ海へと運ばれた。砦の主要構造物には3つの地下牢があり、それぞれが低層階にあった。最も深い地下3階はパシッグ川の水面下にあった。毎日、一度に200人がこの地下牢に押し込められ、弁を開けて水を入れた飢えた男たちがパニックに陥って溺死するという恐ろしい死に方だったが、弾薬の節約にはなった。彼らが死ぬと、他の囚人たちが古いビルジポンプを使って水を排除した。

北側の地下室2は60フィート×120フィートともっと広く、処刑室として知られていた。サンチャゴ砦の囚人のほとんどは、ここで憲兵隊に尋問の過程で個別に殺害された。帝国の戦利品が優先されたため、秩父宮は地下牢を空にし、臭いを消すために水をかけるよう命じた。それが終わると、彼は検査のために戻ってきた。ここで秩父宮は、水面下に落とし穴を作るよう命じた。坑道が掘られる間、数百人の捕虜が土嚢の壁を維持し、川の水の流入に対して手押しポンプを操作した。穴の底は古い枕木で覆われ、その上に赤い色の大理石の板が敷かれた。大理石の板の上には木枠が置かれ、木枠の中には金の延べ棒が詰められた。そして、穴を掘った捕虜たちは殺され、彼らの遺体の上に土を積み上げ、コンクリート板を打ち、通常の地下室の床の高さまで埋めた。次は地下3階だ。ダト・スリマンの砦が最初に改造されたとき、スペイン人は4つのエアシャフトを作った。最も大きなものは、最も深い地下牢へと続いていた。ゴールデン・リリーの技術者によって拡張され、補強された。ここは、マニラの各銀行や戦前のフィリピンの中央銀行であったインテンデンシアから持ち出されたモスラーの金庫の保管場所となった。空っぽのまま、この大きな金庫22個が最大のエアシャフトから土の床に下ろされた。金庫は75キロの金塊で満たされた。その後、金庫は施錠された。地下室2と同様、全体の上に厚さ1フィートのコンクリートスラブが敷かれた。別のモスラー金庫が運び込まれた時、捕虜たちは緩い岩と土で通気口を埋め始めた。大急ぎでこの金庫を埋め戻しの上に降ろし、さらに土と岩を加え、別のコンクリートスラブを打った。砦の平らな屋根の上には、最大のエアシャフトの上部が再建され、スペイン時代に切り出されたオリジナルの石で塞がれた。(1970年代後半、これらのモスラー製金庫は、マルコス大統領のために、彼の弟子であるギル・ガディ博士が率いるチームによって回収された)

残りの小さなエアシャフトのひとつには、金の延べ棒の入った箱が降ろされ、金貨と銀貨の入ったドラム缶が続いた。このシャフトには超微細な砂が詰められ、固く固められ、屋根の高さのすぐ下に厚さ5フィートの鉄筋コンクリートの板で蓋がされた。もし誰かが横からエア・シャフトを掘れば、超微細な砂が陥没して生き埋めになってしまうだろう。簡単に割れる青酸カリの小さなガラス瓶が砂に混ぜられていた。サンチャゴ砦の隠し場所は他に2つあった。ひとつは地下の部屋にあった。もうひとつは雨水貯水池。もうひとつは、スリマンの宮殿の基礎にある雨水貯水槽だった。

秩父宮殿下と彼の技術者たちによるこのような計画は、建設段階の「ブルーシリーズ」の技術図面に発展させるのに何週間もかかった。最終的には、日本の地図製作者によってコード化された復興地図が描かれた。後日、この「赤色系列」の回収地図が、日本チームを各現場まで案内し、深さを判断する支点や、ブービートラップを回避して回収するために不可欠なその他のデータを与えることになる。この赤いシリーズの地図は、日本の軍隊にいたことのある人なら誰でも知っている風刺画のような形で描かれた、日本独特のものだった。山、川、木、道などの地形が黒板に描かれたように表現されていた。それぞれの地図には、1110億円、7770億円、8880億円など、その金庫に収められている財宝の総額のようなものが大きく記されていた(常に円マーク付き)。

実際、他の地図記号と同様、これは暗号に過ぎない。実際にどれだけ隠されていたかを知るには、鍵が必要だった。例えば、ゼロを6つ取り除く必要があるかもしれない。地図にある他の記号やシンボルも同じように混乱している。推測できるのは、777の敷地は111の敷地よりも広いということだけだ。これらの地図には、カナ(アルファベット)や漢字(中国語の表意文字)など、さまざまな文字で書かれた注記があった。また、英米の大学で訓練を受けた日本人技術者が書いた英語の碑文もあった。暗号化の鍵のひとつは、地図を真正面から見るべきか、鏡で反転させるべきかを示す左右に翻る旗であり、深さと方位を示す時計の文字盤であり、その場所のすべての測定の開始点を示す支点であった。支点を示す地図がなければ、どこを掘ればいいのかわからない。(30年後、例えば、マルコス大統領は2,000人の兵士にマニラ地下35マイルのトンネルを2年以上捜索させたが、トンネル内に放置された軍用トラックの荷台から75キロの金の延べ棒が発見された以外は、空振りに終わった。マルコスは地図を理解していなかった)

このような技術的な詳細が、悲劇的な人的犠牲を見えにくくしている。最も過酷な条件下で働く連合軍捕虜たちが、これらのトンネルや地下壕を掘った。特殊な作業には、同じ場所で働く連合軍捕虜と直接意思疎通ができないため、朝鮮人や中国人の奴隷労働者が使われた。例外なく、宝物庫が埋められ、封印されるたびに、捕虜と奴隷労働者は、沈黙を保証するために、中に生き埋めにされたと目撃者は語った。神道の司祭たちは、死者の霊がその場所を守っていることを確認するために、木の枝でできた杖を振りながら、それぞれの場所に祝福を与えた。この大量殺人の本当の目的は、厳重な警備だった。何千人ものオランダ人、イギリス人、オーストラリア人、カナダ人、ニュージーランド人、アメリカ人捕虜がマニラの地下に消え去り、二度と日の目を見ることはなかった。マニラの南東にあるテレサの一カ所だけで、連合軍捕虜1,200人が生き埋めにされたという目撃証言がある(第11章参照)。1975年10月、ロバート・カーティスによってテレサが公開されたとき、犠牲者の身元を確認するため、坑道内の遺体の中から何百ものドッグタグを集めようとした彼の努力は、警備の男たちに銃口を突きつけられて阻止され、現場から立ち去ることを余儀なくされた。1942年8月には雨が降り、秩父は6ヶ月間マニラに滞在し、マッカーサー元帥のマニラ・ホテルのペントハウスに住んでいた。マッカーサー元帥の本など、私物の多くがそのまま残されていた。窓からは15番埠頭が見渡せ、大きな湾の向こうにバターンの素晴らしい夕日が見えた。しかし、秩父は結核に悩まされることの少なかったシンガポールに逃れた。

日本の略奪の総量を測る一つの尺度は、マニラに作られたこれらすべての宝物保管庫とコレヒドールのトンネルだけでは不十分だったということだ。他の宝物庫はミンダナオ島やミンドロ島、列島の他の島々にも掘られていた。そしてマニラ北部の山間部では、別の皇太子が天然の洞窟を拡大し、日本国外では戦時中最大の宝物庫を作るために懸命に働いていた

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8de03d No.132862

Originally posted at >>>/qresearch/20471100 (250021ZFEB24) Notable: 岸田首相 復旧・復興加速で予備費から約1000億円追加支出へ

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岸田首相 復旧・復興加速で予備費から約1000億円追加支出へ

2024年2月24日

能登半島地震の対応をめぐり、岸田総理大臣は復旧・復興を加速させるため、今年度の予備費からおよそ1000億円を追加で支出する考えを明らかにしました。被災した高齢者世帯などに最大300万円程度を支給する支援策の対象に、住宅の再建が厳しい現役世代も加える方針です。

岸田総理大臣は24日、石川県を訪れ、地震で大きな被害を受けた穴水町や輪島市の避難所などを視察し「輪島塗」の事業者など、地域の産業を支える人たちと車座で意見を交わしました。

このあと岸田総理大臣は記者団に対し、被災地の復旧・復興を加速させるため、来週にも今年度の予備費からおよそ1000億円の追加支出を決定する考えを明らかにしました。

そして、
▽住宅が半壊以上の被害を受けた高齢者世帯などに最大300万円程度を支給する支援策の対象に、住宅の再建が厳しい現役世代も加える方針です。

また、「輪島塗」などの伝統産業を支援しようと、
▽施設の復旧や道具の確保などに補助金を活用することや、
▽作業を行う仮設の工房を全額国費で建設し、ことし4月から利用できるように準備を進める考えを示しました。

岸田総理大臣は「被災地の皆さんが被災前の笑顔を再び取り戻すことができる日まで、先頭に立って生活やなりわいの再建、地域の再生に全力で取り組んでいきたい」と述べました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240224/k10014369531000.html

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8de03d No.132863

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Originally posted at >>>/qresearch/20471150 (250028ZFEB24) Notable: 米大統領選挙 サウスカロライナ州予備選 トランプ氏 勝利確実

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LIVE: Election Night in South Carolina LIVE from the Trump Campaign Watch Party - 2/24/24

https://rumble.com/v4enb2x-february-20-2024.html

米大統領選挙 サウスカロライナ州予備選 トランプ氏 勝利確実

2024年2月25日

ことし秋のアメリカ大統領選挙に向けた野党・共和党の候補者選びの4つ目の州となる南部サウスカロライナ州の予備選挙で、ABCテレビはトランプ前大統領が勝利を確実にしたと伝えました。トランプ氏を追う、ヘイリー元国連大使の地元の州でも勝利を確実にしたことで、トランプ氏が党の指名獲得に向けて大きく前進しました。

11月のアメリカ大統領選挙に向けた野党・共和党の候補者選びは4つ目の州となる南部サウスカロライナ州で予備選挙が行われました。

日本時間の25日午前9時から開票が行われ、その直後、ABCテレビはトランプ氏が勝利を確実にしたと伝えました。

共和党の候補者選びではトランプ前大統領がここまですべての予備選挙や党員集会で勝利し、獲得した代議員の数で大きくリードしていて、これをヘイリー元国連大使が追う展開となっています。

トランプ氏はヘイリー氏の地元であるサウスカロライナ州でも勝利を確実にしたことで党の指名獲得に向けて大きく前進しました。

ヘイリー氏は今回の予備選挙のあとも撤退はせず、多くの州で候補者選びが一斉に行われる来月5日の「スーパーチューズデー」に向けて選挙戦を続ける考えを示していますが、力を注いできた地元でも敗れたことは大きな痛手で、選挙戦はトランプ氏の優位が一段と際立つ情勢となっています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240225/k10014369871000.html

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8de03d No.132864

Originally posted at >>>/qresearch/20471828 (250300ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【5】【6】

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>>132861

小野田少尉の真実

2007-11-06 09:35:20 | GOLD WARRIORS

昨日でGoldwarriorsの翻訳を完了した。あとはもう一人に頼んである12章が残っているだけだ。ただし、タイピングと校正でもう少し時間がかかる。今月中に完成させよう。

ところで、第11章の最後に小野田さんが出てきた。ルバング島で生き残っていた小野田さんは真実を語らないままブラジルへ行ってしまった。国民は何も知らないが、今日、真実をここで明らかにしよう。少々長いがしかたがない。読んで欲しい。

前回取り上げた部分を貼り付けよう。

いま「小野田少尉」の告白本を読んでいるが、これが実に興味深い。というのは彼は22歳、昭和十九年の末に参謀本部から秘密の指令を受け静岡からルバングへ赴任した。彼の受けた指令の詳しい内容は今でも秘密だが、要は、戦争が終わっても玉砕はするな、ゲリラ活動をして敵軍の邪魔をしろ。ということだ。

そして、任務を解くには参謀本部の直属の上司からの命令が必要だった。(通常の命令系統とはちがう。)、だから、兄、母、同級生が呼びかけても投降できなかった。(小野田さんは実の兄貴が歌っているのを聞いている。) 上司たちは戦後名前を変え、あるいは所属を隠して生きていた。家族ですら自分の父親が中野学校の出身である事を知らないという。小野田さん、それから今でもフィリピンで戦っている戦士たちは、当時の上司が名乗り出て任務終了を伝達しなければならなかったのだ。自分たちは責任を逃れ、見捨てられた兵士たちは気の毒なものだ。

問題は、その任務だ。ルバング島はマニラ湾の真ん前の島で、確かに戦略的に重要なところだ。しかし、ルソン島自体が占領されてしまえばもう何の意味もない。小野田さんは中野学校で秘密情報部の人間だが、彼にはそこに残る意味があったわけだ。つまり、隠されている隠匿物資の監視だ。参謀本部は戦争終結を見込んで、終戦になっても誰も財宝に近づけないように小野田さんを派遣したのだろう。その任務を解く事が出来る人間は限られていた。フィリピンにはまだ日本兵がいるはずで、彼等はいまだに任務についているのだ。彼等に近づけば必ず銃を撃つだろう。本当に気の毒な事だ。(この内容は、Goldwarriors第十一章に出てくるらしいが、まだ訳していない。もう少しお待ちを)・・・・・以上

今日お伝えするのはその十一章の一部からの引用だ。

小野田さんに指令を出したのは竹田宮だった、それは竹田宮の従者だったフィリピン人のベン・バルモアが証言している。彼はルバング島で小野田を見ていると言う。そして、竹田宮はベンを連れてルバング島で略奪財宝の隠匿を指示していた。

終戦後、財宝を探しに来る者達から財宝を守るために派遣されていた特殊工作員が小野田たちだった。(当時、その島には三人の日本兵が派遣された。)

だから、彼が発見されたあと、日本は任務解除に谷口義美元大佐を派遣した。その一団の中にこっそり竹田宮が入っている、それはベンがテレビ映像で確認している。つまり、竹田が解除命令を出さなければならなかった。

秘密を握っている小野田は帰国後即座にブラジルへ送られ、ルバング島の発掘が終了するまで護衛に守られていた。(監視されていたと言うべきか。)

ルバング島の発掘は笹川良一だ。彼はマルコスと契約してルバング・リゾート開発をした。どのぐらいの回収をしたのかは不明だが、マルコスはそれを知らなかったと言う。笹川はそれを船舶振興会でロンダリングして自分たちの基金に入れた

これが小野田少尉に関わるすべての真実だ。戦後六十年たっても何も国民は知らない。でも、戦争終了を知っていたにも拘らず、長い間忠実に任務についていた小野田さんの人生とはなんだったんだろう。

捏造の日本歴史研究所で後日アップします。特に重要と思われる章は見る事が出来るようにしています。ぜひご覧ください。

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8de03d No.132865

Originally posted at >>>/qresearch/20471864 (250309ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【5】【6】

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>>132864

小野田寛郎(読み)おのだひろお

https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8E-176118

旧日本軍の陸軍少尉。太平洋戦争の終結後29年間、終戦を信じずにフィリピン・ルバング島に潜伏して戦い続け、1974年3月に帰還した。帰国後は、ブラジルに移住して牧場を経営した他、キャンプや講演を通じて日本の子どもたちにたくましく生きる力を伝えた。

1922年3月19日、和歌山県亀川村(現・海南市)生まれ。旧制中学校を卒業後、貿易商社に勤めて中国へ渡るが、徴兵されて42年に陸軍に入隊。久留米第一予備士官学校を経て、ゲリラ戦や情報戦を学ぶ陸軍中野学校二俣分校に入り、44年12月にフィリピン戦線に派遣された。45年8月の終戦後も、任務解除命令が届かなかったために仲間と共にルバング島で戦闘を続けた。終戦の情報や投降を呼び掛けるビラも米軍の謀略と疑い、朝鮮戦争やベトナム戦争へ向かう米軍機を見て大陸での戦争継続を確信するなど、終戦を信じなかったという。日本政府は、投降した元日本兵の証言などを基に50年代から何度も残留兵の捜索活動を行ったが発見できず、死亡したと見られていた。72年10月に小野田らがフィリピン警察と銃撃戦になったことで生存が分かり捜索が再開されたが、その後もなかなか見つけられなかった。74年2月、冒険家の日本人青年が接触に成功し、帰国に結び付いた。

帰国の翌年、兄が移住していたブラジルに渡り、原野を切り開いて牧場を始め、10年かけて軌道に乗せた。また、日本で起きた凶悪な少年事件に心を痛めたのをきっかけに、84年から日本で「小野田自然塾」を始めた。89年には財団法人を設立して理事長となり、自身のルバング島の体験を生かしてキャンプを通じた青少年の育成に力を注いだ。2005年に藍綬褒章を受章。14年1月16日、肺炎のため91歳で死去した。

(原田英美  ライター / 2014年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

陸軍軍人,実業家。第二次世界大戦敗戦後も日本の降伏を信じず,フィリピン・ルバング島で30年間ゲリラ戦を続ける。1974年3月にフィリピン軍に投降,日本に帰還した。和歌山県海南市出身。旧制和歌山県立海南中学卒業後,商社に勤務,中華民国漢口に赴任し中国語を習得する。1942年和歌山の歩兵連隊に入隊,1944年久留米第一陸軍予備士官学校に入学するが,中国語と英語の能力があることから選抜され陸軍中野学校二俣分校に入る。ゲリラ戦と諜報戦の教育を受け,陸軍見習士官をへて予備陸軍士官(少尉)に任官される。1944年末第14方面軍(フィリピン防衛を任務とする)情報部付となり,残置諜者及びゲリラ戦指揮を命じられる。この時,陸軍中将横山静雄軍司令官から玉砕せず最後の一兵となっても戦い続けよという訓示を与えられた。日本は占領されても連合軍と戦い続ける,という計画を提示されていたという。帰国後,高度成長末期の日本社会に違和感を持ち,帰国後結婚した妻とともに次兄のいるブラジルに移住,牧場経営に取り組み成功する。1984年私財を投じて子供を自然のなかで教育する小野田自然塾を創設,晩年までブラジルと日本を往復して活動を続けた。

出典 株式会社平凡社

[生]1922.3.19. 和歌山,亀川

[没]2014.1.16. 東京

元陸軍軍人。1944年陸軍の中野学校二俣分校を卒業,同 1944年フィリピンに派遣され,遊撃戦指導のためルバング島に渡った。翌 1945年8月の第2次世界大戦の終戦後に任務解除の命令が届かなかったため,降伏命令のびらを敵の謀略と考えて島内に潜行し続けた。1974年日本人青年と遭遇,投降を説得されるが,直属上官の命令がないことを理由に拒否。かつての上官が現地に赴いて任務解除命令をくだし,30年ぶりに日本に帰還した。その生還は平和と高度経済成長に慣れきった日本人に大きな衝撃を与えた。しかし,時代の隔絶による価値観の激変は大きく,マスコミ攻勢にも嫌気が差して 1975年ブラジルに移住,牧場を経営する。また 1989年福島県に小野田自然塾を設立,野外活動を通して青少年の育成を目指した。2004年ブラジルのサントス=デュモン勲章を,2005年藍綬褒章を受章。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

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8de03d No.132866

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黄金の兵士 第六章 目撃者たち

マニラからはるか北方の高原地帯は、険しい山に被われた涼しい静かな村々で、戦争とは遠く離れた別世界だった。ルソンの平野部を出てポンコツバスで登山をし、曲がりくねった穴ぼこだらけの道でサンタフェを目指し、三千フィートのカラボロ山に入っていくと、バスコ湾のスペインバスコ人の国の後にニエバ・ビスカヤと名付けられた地域がみえてくる。最初の山脈を越えると、バヨンボンの町を取り囲む肥沃なカガヤン渓谷に下りてゆくことになる。カガヤンは火山噴火口のようにあちこちに井戸が点在し、少年が水牛をあやつり湿地を耕す米作地域だった。西へ向かうとコルディラ山脈(セントラル山脈)、東はより高所のシエラマドレ山脈に囲まれる。そこは褌だけを身につけた山岳族しか住まない熱帯雨林で覆われている。カガヤン渓谷のバヨンボンから北に向かうとルソンの北端、沿岸の町アパリへ下りていくように広がり、カミギン島と呼ばれる一大オフシュア島へつながっている。

このバヨンボンの静かな高台の周りが一九四二年(昭・十七)~四五年(昭・二〇)、重要なゴールデンリリィーの基地になった。というのも、この地域には自然による洞窟がたくさんあったからだ。石器時代の道具や木炭画を持つ者もいた。地盤は強固ではあったが、上の地層の砂、石炭、沈殿物は急流や地下水によって洗い流され天然の穴や地下金庫を作っていた。この表面は簡単に掘れるものが多く支柱もいらなかった。日本軍は軍事的な目的と財宝の保管のための要求に最適だと認識した。

カガヤンからフォルサモまで飛行機なら簡単だ。もちろん日本へは沖縄で給油すれば簡単だ。一九二〇年代と同じで、早くから日本の戦略家達はフィリピンを手中にし、日本帝国の中へ吸収する計画をたてていた。

それから、一九二〇年代の初め、若干名の日本人がルソンに開拓者、実業家、地質学者として接触を始め、日本の漁船は沿岸にますます数を増やしながら出現するようになった。連中は偵察兵や情報員達であった。彼らは南シナ海沿岸付近、バヨンボン、バギオ、アパリを開拓し、そしてタガログ語やイロカノ語を学び、そして誰が成功し、影響力があるかをノートに書き込み、地域のインフラ、道路、公共施設の詳細を収集した。港を海図に書き込み沿岸線の地図を作った。農民の助けをかり、洞窟をみつけては調査をした。当時のバヨンバンには二千人にも満たない住民しかいなかった。農民は一キロから二キロで区分けされている居住区か村に密集して住んでいた。バヨンバン郊外の小さな居住区のひとつにデュラオと呼ばれる所がある。その酋長はソノ・バルモアといい、顔立ちがよく素直で無邪気な十代の甥ベンと一緒に水田で働いていた。ベンは両親がまだマニラの北、湿ったパンガシナン平野に住んでいた一九二五年の三月に生まれた。父はそこで日雇い労働者として仕事をしていた。

ベンは子供時代のほとんどをデュラオの伯父の家で過ごし、バヨンハンのカソリック教会へ通った。彼はそこで六年生まで在籍し、読み書き、そしていくらかの英語を「ディズニーの父さん」から教わった。暇な時間は祖父とともに精米をし、春には鳴きながら働く水牛の後ろで畦作りをし、秋には鎌で稲を刈り取っていた。フィリピン人のほとんどはタガログ語を話していたが、イルカノは孤立していたので、ルソン島北岸の乾燥したイルコス地方の方言で話をしていた。バヨンボンやバギオ避暑地、特にマニラにはノロカノの地域があり、自らの政治組織と地下組織をもっていた。

日本軍がフィリピンに侵攻したときベンは十七歳になったところだった。当時、彼の両親はパンガシナンにいたのだが、そこは侵入者の丁度通り道だった。彼の父エステバンはアメリカ軍の新兵時代に射撃事故で片目を失っていた。ほとんどの人は右利きだから、ライフルの使い尽くしたカートリッジは目から離れる右側にはずすように作られている。初めて射撃場に立ったエステバンは左利きなので左肩にライフルを置きそれを撃った。カートリッジは彼の目に直接あたり彼は目を失った。アメリカ軍が占領され、彼は数千名の連合国捕虜の収容所へ行くことになった。アメリカ人と違ってフィリピン旅団はしばらく尋問を受け帰宅を許された。

エステバンが留守の間にパンガシナンの家々は略奪者に燃やされ、彼の家族は無事にデュラオにたどり着けるよう山中へ逃げ込んだ。最年少だったベンは先頭を歩き、母、祖母、兄、妹と続いた。難民と同じで彼らは家財道具を運んでいた。金もないので、数週間も発酵した魚の練り物と米だけを食べていた。日本兵がどこにでもいたので、ベンは多くの質問に答えなければならなかった。多くのフィリピン人が兵隊達に奴隷のように残酷に打たれながら働かされるのを見ていたので大変に怖かった。

二月の半ばごろ、彼らはサン・ジョーンズに到着した。日本の駐屯地を通過するのに四日も要したのだ。デュラオに着いたのは真夜中だったが、安堵と幸福感でいっぱいだった。ベンの祖父リノは即座に豚を殺し料理を作った。そして大きな声で「さあ子供達、どんどんお食べ、お腹いっぱいになるまでな!!」

数日後、ベンの父が解放され、彼らと合流した。抱き合って喜びあった。祖父のリノはベンの父にデュラオの農地を与え、戦争中を通じて家族の面倒をみることができた。十ヵ月後の一九四三年一月、彼らは自家用の砂糖やラム酒、飴玉を作るためにサトウキビを刈っていた。ベンは空き缶を火にかけ調理するために枯れた笹を切り出しに行こうと話した。彼は二頭の牛が引く車を連れて大きな笹の自生する近くの丘に上っていった。彼がナタで缶を切り刻んでいると、木の葉のざわめきが聞こえ、日本兵が回りを取り囲んでいたのに驚きおびえた。彼らはヘルメットを笹で偽装し、ベンは銃を彼に押し付け、ベンはナタを捨てて荷車の後ろにうずくまった。将校の足立大佐はベンに対し、まずタガログ語で話しかけ、次にイルカノ語にかえた。

「ここで何をしてるんだ。」「薪を切っとるんだがね。」

「サン・アントニオ地区への道はどこだ?」ベンは指さした。足立はベンにそこまで案内するように命令した。ベンは父の許しがないと行く訳にはいかないと言った。その時点で、ベンは彼らの指導者の言葉を聞いていない。白い服で刈り込まれた頭の若い男がベンに対して親しげに微笑んだ。

二十代の半ばにしかみえないとベンは思った。

ところがその集団の中で彼は足立大佐や他の将校達から格別の扱いを受けていた。彼は木と革で作った鞘に入った大きな日本刀を持ち、反対側には短剣を身に付けていた。上着の左胸ポケットには金縁で五―六インチの十字形の模様が入った赤い標章が輝いていた。足立大佐は彼に対してうやうやしくキムスと呼んでいた。彼らがデュラオのバルモア家に戻ってくると父は彼を仕事にもどそうとした。しかし祖父はベンにとってサン・アントニオへ案内することのほうが賢明だろうと言った。サン・アントニオへの道中、将校は彼といっしょに水牛の運搬車に乗っていた。ベンは殺されると確信していた。涙が頬をつたった。大佐がどうしたのかと聞いた。大佐はベンにやさしく微笑み、恐ろしくはないよと語った。彼らはベンを傷つけたりはしないだろう。一行が椰子の木の前で止まると、ベンは素早く駆け上りいくつかの椰子の実をとり斧で開いてやった。彼らはベンに名前を尋ねた。彼は「ベン・ハー・ミーン」だと、タガログ語とイロカノ語で伝えた。

キムスは日本語で何やら話し、足立はベンに、もはやサン・アントニオへ行く気はなく、メインキャンプのある反対方向のサン・フェルナンドへ引き返したいと言った。ベンは再び父の許しを得なければならないと答えた。

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8de03d No.132867

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>>132866

このことがキムスに感銘を与えたようで、再び彼らはベンの家にもどった。父は今度も抗議したが、日本軍はもう一週間だけベンを借りたいと申し出た。彼らはベンにバナナの葉で外出用の衣服を包み持ってくるように言った。サン・フェルナンドへ向かう途中、1.5kmぐらい離れた森の中で女性の悲鳴が聞こえた。キムスとベンは荷車から飛び降り、何事か調べるため走った。二人の日本兵が村の娘の服を剥ぎ取り強姦しようとしていた。キムスは刀を抜き、二人の兵士を刃の横でピシッとたたいた。男達はしゃがみ込み顔を土にすりつけ助けを求めた。キムスは叱りつけた。彼らは直立不動で聞き震えていた。

将校達は「ハイ」としか言わない。キムスは二人を逮捕させた。キムスは自分の上着を娘に与え家まで送るように部下に命じた。

後日、サン・フェルナンドのキャンプに集団が到着した時、彼らが入口に入るとともに日本人全員がお辞儀するのにはビックリした。足立大佐はキャンプの全員をよびよせた。キムスは二人の強姦犯に厳しい処罰を加え、決してフィリピン人とセックスしてはならない、もしすれば死罪にすると命じた。キャンプ中の誰もが呆然となった。大佐は正に「キムス」と言った。キムスは大きな将校の一団と鉱山技師、地理学者、物理学者、建築家、科学者、陶器専門家、電気、爆薬などの数百人の男達と一大隊の兵士を従えていた。サン・フェルナンドには千人をはるかにこえる人間がいたが、その仕事は唯、略奪品の運搬と隠匿だけであった。

ベンは金属製の数千の箱と木製の箱を見た。それはとても重たそうだった。箱を運ぶ時、四―五名あるいは八人がかりで、革で編んだような帯を使っていた。ある時、ベンは真っ裸の朝鮮人、中国人、フィリピンの奴隷労働者数百人が目隠しをして箱を動かしているのをみた。彼らは足首に鎖がまかれ、手首は、つるはしやシャベルを使うことができる程度にロープでつながれていたので、ベンには彼らが奴隷であることがわかった。重い荷物を積んだトラックがひっきりなしにサン・フェルドナンドキャンプに到着し、荷を降ろすとトラックの男達はどこかへ行ってしまった。キムスの兵隊と労働者達は、その箱を地下道や深い穴あるいはカバヤン渓谷に点在する洞窟へ運んだ。ベンはフィリピン人がトラックの箱を持ってきて道路の横に積み上げるのを見たことがあった。フィリピン人が行ってしまうと、日本兵は箱を洞穴の中へ運んだ。兵士達は離れるように命じられ、中国人労働者がそれを深い洞窟の中で積み上げ土で覆い、その地域特有の平らな石炭や成長の早いパパイヤの木、笹の葉などで偽装した。いくつかの坑道をベンは案内され見ているが、キムスの技術者達によって広げられた大きな洞窟もあった。最初、何が行われているのかベンには全くわからなかった。暴力沙汰もほとんど見ていないから日本人との生活は怖くないというよりむしろ不気味であった。

ベンはキムスの水汲み、食事、召使、付き人になり、食事をもってきたり靴を磨いたり洗濯したり、キムスの洋服に気をつかい、清潔さを保つことを覚えていった。キムスはキャンプの中でテントではなく真ん中の立派な家に住んでいた。サン・フェルナンド地域のフィリピン人住民はすべて追い出されていた。キムスの家には大きなベッドの寝室があり、東南アジアのどこかで略奪してきたであろう真鍮製の足で支えられた堂々たるタイ製のテーブルがあった。ベンはあるものをみて、それは瓶でありキムスがそれで顔を洗うのだろうと思った。ところがそれは単に飾りであって、うっとりとながめるものだったのだ。

夜になると枕をベッドの真ん中におき、ベンに床ではなくて片側で寝るように命じた。キムスは反対側で眠った。ベンに決して枕に触れぬように警告し、仮に、もしそうしたら爪でのどを欠き切るぞと言った。最初は全く動けないので落ち着かない夜を過ごしたベンだったが、後にはなれてしまった。

ベンは十八歳のハンサムな男だったが、キムスは三十歳、洗練されていてむしろベンより若くみえるほどであった。日本人の貴族達にとって彼に対して同性愛の味を感じることは異常なことではなかったであろう。その可能性を排除できないし、ベンとご主人様との間に性的な関係があったかどうかいかなる証拠もでてはいない。

日本の貴族社会において身近に私的な召使を寝させ、命ぜられれば何でも答えるのは普通のことだった。キムスはベンの無邪気さ誠実さそして両親、兄弟への愛情を認め格別に彼を好んでいた。数千の兵士達の真ん中にいて、多くの奴隷達をそばにおいていながらキムスは完全にひとりぼっちだった。ほとんどの農奴は彼の顔を見上げただけで眼がつぶされると恐れていた。

そんな完全なる孤独の中で彼はベンの存在を弟の様に思い、その性格のよさを喜んでいた。キムスも足立大佐も他の日本人から彼を守り、ルソンの他の地域やフィリピンの別の島へも連れて行き丁寧に扱った。

ベンが言うには、多くの将校や兵士はフィリピン人を、又特に連合軍捕虜に対しては怒るように、そして残酷にふるまったそうである。

しかしキムスには暴力を避けた。ベンは言った。「キムスはいつも僕に自分の食べ物をくれたよ、チキン、豚肉、牛肉、缶詰の鰯とかね。」

キムスの作法は優雅だし、紳士的だった。彼の話し方はやさしく、じっくり話を聞いてくれた。まわりに誰もいない時はベンに英語で喋った。ある時、一匹狼のフィリピン人ゲリラが捕まりサン・フェルナンドのキャンプに引っ張られてきた。キムスの側近である川端旅団長と鏑木大佐は銃殺するつもりだったが、キムスが解放してしまった。ゲリラは頭のてっぺんから悲鳴をあげて逃げ去った。きっと後ろから銃撃されるのが恐ろしかったのだろう。日本軍全員がそのこっけいな姿を見て笑っていた。

一ヶ月が過ぎた頃、ベンは勇気をだして足立大佐に、何故キムスは他の人と違っているのですかと尋ねた。足立はいとも簡単に答えた。「彼は殿下だからな。」キムスがこのやりとりを聞き別の部屋から入ってきた。微笑みながら、彼は人差し指を二つ合わせて英語で話した。「裕仁と私はそういう人間だよ。」ベンは聞く、「それじゃあ裕仁天皇の弟なの?」、キムスは答えた。「いや、それは秩父だ。私は従兄弟だよ。」

プライベートな会話の後でキムスはベンに秘密の名前は竹田宮であると話した。しかし戦争中は暗号名、キムス・村越を使った。彼はベンにこの事や他のいろいろな事情を喋らないように誓せた。

竹田恒徳(ツネヨシ)(これがフルネームだ)皇子は明治大帝の孫だ。(1852-1912)明治天皇は側室に四人の娘があり、それぞれが四人の皇子に嫁いだ。その四人の皇子は異色な性格で生涯の悪友だった。

北白河宮成久、弟の竹田宮恒久、そして朝香宮鳩彦、義弟の東久邇宮稔彦である。この血族の殿下達は少年期に同じ学校に集まり、同じ大学へ進学し軍隊も一緒、同じ芸者を共有し一緒に渡欧、そして同じようにプレイボーイだった。二人の皇子は若くして死んだ。竹田宮の唯一の皇子が十歳のとき死亡。そしてその弟の北白河宮成久は、一九二三年、手作りの高級車ブガッテイでパリからドウービルへ旅行中、道路わきのプラタナスの木に激突し、病院で死亡した。だからこそ、残った遊び人朝香と東久邇は大きくなった若い竹田に格別な関心をよせた。竹田は又九歳年下である皇太子裕仁のお気に入りの従兄弟だった。

皇族の男子はすべて軍事教育をうけていた。若い竹田宮は最初学習院へ通い、陸軍士官学校を一九三〇年に卒業し、騎兵隊の少尉に、そしてすぐ中尉になった。後に陸軍大学校で学び、一九三六年(昭・十一)八月には大尉となり一九四〇年(昭・十五)に少佐となった。一九四二年(昭・十七)には東南アジア方面軍司令官、寺内伯爵と裕仁との個人的な連絡役としてサイゴンへ送られた。(朝鮮総督として墓の略奪や市民の虐殺をした寺内大将の息子だ。)他の皇子と同じく竹田も軍部エリート(最高幹部)の一員であり、その戦場での存在は天皇の最高指揮権の堅固な広告塔だ。

天皇の特命を受けている彼の任務は、アジア中でゴールデン・リリィーの指揮をとる秩父宮の副司令官となっていた。

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8de03d No.132868

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>>132867

陸軍中尉に昇進した彼は作戦師団戦略部隊の将校、宮田中尉の偽名で登録された。公式にはまだサイゴンに在籍していたはずだが、マニラ以外の地域のゴールデンリリィー作戦を担当するためフィリピンへ派遣された。秩父殿下はマニラ全域の司令官であったが個人的にも財宝基地全体を監視していた。しかし彼は東京、シンガポール、ジャカルタへと出張で留守が多かった。ベンはすべての皇子達が戦略会議を支配していた一九四三年の間に二度秩父を目撃している。ベンが言うには、秩父は常に他の皇子からチャコを呼ばれ、竹田はキムスと呼ばれていたそうだ。竹田宮自身はサン・フェルナンドの高地を本拠にし、幾つかの大きな洞窟を建設していたが、最も重要なものはキャンプの隣に急いで作られた。彼は又、島全体の一七四箇所にあるそれぞれの皇族財宝の主任技師として指揮していた。つまり竹田はサンフェルナンドに常駐していたわけではないのだ。彼はフィリピン中を巡回し、シンガポール、バンコク、サイゴン、ジャカルタへ飛ぶ道中で略奪品を集め頻繁に東京へ引き返していた。我々は彼が最低でも年に一度は日本にいたことを知っている。何故なら、彼の妻は、一九四〇、四二、四三、四四、四五、と子供を生んでいるのだから・・。

キムスがサン・フェルナンドキャンプを歩き回る時は、いつも護衛が隣の護衛に皇子が来ることを大声で伝えた。誰もが広場にちらばり彼の目に入らないようにした。数世紀にわたって日本の庶民はいつもひれ伏し、頭を地面にこすりつけた。ベンはこれを目撃していたが、彼は日本人ではないのでこの掟を知らなかった。

何らかの理由から、キムスはベンガが彼の父エスティバンに接する態度と同じことを自分にすることを喜んだ。

ある夜、足立大佐は屋敷の隣にある防空壕へ塩を取りにいかせた。ベンは塩を見つけることができず誤ってトンネルの中へまぎれこんでしまった。

そこで彼は金の延べ棒でいっぱいになった木箱や壷をみつけた。塩ではないかと思い壷のひとつを開けてみると中には硬貨がつまっていた。――ソブリン金貨、ドル銀貨や東南アジアの中で流通している硬貨など、ベンが見たこともないようなものばかりだった。彼は塩がないものかと別の壷を開けた。そしてもっとたくさんの硬貨をみつけた。一箇所にこれほどたくさんの硬貨をみたことがなかったベンはびっくりして、壷に手をいれ硬貨をつかんだ。丁度そこへ日本兵がやって来て何をしているんだと問い詰めた。彼はベンをつまみだし、足立大佐はかれをキムスの前につれていった。皇子は彼に問いただした。ベンはただ塩を探しに行っただけだと説明した。

キムスは微笑んでベンに、行ってはならない所へは決して入らないよう、そして硬貨や財宝に触らないようやさしく注意した。

次の朝早くベンはベッドで一人寝ていて、たくさんの硬貨に埋もれながら目を覚ました。彼は動くのが恐ろしかった。彼は硬貨に触れると殺されるのだとおびえた。自分の名前が呼ばれると、ベンはベッドにへばりついたまま返事をした。キムスが笑いながらやってきて、ベンに硬貨を拾い集め袋に詰めるように言った。

そして牛や馬を乗せた荷車に水牛を結びつけ、硬貨と一緒に新しいミシンを積み込んだ。キムスは「君のお父さんに会いに行こう。」と言った。

彼はベンがトンネルの硬貨に夢中になったことを考えると少年の家族がとても貧乏であることを思い出した。デュラオ地域へ行く途中、河沿いで何人かが深い立抗を堀り、別の者が立抗じゅうに立ててある陶器の壷から大量の硬貨を取り出している日本の兵士の一群を通過した。

キムスは彼らと言葉を交わし、何かの書類を調べ満足そうに荷車にもどった。デュラオへ進み続け、ベンは捕虜が木を切っているのを見た。そして有刺鉄線で囲まれた収容所へ行き着いた。裸同然で痩せ衰えた囚人が、バエンバンでベンに読み書きを教えてくれた「ディズニーの父さん」と呼ばれていた牧師だとわかった。

もうすぐ死ぬことがわかっているベンは悲しく、そして申し訳なさでいっぱいだった。

ベンの家に着くとキムスは足立大佐を通じて、ベンが従者としてとても良くやってくれているのでこのまま使い続けたいという事と、その代わりに父親にミシンと牛、馬、水牛、荷車、硬貨の大きい袋を提供すると話した。最初ベンと両親は、奴隷として買われていくものだと思い、ベンは泣き出した。ベンを見ていた母親もあからさまに叫んだ。

足立は、本当にベンを雇いたいのだと説明した。キムスは日本の皇子であり、ベンがお気に入りだということ、彼を守るし、戦争が終われば皇子が両親のところへ連れて行くことを誓うということを彼らに説明した。両親はベンの考えを聞いた。ベンは皇子の従者は皆親切だと言った。そして母に、心配はない、キムスは自分を弟のように扱ってくれると説明した。高級将校である准将川畑、足立大佐、鏑木大佐、川渕大佐、ホンダ海軍大佐、高橋海軍大佐ら、すべてがベンに日本の言葉や表現を教えていた。(終戦までにはかなり流暢に話せるようになっていたし、簡単な文字ならば読めるようになっていた)話がまとまりベンとキムスは荷車に戻り、サン・フェルナンドキャンプへ戻った。

明治大帝の孫が水牛の荷車で乗り回す姿は随分目立った、というのもキムスはいつもピシッとした白い制服を着ており、従者である陸、海軍の将校と違いがありすぎたからだ。上着の左胸の赤い円形プレートの上に記章を並べ、肩にはベンにとっては何かわからない肩章をつけていた。しかし、赤い連帯記章は特別な意味があるもので、明るい赤の絹糸で刺繍がされていた。四角の回りをスカラップ模様で純金の縁取りがなされ、十四花弁の菊の形は皇族の血流の紋章である。

ある時ベンは刺繍に強くブラシをかけすぎ金糸を引っ掛け、将校にひどく殴られた。この時殴られたことと、防空壕で硬貨に触れた時の叱責が、ベンが乱暴に扱われたすべてである。(半世紀後、表紙に黄金の菊の印のついた「ヤマト王朝」の英語版を見た時、ベンは「これはキムスが上着に付けていたやつだ。」とつぶやいた。)

キムスの前輪のフェンダーと同じ紋章のついた三角旗が将校の車にもはためき、そのためどの日本軍検問所でも衛兵達は皇子が接近していることを知ることができた。

ベンはキムスが二四歳~二五歳ぐらいだと思っていた。(実際は一九四三年で三四歳だ、しかし若くみえた。)、彼はベンより背が高く、五フィート十インチ(一七五センチ)もあった。顔はとても平べったく、頭は剃っていた。彼には小さな癖があった。タバコを吸うとき、小指と薬指の間にタバコをはさみ、煙で輪を描くのだ。貴族としては彼のしぐさはものうげで、少しもあわてずゆっくりとしている。

いつも顔をぬぐうために白いハンカチを持ち歩いていた。彼のめがねはベンが今まで見たこともないようなもので、レンズが前へ飛び出るように蝶番がついていた。

たまに日本の歌「サクラ」を口ずさみ、「リリーマルレーン」を日本語でベンに教え、戦時中の世界の人気曲を歌って聞かせた。

キムスはとても優雅な英語を喋るのだが、それはベンしかそばにいない時だけだった。将校がまわりにいるときは日本語で話し、足立大佐がイロカノ語でベンに通訳した。

彼らのサン・フェルナンドの屋敷は厳重に警護されていた。高官が毎日、新聞をもってきた。財宝でいっぱいの船を回収しやすい所へ沈めたと話しているのをベンは耳にした。キムスは机と大きな黒板を備えたテント部屋を持っており、そこでフィリピン中の財宝基地から報告にくる主任技師に指示をだしていた。ついにベンは、裕仁と皇族達だけのための一七五箇所の特別な財宝基地が作られていることを知った。それらを隠匿することがキムスの任務だったのだ。どの隠匿施設にもそれぞれ主任技師、設計士、鉱山専門家、陶土の攪拌と塗りの専門家、罠の専門家、毒薬やシアン化合物を瓶に詰めて各設備にばらまく科学者などがいた。彼らがキムスに報告する。その進展をながめ整ったとみるや点検し、一覧表を作りに行き、そして封印するのだ。

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8de03d No.132869

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>>132868

ベンはキムスに付いてどこへでも行った。大きな南のミンダナオ島までも出かけた。キムスは個人の従者に加えて、部下の後ろから重装備のトラックを連ねた三小隊の兵士がいた。これら普通の兵士は皇子と話すこともなく、直接顔を見る事すらできなかった。

車の中のキムスは手元にカバンを置き、中には設計図、目録(財宝一覧表)、地図、設計道具やコンパス、望遠鏡などの道具類が詰め込まれていた。もう片側には軍刀があった。各施設に到着すると、キムスは綿密に調査された地図と主任技師によって書かれた図面の最終点検に出かけ、その地域を歩き回った。彼が十分に納得すると==連合国捕虜や奴隷労働者を中に残し

たまま貯蔵庫を密封した。キムスはベンに、各施設において全ての奴隷労働者と捕虜達を中においたまま封印するのも、又、後日、皇室のメンバーによって回収されるまでこの場所の秘密を守れるように保証することもすべて天皇裕仁の命令==なんだと語った。そして従うしかないとも言った。ベンは、人を残したままトンネルを塞ぐ時、キムスが頻繁に涙を流すのを見ていたのでその言葉を信じた。(ベンはこの件について我々に話したがらない。日本兵士がどうやって生き埋めにしたかを明らかにするのでさえ涙をいっぱいうかべていた。「彼らには財宝を守ることしかなかった。」、彼は生き埋めにされることを怖がっていた。半世紀過ぎた今でも日本人が戻ってきて彼を罰しにくることを恐れていたのだ。)

ベンに言わせると、キムスは職務に忠実で細心の注意を払っていたということだ。ある時、貯蔵庫を封印する直前に労働者の一団から一人の中国人奴隷が逃亡した。その後日本軍が彼を捕えることができないとわかると、貯蔵庫から中のものを運び出すように命じた。そして金の延べ棒がつまった二七〇の金属製の箱は持ち出され、何処かへ運び去られていった。また

別のケースでは、キムスが施設の点検をすませると、その設計図と地図が不正確で、主任技師が自分のための財宝の確保するため悪意を持って修正を加えたと結論づけた。キムスはその場で首を切るように命じ、即座に実行された。三年以上、ベンは彼に従ってルパング島のような島へ飛行機や船で付いてまわった。それらの島には今までとは異なる寸法の貯蔵庫があった。ミンダナオ沿岸、北の果ての小さな島でベンは船を見たが、その船の甲板に大きな植木を生やし、生きた木に偽装していた。ずっしりとした箱が甲板に積み重ねられ、ドイツ兵が警護していた。キムスの将校がドイツの船だと語った。ドイツ兵はすべての箱が降ろされ島の洞穴に運び込まれるのを監視していた。ベンには箱の中身が何であるか分からなかったが、とても重いものであることは確かだった。戦争期間中、日本の貨物潜水艦はナチの潜水艦基地であるフランスのロリエントへウランの購入代金として金の延べ棒を持ち込んでいた。これは日本が自前で原爆開発しようとした秘密計画の一部である。ドイツのユーボートと特殊地上工作員はインドネシアやフィリピンの中継地点にウランを運びそこで降ろした。そこからは日本の潜水艦が東京へ運んだ。鉛で保護された箱が降ろされ、待ち受けていた日本の潜水艦に搬入される取引をベンは目撃したはずだ。キムスは一七五箇所の皇室隠匿場所で最終的な検品をした唯一人の人間だが、初期段階では別の部隊も関わっていたとベンは言った。彼は裕仁の弟、三笠宮に率いられていたと言った。三笠宮が公式には南京の日本軍司令部に属していたと言われる同じ時期の三年間、ルソン島にいたとベンは主張した。そうなのだ、彼のルソンでの存在は確かに可能性があるのだ。(同じく竹田宮は公式にはハノイ配属となっていたが実際にはルソンにいたのだから)

彼が言うには、他のチームは一九三七年(昭・十二)南京虐殺を命じた朝香宮の息子若い朝香孚彦(タカヒコ)に率いられていたそうだ。我々はベンがこれらの皇子の正式な名前を知っていることに驚かされた。一九九〇年代に昔の三十年代に撮られた写真を使いブラインドテストを行った。彼は皇子達を特定した。あらかじめ混ぜてあった皇子でない人物の写真を特定できないだけだった。英国図書館の東洋コレクション管理者から提供してもらった貴重な写真を準備し、念のため身元が分かるものも取り外しておいた。ベンが日本の外部ではめったに見られない時期の写真から、国外では知られていない皇子を特定したことは、彼が電話の掛け方すら習ったことがないことを知ったならばとてもすごいことじゃないか。ベンは確信をもって言った。白い制服をきて赤い記章を付けた写真の男達がサン・フェルナンドにいたキムスに会いに来たと。

東久邇や朝香宮(年配のほう)のように随分年配者も含まれていた。彼らは視察旅行の途中、飛行機でルソンへやってきたのだった。兵士や将校は、そんな高位の皇子が訪ねてくると極度に緊張したという。二つの目撃証言がある。ベンはキムスとマニラの会合に行った時、秩父宮をずい分近い所で見かけた。すると秩父はハンカチに血を吐いた。それはベンにとってとても印象深いものだった。そしてもう一度、戦争が終わる月(八月)にバエンバンで再び秩父宮を見たのだ。ベンが直接目撃したとしても、秩父が結核だったということを彼が知るすべはなかった。何ヶ月もインタビューしているうちに、ベンは秩父の病気がだんだんひどくなり治療のため日本へ戻ったのだと言った。

そしてその間に三笠宮がサン・フェルナンドのキムスの所へ何回もやってきたのだそうだ。ゴールデンリリィに関わった日本人のまったく別の目撃者によると、皇子達の一団が巨大な施設を点検していた時にベンが三笠宮一行の中にいたという。ある日本人の情報ではベンは三笠宮の付き人であると推測されていた。彼らが深い立抗や洞窟、地下道にいたとしてもベンがその中へ入る事など普通はなかった。入口では数十メートル離れた場所にいたし、もちろん入ることを禁じられていたので地面の下で何が行われているかを知る由もなかった。

ベンはタバコ、水、食料をすぐに取ってこれるように待機していたのだから、見ることができたのは、坑道や洞窟の地面に掘った穴の開閉装置が開いている時か、箱が坑道へ降ろされたりトンネルに運ばれるところぐらいだった。中で起きている事はずいぶん後までベンには知らされなかった。ゴルデン・リリィの地下道の多くは丘や山へ真っ直ぐに突き進み、トンネルの床

下を二〇メートルぐらいの深さで立抗を掘っていたのだが、これはとても重要なことだった。立抗はコンクリートの壁が作られ財宝でいっぱいになった。おそらく金の仏像を埋めたのだろう。(ベンは日本の神様だと思っていた。)コンクリートの壁は一~二メートルの厚さで注入され、トンネルの床にみえるように偽装してあった。

宝探しの連中は足元にたまたま地下貯蔵庫があった時か、片側から隠れた坑道を完璧に取り去る以外に実を結ぶことはなかった。

そのひとつにバンタイ・ラケイと呼ばれるフィリピンの山があった。別のものはカパヤにあり、トンネル入口すぐ内側の立抗にとても大きな金の仏像が置いてあった。ベンは日本兵が大きな岩をトンネルの入口にころがし、残った開口部に小さな三つの岩を詰め込み、回りの石と同じ様に見える硬い陶器を混ぜたセメントですべてを塗りこむところを目撃した。

マニラの東、モンタルバンには日本軍の施設がたくさんあったが、その緩やかにうねった地域にたくさんのトンネルが掘られていた。このトンネルを密封する前にベンは二週間にわたって、一日中財宝を積んだトラックが到着するのを見た。太平洋戦争の間、そこには発掘を妨害するための葉が茂った背の高い木が植えられていた。今日のモンタルバンは森林が伐採さ

れて、そのほとんどが水田になっている。財宝回収の最近の取り組みでは、千ポンド爆弾ばかりでなく日本軍が仕掛けたあっという間にトンネルを水没させてしまう巧妙な罠によって妨害されていた。いつもではないけれど、キムスはバエンバンの南、アリタオにあるメニィ・モンキーなどのトンネルや洞窟の中へベンを連れていく機会があった。

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>>132869

メニィー・モンキーは奇妙な所で、丘の中腹が一個十~二十トンにもなるたくさんの巨石で覆われていた。これら直径数メートルにもなる巨石は特に毎年十一月にやってくる台風や洪水で丘の中腹で洗い流されてきた。アリタオでは巨石群がぶどうの木や森林の傘におおわれ。赤毛ザルの群れが占領している岩場の間に天然の貯蔵庫をつくっていた。キムスの技師達は猿を追っ払い、葉を燃やし、丘の横にある深さ四六メートルの大きな二つの空間を選んだ。そしてそれらをコンクリートで補強した。それぞれ約二〇フィートの巾と三〇フィートの長さがあり、空間にプラチナと金の延べ棒を綺麗に並べ、アクセサリーから取り外した原石で満たされた大きな五つの壷も追加された。

ベンは宝石が金の金具で留めてあるために没収された数千個の時計でいっぱいになった壷をみて吃驚してしまった。その壷を兵士達が空洞へ降ろした。二五〇キロの小さな金の仏像は注意深くコンクリート製の箱に入れられ、朝鮮の奴隷労働者達が帆布の帯を使って引きずりながら空洞へと引っ張っていった。その施設での積み込みと在庫調べは全体で一週間かかった。次にベンは百台以上のトラックが財宝を積んでやって来たのを見た。それはキムスに最終的な検品をしてもらうためであった。ベンは皇子が色とりどりの宝石が詰まった最後の壷に手をつっこみ、指の間から滝のようにこぼれていくのをうっとりとみている姿に釘付けになってしまった。彼は兵士にそれを迷路の中へ運ぶように命じ、二人は道に迷わないようにおいてある丈夫な赤い紐に従って歩いていった。その壷が他の壷の横に置かれると、空洞に繋がる通路はその地方の石とそっくりに見せるように彩色師によって混ぜ合わされた厚いコンクリートの壁でふさがれた。キムスとベンは兵士と技師の後ろについて巨石群の渓谷を抜け帰り道を行き丘の横の急流にでた。(我々はベンと一緒にメニィー・モンキーを訪れたがコブラの大群に囲まれて入ることができなかった。CDにはその写真がある。)

フィリピン最大の財宝貯蔵金庫施設のひとつは、キムスが拠点としたサン・フェルナンドキャンプのすぐそばにあった。そこは男達を三年間ずっと地下で働かせ、三つの天然の洞窟を拡張し、鉄筋コンクリートで壁を作り地下道でそれらを連結させようとしていた。サン・フェルナンドの地下施設は八番坑道と呼ばれ、規模はサッカー場に匹敵するといわれた。

九番坑道は別の日本軍キャンプの真下にあった。三番目は共同墓地施設とよばれ、バエンバン共同墓地のほとんど真下にあった。八番と九番は約一キロ離れていたが共同墓地とは一キロ半の距離があった。この複合設備は終戦前の最後に在庫を調べ密閉されたひとつだ。サン・フェルナンドの竹田宮が住んでいた屋敷のバルコニーから真東を見るとずんぐりとした一九四〇年代のブラジャーの様にも見える二つの円錐形の山が聳え立っているのが望める。右側が四七七四フィートのセハール山、近くのもうひとつが五五九四フィートのパラウ山だ。イロカノ人はセハール山をナクンビンチャンと名付けたが日本軍はキサドと呼んだ。毎朝、日が昇るとキムスは外へ出かけ、山に向かってお辞儀をしていた。サン・フェルナンドから東に向けて二つの巨大なおっぱい山の裂け目に舗装していない道路がのびていた。この道路の左側にパラウ山の山脚(突き出し)があり、その下が八番坑道だ。(もともとの赤シリーズの地図が我々のCDに再現してある。)この突き出し部の北わき腹から一キロ離れた所に他の陸軍キャンプがあり九番坑道のもうひとつの入口がある。

戦争の後半、一九四五年(昭・二〇)の冬から初春の頃、ここは山下将軍の司令部となり、その後で最終防衛戦を戦うためキアンガン地帯へ転戦していった。

ベンは山下の貯蔵庫の離れていた入口に関しては耳にしたことはなかった。サン・フェルナンドのキムス司令部では八番坑道の痕跡は地面に穴があるだけで、そこから炭鉱夫を立抗へ降ろすための粗雑な骨組みのエレベーターがあっただけだ。このエレベーターがベンやキムスを二二〇フォート下にある地下道の入口へ運んでくれる。ある時地下に下りたベンはどっちの方向へ歩いていくのか聞くことができた。最初に袋でいっぱいの応接間と呼ばれる円形の空洞にやってきた。ベンは袋の中身が何であるかを知らなかったし、聞くこともしなかった。その円形の部屋を囲んですべての方向へ放射状にタイヤホイルのように六本のトンネルがのびていた。彼らがそのトンネルのひとつに入ると、箱が内張りになるよう頭より高いところまで積み重なっているのがみえた。

次に三〇フィート下りるともっと大きな空間に到達した。床も天井もコンクリートが貼ってあり、ベンはまるで野球場のように大きいと思った。そこが八番坑道の主要部分で「貴重な部屋」と名付けられ、すでに金の延べ棒でいっぱいだった。元々は天然の空洞だった所を日本軍のために二年を費やして拡張し強化したもので、今まで訪ねた施設のどこよりも多くの人とトラックを必要としたとベンは語った。そこでは延べ棒は積むというより、島のようになっており、それらの間に通路があった。次の三番目の空洞に着くと、そこは鉄の扉で密閉されていた。そこにはベンは入ることが許されなかった。これが九番坑道か中央司令室だった。ベンとキムスは別の長いトンネルを通り、最後に体育館並みの大きさの地下金庫に着いた。そこでは壁という壁に金の延べ棒が積み重ねてあった。ベンは我々に言った。「私が見たのはとてもたくさんの金塊だった。ブッダそっくりの少年像もあったよ。他にも二つの仏像と、たぶん二十五個ぐらいの小さい物もね。」、すべてが純金で、前からそこにあったものとは思えないとも言った。

一九四四年(昭・十九)の夏になると。連合軍によるフィリピン、或いはフォルモサへの侵攻がせまっていることが明らかになってきた。巨大なアメリカ艦隊がニューギニアのホランディアに集結していた。日本はルソン島ですら守ることが困難になってきた。黒田繁之大将はフィリピンで自らの指揮権を剥奪され、日本最高の戦闘将軍、山下奉文(ともゆき)と交代した。山下は全精力をかけて、失ってしまうと本土が脅かされることになるグアムと沖縄への攻撃を妨害する作戦の一環としてフィリピン北方の防衛に当たることになった。山下は奥が深く興味深い人間だ。表面的にはプロシア軍にあこがれ、日本軍をその様に作ってきたようにみせていた。

彼は大柄で頑丈な首、太い胴体、そして頭は剃っていた。その表情は乏しく残酷で鈍感にみせていた。現実は、日本の狂信的な軍国主義の危険な高まりに反対してきた穏健派だった。一九三五年(昭・十)、最も危険な狂信者、永田鉄山が東京司令本部で相沢三郎陸軍中佐に刺殺された時、山下は玄関で刺客を止め、彼の手を取りその勇気ある行動に感謝したほどだ。戦争の初期に山下はシンガポールにおいてあまりにも素晴らしい勝利を得たため、東条首相から恐れられ妬まれるほど大衆の英雄になったので、東条は彼を呼び戻し、戦争中のほとんどを満州に追い払っていた。しかしながら一九四四年の半ば、東条は失脚し山下を満州からルソンへ送る直接指令が下った。

軍事の天才が奇跡を起すように命じられたわけだ。彼がマニラに着いたのは一九四四年十月六日、もう形勢を変えるには遅すぎたであろう。こうして山下は、最後の十ヶ月間だけゴールデン・リリィーに関わることになるのだ。

その頃皇子達やその側近は、マニラ北部の山へ金の延べ棒や他の財宝を大慌てで移送していた。山下は出来る限り長くそこを持ちこたえるように計画をたてた。一九三〇年代早春の出来事(二・二六事件)が起きたとき、秩父は東京で山下の連隊に所属していたので、個人的に二人はとても親しかった。だからマニラのこの状況下で再会した時、二人の間には格別な連帯感が芽生えたのだ。ベンは彼らが挨拶するのを見たことがあるが、山下は秩父にお辞儀をしなかった唯一の日本人だったと言った。そのかわり山下は秩父を久しぶりにあう弟のように出迎えたという。その年の十月、ベンはキムスとバエンバン北方のバガバグへ行った。

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8de03d No.132871

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>>132870

そこには日本軍の飛行場があり、彼らは十二人の乗客とともに双発の空軍機でマニラへ飛んだ。最初に行ったのはサンティアゴ要塞で、連合軍捕虜達がお化け金庫を古いスペイン時代の空気抗へ一生懸命降ろしていた。次の朝は、サン・アウグスティン教会の六本指施設とマニラ大聖堂を訪れた。そしてそこで、金がつまった金属の箱を財宝貯蔵庫へひとつづつ降ろし、次に金むくの仏像を収納するところをながめていた。金むくの仏像はロープで巻かれ、片一方を馬で引っ張りながら降ろした。記録係が助けながら馬はゆっくりと像が立抗に下りていくよう、後ろ向きに動いた。その時山下将軍がやってきた。秩父に親しげに挨拶した時とは違い、キムスと山下はよそよそしく見えた。その最後の十ヶ月、山下は小島カシイの運転で、西はバグイオと中央のバエンバン、そしてルソン北端アパリの間で十二箇所以上のゴールデン・リリィー施設の進展状況を見て回った。とにかく時間がなかった。一九四四年(昭・十九)十月、歴史上最大の海戦であったレイテ湾の戦闘で、日本は破滅的な損失を被った。

マッカーサーは一九四一年(昭・十六)十二月の急襲で恥をかかされたあげく、次の数ヶ月でバターン部隊を置き去りにし、コレヒドールから不名誉な撤退をした経験から立ち直れないままであった。いまや彼は危険を冒すことはできなかった。レイテにおける彼の軍事力は日本のほぼ十倍だった。そこで勝利したマッカーサーは、ルソン侵攻の計画をたてた。山下はひとつの装甲師団と六つの歩兵部隊で二十七万五千人以上の兵士を確保していた。もっとも負傷兵や生存者、用役部隊も混じっていたが。彼は山中において出来るだけ戦闘を引き伸ばすように耐えることしかできなかった。マニラを守ることは難しかった。彼は町から引き上げ、マニラを開放を宣言することを決めた。そうすれば無意味に破壊されることはないだろう。不幸なことに、実際にはマニラは日本海軍の支配下にあったのだ。だから山下は一万六千名の海兵とそこにいる海軍部隊に対しての影響力を持ってはいなかった。山下大将が全日本軍に郊外へ引き上げる命令をだしても、岩淵三次司令官は命令を無視した。岩淵はすべての港湾設備と海軍の倉庫の破壊を指示した。彼には彼の計画があった。コレキドール島に自分と海軍の大量略奪品を隠していたし、秩父宮が大量の財宝を隠したこともすべて知っていた。米軍が制空権を握ったため海への逃げ道はない。

岩淵は山中へ撤退できたのだが、逃げ惑うねずみになる代わりに、海兵にマニラ住民に対して乱暴するように仕向けた。マニラを無法地帯とみたマッカーサーは自分の誕生日である一九四五年(昭・二〇)一月二六日までに首都を落としたかったため、リンガエン湾の浜辺から南方へ向かって大急ぎで軍を進めた。岩淵は一万六千名の兵士に玉砕を命じた。彼らは狼狽しながらマニラを墓場に変えるべく家から家へと銃撃を続け、通りにいた非戦闘員を剣で刺し南京以来の虐殺を女、子供に対して働いた。十万人のフィリピン人と千人のアメリカ人が殺され、都市の八〇パーセントの家が潰された。混乱の中、岩淵自身は城壁の坑道を通って抜け出し姿を消した。公式には死亡と伝えられているが確認はされていない。彼が潜水艦でルソンから抜け出し偽名を使って日本で天寿を全うしたという指摘もある。何故なら彼は死後裕仁によって中将に昇進しているからだ。北方に向かって、山下の防衛ラインがバグイオ、バエンバン、ボントックの三角地帯に作られた。これらの地点に到達しようとすると山峡や谷間の狭い道を通過せざるを得ない、そこには兵士が塹壕を掘って待っている。ベンには何が起きているのかわからなかった。ある日、キムスと部下は多くの飛行機が飛び回る中、ベンと共に小屋の中で待機していた。ベンはそれが日本機だと思ったが、足立大佐は米軍機だと言った。ベンは言った。「もう日本はダメなのですか?」足立や他の人は笑いながら、「米兵がやってくるんだよ、ベン。」数日後、戦闘機が爆撃し機銃掃射していった。ベンはキムスらが祈りの儀式をしているのを見た。彼と竹田宮の結びつきが小さな出来事から汲み取れる。キムスはベンに血の誓約をするようせまった。彼らは右手の小指の先を切り、滴り落ちる血で軍旗に血判をしあった。(実際我々はベンの小指の先が欠落しているのを見ている)

まず、ベンは秩父宮のことを喋ることを禁じられた。第二には竹田宮の暗号名を漏らさないこと。「アメリカ兵にも中国人にもフィリピン人でも、日本人ですら言うな。」、キムスはこれらの施設は皇族達だけのために保持されると語った。ベンの将来のために金がいっぱい詰まった二つの鉄製の箱を隠しておくとも言った。そのためベンが忘れないよう、ベンの手に二つの刺青をいれ、その二つの箱にも同じ印をつけた。次の日彼らはアリタオからバグイオへ向かう途中にピンカン橋へ行った。川から数メートルの高い土手の上に立派なマンゴーの木がそびえ立っていた。水牛が引っ張ってきた二つの金属製の大きな箱が立抗の中へ埋められた。日本兵はその箱をころがすために鉄製パイプを並べていたが、ひっぱるには五頭の水牛を必要とした。箱を立抗に入れた時、蓋が開けられ、キムスはベンを呼び寄せ、中に入っているものを見せた。そこには七五キロの金の延べ棒がびっしりと詰まっていた。キムスはベンに日本語で語りかけた。「これね、サービスだよ。たくさんたくさんのゴールドさ、ね?」大まかに言うならば、「これは貴方にサービスとしてあげるよ。とてもたくさんの金だよ。OKか?」(ゴールドを日本語にすると金だ。しかし英語でゴールドを使う時に日本人の発音はゴールダーだ。現地の人にはそのように聞こえるようだ。半世紀たってキムスが言ったことをベンに書かせたが、彼の日本語の知識は限られていたので、「くれねーサービス。さよくれ、くれ、たくさんゴールドね」であった。)

彼はキムスに箱には毒を振りまくだろうと言った。そして箱を閉じてしまった。戦争が終わって、ベンは自分でそこへきて掘り出した。穴を開けるときベンは灯油を箱にまいてほこりを焼き尽くさねばならなかった。そして蓋を開けるときも箱の中のほこりを焼くためにもっと灯油をかける必要があった。そうして彼は無事にゴールドを掘りだした。彼は全部の金塊の代わりに小さな塊をもらった。というのは、あまりにも注目されすぎると売ることができないからだ。キムスはベンにその金で大きな牧場を買い、村で見かけるような可愛い娘と結婚し、たくさん子供を作り助け合って暮らすといいと話していた。ベンは言葉がでなかった。

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8de03d No.132872

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>>132871

彼らが穴をいっぱいにするころ、ピンキアン橋のもう片方から別のゴールデン・リリィ部隊がやってきたのにはびっくりした。そのリーダーはキムスと同じ赤いバッジをつけ、白い上着を着た秩父、そのひとだった。キムスと秩父は互いに挨拶もしないし表情ひとつ変えなかった。秩父はとてもほっそりとし、咳き込んでいた。ベンは彼のハンカチはまるで軍隊旗のように真っ赤だったと言った。そして数日から数週間、彼らは残った財宝を必死になって埋めた。山下は米軍が進軍してきたため、バグイオを放棄し、バエンバンの勝負をかけた司令本部へ移動した。しかし、山下はキムスのキャンプがあるサン・フェルナンドにくることはなかった。山下は九番抗の地下司令室に行くため、離れた所に専用入口をもっていた。彼と将校達はキアンガン地帯を放棄する前の数週間、多くの時間をこの地面の下で過ごした。ギアンガンではその合間に山下将軍と将校達が間近にせまる玉砕の戦いに使用するため、頑丈な基地として別の大きな洞窟が用意されていた。キアンガン渓谷は、丁度ケニアのソフトバレーと同じで自然に地面が隆起してできた地域で水も豊富で洞窟だらけだった。山下が防御用に選んだ目的に完璧に適した天然の要塞だった。ベンはこれらの作業は戦闘不能な兵士や、非戦闘員の官僚に指揮された奴隷労働者によって成し遂げられたのだと言った。一九四五年(昭・二〇)五月五日、アメリカ軍の山中への進軍が素早かったため山下は防衛の三つの地点の内二つをあきらめ、ボントックを棄てた。彼は部隊をバエンバンとベガバグの間に引き上げ、キアンガン渓谷に注ぐアシン川に沿って展開した。この地帯は格別に険しいところなのだが、ベガバグは実際バエンバンの北へたった二五マイルしかなく、ギアンガン渓谷の端はバエンバンの西にわずか五マイルなのだ。食料の供給は水牛の群れがあるので十分だ。

又、山下の軍団はキアンガン渓谷中の早場米の収穫をすませていた。新たな収穫は九月にも準備ができるけれど、その頃には戦闘は終わっているだろう。その間に雨季が来る。アメリカ兵には耐えられない台風や洪水もやってくるだろう。山下は空からの攻撃を妨げるために雨や台風を計算していた。一九四五年(昭・二〇)五月末、キムスとベンは秘密に北方へ行った。まず最初、バガバグへ行くとそこには三笠宮が待っていた。二人の皇子とベンはカガヤン渓谷を通りアパリに向かって運転し、沿岸に沿って右へ回り小さな湾に入った。そこで高速警備船に乗るとカミグイン島の北側を横切り、そこに日本潜水艦が待機していた。キムスは艦に乗り、次の週の同じ時間に関しての打ち合わせを船長と行った。その間、三笠宮とベンは警備船に残っていた。三笠宮と二人だったのはその時だけだったとベンは言った。ベンは、キムスは自分がいなくてもベンに悪いことは起こらないとわかっていたと思った。六月に入り最初の四日間に山下の対戦車部隊はアリタオ南部で米軍七七五戦車部隊と戦闘をおこない、その時から渓谷へ逃げ込む速度を上げる必要性が高まってきた。六月一日の夜、一七五箇所のゴールデン・リリィーの主任技師は八番抗の地下会議室でお別れ会に呼ばれた。残っていた財宝はすべて隠匿された。八番、九番坑道も、地下共同墓地も金の延べ棒でいっぱいだった。ベンによると、その夜彼はキムスと一緒にいて、技師達はたくさんの酒を飲み乾杯と万歳を繰り返していた。

その時、地下共同墓地では二百名の奴隷労働者が集められ、日本兵が銃座の上で構えるマシンガンの監視下にあったという。この施設を作ったキムスは主任技師達と一時間ほどつきあったがベンを連れて設備全体の最後の巡回へ出かけた。彼らは連なる坑道を一時間以上歩き、積み重ねられた延べ棒や財宝をながめていた。キムスは繰返しベンに言った。「注意しろよ電線をひっかけるとぶっ飛ぶぞ!。」電線は坑道全体のそこらじゅうでダイナマイトの束につながっていた。お別れ会にもどり、キムスは技師達に熱烈な演説を行い、天皇の名前で彼らの達成した偉業を称えた。真っ赤になった男達は「万歳」を叫び続けた。演説が終わったときはすでに深夜だった。山下大将がやってきた。

彼はキムスに坑道から出る時間だと言った。ベンには中に残れと言った。「いや。」、キムスは言った、「私はベンを家に帰すことを約束しているんだ。」、彼はベンを振り向き、「早く行くんだ。」と、工事用エレベーターの坑道出口を指差した。山下はあきれた顔をしたが、明治大帝の孫に文句を言う勇気はなかった。我々はなぜ山下はベンが中に残るのを望んだのかを聞いた。「それについてはおそらく誰も知らないだろう。」と答えた。山下に従って彼らはエレベーターへ歩き、地上へ上がった。言葉もかけずに山下は闇の中へ歩き去った。キムスとベンが入口から離れた時、飛行機からの爆撃を思われる音が聞こえ地面に伏せた。巨大な爆発が地面をゆすった。(次の日、日が昇ると道路の西側に十五フィートのため池ができていた。連結した坑道が崩落したのだろう)

我々はベンにその時、技術者や奴隷全員が地下に捕われていたことを知っていたかどうか聞いた。ベンは地面を見て、「僕は、キムスが山下の言う事を聞かなかったことを幸いだと思ったよ。・・・・おかげでここに残れた。」すこしたってから付け加えて、「私は山下が恐かった。」と言った。

地面のゆれが止まった時、キムスが泣いているのをベンは見た。ベンは「天皇の直接命令で彼はそうしたんだ。」と言った。海軍大佐本田を含む多くの将校も技術者と一緒に生き埋めにされた。ベンの家に彼らが着いた時、初めてキムスと足立大佐がベンと離れるときがきたことを告げた。彼らはその夜にカミグイン島へ行き日本へ戻るために待機していた潜水艦に乗ったのだろう。

暗かったが、ベンはキムスが涙ぐんでいるのをみた。ベンも又ベソをかいた。「お前は父のベンハミーンの所へ行け。彼は片目しかないから農園ではお前の力がいる。ゲリラや米兵と一緒になるなよ。父さんの所にいて水田を手伝うんだぞ。」キムスは革カバンと刀をそこに置き、白い上着も脱いだ。ベンに上着と同様に軍刀を手渡した。そして歩きかけてから思い直し、地図がいっぱい詰まったカバンを渡しにもどってきた。おそらく潜水艦で日本にもどり、再びもどってくる可能性を考えたのだろう。「私のためにとっておいてくれ。木の箱に入れ家の裏に埋めておくのだ。」そして呪文をとなえて、「私との約束を忘れるなよ。この地図は誰にも、アメリカ人、中国人、日本人、フィリピン人、ゲリラの誰にも渡してはならない。私だけを待っているんだ。え~~いいか、いいか。」(これを繰り返した。ベンはこのいいかを数えたら十回だった。)「私が帰ってきたら君にやるから待っていろよ。三〇年待ってくれ。もしも私がもどらなかったら、地図を日本にもってこい。私が死んだら私の家族に渡すのだ。」、キムスは百ヤードほど行き、又もどってきた。そして再び誓いを繰り返した。「ベンハミーン、ゲリラや米兵と組むなよ。そうすると日本人はおまえを殺す。覚えていろよ。ゲリラはダメ。アメリカも中国もダメだ。私を待つのだ。」

今度こそ歩き去りもどらなかった。ベンは長い間彼を見送り、軍刀とカバン、上着を家の中へ持ち込んだ。夕暮れになって山下はアシン河を棄てキアンガン渓谷へ入った。戦争終了まであと三ヶ月だった。竹田宮がベンに与えた軍刀は、鋳造した鋼の刃を持ち、隕石から得られた鉄から鍛えたもので、木と革の鞘がついていた。日本の生きた宝(人間国宝)の一人が作り、それを収集していたキムスの祖父、明治大帝から送られたものだった。そんな大変な価値も知らないでベンはその年の十一月の収穫や、その後長年にわたり米の刈り取りに使っていた。彼は次の年の春、田んぼを耕しているときには、赤や金の菊の紋章が左胸に付いている白い上着を着ていた。父は皆の前で二度とそれを着てはいけないと警告した。そうでないと共謀者として殺されると。

上着と軍刀は長い間残してあった。何年たってもベンは誓いを守ったのだ。訳者注 岩淵少将が山下将軍の命令に従いマニラを開放したとしたら、フィリピン市民十万人、日本兵千数百人が死ぬ事はなかった

先日、NHKのハイビジョンでマニラ市街戦の一ヶ月を特集していた。サンチエゴ要塞が陥落したとき巻き添えにフィリピン市民一万人が死んだ。悪いのは海軍だが、マッカーサの誕生日にこだわったため、あせって攻撃をしたアメリカ軍のやり方も決してフィリピン人は許さないだろう。NHKの番組の中では悲惨な砲撃を受けたサンチアゴの要塞の地下にたくさんの戦時略奪財宝が隠されている事は語られなかった。そして、岩淵少尉がトンネルを通って何処かへ消えてしまった事も、そして彼が中将に昇進した事も語られなかった。マッカーサーがその略奪財宝にどのように関わっていくかは次の章で説明されるであろう。

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8de03d No.132873

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>>132872

黄金の兵士 第七章 ウサギの穴におちて

DOWN THE RABBIT HOLE

日本から正式に降伏の通知を受けた後の九月二日、背が高く牛の様に太い首の山下大将は山道にそって出頭してきた。左に軍刀を持ち、彼と部下は降伏するためアメリカの戦列へ近づいた。最後の一ヶ月、アメリカ軍は三マイル前進しただけであった。ギアンガン渓谷包囲作戦の中、山下はすっかり痩せていた。彼は部下に切腹行為を許さなかった。「自分が死ねば他の誰かが又責任をとることになる。」と言っていたからだ。将校達の後から運転手などもやってきた。山下達は軍事警察(MP)のA.S.ジャック、ケン・ウヲーシーら収容委員と面会した。彼らがマニラ郊外にあるニュー・ピリバド刑務所へ検挙し護送するのだろう。

山下は立ち止まり部下の将校が彼の後ろに並ぶまで待つことにした。レスリー・Mフライ少佐によると、後ろにいた若い兵士が前に進み出て、運んできた金の延べ棒を贈呈した。それは片側にきちんと積み重ねてあったという。すべてあわせると一トン近くにもなる。山下は軍刀を抜き取り、深くお辞儀をしてケン・ウォーシー大佐にそれを渡した。五ヶ月先の一九四六年二月、ばかげた不当裁判として後に多くの議論をよぶことになるが、山下は絞首刑にされる。山下の罪状にも彼の裁判にも略奪した財宝や戦時中の略奪に係わることは、まったく言及されていなかった。彼はマニラで明らかに命令に反した岩淵の海軍兵と水兵部隊による残酷な犯罪を理由に戦犯にされた。それはアメリカの歴史上で敗戦国の将軍を戦犯として断罪し裁いた初めての事であった。その裁判は正規の資格を持った人々で構成されたものではなく、もっぱら山下を戦犯に仕立て上げるための風評を証拠として集めただけであった。簡略な手続きで、いい加減な証拠しか集まっていない。にもかかわらずマッカーサー司令部からは早く起訴するように催促された。山下将軍の弁護チームは合衆国最高裁に訴え、二つの最高裁判決が公判の実行を非難した。裁判官のマーフィーはこう言った。「被告には弁護のための十分な時間も与えられないまま、そして、そこに彼が戦争法の違反を認識した上で犯したのかを立証する努力もなされてないのに不法な容疑で公判をせまられている。又、それらの犯罪を知らなかったならば尚更彼に責任を負わせるべきじゃないのだ。」別の反対者、裁判官レトレッジは、「その公判過程は、米国、英国の伝統的な慣習法や憲法全体からかけ離れている。」と断言した。そしてトーマス・パインズの警告を引用して結論づけた。「自分達の自由を確保しようとするなら、敵対する相手に対してもその圧力から守ってやるべきです。もしその義務を放棄するならば、その人にも降りかかるような判例を作る事になる。」山下の有罪は覆らなかった。トルーマンへの訴えが退けられた後(彼はまったく対応しなかった)山下は絞首刑にされた。ほとんどの人は、マッカーサーは自分を無能者にした奴に復讐を望む程度のうぬぼれ屋だったことが、山下を絞首刑に送り込む理由だと考えた。

しかし、我々は秘密の約束があったことを知っている。山下将軍に肉体的な拷問を加えれば弁護士に知られてしまう。その代わりに部下達を拷問することにした。山下の運転手、小島カシイ大佐は特にひどい目にあった。

彼は山下将軍がフィリピン防衛を黒田シゲノリ(繁之?)から引継ぎ、一九四四年(昭・十九)十月に満州からやってきて、以来どこへ行くにも一緒であった。小島大佐の拷問を担当したのはフィリピン系アメリカ人、情報将校のセベリーノ・ガルシア・ディアズ・サンタ・ロマーナ、通常はサンティと呼ばれていた。彼はがっしりとして背が高く、広い額をもち、まるで柔道の黒帯のようか、又は古い緑のビンからとびだしてきたジェニー(イスラムの魔神)のようだった。先ごろまでの日本軍が残虐だっただけにサンティはその仕事が楽しかった。多くのフィリピン人が残酷に拷問され殺された。町では婦女子がレイプされ、その多くははらわたを抜き出されバラバラにされた。(一応、原文どおりに訳しておきます。)ただ、サンティと助手達は注意深かった。小島を殺したり記憶をなくしたりするような事はしなかった。サンティが知りたかったのは金をどこに隠したかである。

彼が大佐に望んだのは、ここ数年間の間に山下をどこへ連れていったかを白状してもらうことで、そこが即ち後日発掘される金の延べ棒や略奪品のありかなのだ。サンティは大佐が各地点へ連れて行き入口を示し、罠の詳しい説明をすることを望んでいた。小島大佐への残酷な取調べは、マッカーサーからホワイトハウスまで飛び上がる程ビックリさせるような結果を生み、二〇世紀最大の国家機密となっていった。それはすべての公式文書を「国家機密」の項目に指定したことで今でも不明瞭なままである。サンティのもたらした結果が冷戦中の世界でアメリカの影響力を劇的に変化させたといっても過言ではない。それほどまでに驚くべき結果なのだから、今その経過をさかのぼって見なければならないし、詳しく細部を注意してみよう。例えば、サンティとは誰なのか、本当は誰のために働いたのか?小島大佐を問い詰めるように誰が指示したのか?

サンタ・ロマーナはCIAでもマニラでも伝説に残るほどだが、不可解なままである。彼についてCIA上級将校は、戦時中にウイリアム・ドノバン「野蛮なビル」将軍が率いていた戦略情報部の諜報員として働いていた、と暗示しながら、サンティはOSSの職員でもあったと言う。しかし、そんな事は意味のない一般論だった。彼は決してOSSの職員でないからこそ、OSSが表向き財宝の存在をあきらめていたのに彼は小島を拷問したのだ。我々は又、サンティがゴールデン・リリィーの隠匿物資を知っていたのか聞かねばならないだろう。それはとても簡単なことだった。アメリカ軍はある時から日本軍がフィリピンに略奪した財宝を隠していることを認識していた。もっとも英国や他の連合国には知らせていないが・・・

例えば、終戦の前の年にマニラ近くのスービック湾で、米軍と一緒に戦っていたフィリピン人が荷物満載の日本病院船から金属製の箱を降ろしているのを目撃している。漁師に変装した米海軍の准尉ジョン・C・バリンジャーは、フィリピン人の派手に塗装された丸木舟からその船の写真を撮っていた。その船は、本当の病院船ではなかった。船の姿を十分調べた上で海軍の情報記録と比べてみた。そして一九三七年(昭・十二)に建造された高速船富士丸と特定したが、偽の装飾が施され、横側には大きな十字が塗られていた。偽の病院船となった富士丸は秩父宮とゴールデン・リリィーのためにシンガポールからマニラまで戦時略奪品を運んでいた。バリン

ジャーの部隊はゲリラの英雄メディナ船長に率いられ、軍用トラック群がとんでもない荷物を運んでいるあとをつけた。洞穴の中へとても重い箱を引きずっているのを見てしまった。バリンジャーはその中に何があるか考えもつかなかったが、とても貴重な何かであることは明らかだった。それぞれの箱をベルトを使って四人がかりで引っ張った。日本軍は洞穴の入口を封印し、偽装したあと去っていった。ゲリラ達は数日後、洞穴を開き、七五キログラム金の延べ棒が入った箱をみつけた。それは、それこそずらっと並んでいた。船の写真、金でいっぱいになった洞穴付近の写真は多くの同様の報告書と一緒にマッカーサー司令部のあるオーストラリアへ潜水艦で送られた。バリンジャーの息子ジェンによると、彼の父はOSSへ報告したつもりだったのだが、現実はそんな単純なものじゃなかったという。

数ヵ月後アメリカ部隊がレイテに上陸したが、バリンジャーは日本軍によるほかの財宝の移動を目撃した。今度はバグイオの日本軍司令本部から重い箱をトラックが列をなして持ち出し、町外れの病院近くの地下道へ運んでいた。バリンジャーの息子ジェンが我々に言った。「当時、日本人が思っていたほどの大きな秘密だったわけじゃなかったんだ。彼らはとても慌てていたし、そんなに注意もはらっていなかった。メディナの村人達は彼らを蹴っ飛ばして、地下へ押し込み蓋をしたんだ。日本人達みんなをね。」この行動に関する報告もバリンジャーによってOSSに連絡されなかった。この重大な機密のせいで、戦時略奪品に関するいかなる機密文書の追跡も、嘘や言い訳やキチガイでいっぱいの地下社会へ入っていくみたいにウサギの穴に落ちるようなものだ

(不思議の国のアリスからの例えだと思うのだが、底なし沼のような意味か?)

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8de03d No.132874

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>>132873

戦時中に略奪された金の延べ棒の動きを監視するアメリカ軍の努力はCIAの前身であるOSSの大きな責任だったことは事実だ。又、移されたり略奪された美術品を監視する責任をもつ特別な情報部隊もあった。例えば略奪美術調査部隊、遺跡グループ、美術品グループ、公文書などのグループだ。しかし、アジアでよりヨーロッパでのほうが効果があったようだ。ヨーロッパと比較するとアジア、太平洋での連合軍情報機関は不完全で協力し合わなかった。とにかく、東アジアでの貴金属の略奪と輸送を追跡する努力は、地政学、文化、言語が障害となり不十分なものであった。これらの記録のほとんどはアメリカの諜報部が握り、そして次第に何処かに消えてしまった。いったい何が起こったのだろう。当時、ヨーロッパでのOSSは他の情報部と連携して動いていた。しかし、競争も対立も激しかった。最も凄まじい縄張り争いのひとつが、ナチスの略奪品追及の中、米国財務長官ヘンリー・モルゲンソーとスイスのOSS長官でその種の問題に大変尊大な態度をとっていたロマンチスト、アレン・ダレスとの間に持ち上がった。枢軸国の略奪品は連合国の鼻先にある中立な安全地帯に移転されていた。スイスにいたアメリカ情報員はナチの金塊を載せた二八〇台のトラックがドイツからフランス、スペインを横切り中立国ポルトガルの安全地帯へ運ばれるのを目撃している。又、スイス財閥の所有で十字が描かれたトラックが中立を装いながら金を運んでもいた。しかしながら、戦時略奪の情報収集が分断されていたため、結局それらの報告書はヘンリー・スティムソンの陸軍長官の事務所には届かなかった。彼は略奪した金塊に格別な興味を示し、そのためにそれを考える専門金融グループをもっていた。その中に、スティムソンの特別補佐官ジョン・J・マッコイとロバート・ロベット、そして顧問のロバート・B・アンダーソンの三名がいた。戦争終了時に枢軸国の略奪品をどのようにするかという問題が、一九四四年(昭・十九)七月、戦後経済を計画するためニューハンプシャー州の避暑地、ブレトンウッズに四十四カ国が集まり議論された。この議題は最高秘密とされたが、解決できそうにもない国際金融制度の中に、抜け穴と不備が存在するということをはっきりとさせた。別の議案の中にプレトンウッド体制がある(メディアがそう名付けた)それは金(ゴールド)の価格を一オンス、三五ドルに固定すること、さらにアメリカ人が個人として金を輸入することを禁止したものだった。この条約に署名した中立国は知らないうちに盗んだ金塊や略奪財宝を受取らないと約束してしまったことになった。ただ、ポルトガルは自分の属領(植民地)一覧表にマカオを載せることを忘れてしまった。これが結果的には都合のよいものとなり、第四章で述べたように戦争が終わるまで、マカオは不正取得した、あるいは日本軍が略奪した金の世界的な貿易拠点となっていった。ドェイト・アイゼンハワー将軍に容認されていたヨーロッパと違い、太平洋南西部のマッカーサーはOSS が彼の管轄地域でいかなる足がかりも得ることを食い止めた。マッカーサーとその部下たちはいかなる干渉もなく自分達独自の特別作戦をオーストラリアの本部で練っていた。マッカーサーグループの情報集団はチャールズ・ウィロビーの指揮下にあった。

ウイロビーは一八九二年、ドイツのハイデルベルグで生まれ、T・シェップ・アイデンバッハ男爵とメリーランド州バルティモアのエマ・ウィルロビーとの間の私生児だった。男爵と彼女の関係は一九一〇年には気まずいものとなり、エマは十八歳になった息子と一緒にアメリカへ帰国した。そして軍へ志願し軍曹まで昇進した。彼は一九一三年、市民生活に復帰したが、資格がすぐ取れるゲッティーズバーグ大学へ入学した。将校として軍に復帰したウィロビーは、一九一七~一八年にフランスへ派遣され、ベニング要塞でマシンガンの扱い方を教えていた。その後数年間は米大使随行員として強いドイツなまりのスペイン語を使いながらベネズエラ、コロンビア、エクアドルに赴任した。一九四〇年、リーベンウォース要塞の参謀学校を卒業した後、マッカーサーの補佐官で兵站(へいたん)長としてマニラへ送り込まれた。

当時のダグラス・マッカーサーはフィリピン部隊における米陸軍元帥であった。重々しさや権威にあこがれたウィロビーは愛国者マッカーサーに畏敬の念をおぼえた。一九四一年の半ば、マッカーサーが米軍の新極東司令部司令官になると、ウィロビーにとってマッカーサーはまるで神のような存在となった。他のどんな性格よりも、その個人的な忠誠心に感動したマッカーサーは、ウィロビーを大佐にすると約束するとともに、情報部主席補佐官にひっぱりあげた。日本から攻撃を受けた時、ウィロビーはマッカーサーと共にコレギドールに移動し、その後一緒にオーストラリアへ行った。マッカーサーは自分の司令を受けた範囲の情報収集と特別作戦に関して絶対的な支配を望んでいた。その様な仕事はウィロビーの適性からみるとはなはだ疑問であった。何度となく彼は戦場での判断で大失敗したが、それでも敬服しながらすりよってくる彼をマッカーサーは好んだ。

軍事史専門のケネス・キャンベルに言わせるとウィロビーは本部からの指令がないのに、命令を受けたと言っては自分の不名誉な違反行為をごまかそうと企てたと言う。ウィロビーにとって、真実などどうにでもなるのだ。オーストラリアでウィロビーはフィリピンでゲリラ活動を行う連合国情報部を設置した。そして又日本の無線放送の謀聴、捕虜の取調べ、日本軍文書の翻訳などのために連合国翻訳通訳部門(Allied・Framslaton and Interpreter Section ATIS)を始めることにした。ATIS のほとんどが二世、つまり外国で生まれた二代目達だ。このケースではアメリカにいた日本人の両親から生まれた人達だった。しかしながら戦闘状態でゲリラに接近するウィロビーは、大胆さを望むマッカーサーにはあまりにも慎重すぎることがわかった。

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8de03d No.132875

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>>132874

ウィロビーを情報収集の任務から切り離すため、マッカーサーは友人であり私的な弁護士のコートネイ・A・ウィットニーに特別な作戦を伝えた。ウィロビーは腹をたてたが、マッカーサーは将軍に引き上げることで彼をなだめた。こんなことからマッカーサーの旧友ホィットニーはジョーン・バリンジャーなどから届く略奪物資報告書を読んだり、この島での諜報作戦を実行するキーマンになっていった。OSS はこのことに関して何の役割も果たしていない。ホィットニーはフィリピンで政治と権力をもつすべての家族達と親しくしており、賢明かつ裕福なのでマニラでのコネクションはたくさんあり、特殊作戦にはピッタリだった。マッカーサーは一九二〇年代後半、ワシントンで法科学校を卒業したホィットニーをマニラでトップのデヴィッド財閥の弁護士事務所パーキンス・エンライルに就職させた。そこは、マッカーサーの財務部門を担当し、なおかつマッカーサー自身も投資しているフィリピン最大の金鉱山の開発会社、ベンゲット社の財務も掌握していた。真珠湾のころまでホィットニーはこの島で活躍するつもりで、政治、法律、財政的な策略などに自ら関わっていった。彼はサンタ・ロマーナのような男達から気に入られる事が出来た。いろいろな情報源、例えば前副長官レイ・クレインなどによると、サンタ・ロマーナは一九〇七年ルソン生まれ、マルセロ・ディアズ・サンタ・ロマーナとペラギア・ガルシアの間にできた大勢の子供の一人だという。大人になり彼は、ガルシア、ディアズあるいはサンタ・ロマーナと使い分けをしてきた。セベリーノ・ディアズと名のっていた頃、富裕な若い相続人エバンジェライン・キャンプトンと結婚し、カリフォルニアで大学教育を終えている。一九〇七年、サンフランシスコに大地震と火事が起きた当時、彼女の家族はストックトン通りにホテルを所有していた。震災後、ホテルを建て直し、新しいオーナーのトレイク・ウィルシアーに売却した。(今日もそこは「キャンプトンの場所」と呼ばれ、キャンプトンのいるホテルという名前になっている。)

一九三〇年代にはアンジェリーナ(キャンプトン)を連れてフィリピンへ帰り、彼女の相続財産で事業を始めた。そこで彼は、マッカーサー、ホィットニー、アンドレアス、ソリアーノ、サン・ミィグエル・ブルーベリーのオーナー、そして島の富裕層達の社交場の仲間入りを果たした。サンティとアンジェリーナの間には三人の子供がいた。ピーター・ディアズ、メリー・アン・ディアズ、ロイ・ディアズだ。アンジェリーナは第二次大戦が始まって数週間もたたないうちに自分の財産を子供に残して別居し、その後、日本軍の爆撃で死んでしまったと言われている。サンティと彼女の結婚は早々に冷え切っていた。カソリックのフィリピンでは離婚は禁止されている。一九三六年、ディアズの名前をはずし、セバリーノ・サンタ・ロマーナの名前を使い、サンティはジュリエット・ヘルトという可愛い教師とミンドロ島で結婚した。そしてまもなくダイアナという娘をもうけた。結婚迫る時に、彼は教師になるつもりだと言っていた。彼は重婚を犯していたのでこのようなごまかしが必要だった。サンティは戦争中、島にいて、ホィットニーの最も役立つ情報員の一人になっていた。当然、サンティが一九四五年に小島大佐に対して行った拷問は、ホィットニー、マッカーサーの弁護士、飲み友達が公認したものだった。ホィットニーはマッカーサーの許可なしでは何もしなかったのだから、その行為をマッカーサーとその取り巻きが十分承知していたことは言うまでもない。日本軍が降伏した時点で公式にはホイットニーの特務作戦は終了している。ウィロビーのG―2情報戦略部隊は形式上存在し続けたが、ウィロビーとホィットニーはマッカーサーについて日本へ同行した。フィリピンはホィットニー個人の権力の元であり、マッカーサーの権力の源のひとつであった。ホィットニーとマッカーサーは進行中の山下将軍の公判を細かく監視し、我々が見てきたとおり、訴訟過程でも頻繁に介入していた。彼らは又、山下の部下に対する尋問の通達を延期している。マニラにおけるマッカーサーの仲間で別の鍵を持つのがジョゼフ・マックミッキングだ。彼は戦前、コートニー・ホィットニーの弁護士仲間だった。日本軍が侵攻してきた時、ジョー・マックミッキング大尉は、ウィロビー大佐の為にG2の補佐を勤めることになった。彼はマッカーサーと共に硝戒艇でコレヒドールからミンダナオのドール・ピニアプルへ脱出し、飛行機でオーストラリアへ向かったバターン兵士の一人である。一九四五年、小島大佐の拷問中、マックミッキングはG2でサンタ・ロマーナの直属の上司であり、マニラのサンティーと東京にいるホィットニー、マッカーサーとの間のつなぎ役でもあった。小島大佐が口を割り、サンティが金の延べ棒を発掘し始めると、マックミッキングは一夜で異常なほど羽振りが良くなり、フィリピンのスペイン高官、ゾーベル・アヤラ家の女相続人メルセデス・ゾーベルと結婚した。サンティの発掘が進むにつれ、マニラでの財産が激増していったジョーマックキングはアヤラ家が世界の富豪に成り上がる手助けをしながら世界中の不動産をゾーベル・アヤラ財閥が獲得するための策を考えた。ゾーベル・アヤラ家がそんなに貧乏だったとは思えないが、マックミッキングほど懐が豊かだったわけではない。今日の巨大なゾーベル・アヤラ財閥の財産の裏には、フィリピンの星であるマックミッキングという金脈が控えていたのだ。一九六〇年代初期、マックミッキング夫妻はフィリピンで職業訓練、芸術、生涯活動を促進するアヤラ基金を創設した。これは一九八三年にサンフランシスコにあったキャンプトンホテルを買収したアヤラ財閥の動きと逆行している。ホテルは優雅でお洒落な高級ホテルに変身していった。OSSはかろうじてサンティの拷問に関与していくだけだった。山下将軍が降伏した八日後のことだ、前のOSS職員、エドワード・G・ランスデール大佐がサンフランシスコからマニラに到着し、何をするべきか探し始めた。

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8de03d No.132876

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>>132875

ランスデールは一見愛嬌があり、興味深い性格を持つ男だが、厄介な秘境に入ってきた捕らえどころのない化け猫だ。後に彼はアメリカ人の中で最も重要な冷戦の兵士の一人として、大きな神話の象徴となって行く。(有名かどうかは各人の見解によるが・・)グレアム・グリーンなどの小説家は、彼をアジアに度を越したアメリカ方式を推進した異常な性格の持ち主として登場させている。ランスデールは多様なキャラクターを演じつつ、常に舞台の上に立っていた。その生活がごまかしばかりなので、でっちあげた神話が現実を隠してしまっている。そこに二つの考え方がうまれる。――ランスデールはアジアの救世主だというものと、戦犯であり極右の回し者だという二つだ。(長年ランスデールと事務所を共有し、米軍事情報将校であり歴史家でもあるフレッシャー・ブロウティは、ケネディ暗殺のときに撮られたランスデールの写真を指差して、他の人たちが確認した事は自分もそうであると断言した。オリバーストーンはJFKの中で変装したランスデールが大統領暗殺に関与させていた。)ランスデールのような口からでまかせをいう広告屋の様な奴が、どうしてあんなに冷戦中に影響力を行使できたのかは謎のままだろう。謎を解く鍵・・それは小島大佐の拷問だった。一九四五年マニラに上陸したランスデールは三七歳のごく普通の男だった。戦時中はずっとサンフランシスコにいてOSSのためのプロパガンダを書いて暮らしていた。一九〇八年、信心深い中流家庭に生まれ、母はサイレンス派、父は敬虔な長老派だった。子供の頃、父からあらゆる宗教の教えを学び、日曜学校ではアメリカの田舎道に記されているような話をお説教として聞かされた。「仕事をいったん始めたなら達成するまでやめてはだめだ。大きな仕事だろうが小さな仕事だろうが働け。やるならやる。そうでないなら全くやるな。」四十歳になった彼は、この言葉をいつも繰り返していた。そうクジラの潮吹きが三十分も続くように・・。CIAの現場に出てからは、フィリピン、ベトナム、日本で部下達にこのセリフを教え、秘密作戦の間の合言葉として使い、アジア秘密警察幹部には食前のお祈りの言葉として使った。

数年後サンティは、このランスデールの習慣ともいえるおまじないの言葉が気に入り、自分の遺言にすら取り入れた。世界恐慌の間、ランスデールは軍の教育課程の中でUCLA のジャーナリズムを習得した。卒業後、ロサンゼルスとサンフランシスコの広告代理店でコピーライターとして働き、機転がきく彼は重宝された。パールハーバーの報道を聞いた時、仕事を中断し軍に志願した。そして軍の情報部とOSSで心理戦争戦略を計画する部署に働き口をみつけた。サンフランシスコのデスクワークをしつつ、日本軍が混乱させる方法を考えて日々を過ごした。彼が「悪魔の口」と呼んだビラは日本の古い格言を使い、それを用いて日本の戦争の誤りを指摘した。「先に悪い事をした者は必ず負ける。(パールハーバーを忘れるな!)」トルーマンが一九四五年九月にOSSを閉鎖する命令を出した時、ランスデールにチャンスがやってきた。数週間しかないところで、ドノバン将軍と准将軍ジョン・マグルーダーは全職員及び海外に派遣しているOSSの雇用を守るため、他の情報局や他国の情報部、そして場合によっては世界中の各分野に秘密情報員を雇う余力のあるGEのような私企業へ、経済情報やワシントン政府のお気に入りとして移籍できる道を模索した。ランスデール大尉はマックミッキング大佐が長官を務めるウィロビー将軍のG2フィリピン部門へ転籍するチャンスを与えられた五十人のOSS職員の一人だった。マニラに着いたランスデールは戦争が終わったばかりの光景に衝撃を受けた。街は海軍少将岩淵の部隊の謀略で廃墟となっていた。おぞましい話を耳にし、過度な残虐さから日本人に対して嫌悪感をもった。

彼の一九四〇年代の日記には憎しみの言葉がいっぱいだった。一九四六年十一月十日は「多くのフィリピン人が拷問された・・・彼らは血まみれの肉片になるまでボロボロにされ・・・」、と書いてある。

彼はG2の事務所で日本軍兵士によって隠匿された金塊関連のファイルをみつけ、サンティによる小島大佐の拷問のことを耳にした。彼はサンティーの拷問を指揮しながらその主導権を握った。マッカーサーチームのほとんど、ウィロビーの上級将校達は日本に行き留守だったので、ランスデールは、自分の思うままにできた。マニラでは、G2は良くも悪くもランスデールのものになっていた。彼はフィリピン人やアメリカ人の事務局員に、日本軍が行った戦時略奪のすべての証言をファイルから抜き出し、徹底的に調査するように指令した。後日、このことに関して彼が述べている。「司令部の中で我々G2の事務所が報告書の宝を握っていた・・・私の毎日の仕事はその内容に精通することで・・・私は情報部員に今までに判明している事を整理し、もっとたくさん手に入れる事を課題に与えたのだ。」サンティは小島大佐からはるかに大きなものを引き出した。

十月初旬、何日もの拷問の後、小島は口を割り、知っているすべてを漏らした。ランスデールは護送隊を組織し、サンティと小島を連れ、山下将軍が作った一ダース以上のゴールデン・リリー地下貯蔵庫をたどる旅に出発した。それらは、マニラ北方の高原、西のバグイオから中央のバエンバンの三角地帯、そしてルソン島北端、アパリなどであった。ランスデールは十月初旬に帰り、すぐにマックミッキングに報告し、急いで東京へ飛び、ホィットニー、ウィロビー、マッカーサーへ説明した。そして指令を受けワシントンへ飛んだ。ホィット・バンデンベルグ将軍の下で新しくCIG(中央情報集団)が創立される直前で、OSS最後の戦略情報局長官マグルーダ将軍へ報告した。二ヶ月前にランスデールをマニラへ配属させたのはマグルーダだった。だからヴァンデンベルグとマグルーダは、トルーマン大統領の国家安全補佐官で閣僚でもある海軍大佐クラーク・クリフォードのもとへランスデールを送り概要を報告させた。トルーマンはこの発見を機密とし、出来る限り多くその略奪品を発掘するよう決定した。この段階では、どのようにしてこの内容を明らかにするのか、又はトルーマン大統領が何をしたのかをはっきりと言う事は不可能であった。サンティの回収作業に関してはすべてが機密事項であった。マッカーサーと話し合うためにロバート・B・アンダーソンがランスデールとともに東京に舞い戻った事はCIAのふたつの異なる高官ルートから知ることができた。数日間の会議を終え、マッカーサーとアンダーソンは秘密裏にマニラへ飛び、ランスデールとサンティの案内で山中のいくつかの施設と、ルソン地方アパリ周辺の六ヶ所の地域を回った。

アメリカ軍から選ばれた技術者達とサンティは一緒だったので、数週間のうちに地下金庫のいくつかを開くことができた。そしてマッカーサーとアンダーソンは金の延べ棒がずらっと並んだ所を散歩することになるのだ。

他の施設も数ヵ月後には開放された。すべての回収作業が完了したのは、一九四五年後半から四七年初頭までで、二年間を費やしたことになる。この地下金庫の中身と、アメリカ軍調査員が日本国内で発見した財宝をみれば、日本軍がそれまでの数十年に東南アジアで何十億ドルもの金塊、プラチナ、ダイヤモンド、宝石を略奪したことは明らかである。この大半は海路で、もしくは中国を通り朝鮮から日本へ到着した。しかもフィリピンにはまだたくさん隠匿されたままだ。アメリカの公式な(新聞等)ナチス略奪金の回収高は、いまだにたったの五五〇トンにすぎない。アンダーソンはもっと別の興味深いことを知っていた。彼の仕事仲間が見た写真には、ヒットラーがポーランド、オーストリア、フランスで略奪した金塊を積み重ね、その山のてっぺんでアメリカ兵が、それもアンダーソンの事務員がすわっていた。

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8de03d No.132877

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>>132876

連合国の指令でその写真を見ることはそれが最後となり、それ以降それに関して話すことも許されていない。同じ情報筋の話で、ヨーロッパのある修道院の中庭にナチスが略奪した一万一千二百トンの金塊が集められたというのもある。ナチスが負けた後、OSSや他の連合国側の情報組織は芸術品や略奪された金を求めてドイツとオーストリアで捜査した。ソビエト軍団と特別部隊はロシア領域で同じことをしていた。金の回収よりもっと多くのことが美術品の回収で起こったことが知られている。百トンのナチ金塊がドイツのマルケル近くの塩鉱から回収され、フランクフルトへトラック護送団が運んでいたが、なぜか途中で消えてしまった。それは強奪されたのだと言われるが、修道院中庭に積まれた延べ棒がそれだったとするのが真相ではないだろうか。こうした行動の目的が、ある時に「黒いワシ」と呼ばれる様になる最高機密プロジェクトだったのだ。その陰謀を大統領に最初に示したのは、陸軍長官ヘンリー・L・スティムソンと戦時顧問で後の世界銀行理事長、ジョン・J・マッコイ、後の防衛長官ロバート・ロベット、後の財務長官ロバート・B・アンダーソンだった。スティムソンは枢軸国の持つ略奪品のすべてを世界中の政治的な基金として融資すると提案した。しかし、すべての略奪金塊の正しい所有者を決められるかどうかが困難な以上、より良い選択は回収をひとまず中止し、戦後に権力側に親しい国を救う基金設立するほうが先決だった。これは非公式に「ドイツの黒いワシ」、後に「黒いワシ基金」とよばれた。これは、ドイツ銀行の隠し金庫から回収されたナチの金の延べ棒に刻印されていた黒いワシとカギ十字ちなんでいる。何人かの情報では、黒いワシ基金は欧米で最も力のあるロックフェラー、ロスチャイルド、オッペンハイナー、ウォールバーグ等が協力したからこそ立ち上げることができたという。輝かしいウォール街の弁護士スティムソンは五人の大統領――タフト、クーリッジ、フーバー、ルーズベルト、トルーマンの色々な部署で働くという輝かしい経験をもっていた。しかし、その異様な経歴はもはや終わろうとしていた。彼は、一九二〇年代にフィリピン総督として赴任していたのでマニラに詳しかった。ハーバート・フーバーは彼を州知事とよんでいた。(フーバーと同じくスティムソンもマッカーサーのことを高く評価していた)

パールハーバーの時、スティムソンはすでに七〇歳だった。陸軍省に四人の補佐官を選定する権限をもつことで大きな戦争責任を果たした。ロバート・ペテルソン(法律家で前連邦判事)、ハーベィ・バンディ(ボストンの法律家でイェール大卒)、天からの授かり者とスティムソンが呼んだ二人の機関車、ジョン・マッコイとロバート・ロベットだ。彼らに共通しているのは、ハリマン、ロックフェラーとの関係が密接だということだ。ロバートの父はかつて日本から南満州鉄道を買収しようとしたEH・ハリマン鉄道王の右腕をつとめていた。その父の足跡をたどりロバート・ロベットも国際通貨の取り扱いや、援助活動をしているウォール街のブラウン・ブラザーズ・ハリマン財閥でアベレル・ハリマンと共に勤めていた。ジョン・J・マッコイは対照的にハーバード法律学校を卒業したフィラデルフィア出身の貧乏人で、ウォール街のクラバス財閥と共同してユニオンパシフィック鉄道の買収契約で七七〇〇万ドルをかせぐ手助けをしてアバレルハリマンの賞賛を得た。(マッコイはそのような割り振りをモルガン家の指示の下に操作していた)陸軍省で働きながらスティムソン、ロベット、マッコイは金融界と密接にからみながら戦後のアメリカに誕生する国際安全制度の助産婦になっていった。マッコイは紛争の調停人でありプロの黒幕だった。自分の仕事は命令系統が全く交わらないような組織全体の頂点になることだと言っている。戦時中、彼は世界中を旅し政治家や銀行家あるいは将軍達と問題解決に努力した。彼は舞台裏での策略に大きく関わりキエロ(古代ローマの哲学者)の言葉、「戦いのカナメは金である。」という言葉を十分理解していた。金は冷戦においてもやはりカナメだった。頭の回転がよいマッコイは国際的な資金の収支のすべてを知った。戦後、彼はロックフェラー家とそのチェース銀行の業務を取り扱う法律会社ミルバンク・ツィードと共同し外務委員会の評議長、世界銀行理事長、チェイスの責任者、フォード財団の理事長へとなっていった。彼こそが、スティムソンの考えを採用し現実にした人間であり、黒いワシ信託を実現した張本人だったのだろう。それに比べてロバート・アンダーソンは不運な引退だった。一九一〇年六月四日、テキサス州ブルレソンで生まれ、テキサス大学で法律を学ぶ前に少しの間、高校の教師をしていた。後に州議会選挙で選出され、一九三三年、テキサス州司法長官助手に指名される。そして翌年には州税務長官となった。何かの関連でアンダーソンは富裕層のための金融コンサルタントになり、大きな成功を夢見て政界を去った。一九四〇年代初め、彼はテキサス中の農場や油田を所有する豊かなW・T・ワグナー遺産基金の支配人になっていた。金の扱い方があまりにも巧みなので、ルーズベルト大統領は枢軸国の略奪物資を運用する責任を持っていた陸軍長官スティムソンの特別補佐官に任命した。海軍のクラーク・クリフォード大佐はアンダーソンの推薦する親しい友人で、ランスデール大佐から概略の説明を受けているトルーマンの国家機密担当補佐官だった。アンダーソンとクリフォードは協力して戦後のアメリカ政界の中で巨大な権力の斡旋屋になっていった。スティムソンは一九四五年に現役を退き、マッコイも当時は政府を去っていた。なのに、彼らとアンダーソンは「黒いワシ信託」の監視に関わり続けていた。

前CIA副長官レイ・クラウンによると、サンタ・ロマーナが回収した金の延べ棒は「四二カ国、一七六の銀行口座に預けられた。」そうだ。アンダーソンは非共産国を通して政治活動資金を分配しながら黒い口座を設立し世界中を旅していった。後に我々はその幾つかを重点的に調査した。一九五三年、アンダーソンに報いるためアイゼンハワー大統領は彼を海軍書記官として顧問団に推薦した。翌年には国防副長官に昇格した。第二次アイゼンハワー大統領時代、一九五七~六一年の間アンダーソンは財務長官に任ぜられた。その後アンダーソンは民間の生活にもどるが、ポール・ヘリウェルが戦後構築した世界中に広がるCIAの銀行情報網に深く関与し続けた。結局これが、CIAとグルになって資金洗浄と黒い金をこっそり動かすことで大銀行のオーナーを儲けさせるためのBCCI(国際信用通商銀行、アラブ・パキスタン銀行)に関与することになっていくのである。ウォール・ストリート・ジャーナルは「世界で最大・最高のペテン」と書いた。BCCI の大敗は、アンダーソンの支援者を罠にはめてしまうことになり、クラーク・クリフォードは起訴されることになった。

クリフォードとその仲間でファースト・アメリカンバンク・シュアーズの代表ロバート・アルトマン、そして首都にいるBCCI の幹部達は、全面的な調査により、BCCI へ隠匿目的の政治的利益供与をした罪で起訴された。

ワシントンポスト紙のベルナルド・ノジターの記事で、アイゼンハワー大統領の財務長官時代のアンダーソンが、テキサスの石油王から二十九万ドルを受け取っていたと報道されて以来、彼の名声は崩壊の一歩を歩み始めた。後に彼は脱税と資金洗浄の罪に対し州へ抗告していたが失意のうちに死亡した。どのようにしてアンダーソンやマッコイらが黒いワシ信託を運営したのかを逆から調べることはこの本の焦点からはみだしてしまう。

まだ公開されていない書類が多すぎるので、今のところ手にした証拠と知っている関係者が今でも活躍していることで自己満足するべきである。

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8de03d No.132878

Originally posted at >>>/qresearch/20473979 (251137ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【7】

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>>132877

唯、ブレトンウッドで何が協議されたのかを知ると、我々は秘密組織の一端を見ることになる。長いヨーロッパとアジアの戦争で打ち壊され破産した連合国各国にとって、世界経済のドル本位制をアメリカが行う以外に選択肢がなかった。経済学者は第二次大戦の終わりを世界通貨体制元年と見ていた。チューリッヒにあるBIS(BANK OF INTERNATIONAL SETTLEMENTS 国際決済銀行)が枢軸国の略奪金を洗浄しているという容疑が広がっていたため、世界の将来的な金融決済と通貨交換の役割を果たすためIMF(国際通貨基金)と呼ばれる新しい中央金融取引場を立ち上げることになった。金(GOLD)は一オンス三五ドルに固定されており、すべての通貨はドルに対して評価付けされていた。この事はある疑問、例えば米ドルと英ポンドの相対的な関係についての疑いを取り払っていた。英国はこの計画でアメリカの仲間だったのに、アメリカに対して深い恩義を感じていた。

一九四一年、英国は三百億ドルの戦争債務を背負ったおかげで戦後計画では後部座席においやられてしまった。どのIMF加盟国も自国通貨が米ドルで換算される事に同意した。各国はIMFへ各国が通貨を発行するに見合うだけの十分な準備高としてゴールドと通貨を貯金した。IMFの主たる機能は一方からもう一方へ資金を一時的に移動することで、それらの通貨の価値を安定させることである。それが世界的な組織である以上、最も重要な後援者はアメリカ政府である。連邦統計では戦争終結時点でアメリカには世界の公式な金準備高の六〇%を持っていることを表していたので、他の国の通貨を操作することが出来る立場にワシントンは置かれた。

一九六〇年になってIMFのヨーロッパ加盟国は公式なアメリカの金準備高よりはるかに超過したドルを発行していることがわかってきた。ひとつの解決策はドルを引き下げてしまうことだ。しかしワシントンはこれを拒否した。その代わり、米国はヨーロッパの中央銀行、英国銀行、スイス銀行と手を結び、英国銀行が運営するロンドン金市場を開設した。その考え方はこうだ。つまり各国から集められた公的な準備金を金の私設市場に十分に投入すれば一オンス三五ドルを維持できるのではないだろうか。暫くはその様になっていった。一九六八年になりフランスが突然、金市場から去った。英ポンドは切り下げられ、金の市場は急上昇した。ロンドン金市場を支えるため、土壇場でアメリカ空軍は金をフォートノックスからロンドンへ緊急空輸した。英国銀行へあまりにも大量の金を運んだため、金を収容する部屋の床が崩壊してしまった。それは金市場がもうすぐ崩壊する前触れだった。

スティムソンのチームで設立された秘密の「黒いワシ信託」は戦後の経済状況の中ですっかり大きくなった。それは、区別された特別な部屋に置かれ、そこで闇金市場を作り、アメリカ政府と、関連した隠れた金融財閥にゆだねられた。この黒いワシ信託と、デビアスに認定されているダイヤンモンド協会、南アフリカのオッペンハイマー家に認定されている金協会とは確かに同じにおいがする。提供された情報によると、これら似た類は十分な理由があるからこそ存在するのであって、違った多くの顔をみせながら生き延びるのだそうだ。ダイヤモンド協会はたくさんの原石を蓄えることができ、市場へ送る宝石の量を調節することによって相場を人工的に高く保ち、その希少性を印象付けている。同じ様なやり方で黒い金の協会は数千トンの金の延べ棒を所有し(それは公式な金の供給量よりはるかに多い)その金の影響力を秘密の不正資金として慎重に使用することで金価格を不自然に高く保っている。もし、略奪された莫大な量の金の回収を、信託されたわずかの人しか知らないのなら、ナチや日本などの枢軸国に盗まれた国家や人民はそれを取り戻そうと訴えることはないだろう。又、そんな大量に金塊が闇に存在することが議論され、大衆が知ることになれば一オンス三五ドルの固定相場などいっぺんに崩壊してしまうだろう。あまりにも多くの通貨がドルとリンクされ、そしてドルはGOLD とリンクされているので、世界中の通貨が急落すると金融恐慌の原因になる。その秘密が保たれれば保たれるほど、一オンス三五ドルという金価格が長く守られ、金に連動する通貨は安定するだろう。その間に闇のゴールドを準備金として供給すれば各国の中央銀行は強化されるし各国政府も元気になれる。準備金として闇のゴールドは、みせかけ、もしくは見せかけるような目的にのみ使うよう厳しく制限され、それらの銀行に備蓄されていた。このことは米国がそれらの国や中央銀行、有力銀行へ圧力を掛け続けることを可能にした。国家と指導者がワシントンとあまりにも長く協力し続け、冷戦で連合し続けたために眠らせていた金の延べ棒は利益供与の財政原資として使用されてしまった。現実に金の延べ棒そのものを与えるのではなく金証券やその他の金派生商品の手段で贈り物や賄賂として使うことができた。政治家、軍指導者、政治的な大物とその家族を儲けさせるための信託が創設された。アンダーソンやマッコイのような賢い男の手にかかれば可能性は無限だった。フィリピンのゴールデン・リリィー地下貯蔵庫から延べ棒を回収すればするほどもっと多くの金の注文が中央銀行や援助団体の個人買取人から注文があったようだ。後の章で、これら非合法な資金が巨大な賄賂として表面化したり、有名なところでは、イタリア、日本、ギリシャで選挙中の買収に(もちろん他の国でもあったであろうが)使われたたくさんの証拠文章をおみせしよう。

幾つかの国際的な有名銀行は、その地下金庫に闇金数十億ドルを慢性的に持っていた事を明らかにしている。あまりにもどっぷり漬かっているため、彼らは延べ棒を返却することを拒否し、さらにあるケースでは前の持ち主やその遺族の文書が偽造品と非難しそれらの人から騙し取ろうとするほど中毒になっていた。実際、ある経営者などは、もし彼らが権利を主張しようものなら、その証書が偽物だとわめくばかりか殺人の脅迫めいたものすら与えた。ある場合では、その様な闇の準備金の使いすぎは倒産する以外にもはやその立場をすてる方法がなくなってしまつた。ある意味、ランスデールよりサンタ・ロマーナの回集金を上手に使った者はいなかった。最初、彼の役目はマニラでの厳格な進行係であり、ゴールデン・リリィーの回収を監視し、延べ棒の在庫を調べ、スービック海軍基地か空軍のクラーク空港の倉庫へ陸送することだった。延べ棒は陸軍の護送団、軍輸送機、軍船などにより十分な機密を保ちつつ移送されねばならなかった。アイゼンハワー大統領がアンダーソンを海軍長官に任命した理由のひとつがこれだったのだ。この大量な延べ棒の運搬は積荷明細書や保険明細文書で確認されている。そして何年分かの多くの書類により関わっていた個人名、ブローカーの名前、そして延べ棒を船積みしてどこの有名な銀行に運ばれたのかも明らかである。この船積みの件は後の章でのべることにしよう。文書はすべてCDに収納してある。ウィロビー将軍は人を見る目がないのでランスデールを単なる自惚れやとして嫌っていた。だからフィリピンでランスデールをG2副長官にした時も一九四七年まで少佐に昇進させなかった。新しくできた中央情報部長官、ホィット・バンデンベルグ将軍はランスデールを空軍に転籍させ彼を救出した。コロラドの戦略情報学校で数ヶ月過ごした後、空軍中佐に昇進した。そしてフィリピンには空軍大佐として送り返され、CIAの気違いと呼ばれていてそして、OPC(OFFICE of POLICY OORDINATIPN 政策調整事務所)という汚い策略を練る部門の長であるフランク・ヴァイスナーの為に働くことになった。ランスデールは急速な昇進を果たした。普通であれば彼の成功は新しい独立国家でラモン・マグサイサイをアメリカ人にしてしまうほど手なづけることに成功したたためだと言われるが、ランスデールの誇張された成功は、共産主義のフク団の暴動を阻止した事とされていた。

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8de03d No.132879

Originally posted at >>>/qresearch/20473981 (251138ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【7】

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>>132878

フク団は富裕なスペイン人や華僑の地主にこき使われた世代による貧乏な田園の抗議行動だっただけで、フィリピンの真実を知っている人は誰もその筋書きに納得しなかった。フク団の連中はマルクスについて(共産主義)なんて何も知らなくて、欲深い地主に対する戦いを支援するあらゆる抗議活動に参加しようとしていた。常に広告屋であるランスデールは撮影クルーに村を舞台としたフィリピン特別部隊によるでっちあげ攻撃をフィルムに収め、次の日にはよく訓練されたマグサイサイの「村の自由」を上演した。これではまるでハリウッドではないか。何がランスデールを偉大な冷戦の名士にしたのかはほんの少ししか知られていない。知られている方法とは、彼の仕事、即ち山下の運転手への拷問、サンタ・ロマーナの発掘回収、そして「黒いワシ信託」を利用したことだ。彼は中年時代を諜報員として生きてきたので、ワシントンで起こった全てを全部自分の仕事だったと信じさせ、権力を持つ男だとみせかけることは簡単なことだった。敬虔な中西部の家族と古めかしい教訓話は彼の魅力であり、彼のアジア改革のためにはアメリカのおおいなる使命があるのだという非現実的な発想はアレン・ダレス、ジョン・フォスター・ダレスがまじめな顔して広めていたが、彼等こそアジアの体験がなく、ワシントンでもっと知るべき人達だったのだ。ランスデールが日曜の夜のパーティでダレス兄弟と意気投合したのはラッキーだった。マニラの米大使レイモンド・スペランスへ送られた書簡にはアレン・ダレスはランスデールを「俺達の友達」だとよんでいた。ダレスは一九四五年にランスデールをベトナムへ送り込んだが、アイゼンハワーには「最高の男」の一人を送りますと話していた。アイゼンハワーはランスデールのフィリピンでの冒険を皮肉めいた冗談ときつい当てこすりを言いながらも楽しんで聞いていた。ランスデールはリチャード・ニクソンとも親密だったが、それはあまり良い結果を招いてはいない。もうひとつの特筆すべき事はランスデールの目には不敵な輝きがあり、エルマー・ガントリーと違い彼はバカだからどんな犠牲を払ってでも止めさせなければならないと言っていた。

「The Phoenix Program」の著者、ダグラス・バレンタインは言っている。「ランスデールはマジソン通り(広告業界のこと)の言葉を使ってボーイスカウトのようにキャアキャア綺麗な事を言っているが、裏側では自分のひねくれた残虐な喜びを隠しているのさ。」ランスデールが行ったアジアでの危険な行動は例外なく高価な失敗だった。アレン・ダラスはフィリピンでのCIA活動費として五百万ドルを与えた。しかしその資金はランスデールの応援者マグサイサイに渡り彼は飛行機事故で早すぎる死を迎えた。その話は「マルコス王朝」に詳しいが彼のフク団への鎮圧は詐欺行為であると広く知られていた。ベトナムで彼はまず千二百万ドルの闇金をばら撒き、ディエム家に還元することで盛り上がりつつあった活動を後退させ、誤った方向へ導こうとした。彼は、この本にでてくる多くの人と同じ様に無限の秘密基金の出し入れから得られる権力を愛し、ウィロビーと同じく自分の失敗した秘密を隠すことに成功した。・・・正に国家機密の覆いが本質だ。一九五〇年代後半、彼はフィリピンで厳選した暗殺団を伴って日本に出入りしていた。それはハンサムで冷血な暗殺者、ナポレオン・バレンチノというお気に入り達だった。ランスデールをよく知るアメリカ将校の娘は、どうして彼が日本に来たのかを語った。「フィリピンから、暗殺者としてよく知られてる人を連れてきたわ。子供だったから私は彼に興味をもったの、それと彼の銃にもね。日本では普通、誰も持ってないでしょ・・・。ランスデールの考えたことと、自分の政府が人を暗殺したこと、ショックでがっかりしちゃったわ。」思い返せば、ゴールデン・リリィーや黒いワシ信託の設立は楽な分野だ、彼らは単に他人の金を使う事に関わっただけなのだから。それほど多くの秘密資金が冷戦中に諜報資金として作られるその元々の目的を探るのはそんなに簡単ではない。

日本や、又別の国で極端な秘密ゆえ、これらの巨大な活動資金がすぐに不正な手の中に落ち、今日まででもそのままだ。その途中で多くの嘘は必要だったし、殺人ですら必要だった。サンタ・ロマーナの回収や黒い闇基金を人々に知られないようにするため戦争が終わった時、日本は瓦礫となり破産し、決して何も盗んではいないのだとワシントンは主張していた。これはひどい秘密の始まりにすぎなかったのだ。

(訳者より。) 各国の中央銀行に備蓄された準備金がなくなってしまった状況は、きっとそうなのだろうが、そのメカニズムは訳していてもよく分からなかった。説明不足なのか、私の頭が悪いのだろうか。

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8de03d No.132880

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Originally posted at >>>/qresearch/20474319 (251252ZFEB24) Notable: アーカイブ - 2024年2月24日のCPACでトランプ!!/「起こるはずのない選挙に勝ったので、彼らは私に腹を立てている」 - Q+通信 5年のデルタ

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>>>/qresearch/20469157 Q Research General #25109: Haillaery Nikkclinton Edition

>>>/qresearch/20469768

アーカイブ - 2024年2月24日のCPACでトランプ!!

注: 以下は cpac ラリーのメモです。

= = = = ===

ライブ: ドナルド J. トランプ大統領、DC で開催される CPAC 2024 で演説 - 2024 年 2 月 24 日

https://youtu.be/brsxl6BU6M0

- - -

djt: Cpacの権力者、世界中の保守・ポピュリストのリーダーたちの名前を読み上げる。

全員がトランプを支持している。

DJT: 私の予測では、バイデン政権の4ヵ月の間に、4,000万人から5,000万人の不法滞在者がアメリカ全土に押し寄せるだろう。

トランプ大統領:4年前、私はあなたに、ペテン師ジョー・バイデンがホワイトハウスに入れば、国境は廃止され、中産階級は壊滅し、私たちのコミュニティは流血、混乱、暴力犯罪に悩まされるだろうと言いました。すべてにおいて正しい…もし2024年にペテン師ジョー・バイデンと彼の凶悪犯が勝利したとしても、最悪の事態はまだ来ていない。私たちの国は、想像を絶するレベルにまで陥落するでしょう。

トランプ大統領:武器化された法執行機関が保守派や信仰を持つ人々を狩る一方で、宗教、ハマス、アンティファが我々の通りを恐怖に陥れ、彼らの残忍なイデオロギーが我々の学校を支配するだろう。

トランプ大統領: ペテン師ジョーとその手下たちが君を閉じ込めた、それは隷属と破滅に向かって突き進む特急列車だ。

DJT: 私は反体制派です

続く

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8de03d No.132881

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Originally posted at >>>/qresearch/20474386 (251308ZFEB24) Notable: アーカイブ - 2024年2月24日のCPACでトランプ!!/「起こるはずのない選挙に勝ったので、彼らは私に腹を立てている」 - Q+通信 5年のデルタ

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>>132880

>>>/qresearch/20469768

トランプ大統領: 私は、ジョー・バイデンとその一味の非常に悪い人々から、この囚われの国を解き放つためにここにいる。とても病んでいる人々。賢い人々。知的な人々。しかし、彼らはアメリカの自由を破壊しようと躍起になっている。

トランプ大統領:彼らは我が国を破壊したいのか、それとも愚かなのかのどちらかです。彼らが愚かだとは思いません。なぜなら、彼らのように選挙で不正行為ができる人は愚かではないからです。つまり、彼らは私たちの国を破壊しようとしているのです。

トランプ大統領: 素晴らしい未来を達成するには、まず制御不能な政治階級の鎖を振りほどかなければなりません。それは、ペテン師ジョー・バイデンに「あなたはクビだ!」と言うことから始まります。ここから出ていけ!あなたは私たちの国を破壊しているのです!あなたは解雇だよ、バイデン。ここから出て行け!

トランプ大統領: あなたは何年もの間、ワシントンの汚水溜め全体が勤勉なアメリカ人の富、希望、夢を糧にしているのを見てきました。本当に勤勉なアメリカ人。彼らは雇用を奪う貿易協定の利益をむさぼり食ってきた。彼らは終わりのない戦争の戦利品をむさぼり食ってきた。そして今、彼らが切望しているもの、彼らが強く望んでいるものは、理由は何であれ、恒久的な政治権力と支配です。彼らは病気なの、それが理由だ。

トランプ大統領:我々が勝利すれば、彼らの腐敗した統治は幕を閉じ、米国の明るい新たな未来に日が昇る、それが我々が持たなければならないことだ。

トランプ大統領:しかし、ご覧のとおり、我が国のこの素晴らしい解放に近づけば近づくほど、バイデン政権による我が国に対する邪悪な迫害はますます絶望的になってきています。彼らはますます暴力的になりました。スターリン主義者は、ジョー・バイデンの命令で裁判が行われていると見せかけ、私たちの政府システムだけでなく、何百年にもわたる西側の法的伝統に火をつけ、彼らは法律、判例、正当な手続きを、熱狂的な暴徒で置き換えた。裁判官、陪審員、検察官、死刑執行人を装った急進左派の民主党パルチザン。それが彼らなのです。

>>131914 「起こるはずのない選挙で私が勝ったので彼らは私に腹を立てている」 - Q+ 通信の 5 年間の差分

DJT「この人たちは誰も聞いたことのない言語を話している」

トランプ大統領:私が就任すると、我が国の兵士たちはISISを徹底的に叩きのめし、偽テレビ将軍からISISを奪い取った。我々には偉大な将軍がいるが、ミリーやテレビに出てくるような将軍は違う。偽物だよ。

DJT: オバマが私たちの国を動かしていると思っている人たちがいます。

DJT: 私の叔父はとりとめのない話をしていましたが、私のようにとりとめのない人はいません。誰もこれを行うことはできません.. (台本とは異なります) これは彼らを怖がらせます。

トランプ大統領: 私たちには世界で最も優れた法執行機関の人々がいますが、彼らはその職務を遂行することを許可されていません…シカゴは1日で解決できるでしょう。ニューヨークなら半日で解決できる。

Djt: 彼はとりとめのない話をしました、いや、それは完全に天才です。

トランプ大統領:この不正選挙で私が追い出されるやいなや、バイデンは制裁を解除し、イランはこれまでに見たことのないレベルに戻りました。彼らがこれまでにやったこと以上に。そして今、彼らはとんでもなく裕福です。彼らは石油を誰にでも売っている…彼らはとても豊かな国だ。私の場合、彼らは破産していました。彼らは一文無しだった。

トランプ大統領:彼らには水がない。彼らはビバリーヒルズの人々に、水は40ガロンしか使用できないと通知しています。彼らには水がありません。ちなみに水はたくさんもらえるので用意しておきました。連邦政府の承認はすべて完了していた。彼(ニューサム)がしなければならなかったのは、小さな紙切れに署名することだけだった。そして私は彼を二度とそのことで逃がすことはしません。彼は一枚の紙に署名しなければならなかった、そうすれば北から水が降り注ぐんだ。カナダから降り注いているんだ。ご存知のように、それは人工的な静脈もあれば、水が降り注ぐ自然の静脈もあります。彼らはこの水を汲んで太平洋に送ります…小さな小さな魚を守るために、そして人々には水がなく、農地は不毛です。

DJT;私たちはアメリカを再び偉大にします

終わり

Anon, Thank you for your great work!

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8de03d No.132882

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Originally posted at >>>/qresearch/20474409 (251314ZFEB24) Notable: アーカイブ - 2024年2月24日のCPACでトランプ!!/「起こるはずのない選挙に勝ったので、彼らは私に腹を立てている」 - Q+通信 5年のデルタ

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>>132881

リンクミス訂正します

>>131914

「起こるはずのない選挙に勝ったので、彼らは私に腹を立てている」 - Q+通信 5年のデルタ

Q+の証明

数分前の大統領

"私が起こるはずのない選挙に勝ったので、彼らは怒っている"

2885

2019年02月24日 13時12分51秒 EST

Q !!mG7VJxZNCI ID:b3258f No.5362124

まさか悪徳ヒラリーが負けるとは思わなかった。

多くの悲惨な間違いを犯した。

国民に権力を取り戻す

Q+

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8de03d No.132883

Originally posted at >>>/qresearch/20476708 (260004ZFEB24) Notable: 陸自、インドで対テロ共同訓練

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陸自、インドで対テロ共同訓練

2024年02月26日

陸上自衛隊とインド陸軍による毎年恒例のテロ対策共同訓練「ダルマ・ガーディアン」が25日、インド西部ラジャスタン州で3月9日までの日程で始まった。訓練は今年で5回目で、両国の防衛協力強化が狙い。

https://www.jiji.com/amp/article?k=2024022600134&g=int

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8de03d No.132884

Originally posted at >>>/qresearch/20476757 (260018ZFEB24) Notable: 宝塚歌劇団 運営の親会社 角和夫会長が理事退任で最終調整

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宝塚歌劇団 運営の親会社 角和夫会長が理事退任で最終調整

2024年2月26日

宝塚歌劇団に所属する25歳の劇団員が死亡した問題をめぐって、歌劇団を運営する阪急電鉄の親会社「阪急阪神ホールディングス」の角和夫 会長が歌劇団の理事を退任する方向で最終的な調整を進めていることが関係者への取材で分かりました。

去年9月、宝塚歌劇団の宙組に所属していた25歳の劇団員が兵庫県宝塚市で死亡しているのが見つかりました。

歌劇団は、去年11月、長時間の活動などで強い心理的負荷がかかっていた可能性は否定できないとする一方、いじめやパワハラは確認できなかったとする調査報告書の内容を公表しましたが、遺族側の代理人弁護士は上級生らからのパワハラなどがあったと主張していて、両者の間で協議が続いています。

こうした中、歌劇団を運営する阪急電鉄の親会社、阪急阪神ホールディングスの角和夫 会長が歌劇団の理事を退任する方向で最終的な調整を進めていることが関係者への取材で分かりました。

理事会は歌劇団の役職者や演出家ら10人で構成され、運営方針などを決めていて、角氏は、2014年3月から10年にわたって理事を務めてきました。

角氏は去年12月、劇団員を養成する宝塚音楽学校の理事長を退任していて、近く、学校の理事についても退任する見通しです。

歌劇団側は、組織の管理体制にも問題があったことを遺族側に対して認める方針で、角氏は、その責任を取る意向だということです。

これによって角氏は歌劇団の運営から退く形ですが、遺族側への対応や歌劇団の組織風土の改善などには引き続き関わっていくとみられます。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240226/k10014370501000.html

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8de03d No.133140

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能登半島地震 BUN

>>132285 「何かしなければならなかった」 トルコ人ボランティアが能登半島地震被災者に食事を提供

>>132287 天候悪化、捜索厳しく 死者94人、安否不明222人―断水、停電解消せず・能登地震

>>132288 在日米軍「支援」を日本と調整 能登地震で米国防総省

>>132289 被災地でコロナ感染「増えている」 能登半島地震、支援の医師が危機感「隔離できない状況」

>>132290, >>132291, >>132292 北川啓介教授が能登半島地震の被災地へ屋内用インスタントハウスを届けました

>>132293 岸田首相、仮設住宅の建設準備を指示 能登半島地震

>>132294 輪島市で大規模地震を想定した防災訓練(2023年10月15日)

>>132295 大雨と地震の複合災害を想定 石川県防災総合訓練 約1万6000人が参加

>>132296 志賀原発の事故想定し防災訓練、1700人が参加(2023年11月24日)

>>132298 金正恩氏が異例の見舞いメッセージ、林官房長官が「感謝の意」…返信は「答えを控える」

>>132299 能登地震の偽投稿、総務省がXなどプラットフォーマー4社に対応要請

>>132300 【能登半島地震・360度動画】被災した輪島・朝市通り

>>132301 【能登半島地震・動画ルポ】穴水町・能登町・珠洲市の被害は

>>132308 昨夜の震度6弱 “石川 志賀町の地震計に異常見られず”気象庁

>>132309 2318人孤立状態 輪島13地区に1700人以上 能登半島地震

>>132310 【能登半島地震】道路が沈み、家が傾く 新潟市西区で多発「液状化現象」 なぜ発生したのか《新潟》

>>132312, >>132314 ヘリよりも最大速度、積載量、航続距離に優れ災害救援活動に最適として日本が購入したオスプレイは米軍が去年12月に全機飛行停止命令

>>132316 令和6年能登半島地震 丸1週間たっても震度3以上の地震続く 震度5弱以上は15回

>>132317 陸自UH60ヘリを能登地震で投入 昨年の墜落事故後、初の任務飛行―防衛省

>>132318 地震で孤立した地域にドローンで薬を配送 石川 輪島

>>132319 能登半島地震、予備費から47.4億円支出 政府が物資供給

>>132320 能登半島地震の避難所にスターリンク提供 KDDI、無料で利用可能

>>132321 能登地震で道路寸断、救助・支援阻む 石川県35路線復旧せず

>>132352 自衛隊「逐次投入」に批判も 地理条件で規模制約、任務は拡大―能登地震

>>132361 医療の優先順位「どうなっているか聞きたい」 “逼迫”懸念に馳知事 やけどの5歳男児…搬送されず数日後に死亡か

>>132380 能登で活躍「トイレトレーラー」で見た深刻な現場 上水道が止まり状況は最悪、災害関連死を防げ

>>132403 岸田首相 被災地視察 生活再建へ新たに1000億円超の支出を決定

>>132426 石川 奥能登地域 多くの酒蔵が全壊 日本酒製造できず/石川「輪島塗」生産再開見通せず “ほぼすべての職人が被害”

>>132432 防犯カメラ約100台設置へ 被災地での犯罪対策に(2024年1月17日)

>>132433 在日米軍、被災地支援は「日米の友情の絆を強化するものだ」…17日からヘリで物資輸送

>>132435, >>132442 輪島の被災中学生異例の集団避難 258人が親元離れ、想定2カ月/輪島市内で約250人の中学生が集団避難、端末を無償貸与=林官房長官

>>132484 【視点】より大型の地震の前触れの可能性 石川県・能登半島地震について=ロシア人研究者

>>132524 馳浩石川県知事が初めて輪島市と珠洲市を視察 能登半島地震

>>132527 能登地震の避難所利用者、Suicaで把握 デジタル庁が配布へ

>>132528 陸上自衛隊:令和6年能登半島地震に伴う 災統合任務部隊 JTF遊撃隊は、輪島市孤立集落住民の2次避難所までの移送支援に先立ち、#UGV(Unmanned Ground Vehicle)の操作訓練を行うとともに使用予定避難経路上の偵察等を行い、避難者の安全な誘導支援を行いました

>>132529 被災地に約1000台の防犯カメラ設置へ 警察庁

>>132576 能登半島地震、2次避難所での食事があまりにも…疑問の声「中抜きされてる?」「単に栄養補給じゃないのに」

>>132578 能登半島地震避難者のインフルワクチン接種、無料実施へ 武見敬三厚労相

>>132606 輪島の仮設住宅を公開 能登地震後に初完成、3日入居

>>132713 能登半島地震 ボランティア向け 破傷風ワクチン無償提供開始 @東京TMSクリニック & 新宿クイッククリニック

>>132715 令和6年能登半島地震に対する緊急災害支援金募集クラウドファンディング、日本赤十字社へ第一弾の送金を実施

>>132862 岸田首相 復旧・復興加速で予備費から約1000億円追加支出へ

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8de03d No.133141

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ワクチン BUN

>>132339 イーロン: 最高裁がバイデンのワクチン接種命令を破棄するまで、彼はワクチン未接種の職員を全員解雇するよう要求しようとした

>>132347 2015 年 5 月の復習: 「ビル・ゲイツ、世界的パンデミックにより 3,300 万人が絶滅する可能性があると懸念」

>>132360 新型コロナウイルス 初めての『国産ワクチン』接種スタート 新潟県長岡市

>>132420 Covidワクチンが実験用ネズミに「自閉症」を引き起こす、研究結果

>>132476 「子宮頸がんワクチン」一斉提訴から8年目にして健康被害を訴える女性たちに法廷で直接“尋問”…全国初

>>132507 変化を繰り返す新型コロナウイルス 次世代型ワクチンが感染予防の一助に 国産の製造拠点が福島県に誕生

>>132578 能登半島地震避難者のインフルワクチン接種、無料実施へ 武見敬三厚労相

>>132609 コロナワクチン健康被害の申請1万件超に 20代以下の認定も1千件以上

>>132610 国産ワクチン開発へ 合同シンポジウム 大学など研究機関参加

>>132635, >>132639 ラーム・エマニュエル: 準備は万全です。米疾病管理予防センター(CDC)の東アジア・太平洋地域事務所が、ここ東京に2月5日に開設されると発表されました/米CDC 東京に事務所を開設 “世界の安全保障にとって重要”

>>132640 Hib感染症を加えた「5種混合ワクチン」 4月から定期接種へ

>>132681 声を上げたコロナワクチン被害者_イスラエル(動画)

>>132713 能登半島地震 ボランティア向け 破傷風ワクチン無償提供開始 @東京TMSクリニック & 新宿クイッククリニック

>>132725 HPVワクチン周知 新年度、群馬県が強化 動画やSNS活用中学生ら接種促す

>>132726 子宮頸がんワクチン男性も助成を 長崎大生が市に要望 罹患率ワースト上位受け

>>132727 「妻なのに分からないんだ…」 亡くなった夫の検視結果を開示請求するも“黒塗り” 「ここまで消してはいけないんじゃないの」ワクチン接種6日後に夫が急死

>>132747 コロナワクチン忌避に陰謀論が関連

>>132757 子宮頸がんと予防ワクチン知って、ノートルダム清心中で授業 広島市西区

>>132758 京大発新興、米ファイザーと提携 mRNA技術で新薬開発

>>132807 豊田通商、遠隔地にワクチン ガーナで挑む医療充実

>>132855 アストラゼネカの現在のCFOが赤十字社の理事会のメンバーであることをご存知ですか?

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8de03d No.133142

Originally posted at >>>/qresearch/20482399 (270705ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN

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日本政府/日本時事 BUN

>>132297 防災の日 首都直下地震を想定して政府の総合防災訓練(2023年9月1日)

>>132303 自民・池田佳隆衆院議員を逮捕へ…安倍派から還流の4800万円不記載疑い

>>132311 NATO基金に約53億円拠出と上川氏

>>132315 東京・目白台 旧田中角栄邸の敷地内で火事 ポンプ車など19台で消火活動中

>>132338 「8000万人国家」で成長力確保 民間提言、2100年目標

>>132351 富士通幹部に証言要請 郵便局会計ソフト冤罪事件―英下院委

>>132353 北欧と海洋・安保で協力強化 中ロの北極海進出に対抗―上川外相

>>132354 自民 麻生副総裁が米高官と会談 岸田首相の訪米成功へ連携確認

>>132355 田久保忠衛氏が死去、90歳 日本会議会長、改憲訴え

>>132356 ウクライナ復興支援へ 自社技術生かし乗り出す日本企業相次ぐ

>>132358 上川外相とスウェーデン外相 ウクライナ支援継続へ連携で一致

>>132359 麻生氏「台湾有事許さず」米国で訴え 米韓TPP参加提案

>>132391 ネット中傷防止へ法改正、通常国会提出視野 村井副長官

>>132392 東京・中野区で陸自駆り出し「ミサイル避難訓練」なぜ実施? 能登有事の真っ最中にやっている場合なのか

>>132393 日大元理事長の田中英寿さん死去 77歳 相撲部で活躍、脱税で有罪

>>132400 指定暴力団「浪川会」の総裁らを逮捕 会社設立のときに“うその届け出”をした疑い

>>132401 台湾海峡の平和重要 日米外相、首相訪米で連携

>>132402 愛媛・四国中央市のスターバックスで銃撃か、男性1人が心肺停止…撃ったとみられる男は逃走中

>>132408 林官房長官、台湾総統選巡る中国の抗議に反論 「台湾は重要なパートナーで友人」

>>132412 2024年に日本の初打ち上げで偵察衛星を軌道に投入

>>132417 ボーイング 737-800 型機のコックピット窓に空中で亀裂が発見され、旅客機が日本に帰国しました

>>132424 韓国軍は、北朝鮮が再び弾道ミサイルを日本海に発射したと発表した

>>132427 自民谷川氏、長崎県連会長を辞任 特捜部、裏金事件で捜査

>>132431 安倍派「裏金」事件、幹部7人を不起訴へ 東京地検

>>132436 共産・志位氏、退任の意向 後任は田村氏有力―午後に新体制決定・党大会

>>132437 自民・麻生氏、訪米時にトランプ氏側と接触 大統領選視野にパイプ構築

>>132438 非常時、国が自治体に必要な指示 自治法改正案の概要判明

>>132441 トマホーク400発、2540億円で契約 半数を性能が劣る旧型にして導入前倒し

>>132443 自民・安倍派が解散へ 党内最大派閥 政治資金パー券問題

>>132483 愛子さま、日本赤十字社の嘱託職員に 4月から勤務

>>132486 「50歳」でも新人予備自衛官補に… 防衛省が採用年齢上限「34歳未満」からの大幅引き上げを発表

>>132497 都内に国内最大ホワイトハッカー集団の拠点

>>132498 末松参院予算委員長が辞任へ

>>132506 子ども食堂、過去最多9131カ所 全国の公立中学校の数レベル 全47都道府県で増加 社内表彰の賞金で75万円寄付した女性も 広がる支援の輪

>>132513 東京都がミサイル攻撃に備え「地下シェルター」…麻布十番駅に整備方針、長期避難も視野

>>132514 岸田首相、4月10日に国賓待遇で訪米 米政府発表

>>132515 青葉真司被告に死刑判決 36人を殺害 京アニ放火殺人事件

>>132518 保育園で就寝中の女児の下半身を触り撮影などの容疑 元保育士の男(54)を逮捕

>>132548 東京と神奈川で震度4の地震 東京湾震源、津波心配なし

>>132557 暴力団の資金源か…不法就労助長で暴力団組長ら3人逮捕 外国人を解体工事現場などに派遣

>>132558 SOMPO桜田氏、引責辞任

>>132568 "ミス-ジャパン"としてのウクライナのモデルの戴冠は、アジアにおけるリベラル-グローバリズムの広がりを示しています

>>132573 日・独物品役務相互提供協定(日独ACSA)への署名

>>132579 「地震のような大きな揺れが数秒あった」 火力発電所で爆発 けが人なし ボイラー施設の13階部分から黒煙が上がる

>>132580 自民党安倍派の政務官2人が辞任へ 政治資金問題で

>>132581 SMBC日興証券、新社長に吉岡専務 社長と会長は退任

>>132583 関電・中部電など大手電力8社が最高益 料金値上げと燃料費下落で

>>132584 公明・北側副代表、緊急事態の改憲条項「党として検討」

>>132587 日英によるウクライナへの共同軍事支援計画が頓挫、英国側が断念=米紙

>>132588 トヨタグループで相次ぐ不正

>>132598 海自、米軍が共同演習 米空母3隻が日本周辺に集結

>>132599 NHKの森下経営委員長が退任 今月末に任期満了

>>132608 東京都、3月にコード決済で10%還元 4つのペイで還元上限各3000円

>>132626 ウクライナ復興会議に200社超 政府、渡航制限の例外措置も

>>132635, >>132639 ラーム・エマニュエル: 準備は万全です。米疾病管理予防センター(CDC)の東アジア・太平洋地域事務所が、ここ東京に2月5日に開設されると発表されました/米CDC 東京に事務所を開設 “世界の安全保障にとって重要”

>>132636 安倍洋子さん死去、95歳 晋三氏母「政界のゴッドマザー」

>>132637 「日米、台湾有事を想定した仮想訓練で初めて敵国に『中国』明示」

>>132638 米新興企業、日本でCO2回収 都市ガスや建材に再利用―脱炭素を支援

>>132648 2023年の実質賃金が1990年以降で最低水準を更新、マイナス幅は前年より更に拡大

>>132650 岸田首相、イタリアのメローニ首相と会談…G7サミットに向けて「日本との引き継ぎ重視を歓迎」

>>132651 日本の大学生の5人に1人が子どもを望んでいない:調査

>>132661 「北海道全体を一つの仮想データセンターに」知事が講演

>>132662 KDDIがローソンにTOB、三菱商事と共同経営へ…デジタルや通信活用し店舗の次世代化図る

>>132663 伊藤忠、イスラエル軍事企業とのMOU終了 防衛装備品の輸入

>>132678 ユネスコ通じ 日本が文化財保護などウクライナ支援へ 署名式

>>132679 輸入相手国への投資促進 農業基本法改正案判明

>>132682 東京電力、福島第一原発の水漏れは「市民へのリスクなし」 IAEAに報告

>>132697 「鬼畜の所業」「人生を破壊」判決が最大級の言葉で糾弾 娘(12)に性行為強要の父親、求刑上回る懲役20年の判決 

>>132698 「性的欲求を満たすためにやった」埼玉県の中学教員を懲戒免職処分 教え子の男子生徒の裸を盗撮したとして逮捕・起訴

>>132714 政府、ドローンの5G利用解禁へ 24年度、用途拡大に期待

>>132732 「公用語を英語にするべき」と吉村知事 大阪公立大の国際競争力強化 春入学廃止・全学生が秋入学へ 課題は入試と就職

>>132733 ダイハツ 奥平社長と松林会長が退任へ 認証取得の不正問題受け

>>132740 ロシアとの対話のために日本は敵対政策を見直すべき=ロシア外務省

>>132741 日本企業のキーウ渡航容認 ウクライナ復興で最長1週間

>>132748 トイレ1カ所に2億円!「大阪万博は全てデザイナーズトイレ」で、また税金が消えていく

>>132749 内閣支持16.9%、最低更新 不支持初の6割台―時事世論調査

>>132759 自衛隊制服組トップが入院 吉田統幕長、過労で発熱―防衛省

>>132767 仏で保管のプルトニウム 九州電力と四国電力の原発で利用へ

>>132780, >>132781 資産運用特区に4地域申請 札幌・東京・大阪・福岡

>>132786 「蘇民祭」千年の歴史に幕 高齢化で担い手不足 岩手・奥州

>>132787 ネット賭けマージャン 会社員ら逮捕 オンラインカジノ運営で初

>>132795, >>132797, >>132798 日本のウクライナ支援の鍵は民間セクターの参加/ウクライナ復興、ビジネス往来促進 56の協力文書/日本とウクライナ企業をマッチング、国連開発計画局長

>>132796 防衛費43兆円ではやっぱり足りない? 防衛省の有識者会議、初会合でいきなり増額論「タブー視するな」

>>132799 東京ミネルヴァ、25億円不正流用 弁護士会が除名処分

>>132805 麻生太郎氏、経済安保政策「米大統領選が左右」

>>132806 鈴木財務相 “G20出席難しい” 新年度予算案の国会審議優先で

>>132822 宮内ソフトバンク会長が退任 孫氏と通信事業育成

>>132823, >>132853 核物質密輸未遂で日本人の男起訴と米地検

>>132828 ENEOS系、またセクハラ=グループ企業の会長解任

>>132829 オイシックス会長が辞任 「放射能汚染水」投稿で

>>132852 日本を拠点とする首席兵曹をスパイ容疑で起訴

>>132883 陸自、インドで対テロ共同訓練

>>132884 宝塚歌劇団 運営の親会社 角和夫会長が理事退任で最終調整

FINAL

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8de03d No.133143

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ドナルド・J・トランプ大統領 BUN

>>132286, >>132332, >>132333 アーカイビング - トランプ、アイオワ州で2024年最初の集会を開催 党員集会に参加する!!!

>>132302 トランプ大統領、アイオワ州メーソン市での党員集会でコミット

>>132313 エプスタインに関するトランプ大統領とクリントンの比較

>>132329 DJT: The Best Is Yet To Come!

>>132330 エリック・トランプ : トランプのホテルは外国政府から得た利益をすべて米国財務省に寄付していた

>>132331 27人の司法長官がドナルド・トランプの連邦最高裁への上訴を支持する連合を結成した

>>132335, >>132336 アーカイブ - アイオワ州メイソンシティでの第 2 回トランプラリー、2024 年 1 月 5 日

>>132337 DJT on J6: 「平和的かつ愛国的にあなたの声を届けてください」

>>132340, >>132341 トランプ大統領、内戦を避けるために2020年の選挙後に立ち去ったことを示唆

>>132342 トランプが聴衆の誰かにペンを投げた|Qpost #481 delta w/ Pen

>>132343, >>132344 アーカイブ - 1 月 6 日に 2 つのトランプ 集会が開催され、最初の集会はアイオワ州ニュートンで開催されました !!

>>132345, >>132346 2024年1月6日、アイオワ州クリントンでのトランプ第2回集会をアーカイブする!!!

>>132349 (2012 年 10 月 8 日) DJT: 変質者に捕らえられた行方不明の子どもたちを何とかしなければなりません - 迅速な裁判、死刑

>>132350 英国が極秘「トランプ文書」を収集中 - 報道

>>132363 トランプ大統領、特別検察官ジャック・スミスとの対決で、選挙詐欺事件での訴追免責を主張するためDC裁判所に出廷へ…

>>132369, >>132370 トランプ大統領の資格を剥奪する取り組みの背後にいる人々には共通点がある

>>132372 DJT のTruth- 大統領に免責特権が与えられなければ、退任するすべての大統領は即座に、敵対する政党から起訴されるでしょう。完全な免責特権がなければ、米国大統領は適切に機能することができない!

>>132373 ドナルド・トランプを2024年選挙の投票用紙から削除させるために各州で訴訟を起こしていた男が、IRSに17セットの虚偽の税務書類を提出した容疑で逮捕・起訴された

>>132374, >>132375 FOXタウンホールでのトランプ

>>132376, >>132377 トランプ、QAnon陰謀論ムーブメントについて語る - 2020年

>>132404, >>132406, >>132407, >>132429 アーカイブ - 2024年1月14日、アイオワ州インディアノーラのトランプ!!!

>>132405 トランプJr.、ウクライナ紛争終結の「唯一の方法」を示唆

>>132411 ドナルド・J・トランプ氏がアイオワ州デモインでアメリカに対するビジョンを語る - 2024 年 1 月 13 日

>>132416 トランプ通信のスレッド

>>132423 大統領 が参照した曲 (The Snake)

>>132428, >>132430 米共和予備選、初戦アイオワ州でトランプ氏勝利 

>>132434 アーカイビング - 週末をアイオワ州で過ごし、勝利を収め、義理の母の葬儀を欠席し、法闘争裁判のためにニューヨークへ行った後、トランプはコーカサス選挙の次のラウンドのために今夜ハンプシャーにいる!

>>132440 アーカイブ - 2024年1月17日、ポーツマス州ニューハンプシャー州のトランプ!!

>>132449, >>132452, >>132453, >>132454 ライブ:トランプ大統領、ニューハンプシャー州コンコードで演説 - 1/19/24

>>132463, >>132464, >>132465, >>132477 アーカイブ - 2024年1月20日、マンチェスターのニューハンプシャー州で今夜トランプラリーが開催されます!!

>>132474 トランプ大統領、広島・長崎の原爆投下を引き合いに大統領免責を要求

>>132475, >>132478 アーカイブ - ロチェスターでのトランプ集会 - 彼は午後7時か午前12時(GMT)にステージに立つ予定です!!!

>>132487, >>132488, >>132489, >>132490 アーカイブ - 明日行われるニューハンプシャー州投票前のトランプ最後の集会!!! 1/22/24

>>132495 LIVE: Election Night in New Hampshire at the Trump Campaign Watch Party - 1/23/24

>>132496, >>132499, >>132500 米共和予備選、トランプ氏2戦目も勝利 米報道

>>132547 LIVE: President Donald J. Trump Holds Caucus Rally in Las Vegas - 1/27/24

>>132590 トランプさん、大統領2期目の10の計画、腐敗の一掃(動画)

>>132649 トランプ氏が警告 第3次世界大戦はバイデン政権の終了前に始まりうる

>>132670, >>132693 トランプ大統領がTSに投稿したミーム

>>132687 LIVE: Election Night in Nevada from the Trump Campaign Watch Party - 2/8/24

>>132702, >>132704 LIVE: President Donald J. Trump Addresses NRA Members in Harrisburg, PA - 2/9/2

>>132712, >>132716, >>132717 LIVE: President Trump Holds a Get Out the Vote Rally in Conway, S.C. - 2/10/24

>>132746, >>132750 LIVE: President Donald J. Trump Holds a Rally in North Charleston, S.C. - 2/14/24

>>132760 トランプ氏、大統領選に勝利すれば、ウクライナをロシアとの交渉のテーブルに着かせることを計画

>>132779, >>132782, >>132783 LIVE: PRESIDENT TRUMP GIVES SPEECH AT SNEAKER CON PHILADELPHIA - 2/17/24

>>132785 トランプ氏がオリジナルのスニーカーラインNever Surrender(絶対あきらめない)をリリース

>>132800, >>132801, >>132804 トランプ大統領は、大統領就任初日である 2017 年 1 月 21 日に CIA を訪れました

>>132821 @realDonaldTrump: My REVENGE will be SUCCESS!

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>>132863 米大統領選挙 サウスカロライナ州予備選 トランプ氏 勝利確実

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FINAL

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9af899 No.159178

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Originally posted at >>>/qresearch/20479170 (261531ZFEB24) Notable: ジェイコブ・ロスチャイルド死去(2024 年 2 月 26 日)

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>>>/qresearch/20477838 Q Research General #25119: Last Of The Comfefe Edition

>>132281 #25119 NOTABLES

>>132264, >>132265

ジェイコブ・ロスチャイルド死去!

https://x.com/disclosetv/status/1762068649685221408?s=20

>>132264

>フクロウの通信

ジェイコブ・ロスチャイルド卿:金融家が87歳で死去

ジャック・メンデルの物語 • 02/26/2024 5:35:14 AM

https://www.msn.com/en-us/money/topstocks/lord-jacob-rothschild-financier-dies-ages-87/ar-BB1iTE6g

速報ニュース 投資家でロスチャイルド銀行家一族のジェイコブ・ロスチャイルド卿が87歳で死去

公開日: 05:40 EST、2024 年 2 月 26 日 |更新日: 05:45 EST、2024 年 2 月 26 日

https://www.dailymail.co.uk/news/article-13126229/lord-jacob-rothschild-dies-ages-97.html

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9af899 No.159179

Originally posted at >>>/qresearch/20481489 (270228ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 外国人労働者の特定技能、トラックなど「自動車運送業」追加で最終調整

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外国人労働者の特定技能、トラックなど「自動車運送業」追加で最終調整

2024.02.23

政府が人手不足受け、与党内には慎重論も

政府は、専門的な技能や知識を備え即戦力となる外国人労働者を人手不足の分野で受け入れることを認める特定技能制度の対象に、トラックドライバーなどの「自動車運送業」を追加する方向で最終調整に入った。

人手不足が深刻化しているのを踏まえ、働く意欲と一定の技能を持つ外国人でカバーできるようにするのが狙い。政府は与党との調整を経て、3月中にも閣議決定したい考え。

出入国在留管理庁が2月22日、自民党の部会で方針を説明した。同庁は自動車運送業に関し、トラックとバス、タクシーの各ドライバーで構成するとともに、他に「鉄道」「林業」「木材産業」の3分野も追加する考えを示した。

特定技能制度は2019年に開始。ある程度の知識や経験を備えた「1号」と、熟練した技能を持った「2号」に分かれている。在留期間は1号が通算で5年、2号は更新回数に上限を設けていない。

今回追加を想定している4業種は、いずれも1号のみ受け入れ可能と設定し、自動車運送業や鉄道業は安全ルールの順守や事故時の対応などが求められるため、日本語能力試験で一定以上のレベルで合格するよう定めることを検討している。

1号の対象は現在、介護や自動車整備、航空、宿泊、外食など12分野となっている。4分野の追加が決まれば制度創設以来、初めてとなる。

ただ、物流企業からは外国人労働者をトラックドライバーに受け入れるのに積極的な意見が出る一方、与党内には運行の安全性確保などの面で慎重な声も聞かれる。

https://online.logi-biz.com/98085/

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9af899 No.159181

Originally posted at >>>/qresearch/20481700 (270310ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 台湾の半導体製造大手TSMC 日本国内初となる工場が熊本県に開所 地上4階地下2階で敷地面積は東京ドーム4個分

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台湾の半導体製造大手TSMC 日本国内初となる工場が熊本県に開所 地上4階地下2階で敷地面積は東京ドーム4個分

2024年2月24日

台湾の半導体製造大手、TSMCの日本国内初となる工場がきょう熊本県に開所します。現地から中継です。

熊本県菊陽町に建設された新たな工場では、この後、開所式が開かれ、齋藤健経済産業大臣やTSMCの劉徳音会長たちが出席する予定です。

新たな工場は地上4階、地下2階で敷地面積は東京ドーム4個分。半導体を製造するクリーンルームは国内最大規模と言われています。

工場では自動車や電化製品に使用される回路線幅、12ナノから28ナノの製品の量産を今年の年末までに始める予定です。

また、TSMCは、2027年末までの稼動を目指す国内第2工場も熊本県内に建設すると発表していて、きょう開所する第1工場と合わせると、設備投資額は3兆円規模になり、日本政府からの補助金は、1兆2000億円に上る見通しです。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1016650?display=1

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9af899 No.159182

Originally posted at >>>/qresearch/20481807 (270331ZFEB24) Notable: ワクチン BUN / HPVワクチン 男性も接種して 子宮頸がん予防だけじゃない 高い費用、助成する自治体も

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HPVワクチン 男性も接種して 子宮頸がん予防だけじゃない 高い費用、助成する自治体も

2024年2月27日 07時47分

子宮頸(けい)がんの主な原因として知られるヒトパピローマウイルス(HPV)。実は他のがんも引き起こすため、感染を防ぐワクチンの接種は男女ともに効果がある。海外では男性への接種が進んでおり、国内でも男性の接種費用を助成する自治体が出てきた。(河野紀子)

 「HPVワクチンは子宮頸がんのイメージが強く、男性も接種が必要なことはほとんど知られていない。国内では男性にはほぼ接種されていないのが現状だ」。フローレンスこどもと心クリニック(東京)院長で、小児科医の田中純子さんは言う。

◆喉や肛門のがんにも

 HPV感染が原因の一つとなるのは、喉の奥にできる中咽頭がん、肛門がん、性器周辺にイボができる性感染症の尖圭(せんけい)コンジローマなど。HPVはありふれたウイルスで、男女問わず性交渉で感染する。コンドームを使っても完全に予防できないため、初めての性交渉の前にワクチンを接種することが重要になる。

 田中さんは「男性への接種を進めることで、男性自身がHPV感染による病気のリスクを減らすだけでなく、将来のパートナーへの感染防止になる」と指摘。実は日本でも、2020年12月から男性は任意接種となっており、9歳以上はワクチンを打つことができる。一方で、女性と違って費用は全額自費で、1回2万円弱を3回、計5万~6万円かかる。

 HPVワクチンを巡っては、子宮頸がんの予防のため13年4月、小6~高1の女子を対象に原則無料の定期接種に。ただ、接種後に体の痛みなどを訴える人が相次ぎ、国は同年6月に積極的勧奨を中止。その後に安全性が確認されたとして、22年4月から積極的勧奨を再開している。

 田中さんは「勧奨中止の間は情報発信しにくく、男性接種の必要性が伝わらなかった。さらに費用が高額なことも大きなハードルとなっている」と話す。

◆将来の感染に備えて

 昨年1月、同クリニックと認定NPO法人フローレンス、一般社団法人「HPVについての情報を広く発信する会」(みんパピ!)が共同で、男性接種の1回目を無料で提供するキャンペーンを実施したところ、定員60人に140人を超える応募があった。接種を受けた男子は「母が自分の体のことを考えて勧めてくれたので、大事なんだろうと思った」「自分だけでなく、将来的に相手の感染を予防することにもつながる」などと話したという。

 国内でも、男性接種の費用を自治体が助成する動きが出ている。青森県平川市は22年夏、全国で初めて助成制度をスタート。千葉県いすみ市、東京都中野区、埼玉県熊谷市なども続いた。さらに東京都は今年4月から、都内の自治体が助成する場合、費用の半額を都が補助することを決めている。

 みんパピ!代表理事で産婦人科医の稲葉可奈子さんは「海外では40カ国以上で、HPVワクチンの男性への接種が公費で行われている」と説明。日本でも男性に対し、任意ではなく公費負担による接種が必要だと話している。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/311667

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9af899 No.159183

Originally posted at >>>/qresearch/20482526 (270900ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【8】

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>>132808

GOLD WARRIORS "金の戦士"

>>132873, >>132874, >>132875, >>132876, >>132877, >>132878, >>132879 GOLD WARRIORS "金の戦士" 【7】

前のパンからの続きです。2007年に日本語翻訳してくださった方の情報を転載しています

黄金の兵士 第八章 きたない策略

身体の破片が東京北千住駅の下り線路沿い数百メートルにわたってみつかり、人々は叫び声をあげていた。死体はバラバラで、男か女なのかすらわからなかった。夜が明けた一九四九年(昭・二四)七月、レール付近で身分証明書がみつ

かり、壊れた時計は午前零時二十分を指していた。被害者は下山定則四十九歳、国鉄総裁である。彼は悪名高いヤクザにリベートを払い、国鉄職員として雇った復員兵数千名を解雇しようとする間違いを犯した。不思議なことにその時から、新聞は(マッカーサーの占領指令本部SCAPに支配されていた)下山総裁が日本共産党の陰謀によって殺されたという世論を作り出そうとしていた。

数日後の労働争議では列車が破壊され、三人の死者がでた。再び共産主義者が非難され、二十名の労働者が検挙され、裁判にかけられた。(その九割は労働組合幹部か各種の左翼活動家だった。)彼らの事件は二十年以上、日本最大の疑獄事件のひとつになっていた。この事件は一九七〇年(昭・四五)、罠だったとして赦免され、政府が損害賠償する判決が出るまで続いた。多くの日本人は下山殺人と列車爆破は、ヤクザの助けを借りたアメリカの諜報員の仕事だったと信じていたし、今でもそう思っている。半世紀過ぎてもアメリカ占領の全記録は極めて厳重に密閉され、真実は今でも知ることはない。下山暗殺は、六年に渡る占領期間にアメリカと日本の入念な共謀によって行われた被害者の象徴であり、共謀は今日もまだ続いている。それは戦後のアメリカを席巻したマッカーシーの魔女狩りの頃最高潮に達した。反共産主義アレルギーの必然的帰結だと思われてきたが、このヒステリーはソビエト連邦が崩壊し、ベルリンの壁が消え、中国共産党が資本主義に転換してもおさまりはしない。彼らにとって非常に都合の良い方法なので終わらせるには惜しいのだろう。そのヒステリーは今でもアメリカ、日本に現れ、新しいラベルを貼り、新しい蔵の中に理由を捜して・・。

サンタ・ロマーナの財宝の発見を考えると、終戦後の殺人と共謀の背後にある動機が反共産アレルギーだけだった訳ではないようだ。別の要因がまったく報告する必要のない大量の裏金を引き出すことになったのだ。アメリカが日本で秘密の政治活動基金を設立し、天皇家、支配者エリート、地下組織に対し、そして右翼体制を保ち権力を保持するために使用したということは間違いのない証拠が示している。証拠文書は、まずその資金がマッカーサー司令部の幹部将校の支配下で東京裁判の目撃者への賄賂として使われ、ほぼ間違いなく、進歩的な政治家や左翼組織幹部の暗殺に使われたことを明らかにした。Yamato Dynasty で書いたように日本の右派指導者は、その時代のアメリカの反共産主義者に対する恐怖と彼らの望みを熟知しており、全力でそして巧妙に答えたのだ。

日本の民主化は後退し、政府は戦犯を復帰させた。特筆すべきは岸信介周辺の人達だ。地下社会のドン、児玉誉士夫が戦時中に貯め込んだ財産で創立し、資金提供した岸の政党、自民党は、アメリカ政府の後押しを力強く受け、無制限でかつ証拠のいらない資金の供給を受け続けた。いったん国家機密で隠されたルートを使って引き出された闇金の数百万ドルが何に使われたかを見届ける必要はない。ルーズベルトとトルーマンのもともとの戦略的な目的がどうであろうが、その基金は開示する事に何の関心もなく、自由に、望むまま使うことの出来る堕落した人々の手に落ちてしまった。共産主義に対して盛り上がった恐怖は、転換期に二つの国が作り出した多くの疑問点を両国の国民に隠してしまった。国家機密を引き合いに出すことによって、将校達は多くの書類を隠し、二十一世紀になっても深い所に置いたまま見ることを禁止してきた。アメリカでこれに抗議する者は「日本たたき」と嘲られるか、もっと最近では「テロリスト」と言われる。日本で明らかにしようとする者は自殺志願者になるだろう。その間、日本と世界の他の国々には新しいお伽話と間違った印象を作り出すプロパガンダであふれていた。

まず最初に、SCAPに支配された新聞社とウォール街でマッカーサー後援者に借りを作った従順なる記者達を通じ、日本は被害者に対して補償も賠償も支払えない貧乏で打ちひしがれた国として描かれた。ワシントン政府は日本が盗んだ大量の財宝の存在を知っていたはずである。本土のあちこちの地下金庫にそれは眠っており、大量の金があることは明らかだった。(現金に換えることができなかったか、金に換えられた盗品絵画や文化遺産について何の話も出ていなかった。)一九五一年に調印した講和条約は今から思えば、日本のエリート達が個人的に略奪した財宝を手放さなくてもよいと言う保証をし、冷戦の中、日本の協力を得るための不誠実な共謀であったように思える。この条約には第十四条が追加され調印されている。

それには「日本は戦争期間の苦痛と被害に対し、連合各国へ賠償金を支払うべきだと認める。しかしながら、日本にはその原資がほとんどないことも又認めるところだ・・・だから日本によって引き起こされた事から起きる、連合国及びその他の国々の賠償請求は全てチャラにしようじゃないか。」とある。この項目で、長い間捕虜や市民強制労働者が、日本の大企業、例えば三井、三菱、住友などで苦役に従事した苦痛と残虐さの補償を受け取れなくする教条になってしまった。今日においても、日本の財閥や政府を保護している国務省と司法省は、被害者によるそのような大企業を訴えるいかなる試みをも防ぐために、必ず一九五一年の講和条約第十四条を引き合いに出してくる

現実にサンタ・ロマーナの回収が明らかになった以上、嘘とごまかしで作られた条約は無効のはずだろう。冷戦最初の数年間、アメリカ政府が枢軸国の戦時略奪金をどの様に使ったかの例は日本だけにある訳ではない。一九四八年(昭・二三)に行われたイタリア選挙はもう一方の例である。戦後のイタリアでは、CIA情報員ジェームズ・ジーサス・アンジェルトンがムッソリーニの軍隊の略奪したエジプト財宝を回収した。この財宝は貧困にあえぐエジプト市民に返されず、イタリア選挙においてアメリカ代理人による反共産主義者への資金融資に使われた。付け加えるなら、情報員は米軍余剰物資の販売で大金を獲得し、その金をイタリアにおける共産主義戦争の中心地、バチカンに投入した。

そしてこの情報員は、選挙中に反共産主義活動用の個人口座からローマ法王へ一億リラを用意した。バチカンが戦時中、裕仁とナチスの財産を隠匿していた事を知った今、これはそんなに驚くほどのことではない

そしてそれはレイ・クラインの言う、回収されたゴールデン・リリィーの金の延べ棒が運ばれた四十二カ国の一つだったのだ。そしてそれは、サンティがいろいろな名前で口座を設けた銀行のひとつでもあった。

一九六〇年、アンジェルトンはしばしばゲシュタボと蔑まれながらもワシントンでCIAの対諜情報員の職員をしていた。彼は自分だけの「非常に機密性が高く決して開示されない不正資金」を持っていた。CIAの諜報予算情報の歴史(実際幾らの隠し基金を使ったか)は今日でも大きな機密のままで、誰が買収され、又、強要され、あるいは何十年がたち、清算したのかどうか、どんな判断ミスをし、どんな馬鹿者が買収に関わっていたのかは決して明らかにできない前提らしい。我々はこの事実が、受取人を、又は資金を不正に使ったアメリカ高官を守ろうとしているのかどうか疑いの目でみている。

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9af899 No.159184

Originally posted at >>>/qresearch/20482530 (270901ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【8】

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>>159183

一九四八年のイタリアにおける選挙操作のような隠れた行動はトルーマンドクトリンとよばれる暗部である。トルーマン大統領は、このようなことは世界的な指導力を持つためのアメリカの義務であると宣言し、冷戦が将来の米国の外交的軍事的な理念に一致することを明らかにした。これは一九四八年以来、アメリカ政府の外交理念の骨格である。同じ様な隠れた米国による仲裁はギリシャでも起こった。英国はギリシャの国庫は空っぽだと指摘し、ギリシャとトルコの役割を止め、地中海の東端までのすべての資金的、軍事的な援助をやめるよう強要したのだ。共産主義が広がる恐怖から、ロンドンはアメリカ政府に真空地帯を引き受けるよう訴えた。ギリシャは市民戦争の真っ只中、トルコは陥落寸前だった。米国務長官ディーン・アチソンは「病気の樽の中にある腐った林檎」とよんだ。(後にドミノ理論とよばれた)トルーマンは両議会の開催を求め、ギリシャとトルコへ四億ドルの援助を要求した。彼は言う、「現時点では殆どどの国家でも、自分達の生き方を二者択一で決めなければならない・・・生き方のひとつは、大多数の意志を基準とするものだ。そこには自由な制度、国民に選ばれた政府、自由な選挙、個人の自由の保障、言論と宗教の自由、政治的圧制からの解放などで特色づけられる。もう一方の選択は、少数の意志を基本にして多数を力づくで威圧することだ。それは恐怖と虐待、支配された言論、固定化した選挙、個人の自由への圧迫、などに頼らなければいけなくなるだろう。」秘密裏にトルーマンは君主国家の政治活動に介入、選挙の買収、法の効力を傷つけ、報道を支配し、暗殺を実行、そして戦争状態にない国にアメリカの勝手を押し付けるため、枢軸国の戦時略奪資金と、他の保証人のない基金の使用を認めた

これらの汚い策略はフランク・ワイズナーによって提出された。彼はアジアにおいて格別に行動の自由を持っていた。CIA長官アレン・ダレスはアジアの事をほとんど何も知らなかった。だから世界のアジア部分を完全に、OSSにおける異端者「中国武者」(カウボーイ)グループなどが所属するワイズナーの政策協同事務所へ、丸投げしてしまった。一九四九年の共産党の勝利で中国を追われた「中国カウボーイ」達は、日本、韓国、そして蒋介石と共に、逃れた台湾で再編成した。ワイズナーは戦後の米国秘密作戦の中ではとても重要な立場にあり、やって来た多くのアメリカ人の中でも特に汚い性格だった。戦時中はOSS と共に、イスタンブール、カイロ、ブタペストで過ごし、ナチスと戦うよりもソビエトとの戦いに興味があった。戦後はドイツに居をかまえ、アメリカがナチスの跡を継ぎ、反ソビエトの五つの柱を作り上げる方策を考え出した。彼の力強い友人、ダレス兄弟、ジョージ・グーナン、アベレール・ハリマン、ジョー、スチュアート・アルソップらはワイズナーの奇抜な考え方、つまり破壊とストライキ、暗殺を使った陰謀を歓迎し、その汚い計略をすすめるようにCIAでの職を与えた。

ワイズナーは、今ではアメリカの代理と同義語であるが、反共産主義だと主張する怪しげな態度の人間ばかりを雇った。彼らがもっと右翼だったら、ナチと日本の戦犯達は金融的援助を受ける資格があっただろう。イワン・トーマスによると、ワイズナーは隠密部隊にマーシャルプランの基金を流用することで資金を融通したそうである。彼は情報員にアメダマを渡し、「全部は使い切れないぞ」「制限はないし、誰も勘定する必要もない。」と言った。この仕事が四年で終わる一九五二年までだけで、ワイズナーは海外に四十七箇所の拠点を作り、三千名近い職員と、それとは別に契約職員三千人を持ち、年間の公式予算は八千四百万ドルになっていた。非公式な予算がどのぐらいなのかは推測するしかない。何故ならばここは秘密の汚い策略の帝国なのだから・・・。

ワイズナーは他に古手のOSSに助けを求めた。ワイズナーよりもっとアジアを良く知っているデスモント・フィッツジェラルドだ。ランスデールは彼らのお気に入り情報員の一人で、ナポレオン・バレンチノに率いられたフィリピンの殺し屋を連れて日本、韓国、台湾、インドネシア、タイ、インドシナで暗黒大陸方式の暗殺を実行していた。ワイズナーとフィッツジェラルドが資金を手にしたにもかかわらず、この隠れた作戦は成功しなかった。ランスディールは慢性的な病気とは決して認めていなかったが、一九六三年に無理やりCIAを引退させられた。と同時に情報員の「気の狂った帽子屋」、ワイズナーも「神経的な病気」にかかり急遽引退した。CIAの情報筋が言うには、「ワイズナーはここ数ヶ月それらしい兆候は見せていた。そして突然に発狂したんだ。」アメリカは多くの闇の作戦で泥沼にはまり込み、CIAの新しい長官や副長官が行ったりきたりしていた。

アンジェルトンがイタリアで干渉していたように、戦後の日本では盗んだ財宝と基金を元にSCAPとCIAが政治活動の基金を設立していた。かなりの部分はサンタ・ロマーナの回収した財宝だった。残りは日本にいた米陸軍第八部隊が発見し回収したもので、延べ棒か、ダイヤそのままか、あるいは貨幣に換えられていた。戦後CIAと密接に繋がっていた東京大学法学部の学生、高橋敏夫によるとマッカーサーこそM資金設立の張本人だったという。

「ジョージ・マーシャルがヨーロッパでやった様に、日本経済を立て直すには、まとまった金額が必要な事はマッカーサーも認めていた。ところが、予算獲得のために議会に行ったマッカーサーは、国家の帳簿には記載されていない莫大な原資を日本皇軍が持っている事に気づいたのさ。日本軍は半世紀近く朝鮮を占領していたし、中国のかなりの部分を長年に占領していた。だから東南アジア、フィリピンなどの地域で生み出した資源を軍が日本へ持ち帰っていたのだ。マッカーサーは日本の経済の再建に使われるべき実際の基金はさておいて・・・しかし、マッカーサーは、例えば政治を動かす目的に一般の監視が十分にできない金が幾らかは必要な事をわかっていた・・・マッカーサーはこの資金を秘密事項にすると決定した。そうすればその一部分を戦後の日本民主化の手助けにし、それに関わる政党や政治家の献金に使う事ができるからね。」

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9af899 No.159185

Originally posted at >>>/qresearch/20482532 (270902ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【8】

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>>159184

日本の著名な記者で、日経からM資金の研究を出版した調査専門の記者、高野孟によると、備蓄してあった没収品のダイヤ、金、銀、他の希少金属の販売、日本にいる米国外交官が行った闇市場での販売で、びっくりするほどの現金が集まったという。他の原資はいくつかの小さな財閥を解体し、実際のところ例としてあげるのだが、法的には特例で大企業へ売り飛ばしたのだ。始まった時のM資金の規模はよく知られていない。しかし幾つかの情報源は二十億ドルと考えている。そしてそれはすぐに膨らんでいった。長い間東京で通信員(駐在員)をしていたロバート・ホワイティングは、「秘密の何十億ドルの不正資金・・・は一九五〇年の日本GNPの十%に近かった。」と言っている。

ホワイティングは我々に語った。「日本政府はもの凄い量の備蓄してあった金、プラチナ、銀、銅を闇市場で売ったんだ・・・彼らは敗戦を見越し、一九四五年の初旬にそれらを隠したんだ。」日本軍が供給した殆どのもの、本土決戦のために備蓄されたものは全て消えてしまった。M資金についての記事は信頼のおける日本の週刊誌、「週刊文春」で一九七九年に公開された。それによると、物資の不正販売で得た莫大な金は高級官僚と政治家の所へ行ったという。雑誌によると日銀に収納されていた八十万カラットのダイヤが、どうしてかわからないが、たった十六万カラットに減っていた。「占領が終わった後ですら、アメリカ側による裏の闇資金への移動は続いていた・・・政治的な陰謀に使うためだ。」

別の源は、地下組織の児玉基金だ。彼は戦時略奪物資を個人用として百三十億ドル貯め込んだと報道されている。これにはトラック二台分のダイヤ、金のバー、プラチナの塊、ラジウム、銅、そして他の重要な資源も含まれている。週刊文春が言うには、児玉はマッカーサー達に気に入れられるため、ラジウムをSCAPに売却したのだそうだ。東京ジャーナルでジョン・キャロルは、「児玉は戦争終結時に皇居内にある皇室地下金庫へ自分の宝物をたっぷりと運び込んだ。」と声明をだした。彼は長い間、殺人や誘拐、麻薬、強請りなどに関わっていたにもかかわらず、裕仁天皇から真の愛国者として思われていた。おそらくゴールデン・リリィーのかなりの部分を彼が生み出したからだろう

それなら、何故日本のギャングの親分が自分の略奪品を皇居の金庫に隠匿することを許されたのかの説明ができるだろう。(訳注、児玉と大森実の対談では、児玉は皇室の金庫の中がからっぽでみっともないので貸してやったのだと語っている。そして、金庫はみかん箱ひとつしかなかったと語った。まさか?)

そして、それは麻薬を含めるといっそう強くなる。一九四五年の春、児玉は台湾へ出張しヘロイン、モルヒネの残った在庫と共に多くのヘロイン設備を分解し日本へ戻すところを監視した。帰国した彼は戦後の占領時代、しばらくの間首相を務めた裕仁の叔父、東久邇の特別顧問に任命された。児玉自身の記憶によれば、降伏後、しばらくして東久邇は、「内閣の大臣には知られないよう、二~三人の米国顧問官と秘密の接触を持ち、横浜でマッカーサーを訪れている。」児玉がこの会合で何を話し合ったのか、殿下と同行したのかどうか、いずれも明らかにしていない。児玉は戦犯として二年間を巣鴨で過ごした。しかし一九四八年中頃、ウィロビーと取引し、CIAに一億ドルを提供するや魔法の様に巣鴨から解放された。(今日の価値ならば十億ドルだ。)この支払いにより、児玉は刑務所からの自由を獲得し、戦犯としてのすべての訴追からも解放されたのだった。この金はアメリカ大使館のCIAが支配する秘密の不正基金のひとつになった。後に彼の名前はCIAの従業員名簿にのり、一九八四年に亡くなるまでそこに名前は存在していた。ニューヨクタイムズのタッド・ツルクは「児玉はCIAに関係する仕事をしていた。」と書き、シャルマール・ジョンソンは「児玉はたぶんCIAの日本財務長官だったんだ。」と言った。米政府の文字どおり従業員だった児玉は、戦後日本の麻薬密売を監視し続け、ヘロイン工場を台湾ばかりか北方中国、満州、朝鮮からも引き上げてきた。日本と製造、販売で協力してきた中国人は聖域が与えられ、日本の農場で生産を始めた。アジアでの三大麻薬王のうち二人はまもなく死ぬ。愛国者、「載李(タイリー)」は一九四六年飛行機事故で暗殺された。上海の大親分、杜月笙(ツー・エンシェン)も一九五一年、香港で天寿をまっとうした。

児玉は米国の雇員であるうちはアジアの麻薬王として残った。彼が日本における麻薬の支配者だったことは広く知られており明白なのだが、これはまたやっかいな問題になり得た。しかし、冷戦が突然終わり、事態は北極の白夜のように明るいものとなってきた。占領中、米国のプロパガンダ(悪徳広報)はアジアの薬物売買は左翼と共産主義者の仕業だとまくしたてた。本当のところ日本の児玉と、国民党麻薬軍団を通じ蒋総統に支配されていた黄金の三角地帯が拠点だった。その麻薬部隊は総統の息子、国民党軍情報司令官、蒋経国の直接支配下にあった。(黄金の三角地帯の麻薬軍事指導者は二人の将軍、つまりツアンと李がいたと率直に語ってくれた。)日本に関してリチャード・フィルマン教授は、一九九三年のパシフィックレビューで次の様に書いている。「占領軍はもちろん日本の犯罪組織もだが、戦時中に日本政府が生産した麻薬や・・・その備品を接収し・・・日本の国民に麻薬を広めるため、SCAP の将校から医薬品を配給するよう請け負ったアメリカ兵や中国、韓国、台湾の仲介人へそれを一緒に横流しすることで闇市場へのせる方法を見つけたんだ。山口組と稲川会のヤクザは、日本を拠点とする韓国ヤクザとの指導者とのつながりを密にし、台湾、韓国、中国の古い犯罪組織を締め付けながら、南朝鮮と日本の間に国境を越えた製造、販売の垂直総合組織を発展させたのだ。」

この強烈な汚職と巧妙な嘘で、アメリカが日本に設立した政治活動基金が方向転換することは避けられなかった。しかし、汚職、ごまかし、道徳の欠如は日本人のみを責めるわけにはいかない。アメリカ人はこの基金の方向転換に関わっており、その悪用から利益を得て、今も色々な方法でそれは続いている。占領期間中に、アメリカ人将校は三つの不正資金を支配していた。即ち、M資金、四谷基金、キーナン基金だ。高野孟によると、M資金はSCAPの経済、科学部門の長であるウィリアム・フレデリック・マークァットにちなんで名付けられた。理論的に言うとマークァットは戦争の不当利得を貯め込んでいた。日本を罰し、日本経済を立て直す計画の長であった。ところが、現実にマークァットの公的業務の悩みは天皇家がほとんどを占めた。つまり、天皇家のいかがわしい利益をどのように隠すかであった。歴史家のジョン・ドウワーは次の様に説明した。「マークァットは財閥企業の解体、経済非集中化の推進、金融、経済のすべてを監視することですら何の責任もないようにみせかけている。主要国の財務、経済機構は、彼の部門のことを財務省であり通産省であり日本銀行をも包括していると報じている。」

マークァットについてはあまり書かれていないが、普段は煙草好きの気の優しい男で仕事人間ではないと描かれている。これにはびっくりした。彼は、ウィルロビーとホィットニーと同じくマッカーサーの身内派閥の一員で、バターン仲間だった。彼のもっぱらの売りは不滅の忠誠心だ。

ジョン・ガンサーは「マークァットは自分の赴任した地域の状況にはほとんど注意を払わず、ある時、私は経済問題の重要な会議で彼の主席補佐をやったが、こう言ったんだ。「なんてひどい経済なんだ、どうすりゃいい?」、てね。」

マークァットは、戦争に資金を出し、それによって潤った銀行と財閥を解散させると思われていた。ほんのささいな化粧直しといくつかの財閥を破産させ、売却をさせたものの、戦争で儲けた大企業にはなんのとがめもなくリストから除いてしまった。彼は又、日本の生物化学兵器部隊七三一部隊の起訴と処罰を見送った。その代わり、米政府は秘密裏に七三一部隊を吸収し、殆どの科学者と文書をメリーランド郊外のフォート・デトリックへ移送した。その活動についての全情報、生物兵器の残虐行為、生体実験の恐ろしい記録はワシントンにより、アメリカ国民にも日本国民にも、そして東京裁判からも隠匿された。アメリカ政府が握った七三一部隊の記録はいまでも極秘のままだ。(訳注、ご存知だろうか、エイズを生み出したのがこのフォート・デトリックである事を。そして、薬害エイズで有名なミドリ十字の役員は731部隊の生き残りであることを。)

マークワットが日本をより民主的にすると思われている時、彼は逆の事をしていた。M資金は、反共産主義が強固な右翼に近い日本政治家を選挙で勝たせるための買収資金として生み出された。日本はアジアで最も工業化された国だ。アメリカ政府は日本を共産主義に対して、労働組合も左翼組織も革命も必要ないほど豊かな砦にしようとしていた。これは、ルーズベルトが共産主義者だと考えるアメリカ保守層の見方であり、英国はドイツ、日本と協調しソ連との戦争を避けるべきだと信じた。日本を改善しようとするこの考えと計画は、尻すぼみになるか、又は無理な話だった。(大きな例外は農地改革だ。これは中止されるまでは完全に成功していた。)M資金の初めての適用は一九四〇年代末、社会主義政権が突然、日本の選挙に勝った時だった。SCAPは社会主義の成長に驚き、衝撃を受けた。すぐに巨額な資金が投入され、社会主義政権の評判を悪くし、ワシントンとの連携がスムーズにいくような政権と置き換える運動を開始した。

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9af899 No.159186

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>>159185

後に日本が中華人民共和国との関係を考え始めたとき、再び日本を右側に戻すため、巨額の資金が投入された。吉田茂が首相になった時、吉田は信用でき、保守であるし、とても裕福だったので、アメリカ政府の緊張は緩んだ。吉田が首相だった時、M資金は吉田基金とよばれた。彼が首相をやめた後、M資金の名で再開した。(一九八七年の対談でホワイトハウス国家安全顧問のリチャード・アレンは、「私の生涯の中で、吉田基金のことは聴いたことがある、それはすべてM資金のことだと考えている。」)M資金と大変異なっていたのは四谷基金だった。これは日本の地下組織を操り導くためで、汚れた仕事、強奪、誘拐、殺人に対する資金だ。マッカーサーの愛する独裁者でSCAP―G2の長官だったウィロビー将軍は、四谷基金を支配し、児玉とヤクザ軍団に精力的に働きかけ、占領中の左翼活動や市民の抗議行動を抑圧した。民主主義の概念は意見の相違に寛大なので、日本の支配者エリート達は「西洋からの有害な考え方。」とみていた。日本ではささいな異論でさえ許されないのだ。アメリカがマッカーシー旋風の時代、意見の相違を抑圧することは反共産主義と同義となった。(一九五〇~五四年上院で共産党狩りが行われた。)しかし、この時期における日本の魔女狩りはもっと厳しく、いまいましいものだった。ウィロビーはG2の長官であったが、その仕事の後半、情報収集や反スパイ活動というよりむしろ汚い策略に関わっていた。別の仕事の中、彼の四谷基金は、北朝鮮、共産中国、ソ連東部へスパイを送り込む韓国連絡事務所に融資された。

ウィロビーが自分の地下基金の名前にした四谷地区というのは、戦後の数年間、ギャングや売春婦、ドヤ街の親分達などの堕落したみすぼらしい人間が住む闇市の中継地で、非合法の賭博や売春宿が盛んな眠らない街だった。(今日の四谷は変わり、大学生や企業の重役が常連となるような飲み屋街として有名になっている。)アメリカ人のテッド・ルーインや児玉の仲間によって運営されていたマンダリンクラブの様な賭博場や売春宿など、戦後の悪事からのリベートは、日本でウィロビーの汚く陰湿な作戦を実施していたキャノン機関に融通された。米軍大佐J・Yキャノンのために名付けられたこの機関は、殺人請負会社の軍隊版で「死の部隊」だった。ジャック・キャノンは学生運動のリーダー、改革派、左翼主義者、社会主義者、労働組合主催者、学者、記者、邪悪なものは誰であろうが、たたき出し、そして殺した。キャノンは韓国での児玉の代理人、朝鮮民族派ヤクザ、東声会の親分、町井久之(マチイ・ヒサユキ)と親しくしていた。キャノンは最初、米軍の防諜機関CIC で働いていた。ウィロビーの通訳に雇われていた二世は、キャノンの金庫を吹き飛ばす手伝いをしたことがあるとか、いつも映画にでてくるギャングのように振舞っていたと思い出を語った。キャノン機関が設立されると、彼は殆どのアメリカ人でも血が凍ってしまうような人間になっていった。彼は有名な左翼作家、梶わたる誘拐の黒幕であったと考えられている。

又、日本国有鉄道総裁、下山の拷問、切断、殺人は彼の仕業だ。下山の死体は線路にそってばらまかれ発見された。キャノンは又、ウィロビーと戦犯で起訴されている児玉や辻正信大佐の様な人間とのつながりを調査していた英国、米国の外交官や将校を殺すために飛行機爆破を試みたと疑われている。仕事があまりにも陰湿で汚いものだったので、アメリカ政府から完全に切り離されねばならなくなり、ウィロビーはキャノンを避け、KATOH と呼ばれる殺人部隊を紹介した。それは金の為に人殺しをする五人の日本人将校の頭文字である。より混乱させる事になったのは確かなのだが、ウィロビーは同時代の米軍人からは無能で、偏執狂で、先天的に判断ミスをごまかすため追い詰められていたと判断されている。ウィロビーの活動に関わる文書は、半世紀たってもまだ米政府によってほとんど隠されたままだ。おそらく彼の救世主的な活動の中にはもっと混乱する情報があると思われる。一方、キーナン基金は正反対で文民に支配されていた。ジョセフ・キーナン、彼は別の方面で?マッカーサーと親しい東京裁判の主任検事だった。以前は司法省刑事部局長を務めていた。そこでは「ギャング退治」と大酒のみの評判を獲得していた。彼の東京裁判主任検事への指令は適していたとは思えない。アジアの事を何も知らないし、新聞の表面しかみていないと非難を浴びた。トルーマン大統領は彼が嫌いで、ワシントンから放り出したかったのだ。だからこの仕事を最終的にキーナンがすることになった。キーナンの日本での補佐役には、田中隆吉以上最適な者はいなかった。満州で土肥原の親友だった雄牛のような大陸浪人、溥儀の若い妻エリザベスを冷酷に扱ったあの男だ。田中は土肥原と一緒に一九三〇~四〇年代にかけて上海で秘密作戦を行っていた。土肥原と同じく、多くの要人殺人にも関わってきた。そんな彼を、戦後の東京で戦犯法廷におけるアメリカ主任検事の助手に据えるなんて最高に悪い冗談だ。キーナンの酒癖と女癖が悪いという噂は東京にいる(もちろんワシントンにも)報道陣には周知のことであった。田中はキーナンに付き添い小料理屋や売春宿をめぐり、その行動日誌を提出することで無事に(戦犯にならずに)家に帰ることができた。拡大する事を指示されたM資金、四谷基金とは違い、キーナン基金は狭く具体的な役割で使われた。つまり戦争裁判の目撃者の買収、偽証させる説得の仲介人に対して使われたのだ。

マニラの山下や本間はすぐに罰せられたが、東京での戦犯法廷は、三年間も引き伸ばされ、裏では汚い取引が横行していた。法廷は日本の残虐な侵略戦争を、東条と他の軍指導者や文民指導者を裁く事で終了した。国際的な委員会と名乗ってはいたが、全体の運営はもっぱらマッカーサーの身内で行われた。法廷で宣言された綱領の中でマッカーサーは広い権力を与えられ、裁判は彼一人が独占的な権威を維持していた。最終的にマッカーサーとキーナンが書き上げた宣言文には、「法廷は証拠だけにこだわるべきではない。」と述べられている。そのおかげでマッカーサーの部下達は、被告達と自由に接見し、望むままに偽証させ、証拠を隠滅することもできた。金は身代わりになる者の家族の面倒を見るためにこっそりと渡された。私達がYamato Dynasty で証明したように、マッカーサーの軍書記官准将ボナフェラーズの私信で、彼が個人的に目撃者を偽証させ、証拠に手を加え裕仁天皇が法廷に出廷しなくても良い様にさせた事を明らかにした。一九四六年一月二五日、マッカーサーは陸軍長官ドワイト・アイゼンハワーへ暗号電報を送りSCAPの行う取調べで裕仁に対するいかなる犯罪訴追も支持できないと言っている。「日本国のこの十年間の各段階での政治的な決断の中で、間違いなく天皇が関係しただろうという具体的で明白な証拠はないのだ。」バージニア州・ノースホークのマッカーサー記念館の中で、我々はある文書を見つけた。それによりマッカーサーとボナ・フェラーズは前大統領ハーバート・フーバーらと共謀し、裕仁があらゆる罪から免れる保証として、東条大将にパールハーバー攻撃の全ての責任を負わせる証言をさせた事が明らかになった。米内海軍大将ら仲介者は、東条との交渉や偽証の確約を取るため多額の賄賂をキーナン基金から受け取った。フェラーズ将軍の手紙には、米内との会合で偽証を作り上げたと得意げに書かれてある。(付け加えると米内大将は裏の提督、児玉直属の上官だった。)多くの鍵を持ちながらも偽証を拒否した者達は、手荒く殺されるか、回りから白い目で見られるようになった。

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9af899 No.159187

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>>159186

裕仁の側近で一時は首相も勤め、早期和平を模索するよう裕仁と話そうとしていた数少ない政治家、近衛公を、フェラーズとマッカーサーはひどく嫌っていた。フェローズは彼のことを「あいつは自分の主人を最大の戦犯だと言い、自分が助かりたい為に人を売るようなネズミだ。」、と非難した。近衛はマッカーサー達にバツ印を付けられ、陰口、中傷、そして有罪にされるかもしれないという暗示で絶望的に追い詰められていった。例えば、彼の名前が戦犯リストに加えられたとか、すぐにでも検挙され、投獄、処刑されるという偽情報が伝えられた。一九四五年十二月十六日、近衛は回りから白い目で見られている状況の中、自宅で死んでいるのが発見された。殆どの情報筋は、彼が法廷に出る恥辱に耐えられなくて自殺したのだろうと言うが、戦後初めての自殺幇助の一例だったことは間違いない。学者のメイリンやスージー・ハリーズら多くの者は近衛が殺されたのだと信じている。なぜかというと、マッカーサーは裕仁を赦免しようと狙っていると懸念を表明していたからだ。都合よく公判が始まる前に死んだ二人の重要な参考人は朝香宮の部下だった。彼らは南京虐殺で朝香宮の身近にいて全てを知っていた。一九四五年の末、この二人は突然の心臓病で死んだ。キーナン基金は又、生物化学兵器計画の証言や、皇室の行ったゴールデン・リリィーの莫大な財宝略奪の口止めに使われた。アメリカ政府や他の連合国政府は日本の収容キャンプから捕虜を解放する時に威嚇をしたことはわかっている。彼らは帰国する前に、戦時中の略奪について、或いは七三一部隊が生物化学兵器を実験したことなど、知っている事を決して喋らないよう秘密の誓約書に署名させられた。日本の医療実験の被害者達ですらこの誓約書を提出させられている。当時、彼らは沈黙している事が愛国者としての義務だと聞かされていた。今はもうよく分ったと思う。自分達は来るべき冷戦にそなえ、正義よりも権力者のままでいたかった自分達の政府の犠牲者だったことを・・・。ウィロビーは又、太平洋戦争における日本軍の歴史を偽造する仕事を担当した。アメリカが冷戦兵士を必要としている事を正当化するためにだ。日本側でウィロビーの歴史改竄の協力者には、悪名高き児玉や辻達の戦犯も入っていた。(辻はシンガポールやマラヤでの華人虐殺を立案した。)

彼らが準備した歴史論文はまず日本語で作成され、ウィロビーのATISの二世達によって翻訳された。その論文では、少しでも機密を要するものはすべて取り除かれていた。修正を経て米政府は、「日本の研究と第二次大戦に於ける日本の教訓」というタイトルで出版した。驚く事ではないが、各章には大きな矛盾を含んでいた。正式な前書きには、「元々の命令や計画、部隊日誌などが少なかったことが編集する上で最も困難なことだった・・・・しかし重要な命令、計画、見通しの多くは記憶から復元し・・・それらは概ね正確で信頼できるものと信じられる。」と言明している。公式なフィリピン戦史の著者、ルイス・モートンによれば、第二次大戦中の太平洋とアジア作戦の日本報告書は、ウィロビーの事務所から任命され

た最高に重要な一人の日本人の情報が用意したものだったそうだ。ウィロビーは児玉に、新しい依頼人に気に入られるような回顧録を書くようすすめた。英語版のタイトルは驚くなかれ「I was Defeated、私は敗れた。」、それは一九五一年にCIAの所有会社、アジア出版から出版された。目次には出版人ハーベイ福田、彼が編集長をし、会計としてロバート・ブースになっている。一九五二年には、同じ版元から辻大佐の回顧録の英語版が出されている。

この男は誰?そう読者は思い出すだろう。彼は英国の諜報部から残虐行為を追及されていた男だ。彼が戦後、連合国から隠れ、タイや中国で数年間を過ごしたと主張したという偽の話はあるものの、実際のところは児玉と同じく、彼もウィロビーとCIAに雇われていた。(訳注、この辻大佐についての記事はかなり重要だ。各種の本によっても辻大佐は謎に包まれている。)

これらの回顧録を出版した目的は、戦争責任を本来の策士からそらすためで、戦後日本の政治的履歴を整える事ができたのである。児玉の回顧録は戦争責任の大半を、彼が狂信的な戦争好きの怪物と描いた陸・海軍の最高幹部に押し付けることになり、その大半は死刑となった。誰もかもが無力の人質だったのだ。児玉は自分の豊かな懐から気前よく資金を用意し、ゆくゆくは合併し自由民主党となる二つの極右政党の党首に提供した。彼の回顧録で表明している政治的な見解は、アメリカの事情聴取に備えたもので、「私はこの国において、反共産主義に多大な影響力をもっている保守勢力が戦争共謀者といわれ、その殆どが追放されていることが最も懸念するところであります。これは正に共産党の望むそのものでありまして・・・占領軍の指令で行われる追放のもっぱらの趣旨は、侵略戦争を遂行するにあたっての積極的な共謀者の除去であるべきではないでしょうか。」、児玉は自分がその種の一員に含まれるとは考えてもいなかったようだ。児玉によると、日本で贈賄行為の対象になったのは左翼だけだったという。

当時、社会党の指導者は蔓延している買収の議会追及を要求していた。頭にきた児玉は、それは「鍵穴から風呂場を覗き込むほど」無礼で、社会党に対して、「権力を保持したいなら恥知らずな不正手段」を使う事はダメだと表明した。

三十年に渡り児玉は、ATIS から派遣された二世の通訳で、児玉と辻の本の出版にも携わったハーベイ・福田と密接に仕事をしたソルトレイクシティに生まれた福田は反日宣伝のプロパガンダを流す戦時放送に従事していた。東京では児玉の常駐書記、通訳、秘書、広報担当としてウィロビーから任命されていた。二人の共謀はとてもうまくいき、福田はCIA所有の広報部門、ジャパンPRと呼ばれる会社を所有し、児玉もその会社の出資者として潤った。児玉は英語が話せないので、福田は児玉の取引のすべてを通訳した。アメリカがタングステンの欠乏で困窮した時、児玉は中国から略奪したタングステンのいくらかを売るように依頼された。その取引は米外交官、アーゲン・ドゥーマンと交渉したと福田は公表している。(訳注:児玉は大森実との対談で、軍票で正式に中国から買ったもので略奪ではないと主張している。上海の中国人商人はあらゆる物資を調達でき、しかもその後ろには米英の兵器商人がいるのだという。石油、鉄、銅、何でも調達できた。それが本来、一年しかもたないはずの日本が五年も戦った原因だった。彼は、軍票で買ったものがすべて略奪だったと言われた、と述べている。)

一九五〇年後半、児玉とロッキード航空との初会合を実現させたのは、ハーベイ・福田である。そこで児玉は日本政府の高官にロッキード機の購入を促すために、賄賂を注ぎ込むことに合意した。一九七〇年代半ば、現金

の運び屋としての児玉の役割が明るみにでて、巨大なスキャンダルとなり、アメリカ高官と実業界の大物が贈賄で罰せられた。どうして最も権力を持った犯罪者の首領をトルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、フォード、カーター、レーガンは連邦の従業員として雇い続けたのだろう。そして又、何故、CIA長官として働いていたジョージ・H・W・ブッシュはそれを開示してしまったのだろう。答えは簡単だ。児玉は日本で最も熱狂的な反共産主義者でもあったからだ。鍼灸師のように彼はどこに針をうち、どのツボを押さえればいいのかのすべてを十分に心得ていた。ロシアや共産中国の脅威に煽られて不安を感じていたワシントン政府は、アジアの地下社会に親しんでいた児玉の知識を利用するために彼を効果的なフィクサーに仕立てあげた。一九四九年、モスクワは初めての核実験を行い、同年十月には中華人民共和国が誕生した。そして八ヵ月後の一九五〇年六月、朝鮮戦争が勃発した。戦争開始直前、児玉はジョン・フォスター・ダレスと同席し、ソウルで話し合った。ダレスの派閥には日本の朝鮮ヤクザの首領で児玉が応援している町井久之も含まれていた。Freedom of Information、情報公開の下で児玉と町井がダレスとの旅行中に何をしたかを知ろうと努力したが壁にぶつかってしまった。

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9af899 No.159188

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>>159187

マッカーサー記念館の書庫の中に、児玉がマッカーサーへ送った手紙を発見した。そこには朝鮮でアメリカ兵と一緒に戦うため、数千人のヤクザと、旧日本陸軍兵士の用意を申し出ていた。韓国や日本の情報筋によると、その申し出は受理され、彼らは韓国兵のふりをして半島にいた国連軍に合流したという。この分裂状態の中で日本の講和条約は極秘の中で進められ、大幅に短縮され、一九五一年四月にサンフランシスコで調印された。条約が国務大臣、ディーン・アチソンにより作られうちに、細かい条項を吉田茂総理の幹部、大蔵大臣で特別顧問の宮沢喜一を含む三人の日本人と共和党の特別交渉役ジョン・フォスター・ダレスが話し合って秘密裏に解決していった。児玉も又、問題を話し合ったダレスの秘話を把握していた。多くの国が賠償金の請求をしていたが、アチソンは、「日本は賠償金を支払う事が出来ない。」、という事を他の調印国にはっきりさせると言った。同盟国が意見を寄せ合って条約文書を作ったように見えるが、ダレスが交渉し、書き上げ勝手に締結したもので、同意された根拠は今日でも謎のままだ。数年後、アチソンは回顧録の中で「賠償交渉に答えるためには・・・当時冷酷な数字で決断することを求められていた。」、と認めている。しかし、それは明らかに嘘が含まれている。日本は破産状態で賠償金を払えないとアチソンは断言した。しかし私達は知っている、それは真っ赤な嘘だということを・・・。国土は荒廃していると言うプロパガンダにもかかわらず、占領後すぐに日本を旅した欧米人は、インフラ、工場、公共施設、鉄道は殆ど無傷なことに驚くだろう。アメリカの爆撃の選択能力に感謝するべきだ。焼夷弾は数万軒の一般市民のマッチ箱のような家屋を破壊した。東京を荒廃した町のように見せてはいるが、ほとんどの豪邸、工場、重要なインフラ設備は不思議な事に助けられたようにみえる。ジョン・ドウワーは書いている、「貧乏人住宅地のほとんどと、商店、都心部の工場は全焼している。・・しかし洒落た地域の裕福な人たちの邸宅はたくさん残っているじゃないか。東京の金融街は全然被害を受けてはいない。戦争終了時に帝国軍官僚の多くが住んでいた建物も無事だった。鉄道は田舎へ抜け出す程度の機能はまだあったよ。米軍の爆撃に対する考え方は・・・階級差別があったと主張しているようにみえるね。」この内容は、一般には公表されていない

SCAPの検閲官は新聞とニュース映画で荒廃しボロボロになった国土だけをみせる様、念を入れていた。大きな金額の財産は占領前に素早く名義変更された。連合国が最初の一歩を日本に踏み出す前の二週間で、東京の政府はすべての方面の金を放出した。一九七〇年代の日本人報道記者が発見した記録は、政府が兵器産業へ三千億円(当時の)近くを支払い、備蓄された物資を財閥企業へ渡した。そして降伏した後の四ヶ月で、これらの複合企業体は、戦争利益の三〇%を獲得したと明らかにした。(週刊文春、一九七九年、十月四日、二五日、十一月一日、M資金の真実)

目立った軍事製造会社には支払いがされた。すべての物資の新たな契約は調印され、前もって支払われた、しかし、そのほとんどは実行されなかった。例えば、後に首相になる田中角栄はピストンリングの工場を韓国へ移転するために数百万ドル受取り、仕事は全く完了していない事が知られている。当時まだ小物だった田中も、要職にある個人が銀行から引き出し、財産を隠匿するための「破れかぶれの配給」に参加する事を政府から認められていた。田中は軍票で受け取った。しかし田中は、すぐに韓国へ飛べば、朝鮮の日本銀行で金の延べ棒に換えてもらえると聞いた、彼はその通りに行動し、金をもらって海軍の軍船で帰国した。連合国が到着しても、彼らは鼻先で行われていることに実際は興味がなかった事は明らかで、日本政府の金(カネ)の流出は継続していた。

ドゥワーはこの三億トンに近い物資がどんなものかを説明した。ダイヤ、金、銀、鉄鋼、ゴム、薬品、油、塩、麻薬、チタン、価値は、米ドル一九四五年換算で二百億ドル、現在の価値では二千億ドル(二五兆円)であると言った。連合軍自体も備蓄品の中から日本政府へ一千億円を譲っている。例えば、衣料、食料、医薬品を一般市民への配給品として。物資が闇市場に消えたかわりにギャング達は一財産をこさえた。アヘン、ヘロイン、モルヒネの在庫は医薬品の中へ消えていった。ドゥワーは、「終戦時、銀行の個人口座には二六四〇億円があった。その殆どは早々と闇市の取引で消えてしまったようだ。」と記している。それらの図式にはゴールデン・リリィーの略奪品やヘロイン取引の儲けは入っていないが、それでも今日の価値にして、一年に三十億ドルもあった。(三六〇〇億円)ドゥワーはついでに、「敗戦からのめざましい復興の中で、高い地位にいたたくさんの人達は自分達の利益をまったく失っていないんだ。むしろ、軍事備蓄品や民衆のための物資を略奪し、貧乏人にかわってかき集めたようだ。」と付け加えた。占領中、日本の一般市民は十分に稼ぐ事と、毎日の食料を調達することの二つの仕事が重要だった。同じ頃、裕仁は、自分のスイス銀行口座において、利息だけで年五千万ドルを稼いでいた。ワシントン政府は、世界に向かって、日本は破産し、産業は破壊された、日本政府が被害者に賠償金を払う事は不可能だと繰り返し語っていた。冷戦は大戦中の市民被害者、又は戦死したかはともかく、死んだ者へのお詫びの気持ちを捨てさせるきっかけにはなった。しかし、残酷な目にあったり、奴隷の扱いを受けた人達はまだ生き残っているのだ。強制労働者を最も熱心に使ったのは、日本の財閥企業で、特に三井、三菱、住友だった。十万人以上の連合軍捕虜や抑留者が強制労働者にさせられ、日本中の鉱山、鉄鋼所、建築現場、工場の悪い環境で使われた。多くは亡くなり、ある者は不具者となり、何も補償されなかった。日本の支配者層は戦時中の財閥とは何の関わりもないと今も言っているが、戦後まったく解体されていないではないか。日本が植民地政策を拡大した一八九五年~一九四五年の間に、財閥が蓄積した資本はアメリカ占領時にも無償のまま残った。

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9af899 No.159189

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>>159188

ドゥワーは言う、「戦争の指導者がそのまま支配者として君臨し、自分達が戦時中にやってきた行為を自分達自身でごまかしたのさ。」不思議な事に、米国占領公式記録には、最も機密性の高い日本の金の備蓄、略奪した絵画、文化遺産、宗教的な像、宝石、祖先からの家財の帳簿、十二カ国の金庫から盗んだ物や地下埋葬所、皇帝の墓から盗んだ明細はどこにも載っていない。もしも隠された情報が公開されれば、一九五一年の講和条約や、ジョン・フォスター・ダレスによって作成された秘密交渉は大衆の笑いものになるだろう。これらの交渉中、ダレスは連合国に対し素知らぬ顔でごまかしていた。英国が提出した第一回目の試案の三九条には、「日本は三年のうちに貨幣準備金で六千万ポンドの賠償をするべきだ。」とあった。(この金(Gold)は自らの通貨を保護するため、あるいは外国の物資を買うために国家が中央銀行に置いてあるものだ。)

又、その五三条の提案には、「日本が略奪したり、不法に移転した貨幣用の準備金すべてを連合国に返還するべきだ。」とある。略奪の合計額は具体的に文書に書かれたのではなく、声明のなかで日本が東アジア英国領とはまったく違ったところで大量の略奪をしたと断言している。三九条、五三条どちらも「貨幣用でない金」については何もふれていない。(つまり、それらの国の博物館や個人的な宗教上の特注品から盗んだ金、宝石、小さな金のバー、絵画、仏像などを秘かに手に入れたもの)英財務省は、ワシントン政府の日本の金庫は空っぽだったという話に唖然としてしまった。金についての考察は次のように取り上げている。「我々は日本から入る準「 備金への金(ゴールド) の」 賠償が我々の財政を安定するための重要な要点のひとつと考える。」しかしながら、ダレスが反撃する好機を得た後の翌月、一九五一年四月、英国外務省は、「日本に金(ゴールド)をそのまま残すことを米国と同意するよう我々が態度を修正しなければならない理由」を求めた。そして「我々は日本から金(ゴールド)を持ち去ることができるとしても、(これについて同意はまったくないが)現実的な目的として我々がその分け前にあずかる可能性がないことは今では明らかではないか。」英国の強国としての地位はアメリカの圧力のもとで、地に落ちてしまった。公式な英国の記録に、米国とSCAP の見解として、「金(ゴールド)は日本の一般人の安定を救うため、外国との物資調達の補償分として日本に残すべきだ。」と述べていると続けてある。英国も最後には屈服して、「我々は条約の中で金については触れないことで合意に達した。」と述べた。

他の連合国もそれにならった。英国は日本の戦後経済における本当の姿に騙されていたのだろうか?そんなことはあるまい。起きてしまった略奪を知らないどころか、財宝がどうなったのかも知っているはずだ。CIA上層部からの情報で、「ブラック・イーグル信託」を設立するにあたり、英国最大の資本家が参加した事を我々は知っている。この本に伴って作ったCDに載せた大量の文書には、サンタ・ロマーナが発掘した金の延べ棒が、最後にはロンドン・シティの金取引所と英国財務省に入ったことを明らかにしている。ランスデールとサンタ・ロマーナが発掘した金を運び出した時、金の移動に伴う銀行の書類や損害保険証書で、英国の商用銀行の口座に大量のゴールドが置かれたことを証明した。

それ故、英国もいろいろな手段で「ブラック・イーグル信託」から利益を得ていたのだ。最終的な講和条約の表現では、将来において個人が個別に賠償を請求するようないかなる取り組みも禁止しようとした。それは十四条で繰り返し表現してある。戦争中に傷つけられたり、被害にあった連合国列強に対し賠償を支払うべきだという認識はある。但し日本にその原資が存在しないことも又認識されている。条約はアメリカ大使、ジョゼフ・グルーのようなほんの限られた実業家と外交員に提出された。彼らはパール・ハーバーの後、没収されていた個人的な所有地や財産を回復することができた。もし、厳しい期限のうちに応募者は所有者の資格を取れない場合、日本は財産を取り上げたままになっている。

殆どの人にこの条項は知らされなかったので、とても多くの財産が所有権の主張がないまま日本政府のものになり、後日素晴らしい利益を生み出し、自由民主党を支える堕落した政治家がそれを利用した。条約では次のように宣言されている。「現在の条約で決められたものと異なると考えられるもので、列強が主張している全ての賠償、日本軍の行動を原因とする列強各国の要求、国家的な刑事訴追の道、占領するに要した直接的な費用などは放棄する。」

英国外務省の文書によれば、「カナダ当局自身は賠償の条約については市民の利益を補償すべく作られるべきものと考えていた。実際のところワシントンに疑問が沸いてくる・・・略・・しかし、会談の席で抵抗する人もそこを追及しなかった。」

結果、外務省は記している。「もし条約十六条を市民にまで広げると、要求する人数があまりにも増大し、一人当たりの金額は馬鹿馬鹿しいものになるだろう。だから入れ物を掃除するため、アメリカ政府は不当にも慰安婦、アジアの強制労働者、連合国捕虜への門戸を閉ざしてしまった。」最初は日本軍に、そして次にサンフランシスコ条約で被害にあった七〇万人の慰安婦は今も生きている。ワシントンが正当な市民を放り出した事実はさておき、日本が将来まとまった金額を各国に支払うと約束した条約二六条には抜け穴があった。条約に調印した国に同様の補償を求める新しい主張を訴える権利が与えられた。結局日本は、ビルマやオランダ、スイスなどの他の国々へは別個に補償を行った。だから理論的に言うと、すべての日本の被害者は再交渉できるのだ。

現在カリフォルニアで進められているように、法律の門が開かれるべきだ。一九五一年の講和条約は嘘と欺瞞をもとにしているため根拠が薄いことは明らかなのに、米、英政府ともに一九四五年以来、日本による被害者になされた不法を正す全ての努力を全力で防止してきた。今日まで、国務省、司法省、日本外務省は一九五一年の講和条約を引き合いにだし、被害者が賠償を求めるいかなる試みも防ぎ、長い間否定してきた。二〇〇〇年、ドイツ政府と経済界は、ついにナチス強制労組者への賠償金五十億ドルを提供する事を認めた。大統領ビル・クリントンは「正義のために五十年待っていた不幸なナチス強制労働者にとって重要な日である。」と述べた。その数ヶ月前、クリントンの使者トーマス・フォリィーが日本に来て、日本人による被害者の要求に対してきっぱりと拒絶した。フォリィーは「講和条約は日本に対する全ての要求を片付けている。」、と述べた。日本の外務大臣もそろって、「五十年も前に決まったことをどうして持ち出すのかまったく驚きですね。第二次大戦からのすべての要求、日本が起した行動から持ち上がった米国やその国民からの要求も含め、すべては既に解決しとりますけん。」と述べた。今、日本での興味深い事は、大使フォリィーの妻は住友のコンサルタントでしっかりと稼いでいる、住友こそ、あの強制労働訴訟の一番の焦点じゃないか。被害者からの正義の訴えに対するフォーリィの拒絶は、彼の主席補佐官、クリストファー・J・ラフローワーが繰り返す事で強化された。なぜだめなのか?彼は宮沢喜一の義理の息子で、宮沢は講和条約でジョン・フォスター・ダレスと秘密交渉を行った日本人の一人なのだ。条約は日本人による被害者にいかなる形でも賠償させない形で作られた。それ以来宮沢は、自民党の大物に居座り、金融関係最高責任者であり、M資金と一心同体となった。

訳者より。この章の翻訳も大変に疲れた。M資金でこれほど詳しく解説してあるものは今までにお目にかかっていない。しかし、週刊文春がそこまで追求していた事を知らなかった。さっそく文春に問い合わせ、現物をたのんでみる事にしよう。それにしても、戦争で、日本のエリート、財閥、そして皇族にほとんど被害がなく、その上、ドサクサのなかで資産を増やしたのが本当なら、天皇陛下万歳と叫んでいった人達は(もっとも本当にそういったのかはわからないが、)あまりにも惨めではないか。捏造されてきた歴史の中でもこれほどのひどい捏造は過去にない。天皇の出自がどこであろうが我々の生活に何の影響もない。しかし、国民に資産を供出させ、命を奪い、自分たちが潤い、そして今も日本を支配するなど許されるはずがない。シーグレイプ氏はさらりと書いているが、日本人はどうしてこんなに人がいいのだろうか

最終校正平成十九年十一月二日

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9af899 No.159190

Originally posted at >>>/qresearch/20483266 (271429ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 「セキュリティ・クリアランス制度」を創設する法案が閣議決定 海外のビジネスチャンス拡大へ

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「セキュリティ・クリアランス制度」を創設する法案が閣議決定 海外のビジネスチャンス拡大へ

2024年2月27日

経済安全保障分野における機密情報の取り扱いを有資格者のみに認める、「セキュリティ・クリアランス制度」を創設する法案が閣議決定されました。

法案では、サイバーやサプライチェーンなどの経済安全保障分野を中心に、漏えいすると日本の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを「重要経済安保情報」に指定します。▼「重要経済安保情報」を取り扱うことができるのは国が「適正評価」を行って認定された人に限定し、▼情報を漏えいした場合は「5年以下の拘禁刑もしくは500万円以下の罰金」を科すことなどが盛り込まれています。

ただ、国が適正評価のため民間人の身辺調査を行うことでプライバシーが侵害されるのではと懸念する声もあり、国会でも議論となりそうです。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1019885?display=1

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9af899 No.159191

Originally posted at >>>/qresearch/20486772 (280116ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 日本の出生数、2023年に過去最低に

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日本の出生数、2023年に過去最低に

2月27日

日本で生まれる赤ちゃんの数は8年連続で減少し、2023年には過去最低を更新することが、火曜日に発表された政府の速報値で明らかになった。

出生数は前年比5.1%減の758,631人、婚姻数は5.9%減の489,281組で、90年ぶりに50万組を下回った。

最新のデータについて質問された日本の政府報道官は、政府は少子化に対処するため、保育の拡充や若年労働者の賃上げ促進など「前例のない措置」を取ると述べた。

「少子化は危機的状況にある」と林芳正官房長官は記者団に語った。「若者の数が急速に減少する2030年までの今後6年間ほどが、この傾向を逆転させる最後のチャンスとなる。

潜在的な社会的・経済的影響と財政への負担を考慮し、岸田文雄首相はこの傾向を「わが国が直面する最も深刻な危機」と呼び、昨年末には出産世帯を支援するためのさまざまな措置を発表した。

国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、日本の人口は2070年までに約30%減少し、8,700万人となり、10人中4人が65歳以上の高齢者となる。

https://japantoday.com/category/national/number-of-births-in-japan-hits-record-low-in-2023

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9af899 No.159192

Originally posted at >>>/qresearch/20486776 (280117ZFEB24) Notable: ワクチン BUN / 武田薬品のデング熱ワクチン、インドで製造 5千万回分

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武田薬品のデング熱ワクチン、インドで製造 5千万回分

2024年2月27日 16:39

武田薬品工業は27日、インドでデング熱ワクチン「キューデンガ」の製造を始めると発表した。インドの医薬品企業バイオロジカルイーとワクチンの製造技術移転を含む戦略的提携を結んだ。最大年5000万回分を製造する。武田のドイツの工場で製造している分と合わせて2030年までに年1億回分の供給体制にする。

デング熱は現在100カ国以上で流行しており、毎年3億9000万人が感染するとされる。東南アジアなどデング熱の流行国に近いインドでワクチンを製造することで流通コストを抑える。

ドイツの工場では1回分ずつ小瓶に入ったワクチンを製造しているが、インドでは1つの瓶に複数回分を入れる。包装資材の削減や物流コストの低減につなげ、ワクチンをより安価にする。流行国での公的予防接種プログラムでの利用を想定する。

キューデンガは武田として初のグローバルワクチンで、最大年20億ドル(約3000億円)の売上高を見込んでいる。現在、欧州やブラジル、インドネシア、タイなどで販売されているほか、マレーシアやコロンビアなどで当局の承認を得た。インドでは未承認で、当局に申請する方針だ。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC276MS0X20C24A2000000/

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9af899 No.159193

Originally posted at >>>/qresearch/20488554 (280836ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 平時からの食料安保を柱に 農業基本法改正案を閣議決定

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平時からの食料安保を柱に 農業基本法改正案を閣議決定

2024年2月27日

政府は27日、農政の基本指針を定めた「食料・農業・農村基本法」の改正案を閣議決定した。平時からの食料安全保障の確保を前面に打ち出した。制定から25年を経て初めての改正で、気候変動や安保環境の変化といった新たな課題に対応する。

坂本哲志農相は同日の閣議後の記者会見で「情勢変化を踏まえ、今後の農政の基本的な指針としてふさわしいものになるよう約1年半かけて検討してきたものだ」と述べた。

改正案では食料安保の確保を「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ、国民一人一人がこれを入手できる状態」と新たに定義した。国内の生産基盤を保つため、海外への輸出拡大も目指す。

過疎地域で食料品の購入などに支障がある「食品アクセス問題」への対応も盛り込んだ。農産物・資材の安定的な輸入に向けて調達の多様化に取り組む方針も打ち出す。

農業や食品産業の環境負荷低減に加え、生産性・付加価値の向上を通じた農業の持続的発展、地域社会の維持に向けた農村振興を新たな柱として据えた。個別の法整備などを通じてこれらの施策の実現を目指す。

基本法は「農政の憲法」とも呼ばれ、1999年に制定された。気候変動による不作や世界の人口増に加え、ロシアのウクライナ侵攻といった国際情勢の変化を踏まえて改正案を議論してきた。

政府は同日、食料が不足した際の政府の対応をまとめた新法と法人が農地を所有しやすくする改正法案も閣議決定した。ドローンや人工知能(AI)などを駆使した「スマート農業」の振興に向けた新法も近く閣議決定する。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA267TJ0W4A220C2000000/

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9af899 No.159194

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Originally posted at >>>/qresearch/20488559 (280838ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 岸田首相、メタ・ザッカーバーグ氏と面会 AI巡り議論

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岸田首相、メタ・ザッカーバーグ氏と面会 AI巡り議論

2024年2月27日

岸田文雄首相は27日、米メタのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)と首相官邸で30分ほど面会した。人工知能(AI)を巡って意見交換した。

ザッカーバーグ氏は面会後、記者団に「テクノロジーの未来におけるAIについて生産的な会話ができた。日本で起こっている取り組みに本当に興奮している」と語った。日本の首相に公式に会ったのは2015年の安倍晋三首相以来。

同席者によると首相はザッカーバーグ氏に選挙とAIをめぐる問題や、日本のAIの活用状況についての見方を質問した。

ザッカーバーグ氏は「日本は半導体などハードウエアで大きな役割を果たせる」と期待も寄せた。「岸田首相の広島AIプロセスは極めて重要で正しい。特定の勢力が独占したりルールを決めたりするのではなく、日本のような国が提唱する行動指針は大事だ」と指摘した。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA279W00X20C24A2000000/

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9af899 No.159195

Originally posted at >>>/qresearch/20488562 (280841ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 日本政府、ガザに3200万ドル無償資金協力 食料・保健分野が中心

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日本政府、ガザに3200万ドル無償資金協力 食料・保健分野が中心

2024/2/27

政府は27日、イスラエル軍による攻撃が続くパレスチナ自治区ガザ地区に対し、人道支援のための約3200万ドル(約48億円)の緊急無償資金協力を正式決定した。国連世界食糧計画(WFP)や世界保健機関(WHO)などを通じ、食料や保健分野を中心に支援する。また、辻清人外務副大臣を27~28日にイスラエルとパレスチナに派遣し、人道状況の改善や事態の早期沈静化を働きかける。

 上川陽子外相は記者会見で、イスラエル軍が準備しているガザ最南部ラファへの軍事作戦について「民間人の避難・保護のための十分な措置がとられないまま本格的な軍事作戦が展開されると、さらに多くの犠牲者が発生する惨事となる」と懸念を示した。

 日本はこれまでに計7500万ドル(約112億円)の緊急人道支援や支援物資の提供を決定している。ただ、昨年10月のイスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲に、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の複数の職員が関与していたことを受け、すでに決定していたUNRWAに対する約3500万ドル(約52億円)の追加支援金について、拠出を一時的に停止している。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2W5R35S2WUTFK00C.html

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9af899 No.159196

Originally posted at >>>/qresearch/20488884 (281246ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【9】

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>>159189

黄金の兵士 第九章 闇の奥 HEART OF DARKNESS

一九六〇年、アメリカはM資金の支配力をニクソンが放棄したときに失った。それは彼の大統領選に対し、日本からの経済的支援との交換条件だった。それ以来四十年以上、M資金は権力を維持するためにそれを利用した七人の自民党政治家の不法な道具であり続けた。ニクソンは底のない闇の鞄、秘密の究極兵器を彼らに与えることになった。アイゼンハワー大統領は、東京で安保条約を改定するつもりだったが、日本の過激な抗議行動のため、彼の来日はキャンセルされた。その代わり岸信介首相がワシントンへ飛び、安保条約は大統領代理と処理することになった。ニクソンは大統領になることを夢に見、M資金の支配を譲り、沖縄の返還を約束し、その見返りが選挙戦資金の協力だった。戦犯で起訴され、戦時体制の中で麻薬、軍事物資、強制労働の鍵を握る人物であった岸は、それ以降、M資金を個人的に支配することになった。高野孟や他の事情通の情報によると、「それだけの資金が北東アジアで勃発した出来事に緊急かつ秘密の原資として必要なのだ。」、という曖昧な言い訳で正当化したという。理論的に言って、戦後の日本憲法は新たに軍隊を作る事を妨げていた。だから政府は大きな予算を割り当てることができなかった。・・少なくともおおっぴらには・・。ニクソンはM資金を自民党が全面的に支配することで、その様な、つまり再軍備にこっそりと使うだろうと主張した。一九六〇年、M資金は三五〇億ドル(当時では十二兆三千億円)の基本財源を持っていたと言われる。

ニクソンにどのくらいリベートを払ったのかは分っていない。ニクソンが日本政府にM資金を与えたのではなく、堂々と正当化する嘘を言いながら岸首相個人に与えたことを記録しておくことは重要だろう。だから数ヵ月後、首相をやめた後も彼の派閥はM資金の支配し続けた。勿論だが、それは決して本来の目的に使われることはなく、自分達が金持ちになるための個人的投資に注ぎこまれた。ニクソンのフォーション大売出しみたいなものだと広くうわさされた。The Arrogance of Power(横柄な権力)の出版物、アンソニー・サマーズ著のThe Secret World of RichardNixson(ニクソンの秘密の世界)で、ニクソンの政治家としての地位と金融資産は、メイヤー・ランスキーと他に暗黒街の親分と共同して増やしていったことを明らかにした。これらは、クリストファー・ヒッチンスがハーペーズ社の「キッシンジャーに対する場合」に初めて紹介された証拠がさらにそれを裏付けている。そこで著者は、ニクソンとキッシンジャーがアメリカ憲法に違反し、自分達の個人的な目標のためにアメリカの政策をこっそりと誤魔化したと主張している。ニクソンがM資金を捨てたからといってその話が終わる訳ではなく、そこからがもっとあるのだ。

自民党支配の下、M資金はエボラウィルスのように世界の金融市場に増殖し、多くの新種金融手段を生み出していったのだった。投資家やその弁護士達は国際的な詐欺戦略に見事にひっかかり不正手段を告発され、有罪判決と刑務所行きで終わってしまった。これらの被害者の何人かは正規な証書を握っている、しかし、自分の引っかかった詐欺事件を日本政府の責任から切り離すため、もがくしかなかったのは痛々しい真実なのだ。(もっとずるい政治的、財政的な動機もあったのだろうが・・・)どの様にして後の数十年、ニクソンの汚い資金はその様なおぞましい袋小路へ運ばれていったのだろう?それを知るには、M資金の持ち主が代わった時に何が起こったかを見なければいけない。ニクソンが割り込むまで、M資金はマッカーサーと親しいアメリカ人の小さなグループに管理され実行されていた。

一九五〇年、朝鮮戦争が始まり、日本にいた米軍のほとんどは韓国へ投入され、安全対策上の真空地帯が生まれた。憲法で軍隊を作る事が禁止されていたので、自衛のための戦力とみなされる物を作るために五千万ドル(当時のお金で百八十億円)がM資金からこっそりと準備された。一九五二年、占領が終わり日米は共同安全保障条約を結びM資金の管理は二重の支配、即ちアメリカ大使館のCIA職員と、アメリカ人お気に入りの日本人の相手に移行していった。四谷基金とキーナン基金はその中へ吸収された。M資金の基本的な財産は、日本の工業、金融界へ投資され、その利息は政治的な買収資金に使用された。M資金評議会はアメリカに対し友好的な保守層の支配下で日本の政財界、団体を維持するために驚くほどの干渉をした。これは日本の政治を革新しようとか、宮本雅雄のいう「拘束服を着た社会」から抜け出す事を望む個人や団体を妨害し、傷つけることを意味していた。これは、麻薬の専売の首領で、東条大将や星野直樹と共に満州で支配階級の核心メンバーだった岸も同様である。岸は一九四一年、アメリカに対する宣戦布告にサインし、大戦中は軍事物資担当軍需大臣で、商工大臣でもあり、強制労働に積極的に関与していた。その上彼は、財閥へ軍需物資の横流しをし、一財産を築いていた。占領時代は、最も重要な戦犯として起訴され、巣鴨で児玉と知り合うことになる。一九四八年、巣鴨から釈放された岸は、児玉に誘われ、その闇金とM資金のあふれんばかりの現金を使い、自由党の財政的基盤を作り始めていた。十年間、岸はACJ(アメリカの日本評議会)のアベレール・ハリマングループのハリー・カーン、アウゲン・ドーマン、カンプトン・パッケンハムらによって親米派としての地位についていた。彼らは岸のさえないイメージの改善に努め、英語を教え、けちになるよう(like Scotch)教えた。彼らにとって岸は日本に残った単なる賭け馬だ(岸に賭けたという事)、それらはこっそりとなされた。もしアメリカ政府が日本の首相を取り替えるためにM資金を使っていた事を日本人が知ったなら、民主主義の作り話は崩壊してしまう。一九五六年の選挙では、すべての策を使ったものの、結果として敵対する自民党の派閥リーダー、石橋湛山に敗れた。岸は少なくとも自民党の巨頭のなかで親米と見られていた。石橋が勝ったのは、アメリカ政府が岸の応援者に賄賂を贈ったが、反対陣営にまでは十分に行き渡らなかったからだ。それにいらついたアイゼンハワーは、こっそりとCIAに、石橋内閣を壊し、岸を自民党の党首にするよう指令した。岸を支持するように動かすために随分大きな買収をしたということだ。一九五七年二月、舞台裏での不平不満の大合唱の結果、自民党の党首は岸に替わり、そして首相となった。歴史家のミッシェル・スコーラーによると、岸はアメリカのお気に入りの戦犯として児玉の後継者になったのだという。

スコーラーは、「ワシントン政府は、日本が中国との接触を制限することを確約し、代わりに米国への輸出と東南アジアでの互いの発展を目指し、冷戦構造の中、アメリカへの忠誠を誓うという甘い言葉にのったんだよなあ。」

岸内閣の期間(一九五七年~六十年)、自民党は毎年一千万ドルを直接CIAから受取っていたが、もっぱらそれはM資金からだった。一九五五年~五八年にM資金を管理し、多くの作戦を日本で行ってきたCIA職員のスルフレッド・C・ウルマー・JRは、「CIAは自民党の情報に頼りきっていたから彼らに金を融通したんだ。」と言っている。岸を首相にするために記録的な努力をし、自民党の金庫の底が見えてきた時、佐藤栄作(岸の弟)は駐日大使ダグラス・マッカーサーⅡ世(将軍の息子だ)に秘密資金の増額を訴えた。マッカーサーⅡ世は要求明細書を書き、国務省へ提出した。「佐藤は、恒常的な共産主義の脅威に対する保守陣営の応援のため、財政支援をアメリカに頼めないかどうかと尋ねてきたんだ。おどろきだよ、昨年も同じ事を言ってきたんだからね。」ボールはニクソン陣営へ投げ入れられた。数ヵ月後、ニクソンは一九五九~六十年に安保改定を再交渉し、岸にM資金を譲ったばかりか、大統領になれば、軍事基地を保持したまま沖縄を日本へ返還すると約束した。前総理大臣、田中と親しかった情報筋によると、「ニクソンが岸に言ったのさ。もし大統領になれるように手助けしてくれたら、M資金の運営の仕事を進呈し、大統領に選ばれたあかつきには沖縄は返すよってね。」と言った。結局、ニクソンと岸は安全保障条約の改定に決着をつけ、M資金は岸にまかされた。一九七三年、ついにニクソンは大統領に選ばれ、沖縄は日本に返還された。ホワイトハウス国家安全担当補佐官、リチャード・アレンは、後に沖縄の返還にはびっくりしたと書き残している。「一九七三年、ニクソンは日本へ沖縄を返しやがった。俺はその後始末をやったんだ。俺はホワイトハウスと連絡しながら、そしていつも困ってたよ。本当に奇妙だったし、何の議論もありゃあしない。突然持ち出して、そしてやりとげた。どうして返還したのかまったく理解できないよ。さて、M資金の件?俺には理解不さ・・。」

日本では日米安保条約はまったくの不人気で、岸は内閣の支配力を失い、首相としての地位も失った。そして、M資金の権限を与えて数ヶ月たっただけなのに、大きな買収による大きな影響力のほとんどを失ってしまった。

ニクソンは期待していたキックバックをまったく得ていないだろう。数年後、ドルの力を弱くし、円を強くして、日本の輸出品の価格を上げるため、アメリカが金の交換を停止する機会がやってきた時、ニクソンは「日本人を狙ってやった。」と笑った。(ニクソン・ショック)それでも岸は姿を現すことなく、自民党の実力者のまま居座っていた。事実上、それ以降の首相はM資金を動かす派閥が決めている。何故なら彼らは受け継ぐ毎に報酬を受けているのだから。派閥として岸、田中角栄、竹下登、中曽根康弘、宮沢喜一、副首相の後藤田正晴、自民党副総裁金丸信等を皮肉をこめて、栄光の七人と呼んだ。偉大な皇族や金融王と比べると彼らは単に政治の歯車に油を差しただけだ。しかし、政治的な行動として見ると、日本国民に対しては責任を負わず、政界財界官界すべての階層に対し比類のない地位にいた。戦利略奪品は財産の基礎となり、利益は画期的な方法か、又は海外に隠された。皆とても頭がよく、田中は格別に賢かった。岸が築いた金権政治のからくりから、田中はM資金の個人的な支配をどのように獲得したのだろうか。ニクソンがM資金を岸に与えた時、最初にとった行動のひとつが一兆円で自分を助けることだった。(当時で三十億ドル)

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9af899 No.159197

Originally posted at >>>/qresearch/20488886 (281247ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【9】

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これは一九六〇年当時、その資金全財産の十%にあたった。彼は首相でなくなっていたにもかかわらず、新しい池田内閣の大蔵大臣に田中を選び、次の内閣では自分の弟、佐藤栄作をとりきめた。高校も卒業していないような田中には大蔵大臣は無理の様にみえた。しかし、彼は別のやり方を知っていた。例えばたっぷりのあめ玉とか金融構造への本能的なひらめきとかだ。一九三〇年代に、土建屋の若い設計屋だった彼は、岸の友人であり理研グループという軍事施設関連企業財閥の総帥、大河内正敏・子爵の庇護を受けるようになった。理研は失敗に終わった日本の原爆製造の中心であった。子爵は田中の人生を、金持ちの出戻り娘と結婚させることで一本立ちさせた。田中の財産の大部分は彼女の父が経営する建築会社を受け継いだものだ。ほとんどの国民が戦災で何もかもなくしていた時、軍事設備の工事で莫大な富を獲得し、日本の戦争成金の一人になっていた。日本が降伏するほんの少し前、田中はアメリカの爆撃を避けるためにピストンリングの工場を朝鮮へ移転させる費用、七千三百万ドルの支払いを受け取った。彼は工場を移転せずに金(マネー)を金の延べ棒に換えたが、それを請求されることはなかった。(返す相手がいなかったのだ。Yamato に詳しいが、交換した金の延べ棒自体が非合法な金なので返す必要はなかったのであろう。)

この授かり物のいくらかを新しい自由党に寄付し、議員の椅子を買ったのである。一九五七年に合併された自由民主党の党首になった岸は、田中を郵政大臣に指名した。(田中は初めての閣僚ポストを岸から三百万円で買ったと自慢していた。)日本の郵便制度は数百万人の郵便貯金口座を持つ国家銀行を持っていたため旨みのある果実だった。田中は国民に対して、節約をさせるようにみせながら金を注ぎ込ませるというおそるべき才能を発揮した。この詐欺の様な贈り物は、岸がM資金を田中に譲ることを考えさせ大蔵大臣に推す動機となった。その地位にいる間、田中は地方自治体に対する中央政府の補助金、国及び地方の公共事業支出のすべてを個人的に支配した。それは毎年四千億ドル(当時$二百円としても八〇兆?)であった。M資金、大蔵省、日本銀行を支配していた田中は市民や国家の資産を奪う事は自由であり、数十億をM資金あるいは日本、スイスの個人口座へ移すことも可能だった。一九六〇年から八六年の二六年間、田中はM資金を勝手に動かす事ができ、自分のことを日本個人銀行の頭取だと自称していた。田中は、上級公務員(官僚)に恩を売ることによって、M資金を育てる手伝いをさせていた。記者の高野孟によると、田中は大蔵省の「上から下まで」買収してしまったという。

日本で議員に選ばれるには四百万ドル(八億)かかり、議員の年間収入は二十万ドル(四千万)にも満たない。一九八九年、百人の国会議員の調査によると、有権者に対する責務の中に月平均六,六回の」結婚式と26.5回の葬式を含んでいる事を明らかにしている。事あるごとに議員はお祝いや、お悔やみにそれなりの金額を期待され、毎月おおよそ六千ドル(百二十万円)が必要だった。従って議員は援助なしではやっていけないのだ。自民党は選挙の年に議員を助けるために二億ドル(四百億)を払わなければならない。このように計算していくと自民党が設立されて以来、権力を維持するための賄賂と利益分与に約十兆ドル(訳注、二千兆円?まさか。一兆円の間違いと思う。)を使わなければならなかった。だから、田中にはくつろぐ暇はなかった。絶えず金を注ぎ込むには利息を生み出すM資金の原資を増やさなければならなかった。これは彼のさりげない贈り物に特に費やされた。それは国庫から奪うのでは不十分だ。田中は建設業の入札を不正に操作してリベートを取ることに加え、国会の承認なして建設国債を生み出した。その債券は裕福な旧友達に格安で販売されるか、単にM資金への寄贈と交換に配られた。債券の満期が来たときに旧友達は利益のほとんどを田中に返す事に同意した。田中はそうした金を、自分の懐にいれるかM資金へ貯め込んだ。田中は又戦時中に敵対する連合国に没収されていた不動産を売却する計画を思いついた。連合国も戦後補償で適用し忘れていた。この所有権が主張されていなかった財産は一九五一年の講和条約、第十六条の条件を考えると、日本にとっては完全な宝物となり、田中がこの金の壺を見つけた時にはまだ売却されていなかった。一九六〇年~七〇年の十年以上にわたって田中は一六八一ヶ所の資産を旧友達に馬鹿馬鹿しいほどの低価格で売却し、その代金を大蔵省の口座へ預け入れた。旧友達は大インフレ時代の一般市場で転売し、その純益は七兆九千億円(二二〇億ドル)を稼ぎだした。お世話になったささいなお返しとして、彼らは莫大な田中の負債を免除し、幾らかを田中の海外口座に、残りをM資金へ入れた。一九六〇年に三五〇億ドルぐらいだったM資金は七〇年には六〇〇億ドル近くになったといわれている。(このころのレートは一ドル三六〇円固定だから二一兆六千億円になる)その年国会で疑惑が持ち上がった。そして田中の不動産詐欺は佐藤首相が一般開示を避け、幕を閉じた。田中の日本個人銀行の原資のほとんどは一九六四年に田中が設立した国民社会福祉協会である。(全日本福祉委員と訳されることもある。)この名前は本当にジョークそのものだ。その存在は正に田中とその友人達への福祉のためだけのものだ。

これこそが田中会であり、田中そのものであった。アメリカ法廷での証言のコピーは翻訳してCDに焼いてあるが、それによると、もともと田中会のメンバーは十七人の旧友達だった。それが最終的には三十名を越えるほどに成長した。彼らは寿司バーの王、石井龍二、実業家、小堀隆、近藤マサオ、そしてオーシャン・ドーム・リゾートの山下茂夫、などの銀行、貿易、不動産開発、投機、建設で財をなした男達だった。彼らの名前は日本の外ではほとんど鳴り響いてはいないが、二人だけは広く知られている。堤家は国際的なホテル、鉄道、リゾート、百貨店を所有している。世界的な富豪の中で堤はロックフェラーと肩を並べる。(注;考えられない。表向きの話だろう。)もう一人は小佐野賢治、日本の大金持ちで、国民銀行の理事長であり、容赦のないビジネスマンの中で「怪物」とのニックネームで知られている。韓国系日本人の彼は、戦争中に軍事用自動車部品で財をなした。

降伏時、小佐野は帝国軍の莫大な備蓄物資の隠匿に関与し、闇市場へ売り払うことで暴利をむさぼった。占領中、彼は闇市場でこの時とばかりに活躍できた。後の数十年、日本人はそれを田中・小佐野・通商商店と呼んで

苦々しく皮肉った。一九七〇年代になり、ほとんどの日本人に禁止されていた海外への大量送金を田中が許可し、小佐野はワイキキのホテルを買収し、自らハワイにおける日韓マフィアの首領となった。そして旅行社を使って西海岸の隅々へ触手をのばしていった。田中の最大のペテンは特別に考案された政府国債だった。彼はその債券を大蔵省で発行させたので、国会の承認があろうとなかろうと法的には有効である。各、国債証書はいずれも高額で、百億円から五百億円までの幅があった。(当時で五百万ドルから二千五百万ドルであり、今の価値ならばその倍だ。)

国債が田中会の有力メンバーにより、自分の金やM資金の闇金で購入されるケースもあった。彼らの名前が受取人として出てきた時、そのほとんどは単に田中にとっての身代わりとして配られた人達だっただけだ。これは大変な金額の不正国債が正式な国債のなかに存在することを許したようなものだ。満期時の利息や利益は田中直接へか、あるいは田中と債券所有者へ分けて別々のリベートになるべきものだった。それらの証書(極秘或いは重要と記してある)には田中、中曽根、竹下の個人印が押されており、利息の支払いに責任がある大蔵大臣、自民党指導者、第一勧銀の頭取などの許可で発行された事を証明する小さな印があった。しばらくの間、この詐欺行為はうまくまわっていた。M資金の運営について田中は自民党裏方の二人、後藤田と金丸の手を借りた。そして、三人ともが大富豪となった。田中は一九八六年、病気でM資金の支配を放棄する前に、十兆円を流用したと言われている。(三百億ドル、現在の価値ではその倍)そして情報筋によると、次の世代の家族を守るため、スイス銀行を通じ、海外の信託基金に投資したといわれている。(二〇〇一年、つかの間ではあるが、彼の娘が外務大臣に就任している。)

カール・ヴァン・ウォルファーレンによると、後藤田は田中に見出され、そのブレーンになったのだという。一九三九年、東京帝大を卒業した後藤田は、ゴールデン・リリーに関連していた内務省情報局に入り、戦後は警察庁へと上がっていった。田中が首相になった時、後藤田は内閣で最も重要な官僚ポストである内閣官房副長官に選ばれた。前憲兵隊員で警察庁長官の後藤田は国中で最も怖がれた一人であった。彼に与えられた田中からの課題は、官僚を緊張させておくことだ。そして金の運び屋は金丸だった。彼は酒屋の息子である。M資金や他の原資からの賄賂とリベートを分配して自民党の政治をあやつっていた。金丸は日本で最高の政治的フィクサーとして位置づけられ、十二回も議員に選ばれながら常に影の支配者として君臨していた。それは田中とはまるで違っていた。絶え間のないきらめきとうぬぼれの男、田中はとどまる事を知らなかった。一九七二年、彼が首相になった時、政敵は彼の不正情報を漏らし始め、二年後には日本の事件記者チームが勇敢にも彼の途方もない買収の暴露本を出版した。次に起こったスキャンダルが田中を病気にし、退陣に追い込んだ。彼は起訴されず、自民党のボスとして裏側から君臨した。一九七六年、米上院外交委員会がロッキード汚職スキャンダルの聞き取りを始めた。そしてロッキード社が新しい航空機を全日空に売却するために賄賂を贈った日本政府高官の一人が田中であることを明らかにした。金はロッキードから出ていたが、まだCIA職員だった児玉を通じ、CIAが運んだものだった。

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9af899 No.159198

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>>159197

児玉はまた日本にロッキードF104・スターファイター、二百三十機を買わせる斡旋もしていた。田中がロッキードから受け取ったのは、少なくとも五十億円だと言われている。なのに、彼が逮捕された告発状にはたった六億円とされていた。田中の側近達はロッキードからの賄賂があまりにも小さかったので田中は気がつかなかったのだろうと証言した。その間にもM資金の支配を持ち続け、三人の首相を指名し、十五回目の議員として復帰した。公判が引き続き、地位から陥落する最初のきざしがあった。中曽根首相(自民党極右の指導者)が田中に離党をすすめたのだ。中曽根の裏切りは田中を不安にさせ、田中派の他のメンバーが国債債券の数十億ドルをもったまま離れていくことを恐れた。中核メンバーはさておき、田中軍団には二列目の金持ち達がいた。田中に対する彼らの忠誠心は絶対的なものではなかった。彼らの幾人かが国債をいっせいに償還しようとすれば、大蔵大臣は不意をつかれ、弱みを握られてしまうだろう。田中とその派閥は国家財産をあまりにも徹底的に食いつぶしていたため、大蔵大臣は懸案である国債の減債基金を賄うためにはNTTの政府持分を売却するしかなかった。(注)減債基金;公債を漸次償還していくための基金。減債基金はその国債が発行された時、政府が設定した特別口座に準備され、政府は満期日までに償還する金額を減債基金へ入金する義務がある。仮に、田中派の何人かの裏切った国債所有者がその償還を主張すると、大蔵大臣には十分な基金がないため不履行以外に手はない、そうなれば自民党全体の信用は崩壊してしまう。

この危機を乗り越えるために、M資金や田中個人の金を投入するよりももっと恐るべき名案を田中は大蔵省の賢人と思いついた。彼らは元々の日本政府国債を償還証明証と呼ぶ新しい証書に交換することで繰り延べをした。

それは通常の大蔵省発行の国債ではなく、借金証書か借用証書の形式で、裕仁の在位五七年に大蔵省で印刷されたため、一般の国債とは区別して「五七年債」と呼ばれた。この本の中では私達はこの名前で呼んでいく。すでに法外な利息を受け取っていた国債所有者は、支払人と大臣とのパイプ役を務める第一勧銀が特別にデザインし、印刷した小切手用紙を受け取ったようだ。債券所有者の多くは政治的に重要とは思われないので、選択の余地なく単に大蔵大臣から国債を「五七年債」そして小切手に取り替えるように言われたのだろう。こんな事は欧米では考えられないのだが、その高度な技法に対し、交換に応じないと村八分にするとか、あるいは自殺をせまられるような脅しが盛んに行われた。すでにM資金が、岸の弟の佐藤栄作を死に導いた事は、はっきりしている。多くの日本人は一九七五年、M資金の支配をめぐる戦いの中で、佐藤が田中によって毒殺されたと信じている。(訳注少なくとも私には初耳だが・・・・。)

M資金による富士製鉄への融資で、佐藤と組んだ多くの人が一九七〇年代初頭に不審な死をとげている。佐藤の死をめぐる大きなスキャンダルは田中が未亡人にM資金から三千億を支払って決着をつけた。一九八四年に、児玉の広報係で仕事仲間でもあり、すべての事実がどこに隠蔽されたかを知るハーベイ・福田は肝硬変で治療入院中に心臓病で死んだ。彼は毒殺を恐れていると言っていたし、家族は自然な死に方だとは信じてはいない。日本では、もし殺される事を恐れているのならば、病院は避けたほうが良いと助言しよう。そこでは人目につかずに事をすますことができるからだ。次の自殺幇助は竹下首相の私設秘書、青木伊平だ。彼は「五七年債」を知りすぎていた。ウォール・ストリート・ジャーナルに、「青木は腕、足、首を切ったがそれでもだめだったので、ネクタイをカーテンレールにひっかけて首をつった。」と書いてある。物理的に、「五七年債」は以前からの日本政府の国債とは全く違っている。その国債は、一般に募集したものでも、通常の国債のように国債債券市場で売却されたものでもなく、持った人しか現物を見ていないのだ。

そのまさに違いこそが、後の大蔵大臣が「五七年債は偽造品だ。」と宣告できたマジックのからくりだった。本当に間違いのない人だけが選ばれ、こっそりとダンピング交渉が行われた。元々の政府国債に対し支払いをした人達は「五七年債」に無理やり交換させられ、再び騙された。ワシントン政府は「五七年債」は偽造品という日本の断定を支持した。しかし、私達は知ることになるが両者ともがうそをついている証拠がある。何故ならば両者ともゴールデン・リリーの戦時略奪を使ってM資金設立したことに関わってきたから、「五十七年債」の存在を否定する理由があったのだ。

アメリカの弁護士ノルベルト・シュレイによると、「五七年債」は鈴木首相の下で大蔵大臣を務めた渡辺美智雄の注文で、大蔵省、滝の川工場で印刷されたという。これは、渡辺がシュレイにこっそりと話をしたものだ。彼は殺されたから、シュレイは情報元を言う事ができなくなったのだ。渡辺は副首相、外務大臣、通産大臣を務めた後、一九九〇年代後半に死んでいる。彼にはもはや危険は及ばないから、我々はここで、彼をこの裏づけの権威ある情報源として特定できるのだ。「五七年債」が本物であることを否定できない証拠を、南カリフォルニア、マーシャルビジネス大学のエドモンド・C・ルイザー教授が苦労して集めた。ルイザー教授はM資金と田中の債券偽造を趣味で調べていた。彼は辛抱強く債券の複写や関連文書を何年も遡り集め、他の大学の蔵書の中でそれらを発見した。調査の一部として、元々の国債と、取り換えられた「五七年債」との徹底的な比較だった。これらの証書に関する宣誓供述において、彼は「五七年債」を償還証明書だったと述べている。ルイザーは「償還証明書は、引き換えた国債の収益は受取人の権利であり、十五年の満期時に利息を履行してもらう権利を主張できる事を認めたものだ。」と言っている。一九八三年に始まり、三年以上、その種の国債、七種類が現実に日本政府で発行されている。二〇〇〇年九月に満期となった第七回国債まで日本政府が発行した中で、最初と十五年満期の国債だけは特有なものだった。十五年物の七種の国債は大蔵省が名義変更の禁止、期間中の譲渡を制限する条件で発行した。「私が調査した証書に見ると、一九八二年、大蔵大臣、もしくは大蔵省の高官が決定したのは、まず身元の確かな所有者に国債を持たせ、第一勧銀に利益を入れる口座を統合し、その後その国債を「五七年債」と引き換えることにしようという事だったことを表している。」ルイザーが、大蔵省からの数百枚、そして第一勧銀、自由民主党などから集めた証書で、この国債が日本政府の発行であり、償還される根拠があることが確認できる。彼はこれらの証書は、国債の引受人と大蔵省、銀行、「五七年債」の間の否定できない関係の詳細を証明していると言う。「私が調べた証書は、日本政府が公表した記録とともに細部の事項まで、とても細かく定めてある・・・私の意見だが、その証書、あるいはそこから発生する引換証が偽造品だったとするのは全く不可能だよ。政府外の人間で、証書が本物かどうかを見分ける知識を持った者はいないし、実際、知識ある多くの官僚達こそ見分ける必要があるんじゃないか。率直に言って、引換証は偽物ではないね。」ルイザーは、もっともらしい説明として、「日本政府は、本物の国債のなかの大変な金額が、いかがわしい名義人に所有されている事実に懸念が生じたので、その国債を引換証明書と切り替えた。」――引換証書の形式は前もって告げていない――「これではさらにもっともらしく支払いを拒む事ができる。」と言った。

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9af899 No.159199

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>>159198

ルイザーは一九八二年に始まり六年間続けたが、日本政府にその突出した国債を償還するだけの債券需要が不足したと言う。少なくとも一時的な問題解決だが、突出した国債を取り戻し、帳簿外の「五七年債」と置き換た。一九八五年、田中は脳障害に倒れた。最初は近親者にすらその状況は隠されていたが、やがて再起不能であることが明らかになり、反対勢力は、誰がM資金を受け継ぐかを争いだした。中曽根は、自分と自民党右派が自然な後継者と見ていた。後藤田と金丸はトロイカ体制の結びつきを強めるよう竹下を仲間にいれ、中曽根に肘鉄を食わせた。この相続争いが進行中に、多くの日本人金持ち達は「五七年債」で大金をつかむ機会がやってきたと決断した。大蔵省の通知は「五七年債」のすべてが偽物だというものだった。彼らは怒り出し、反撃を決意した。何人かは外国人と個人取引で処分し、他の者は、自民党や大蔵省に自分の請求を秘かに認めてもらい、少なくとも額面の相当分を支払うよう圧力をかけた。とりわけ自民党指導者と密着していた人達だけは成功した。大蔵省としては払えないので、トロイカ達はこっそり、「五七年債」と、関連する第一勧銀の小切手は買い戻してもらった、もちろん大幅に割引させられたはずだが。ジャーナリストのジョゼフ・シェリシンガーは「金丸は、一九八四年から自分の財産のほとんどを匿名で買える特別国債(ワリチョー)に切り替えている。そして絶対に所有しているとは言ってないよ。」と言っている。その同じ時期、後藤田も多くの「五七年債」と第一勧銀の小切手を買い戻したようだ。日本人からの情報によると、後藤田は六百億円相当の小切手を握ったという。あまりにたくさんの小切手を手に入れた後藤田は、第一勧銀へ換金をせまることにし、銀行員達は低い相場で買い取ろうとした。しかし、後藤田は態度を強くし、結局、銀行側は額面で支払うこととなった。我々がこの取引を知ったのは、政府の調査員が別の事件で第一銀行を盗聴していた時に集めた証拠からだ。その回線に偶然、後藤田が電話をしてきたのだ。二人の自民党の巨頭、金丸と後藤田は、「五七年債」と「第一銀行小切手」を売り買いしていたように、それらが偽物だとは思っていない。買上に失敗した多くの日本人「五七年債」所有者は、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアへ働きかけた。そんなに遠い所では永遠に妨害されるだけだ。

田中は発作のせいで麻痺していて歩く事も話す事もできないので、直接彼とは連絡がとれなかった。ある者は、もしもその証書が日本に戻り、訴訟を起こすと圧力をかけられた場合、何が起きるかを心配した。彼らは慎重に国際的な銀行家、弁護士、仲介者を通して大蔵省を困らせ、その引換証書を償還するよう接触することにした。それが、ノルバート・シュレイが関わるようになったいきさつである。シュレイは優秀な男だった。一九二九年ダイトンに生まれ、オハイオ州で大学を出て、朝鮮戦争中は海軍将校だった。その後エール法律学校へ入り、法律会誌の編集長を務め、一九五六年優秀な成績で卒業した。米最高裁判事ジョン・マーシャルの事務員として一年勤めた後、シュレイはロサンゼルスで法律現場に入っていった。一九六二年、三十三歳になった彼はケネディ政権で司法副長官に指名された。彼は、一九六二年、米軍を、人種問題で揺れていたミシシッピ大学へ鎮圧のために出動させた時の司法長官、ロバートケネディの補佐官だった。キューバのミサイル危機ではシュレイはケネディに孤立主義を貫くよう助言した。彼は、石器時代でもあるまいにハバナを空爆しようとするデイン・アチソンの様な連中とは対極にあると気づいた。一九六四年の市民権利運動、一九六五年の移民行動、そしてジョンソン政権における貧困対策の立案者でもあった。一九七二年、ロサンゼルスの法人対象として発足していたヒューズ・ヒューバート&リード社というウォール街の会計会社に入り、カールスベルクやアルコ石油のような顧客に対し商法と担保法を取り扱い、ハワード・ヒューズやモルガン・スタンレーの様な顧客が象徴する有名な法廷弁護士になった。そのカリフォルニア事務所にアジアから依頼があり、これに応じた彼は、M資金と「五七年債」に関わる事になった

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9af899 No.159200

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>>159199

償還証明書が偽造品だと日本政府が主張している事情は承知していたが、彼の顧客達は、政府の役人が償還を避けるために嘘を言っていると強く主張していた。彼らはシュレイに対し、この証明書を償還するように日本政府を説得できる可能性をたずねた。彼らが望んだのは、ヒューズ・ハーバード&リード社の様な名声をもってすれば、大蔵省や第一銀行に圧力をかけ、一般的なスキャンダルを避け、和解に同意するのではないかということだ。彼らはシュレイに、莫大な額面の金額を求めているのではなく、田中派の後継者として、約束した利益を実現することを望んでいると伝えた。シュレイが調査を始めると、思いがけない部署からの強烈な反発を食らった。それはアメリカ政府だった。結果、彼の業務を妨害し、その名声を傷つけ始めた。シュレイはウォール街の多くの人や大学当局と同じくM資金や日本の金権政治との係わり合いを隠したい米政府の圧力で中傷を受ける被害者になった事を確信した。シュレイに起こった事は、隠されてきた秘密が驚くほど大きく、深刻な陰謀であることを示していた。思いもよらなかった事は、日本政府が秘密にしようとしていたこれら引換証明書の元々の金額が、とてつもなく大きかったことだ。そして、田中が扱ったM資金の元々の由来は、日本が占領した国から略奪した財宝をもとに、マッカーサーが設立したものだという話に驚いた。

また、ニクソン副大統領が果たした役目を聞いてさらに狼狽した。しかし、シュレイが努力して調べた結果、少なくとも大筋ではそれが真実であると確信した。彼の犯したミスは、これが全て遠い過去の話であり、アメリカの外交官や役人と、この奇妙な過去の不合理な実態を話しあえると思ったことにある。随分後になって、やっと彼は暗黒の闇の中で生き残っている、とても危険な何かに介入してしまった事を悟った。依頼人の一人、学生運動指導者、高橋敏夫はCIAが資金洗浄した四千万円の小切手をアジア解放委員長として受け取った。彼はM資金の歴史の中で最も初期のメンバーだった。その後、田中会のメンバーになり、後に「五七年債」に切り替えられるいくらかの田中国債を買っていた。彼はそれらが偽物で換金出来ないと言われた時、騙されたと気づき、シュレイに頼み、戦う事を決意した。

シュレイはこの件の調査をするため、独断で日本へ行き、通訳とともに二十人の証言を集め、一九六〇年代に遡って記録を閲覧した。自民党指導者は、「五七年債」は偽造品で、M資金など、元々存在していないと主張していたが、シュレイは彼らが嘘をついていると断定できるだけの証拠は十分にあると思っていた。「私はかなり早い時期から依頼人の主張は公正なものだとの結論を固めていました。法律家でなくても、法治国家の基準から、依頼人の主張を正しいものだと論ずるでしょう。」シュレイは、「もし誰かがこの引換証を換金しようとすれば、その事はすぐに大蔵大臣に伝えられ、大臣はそれを阻止することができ、或いは大臣が正当と望む場合はそれを有効にする事もできるという構造で作ったのです。」と言った。シュレイはこの話を知る立場にある政府高官スタンレー・シポーキン、レーガン大統領、国家安全顧問リチャード・アレンなどに話をした。マンスフィールドの側近は、ワシントンが自民党へ秘密の支出をしたといういかなる疑いも否定した。誰もシュレイが自分の政府に対して、とても危ない橋を渡っていると警告しなかった。シュレイはスポーキンに、日本でその引換証書の償還の交渉しに行くこと、そしてCIAもそれに異議がない事を確認したいとはっきり話した。

一晩たって、その事情を調べたスポーキンはシュレイに異様な話の全体はよく分かったが、それは個人に属する事件であり、情報局としては証書の販売セールには興味はないと話した。スポーキンが言った事はとても奇妙な事で、次に起こったことを考えると納得できるだろう。スポーキンはそんなにあわてて「五十七年債」やM資金の機密情報を持つ必要はなかったが、彼は日本のCIA局長等のそれに詳しいCIA職員に尋ねなくてはならなかった。それらの職員達は当然のごとく秘密にする事に決められただろう、しかし彼らがすぐに反応したように、無意識かそうでないかは別として彼を罠にはめる措置を開始した。カルマーズ・ジョンソンが「連合国の占領中、そして占領終了以来、五十年以上も進化させてきたワシントンの日本に対する政治的取り扱いは、単に歴史的な意義だけではないのだ。」と指摘したように、シュレイもそれを苦労して知る事になるだろう。

シュレイが日本にもどり依頼人の主張を強く迫りだすと、自民党の首脳達は米国大使館員に不満を言った。シュレイが知らないところでアメリカにいる依頼人の何人かに米財務局の代理人が接触し、非合法を承知で米政府へその「五七年債」を売却するように誘いをかけた。売却を申し出た者はすべて逮捕され、「五七年債」は押収された。(彼らの弁護人としてのシュレイは共謀者や実行者とみなす事もできた。)ワシントンが一九九二年にシュレイに全力で圧力を掛けるまで、米政府の悩みの種は、ロサンゼルス在住、一ヶ月千ドル以下の社会保険で暮らしている年配で病気がちなバーバラ・ジーン・アー・ルーという女性だった。カフカズ生まれのアメリカ人で、アー・ルーという中国系ハワイ人の会社員と結婚し、長い間トランスフィールド投資会社という会社を経営しながら香港で暮らしてきた。一九八七年、トランスフィールドは、高橋ら、日本の依頼人から、彼らの「五十七年債」の償還に力を貸してくれるように依頼をうけた。トランスフィールドの最初の取り組みは、日本銀行がそれらすべてを偽物とする立場をとったために失敗に終わった。

この期間にアー・ルーは遺失物捜索係りとしてバンコープ・インターナショナルに雇われていた賞金稼ぎのクレイグ・アイベスターに会っていた。彼らは「五七年債」を検討し、アイベスターはその一枚の写真複写をスイス銀行へ送った。そこなら原本を調べる手間をかけずに、それが詐欺であるかを自動的に返事してくれる。アー・ルー夫人は高齢で病弱だったのでロサンゼルスへ引き上げた。そして競売になる寸前の家で寝たきりの老人から一人部屋を借りて住んでいた。そこで再び賞金稼ぎに出くわした。この時、クレイグ・アイベスターは自分の仕事を米カスタマーセンター(消費者センター)への告発人と決めて獲物を探していた。以前、香港で検討したことのある「五七年債」を思い出し、アー・ルー夫人を説得しアメリカ国内で「五七年債」を売却しようと決めた。それが違法だとは知っていたが、カスタマーセンターから彼は謝礼を受け取れるはずだった。彼女は拒否した。まだ常識をもっていたからだ。彼女はアイベスターに、米国内で「五七年債」を交渉する気はないと語った。アイベスターはカスタマーサービズに接触し、アー・ルーを大きな手数料で誘惑し罠にかけようと申し出た。シュレイの調査によると、おとり作戦には、米情報部員ジャック・フォックス、カスタマーセンター職員ミッシェル・サンキー、ミッシェル・ノーマン達が登場しアイベスターの手先を演じた。

彼らの計画では、アー・ルーに「五七年債」の米国内での売却を大きな歩合で誘い、彼女の意図もしくは犯罪を意図しようとしただけで逮捕するというものだった。彼女は気が進まなかったようなので、フォックスはシカゴのファースト・ナショナル・バンクの副会長だと見せかけて信用をさせた。サンキーは金持ちの会社員を装ったのだろう。彼らは盗聴設備のある部屋をレノに借り、話し合おうと彼女を誘った。彼女に州を越えさせれば、州法というより連邦法で罪に問えるのだ。アー・ルーは航空チケットを買う金がなくて、行く事ができなかった。罠の第一段階として、情報部が彼女に自由周遊券を送った。レノに着き、アー・ルーは「申し訳なかったわ。」と言った。しかし彼女は一枚も「五七年債」も持ってこなかった。彼女は「ともかく、日本政府はそれを偽物だと主張しているし、その債券を売る者は牢獄送りだって・・・。」と言った。フォックス、サンキー、ノーマンは、もし有力な証券会社と正当かつ正式な取引を整えられることがない限り、彼女が「五七年債」を再び手に入れたいというまでアー・ルーを脅し続けることにした。(有力な証券会社なら誰にも面倒を起こさずに法が監視してくれるだろう。)秘密情報部員のフォックスはスミス・バーニィに分け前を約束した。彼はアー・ルー夫人へ副大統領行政官ジョージ・サックスと評議員スミス・バーニィからの三通の「五七年債」を買い入れたい旨のファックスを送った。おとり作戦を有効にするには、スミス・バーニィ事務所の司法管区の中で、法に従って行動を起さねばならなかった。彼らはルー夫人をバーニィの事務所のあるフロリダのタンパへおびき出す事にした。そこならば米弁護士は連邦地方裁判所判事エリザベス・カバンシェビッチ氏の弱みを握り、協力させることができる。結局、アー・ルー夫人は高橋の所有していた証書うちの何枚かを手に入れたブローカーで、こっそりと買い手を探していたローシャー・ヒルの話を聞いた。しかし、タンパへの旅行の前夜、彼女は心臓発作に見舞われた。

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9af899 No.159201

Originally posted at >>>/qresearch/20488896 (281251ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【9】

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>>159200

そこで息子ブルース・ハンズベリーに自分の代わりとしてロジャー・ヒルと一緒に行き、スミス・バニーと金銭面を決めるよう指示した。一九九二年一月十八日、タンパに着いた彼らは逮捕された。彼女はそこにいなかったので、彼女に電話して、架空話の決着を話し合う事で罠にはめなければならなかった。そうしてアー・ルー夫人をロサンゼルスで逮捕することができた。これですべてが終わった。彼女は監禁されてしまった。彼女の香港の住居は国から逃れようとしたとみなされ、未決で収監され、最終的に共謀罪、電話詐欺罪、資金洗浄罪、有価証券詐欺罪で有罪となった。狼狽したアー・ルー夫人は気が変になり精神病院へ移された。そして咽喉ガンが発見され死んだ。一九九二年一月までにアー・ルー夫人へのおとり作戦に十六人の諜報員が関ったといわれている。アー・ルー夫人の件はとるに足らない事で、そんなに多くの税金の投入を正当化できるものではない。誰かがリンチされないか警戒する様なものではないのだ。

もうひとつの可能性が「五七年債」をもつ高橋だった。彼らはロサンゼルスのアパートに侵入したが空っぽで高橋は国外へ逃れていた。勲章稼ぎがアメリカの刑事訴訟制度の特徴になってしまっている。高橋は有名人ではないのでアメリカの野心的な弁護士にとって価値ある勲章とはならない。それに対してノルベルト・シュレイは深い闇の秘密に首を突っ込み、日本政府を悩ましていた。有名な彼は完全に攻撃対象になるのだ。一年前、シュレイはM資金についての報告書を書いていた。それは大々的に回覧された訳ではないが、複写が米政府職員に渡った。職員は心配になり腹を立てた。彼らがシュレイを罠にはめる事ができたら、米政府はシュレイがM資金をかぎまわる事を止めさせることに協力するだろうし、自民党指導者は恩義を覚えるに違いない。問題はどうやって罠をかけるかだ。

シュレイは「五七年債」をアメリカでは決して交渉せず、日本でだけで行っていた。依頼人の味方として弁護士が質問状を提出する権利は合法なのである。しかも、シュレイは依頼人からいっさい金を受け取っていなかった。しかし、高橋はシュレイから返してもらった彼の「五七年債」の一つを売りたくてイライラしていた。そしてシュレイに連絡もせずにロジャー・ヒルに市場での売却をまかせてしまった。ロジャー・ヒルによる「五七年債」の自由市場での売却に対し、シュレイは何も行動していないという主張は確かに知られている。ただ、彼が高橋の弁護をしようとしていたし、日本にいる他の「五七年債」の所有者と協議しているのは明白だから、政府は、アー・ルー、ハンズベリー、ヒルらと共謀しているグループとしてシュレイを逮捕できることになる。それにしても、シュレイがタンパ事件に関わっているとの主張は不可解だ。しかし、気づかれないうちに陪審員を誘導し、手品のようにごまかされてしまった。最終的にシュレイは、日本政府が「五七年債」を偽造品とみなしたことを素直に認めている以上、彼は違法と知って証書の市場取引を容認していたと主張できる。この理屈こそ、日本が支払いを免れるために嘘をついている事を納得させようと、シュレイが再三にわたって言明している決定的な要点なのだ。

シュレイに対する訴訟は名誉狙いの検事や従順な判事、謝った指示をされた陪審員に委ねられ、ワシントンはシュレイの開示請求を拒むために努力した。日本での宣誓供述書を取りに法廷を離れることを拒否し、弁護側の証人を脅し、どうみても責任逃れのために偽の情報を教えこまれている大蔵省や第一銀行の検事側の熟練した証人らを連れてきた。彼は知らないうちに、「アー・ルーの不正取引」の団体と名付けられたことにビックリしたが、タンパで始まる大陪審の法廷での本来の目的が、彼を起訴することだと知った。急いで依頼人がもつ「五七年債」は見つからないように分散された。依頼人達は追い込まれると恐くなり、自分が罪を逃れるかわりにシュレイに対して不利な証言をするようになってしまう。公判で検察側証人は、この引換証書は多くの利息を着服していた二人の大蔵省と第一銀行の下っ端の職員がもってきた偽物だと証言した。シュレイ側の弁護団は反撃して、「買収された日本人職員は、これらの引換証書は正規ではないと嘘の主張をしている。」と言った。しかしながら、ロウザイアー教授は本物と主張した。(前にも引用したが)「その証書には・・・公式に出版された日本政府の資料に契約上の多くの注意書きが書かれてあり・・私個人の意見なのだが、その国債を、或いはその国債の結果としての引換証書を偽物として使う事は不可能だ。」と言った。

日本政府と米政府間の共謀をあばくため、弁護側はアメリカ政府から日本政府、或いは一九四五年から現在までに、日本の政党へ支払われた裏金を明らかにしようとあらゆる報告書や記録の出所を突き止めようとした。我々が見てきたことは、前のCIA職員や外交官などの多くの情報源から確認されてきた。シュレイはその生涯をかけて、役立つすべての証拠書類を必要としていた。前米司法副長官として、彼はその文書を間違いなく発見できたはずだ。そしてこの様な開示要求はシュレイにとって正当な権利だったが、米諜報部はきっぱりと要求を断った。M資金や「五七年債」に関する報道記事で、裁判所はCIA、情報局、国立公文書館、国防省に対してその調査データベースを構築するよう命じざるを得なくなった。大きな秘密に覆われているブラック・イーグル基金、一九五一年の講和条約、M資金、消失した日本に関する数百万通の文書などが少しでも洩れていたら大変な反響を呼んだことだろう。陪審員は、「CIAや情報局、公文書館の調査で、日本政府の職員や雇員、或いはいかなる日本の政党にCIAが金を払ったということを実証するような関連事項、あるいは具体的な公文書などは開示しないこととする。」と語った

公判記録には「政府はCIAの数百のファイルを一九四八年まで遡り、CIA職員が日本政府や自民党、或いは単独の政党へお金を支払ったことを示す文書を探した。又、政府は「M資金」の項目でコンピューター検索した。調査では・・・いかなる関連性のある具体的な公文書も情報も発見されなかった。」とある。陪審員は、CIAの事実上の長官、海軍提督ウィリアム・O・スチュードマンが一九九五年三月、ニューヨークタイムズに、「CIAは賄賂の対象となる外国の政府や政治家についての情報をもらそうとしなかった。」と語ったことは聞かされていなかった。スチュードマンは「米政府から隠れた援助を認められている不正受給の政治家に対して、諜報員は守秘義務がある。」と言っていた。この声明で、その様な支払いがなされており、ただ詳細を述べる事を拒否したことが確認される。莫大な金額で買収されている日本の政治家を守る事は、アメリカの法廷の判決よりも重要だったのだ。

シュレイは法廷を「イラン・コントラ事件のオーリー・ノースやポインデクス提督、マックファーレン氏のような人が、影響力を持っていたから嘘をついているとしたら、日本政府の人もたぶん何らかの影響力を持っているから同様に嘘をつきうるのだろう。」という形なのだと言った。コバシェビッチ判事は、シュレイが日本での宣誓証書を取り寄せる事を拒否し、シュレイの重要な被告側の証言者が米の弁護士から脅されているという抗議を軽くあしらった。シュレイの弁護士は、検事当局が証人に対して圧力を加えたことは間違いないといっていた。例えばS・M・ハンは米国弁護士、マーク・クラムと免責で同意していた。ハンはクラムから、もし被告側として証言したら、免責の約束は無効になると聞かされたと言っている。又、クラムから、「彼はそうなれば二の足をふむだろうから、免責を取り消す以上に有効な方法ははなかった。」と語ったと言っている。証人を脅すということは、米国司法制度の中で最も深刻な罪であり、資格剥奪の理由にもなりうる。コバシェビッチ判事は証人を脅した事についての新たな裁判所への申し立てを否定し、ハンの申し立てが正しいかどうかを決定する事情聴取をすることすら拒否した。

数年間の嫌がらせの後、シュレイは重大な有価証券詐欺と、ひとつの軽い罪で有罪となった。彼は裁判開始前に一千万ドルの資産をもっていた。しかし裁判中は弁護活動という仕事はできず、自分の弁護活動に巨費を費やしてしまった。職業的にも金融的にも行き詰まり破産同然となった。彼はこのペテンと訴訟のために米政府は、アメリカ国民の税金四千五百万ドルを使ったと見積もった。シュレイは上告し、一九九七年九月、第十一回上告法廷で重大な罪、微罪ともにその有罪判決は破棄され無効となった。そして微罪についても、政府が証人を脅かしたことを根拠に、シュレイの再審申し立ての聴聞に地裁へ差し戻された

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9af899 No.159202

Originally posted at >>>/qresearch/20488897 (281252ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【9】

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>>159201

第三回上訴審の判事は、コバシェビッチが目撃者を買収するために格別な手当てを支払っていたと判断した。判決には、シュレイを起訴した処理は奇怪でないとするならば異常なことだと書いてあった。彼ら(判事)はコバシェビッチの買収は不可解だと断じ、そして、「私達はシュレイが適正な手続きの権利を奪われたかどうかの判定はできない・・・。なぜならコバシェッチの公判は正確な審理がなされてないからだ。政府が被告側の目撃者を脅していた地裁へ被告が証拠を出した以上、法廷は脅されたのは本当かどうかを判定する審問が認められるべきだ。」と言っている。罠にはめるため始まった裁判はずるずると六年間続き、結果としてシュレイは破滅し、判決は破棄されたのだ。潔白を主張し、シュレイは再審を請求したが、米政府はシュレイが破産したことを知っていた。七〇歳近くにもなり、自分の名声を保つために無期限には戦えない彼は、微罪が未解決のまま、ついに証人買収の罪を追及しないことに合意した。今日、ワシントンでの彼の名声は地に落ちている。もっと真実を知るべき高名な法律家達は、彼は重罪を犯したのだから、出した証拠はあてにならないと最近では主張している。別の人は、シュレイの未解決の微罪について、モラルが欠如した結果であると断言した。この件は後にカリフォルニア法廷で論議され、公式記録からは削除された。二〇〇一年一月、カリフォルニア裁判所議事録で、シュレイはもう一度立派な弁護士として認められたと公示された。しかし、損害はもうすでにもどらない。二〇〇二年春、シュレイはカリフォルニアの浜辺をジョギング中、おおきな心臓発作に見舞われ、脳をやられてしまった。ホームレスの人達が近くに助けをよんだ、しかし数ヶ月の間昏睡状態だった。最後にシュレイに会った時、「私は、どの様に、そして、何故陪審員が私を有罪にしたのか今になってわかってきたよ。私の存在はとても目障りだったんだろうね。」と言った。

一九九二年一月、他の広がりかねない出来事が直にシュレイを迫害に追い込んだのだろう。彼だけがM資金の罠の的になったわけではない。他に逮捕されたのは、十七年間シークレットサービズを勤めたベテラン、ジェームズ・P・セナだ。彼は財務省の偽造を調査していた。セナはアメリカと日本におけるM資金の融資方法を調査し「五七年債」が本物だと確信するようになった。彼は自分でも販売することにした。彼と英国ヨークシャーのイアン、香港のフランシス・チャンは市場で額面総額五百億ドルの「五七年債」を買い付けようと企てて逮捕された。一九九五年十一月、彼らに対する裁判は、突然理由も明らかにされず費用が払われそうにもないという偏見でもって棄却された。にもかかわらず、証拠として没収された「五七年債」は不当取引とみなされ返却は拒否された。もしも偽造品ならば、どうして不法取引になるのだろう?ウォール街筋の話では、財務省はこっそり日本と交渉するため、「五七年債」や他の偽造品の情報を手に入れたがっていたという。同時期、「五七年債」の交渉に関わる事になった有名人は前の国務長官アレクサンダー・ヘイグだ。シュレイと違い、ワシントンが罠の的を選んでいたことを見せ付けるように逮捕も迫害もされなかった。すべての会談に同席していたある人物からの情報によると、ヘイグはパラグアイの味方として仲裁を要求した。パラグアイ政府は額面五百億ドルの「五七年債」を一九九一年十一月二十日、正にあのアー・ルー夫人が罠にはまった時にニューヨークでファースト・ハノーバー証券から買っていた。同日パラグアイ政府はMIC債権整理会社に対し、日本政府へ「五七年債」を償還するように手配してくれるよう要求した。――金銭ではなくて、日本からパラグアイへの対外援助、四百億ドルの借款の要求である。

つまり額面の八〇%を要求したので、日本は二〇%引きで受ける事ができる。MICはイスラエル政府が後援している組織で、イスラエルは東ヨーロッパや南アメリカの政府の国家債務の調整を協議していた。成功すればMICはパラグアイ領内での石油探索や開発の権利を獲得できる。前国務長官ヘンリー・キッシンジャーと前大使マイク・マンスフィールドが熟考した後、MICは彼らの交渉人としてヘイグを選んだ。彼を選んだことは正解だった。ヘイグは日本を良く知っている。彼は一九四七年、ウエスト・ポイントを卒業し、東京でマッカーサーの側近として彼が五一年に解任されるまで仕えていた。マッカーサーの側近としてホイットニーやウィロビーと同じく、極めて限られた仲間の中で働いていたので、おそらく占領中、日本の多くの汚い作戦や秘密資金の設立を聞いていたはずだ。日本在任中にヘイグはマッカーサーの副長官アロンツォ・パトリック・ファックス将軍の娘と結婚した。後に安全保障局員としてニクソン大統領に仕えたヘイグはニクソンとフォード両方でホワイトハウス主席補佐官を勤め、レーガンのときには国務長官でもあった。

情報源によると、策略を練ったのはマイアミで、MICとパラグアイはヘイグにこっそりと、日本の元首相でM資金の元締め、そして自民党の実力者である竹下登と交渉することを求めた。M資金のリベートや戦時略奪品に関連していたリクルートスキャンダルに関与して恥をかいた後、竹下は二年前の一九八九年、首相を辞職させられていた。しかし権力者のままでいた。一九九二年一月、ヘイグは東京で竹下と会う事で合意した。伝えられるところよると、ヘイグはマイアミの円卓会議で、できるかぎり速やかに「五七年債」を内密に交渉すべきであると語ったという。「五七年債」の裏取引について知るべきなのは、ヘイグがワシントンでFBIやCIA、シュレイなどがしてきたよりもっと多く論議していたということだ。

あるCIA職員は、日本にはたくさんの秘密基金があったと説明した。例えば、彼のいうマッカーサー基金とは、おそらく三和銀行にマッカーサーと裕仁の共同口座で預けられ、日本人はそれを裕仁にちなんで「昭和基金」と呼んだものだという。彼は又、日本政府国債がどうして「五七年債」に変わったのかも説明してくれた。情報源は、ヘイグはホワイトハウスへ行き、竹下と首脳会談をするブッシュ大統領に「五七年債」を交渉するように話したと語っている。お互いに関わったじゃないかと説明し、ヘイグはブッシュに支持を求めた。交渉しやすいようにブッシュは、ヘイグに竹下宛の私信を渡したと情報源は言っている。ブッシュ大統領自身も途中で日本へ行った。ヘイグより数日前に東京へ行き、宮沢首相にゲロしたのは有名な話だ。一九九二年一月十三日、ヘイグは二週間後、自民党議員団から帝国ホテルでの昼食会に招かれた。その後ヘイグと竹下は隣の部屋で秘密会談を行った。MICは、竹下はおそらくすべての「五七年債」は偽物だということから始めるだろうと言った。ヘイグはそれに備え、竹下を動揺させるような二、三の反論を用意していた。彼はMICに竹下に見せた時に最も印象度の高い三種類の書類を選ぶように求めた。

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9af899 No.159203

Originally posted at >>>/qresearch/20488900 (281252ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【9】

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>>159202

そのひとつが、安田火災保険会社が発行した大蔵省からの輸送に伴う保険証書だった。これだけで「五七年債」の根拠が明らかになってしまう。MICはヘイグにこれらの書類が持つ意味を耳打ちし、日本国債と「五七年債」の相違点を教えた。東京で二七回目の会談が行われる直前にヘイグは竹下に、最近の大きなスキャンダルでひどく傷ついていることだろうから、自民党の指導者として日本叩きを止める約束をヘイグに望んでいるのではないかと切り出した。もしも、その様に請合ってもらい、この会談を無事に切り抜けることができれば、彼はスキャンダルから立ち直り権力を取り戻せるだろう。午後二時四〇分、二人の男が席につくと、予想通りヘイグにアメリカ企業や政界が日本叩きを止めるよう求めたそうだ。ヘイグは前向きな返事をして、竹下にブッシュからの私信を手渡した。竹下は、パラグアイの借金清算にいかなる合意をするにしても、石油開発に日本が参加させてもらう必要があると言った。机の上に例のものを並べ、ヘイグは今回の東京訪問の目的のひとつが、パラグアイの持参した「五七年債」と引き換えに、対外援助借款として融資をしてもらえる竹下の保証をもらいたい事だと説明した。ヘイグは竹下にパラグアイがハノーバー証券から購入した「五七年債」を見せた。竹下はその証書を一瞥するや、「ヘイグさん、それは香港で作った偽物じゃないですか。」と言った。そうするとヘイグは、「ほんならこっちの証書を見てみなはれ。」そして安田火災の保険証書と他の二つの証書を手渡した。証書を一つずつ見るうちに、竹下の顔は青ざめて声も弱々しくなった。「ヘイグさん、これを清算するにはとてもビミョーな問題が生じる様におもいますなあ。」ヘイグは「はい、そうですな。ビミョーと思います。」「即答はできまへんな。」会談が終わって数分後、自分の部屋でMICの一団にこのすべてを報告した。彼は竹下が保険証書を見てショックで動揺した時初めて「五七年債」を取り巻く深刻さを悟ったと言った。情報筋によるとヘイグは一転して、パラグアイに怒り「俺を恐喝者にしようとしたな!」そしてニヤリと笑って、「一発目で命中したぞ。」と言った。彼はパラグアイ人とイスラエル人に日本にいる間は十分に注意するよう警告した。竹下は気分を悪くしているから、日本の諜報員にきっと何かの指令をだすだろう。

翌日、竹下の私設秘書がヘイグに会いに来たという。盗聴のできない広間で話をしたいと主張して、「ヘイグさん、証書や証券は正式ではないですよ。従ってわが政府は買い戻せません。」と言った。ヘイグは横目でにらみ、「そうなの、ならば公にしてもいいの?」竹下の秘書は顔色を変えた。彼はもう一度竹下と話をすると言った。二番目のミサイルも的中した。翌朝、再び秘書がやってきて、「証明書の問題に関しまして、地方や海外から我々大蔵省へ多くの問い合わせがまいります。そして政府も対応に苦慮しております。」彼は一瞬止まり、「我々は問題の証明書の金額を確保するばかりになっております。あなたは、この交渉については完全に内密に取り扱ってもらわねばなりません。もし他の政府からも同様な要求がくると我々はその財政的に対応ができてないので大変な事になるでしょう。」結果的にいうと、ヘイグは大成功をおさめ、大金がころがりこんできた。しかし、どうしてヘイグはマイアミ、ワシントン、東京でFBIやCIAと、そしてホワイトハウスでブッシュ大統領と交渉できたのだろう。シュレイと違い逮捕も起訴もされずに・・・。連邦情報員はアメリカ内部でそれを交渉することや、交渉を意図することですら不正行為に当たるといつも言っている。もし全部の「五七年債」が偽造品だとしたら、何故ヘイグは成功したのだろうか?仮にヘイグのものが本物とするならば、何かヘイグは不法なことをしたのだろうか?日本の国債の正当性はその時のホワイトハウスの住人とあなたの関係でどうにかなるのだろうか?ノルベルト・シュレイが罠に落ちたのはヘイグが東京で交渉を決着したすぐあとなのだ。竹下が日本叩きを終わらせる条件の一つはきっと、多くのやっかいな疑いを追究していたシュレイをだまらせ、法廷から追っ払う事だったにちがいない。もしそうなら、ヘイグは間違いなくその件をブッシュに報告しただろう、ならばなぜシュレイがアー・ルー事件に巻き込まれたかは説明できる。ここに投資家のための教訓がある。ブラックイーグル基金と合流した金融債は世界の市場をただよったままだ、丁度、魅力的な鉱山が第二次大戦以降も残って企業や人を破産させたり没落させることができるように。もしいくらかの引換証書が偽造で、他に本物があるとしたら、逮捕や恐喝なしに、彼らが手にした証書が偽物としてはねつけられないよう、本物か模造品かを尋ねることは投資家や弁護士に当然の権利である。特に発行した政府が責任逃れをした過去があるならば、強く嘘の容疑がかけられる。ワシントン政府が自分自身の市民よりも他国の政治家を買収する事に大きな責任を感じるというセンスをみせつけられると、いったい誰を守っているのかとはっきりと問いたくなる。ワシントンの主な関心事は日本との秘密資金の共謀システムを保護し維持していくことだった。それは半世紀以上、十分に機能してきた。米政府職員の経歴と世評を保護することで混乱に巻き込んだ。最終的に何十億ドルかが日本の政治家の懐に入ったことは、どんなに多くがアメリカ職員のポケットに入ったかと比べればそんなに重要ではないのだ。権力が堕落するように、秘密の権力はひそかに堕落する。

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9af899 No.159204

Originally posted at >>>/qresearch/20492300 (290111ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / ゆうちょ銀行、池田社長退任 後任に元GSの笠間副社長

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ゆうちょ銀行、池田社長退任 後任に元GSの笠間副社長

2024年2月28日

日本郵政傘下のゆうちょ銀行は28日、池田憲人社長(76)が3月31日付で退任し、4月1日付で後任に笠間貴之副社長(50)が昇格すると発表した。池田氏は2016年の就任から事業の多角化を進め、新興企業への投資など収益源の育成に取り組んできた。一定の成果が出てきたことから新体制に移行する。

笠間氏は日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)に入行後、ゴールドマン・サックス証券幹部を経て15年にゆうちょ銀に入った。主に市場部門の担当役員を務め、海外での資産運用などで手腕を発揮した。

退任する池田氏は横浜銀行出身で、03年からは経営破綻した足利銀行の頭取として再建を主導した。ゆうちょ銀社長としては資産運用の強化や、スタートアップなどに投資する「Σ(シグマ)ビジネス」などの新規事業に取り組んだ。

池田氏は28日、「ゆうちょ銀行が目指す姿の実現に道筋を示すことができたタイミングで情熱と力量を持つ方々へのバトンタッチを決断した」とのコメントを発表した。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA286AI0Y4A220C2000000/

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9af899 No.159205

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Originally posted at >>>/qresearch/20493406 (290542ZFEB24) Notable: テドロス「WHOは悪くない」 コロナ政策失敗の責任転嫁(動画)

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【コロワク】テドロス「WHOは悪くない」 コロナ政策失敗の責任転嫁

https://rumble.com/v4g6h56-who.html

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9af899 No.159206

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Originally posted at >>>/qresearch/20493427 (290546ZFEB24) Notable: タッカー・カールソン、2020年選挙(不正)の前に腐敗連中は結果を知っていた(動画)

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タッカー・カールソン、2020年選挙(不正)の前に腐敗連中は結果を知っていた

https://rumble.com/v4g6hjt-2020.html

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9af899 No.159207

Originally posted at >>>/qresearch/20493432 (290548ZFEB24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / NTT西日本 森林社長 辞任の意向 子会社の個人情報不正流出で

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NTT西日本 森林社長 辞任の意向 子会社の個人情報不正流出で

2024年2月29日

「NTT西日本」の森林正彰社長は、子会社の元派遣社員が900万件を超える個人情報を不正に流出させた問題を受けて辞任する意向を示していることが明らかになりました。
この問題では、元派遣社員が企業の顧客情報を不正に持ち出し名簿業者に漏えいしたとして不正競争防止法違反の罪で起訴され、総務省は、今月9日、NTT西日本に対し、再発防止を指示する行政指導を行っています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240229/k10014374531000.html

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9af899 No.159208

Originally posted at >>>/qresearch/20493900 (291013ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【10】/QドロップにもUMBRELLAが14回登場している。この世界へ金を移すためのグループ暗号名のこともQは示していたのだろうか?

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黄金の兵士 第十章 THE UMBRELLA アンブレラ作戦

今日、フィリピン政府は、サンタ・ロマーナの存在自体を否定している。「それは伝説なのだよ。」と彼の家族に語っている。我々は彼の弟や愛人、子供にインタビューしている。彼の墓にも訪れ、そして数百の書類、録音テープ、ビデオ、目撃者の口座、結婚届、そしてCIA高官、マルコス一族のメンバー、サンティーの仲間からの確認、銀行記録、訴訟記録を蓄積してきた。(それらは、彼が六十年以上前から実在し、彼の莫大な現金や金の延べ棒などの富が世界中の銀行に眠っているという明らかな証拠となるのだ。)サンティーによる金の回収作業はM資金などの多くの秘密資金の財源になっていた。彼はマルコスが介入するまでアメリカのゴールデン・リリィー回収作戦の窓口だった。マルコスは彼を押しのけ、自分が新しい窓口になった。サンティーの回収が一九四七年(昭二十二)に終わった後、マルコスが同様の作業を始めるまでに二十年の中断があった。

一九五〇年代には日本人の小さな団体が色々な言い訳を言いながら金の回収するためこっそりとフィリピンに戻ってきた。ある人達は兵士の死体を捜し、日本で埋葬し直すためだと主張していた。日本は傷ついた国土を復興するため、山を通す様なあまり必要のないルートで道路や灌漑工事などの援助を申し出ていた。日本のサルベージ会社はマニラ湾に沈んでいる船の引き上げ撤去を申し出て、引き上げそして湾岸へ収容した。この作業は引き上げた船から急いで金の延べ棒を船積みする目的のためだ。日本企業は、フィリピン中で地面に大きな穴を掘らなければならないような奇妙な地域を選んで工場を建設した。工場が完成すると、フィリピン人はテレビ、カセット、コンピュータ、冷蔵庫、クーラーなどの組み立てラインで働いた。それらはとても頑丈な木枠の箱に入れられ日本へ船積みされた。CIAに情報筋によると、諜報員はこの様な方法で金の延べ棒がフィリピンから密輸されていることを承知していたが、邪魔はしなかったという。

マルコスが金を発掘したのは偶発的な出来事からだった。マルコスはルソン島北端、保養所のあるイルコス・ノートで、二人の日本人が山を掘っている事を聞いた。彼らは帝国軍人の古参兵だった。自分達のものがそこに隠されていたのだった。マルコスは彼らの金のバー(小さなもの)を没収した。鋭敏で若かったマルコスはサンティーの回収の話を聞くと彼を積極的に応援した。法律家だったことがマルコスをいろんな面で助けた。徐々にマルコスはサンティーの作戦、いわゆるアンブレラ作戦を乗っ取り始めた。一九六五年、マルコスは大統領になるやいなや、日本地下組織の首領、笹川良一に直接近づき、戦時略奪品の回収を共同でしないかと依頼した。児玉の旧友である笹川は、多くの巨大地下貯蔵庫の場所を知っていた。賠償金の大幅削減をするため、マルコスは気前よく大統領令を発することができた。宝探しをするというより、むしろ残り物をあさるというのがマルコスの典型的なやり方だ。彼はずい分古くてフィリピン人が食べると死ぬ可能性があるイワシの缶詰の大量輸入を躊躇せずに許可したことすらある。彼は日本のギャングを一儲けさせ、フィリピン人を貧乏にすることで財をなすことなど平気だった。一九七一年、マルコスが莫大な宝物を乗っ取った事をわずかな人だけが知っていた。しかし今やそれは世界中に知れ渡っていることだ。

その年の一月、フィリピン人の錠前師でアマチュアの財宝ハンター、ロザリオ・ロジャー・ロクサスが日本軍の掘った坑道にもぐりこみ、壮大な純金の仏像を発見した。重さは一トンだった。(現在だと二十五億円だ)着座した高さは二八インチ、明らかにビルマ風で、マンダレイで作られ徴発されたもので、数世紀の富の蓄積を物語っていた。その後にロクサスの身に起きたことがあまりにも奇妙なので、我々はハワイ州最高裁判所でのロジャー・ロクサス&ゴールデン・ブッダ会社対マルコスの裁判記録を大々的に取り上げ、この物語の土台にしようと思う。この裁判には四三〇億ドルの賠償金がからんでおり、民間としては裁判史上最大の賠償訴訟だった。裁判での実情調査は数千ページの証言やコピー、契約原本、写真、ビデオでの証言などから集められた。マルコス側の弁護士もロクサスの弁護団も即決する気はもうとうなかった。ロジャー・ロクサスはバグイオ別荘地での商売は芳しいものではなかった。しかし空いた時間に財宝探し協会の代表をしていた。その役職のために日本人訪問客とは何度も接していた。その中の一人、大久保・アウセビオ(Eusebio)がロクサスに、自分は若い頃、山下将軍の通訳をしていたと語った。そして、山下は終戦になる前の一年間に自分の旅団に命じ、マニラからバグイオへ大量の金や銀のバーを運んだと言うのだ。大久保は、バグイオ病院のそばの地下坑にはそれらの金塊を入れた木箱が積み重ねてあり、山下が自分の部屋であり本部として使っていた近くで純金の仏像を見たとロクサスに言った。スペイン系のアルバート・渕上はロクサスに自分の日本人の父親が財宝マップを残していったと述べた。渕上家は市場に野菜の売り場を出していた。彼が言うには、彼をバグイオ病院裏にある地下坑へ連れて行ったのは父親で、そこにはトロッコ用の軌道がひかれ、横の地下坑は金の箱でいっぱいだったという。

数年後、アルバートは調査を始めたが何も見つからず、頭にきてマップを燃やしてしまった。妹が地図は鏡に映してみるのだと気づき、彼は大いに怒られた。ロクサスは、戦時中メディナ・ゲリラ団の団長と共にルソン島で戦ってきたアメリカ人、ジョン・バリンジャーと友人だった。病院船富士丸がスービック湾で金属ケースを荷降ろしている所を写真に撮ったのはバリンジャーだ。富士丸から降ろされたケースはトラックで山中へ運び、洞窟の中へ収められ封印された。後になり、メディナの連中がバグイオへ潜入したとき、バリンジャーは日本軍兵士が病院近くの地下坑へ重い箱を運んでいるのを目撃した。ゲリラ達は手榴弾と機関銃で攻撃し、洞穴入り口の密閉部を爆破し、敵を中へ閉じ込めてしまった。バリンジャーは引退しニューメキシコで暮らした時、息子のジュネとアマチュアの宝探し好きのための新聞を作っていた。彼らは出来る限り何度もフィリピンを訪れることにしていた。旅行中、ジョン・バリンジャーはロクサスに、ゲリラ達が閉じ込めた地下坑の入り口はコンクリートのトーチカのそばだったと思うと告げた。しかし、彼は場所を特定することはできなかった。なぜなら、長い年月が過ぎていたし、トーチカは台風によって風化してしまっていたからだ。渕上、大久保、バリンジャー等からの報告で、ロクサスは地下坑の存在を確信した。

しかし、トーチカを捜すのに多くの時間を必要とした。そこは公共の場所なので、財宝探しの穴を掘るには政府の許可を必要とした。条件は発掘した財宝の三〇%を政府に渡すことだった。許可はマルコス大統領のおじ、バグイオ裁判所判事であるピオ・マルコスから与えられた。一九七〇年春、ロクサスと仲間達がトーチカ付近を掘っていると、破壊した地下坑の入り口と思われるものがみつかった。七ヶ月を要してそれを掘り返したのだが、死体からの悪臭で吐き気を催した。中へ入り込む前に、換気のために一週間は必要だった。入り口付近で、軍事無線、銃剣、ライフル、日本軍の軍服を着た遺骸をみつけた。失敗の繰り返しの数週間後、トロッコレールを備えた主坑道にたどりついた。そこには照明用の簡単な配線がされ、本物の地下坑だと確信できた。片方の先は分枝している。主坑道床の土部分の下に厚さ二十フィートばかりのコンクリート板を発見し、それを叩き割った。一九七一年一月二四日、彼らはそれをぶち破り金の仏像をみつけたのだ。高さは三フィートしかないがとても重く、床まで持ち上げるには鉄製のフレームにチェーン巻き上げ機を必要とした。ころがしながら外へ引きずり出すのには大変な苦労だった。ロクサスはトラックを借り、友人とともに仏像を自宅へ運んだ。奥の寝室の角へ置き、ベッドカバーで覆った。再び探索を開始して、今度は小さな木箱を坑道の床でみつけた。中を覗き込むと、二十四個の小さなビスケット状の金のバーがあった。一インチの幅、二インチの長さ、厚みは0.5インチだった。二四金でこの大きさだと重量は三〇オンスぐらいだろう。一九七一年時点でその価値は千五十ドルだ。(1オンス三十五ドル、当時のドルは三六〇円なので約三六万円)一箱でざっと二万五千ドルの価値があることになる(約九百万円)その近くでロクサスは、人工的に作られた部屋をみつけた。幅六フィート奥行き三〇フィートの中に数百の木箱が積み重ねてあった。どれも七五kg の金塊がぴったり入るビール箱ぐらいの大きさだった。

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9af899 No.159209

Originally posted at >>>/qresearch/20493944 (291037ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【10】/QドロップにもUMBRELLAが14回登場している。この世界へ金を移すためのグループ暗号名のこともQは示していたのだろうか?

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>>159208

彼は中身がなんであるかわかっていたので、箱を開けはしなかった。すでにビスケット状の金塊取引で一財産を作っていたロクサスはいくつかの軍刀や銃剣、美術品と一緒に二十四個の黄金ビスケットを手に入れた。彼は大きい箱はそのまま残しておいた。何日か後、ロクサスは他の誰かが見つけやしないかと心配になり地下坑の口を爆破した。彼にとって安全に穴掘りを継続し、残りの財宝を回収するには、金の工面が先決であった。七つのビスケットを売り、金の仏像の買い手を探し始めた。それが間違いのもとだった。噂は瞬く間のうちに広がった。二人の有力な買い手がやってきて、仏像の首近くに穴をあけ分析を開始した。両者ともその仏像は一九四〇年以前のアジア標準純度である二〇~二二カラットであると結論を下した。一九七一年、エイプリルフールの日に第三の男、ジョー・オイハラが仏像を調べにやってきた。オイハラはロクサスに、自分はマルコス大統領の母の家に住んでいると語った。大統領の母はジョゼファ・エドラソン・マルコスと言い、狡賢く利己的との評判である。彼は念入りに仏像を調べ、買取りに興味があると言い、数日中に手付けの百万ペソを持って戻ってくると約束した。ロクサスはオイハラが首の部分に特に興味を持っていたことに注目し、彼が帰ったあと弟のダニロと一緒に頭部を回してみることにした。頭部に厚板をあてて、緩めるようにハンマーで動くまでたたいた。中はクッキー入れのような空洞で、三個のダイヤモンドが入っていた。ロクサスはダイヤをとりだし、別々に保管し、頭部をもとのように絞めなおした。

四日後の四月五日午前二時半、機関銃を担いだ八人の軍服の男がロクサスの家のドアをたたいた。国家調査局の犯罪調査情報員と名乗り、令状を持っているので中へ入れろと叫んだ。ロクサスはドアを開けるのを恐がったが、二人の男がガラス窓を破り、機関銃を室内に向け、三分以内にドアを開けるか、死にたいか、決めるように言った。ドアを開けるとそこにはオイハラもいた。男は捜査令状をロクサスにちらっと見せた「。中央銀行規定違反と銃器不法所持と」 書いてあるようにみえた。ピオ・マルコス判事の署名がある令状は、仏像とその他に取得した財宝を早急に法廷事務所の監督官のもとへ明け渡すよう命じていた。ロクサスは一人でいたわけではない。弟のダニロは騒ぎまくり銃底で殴られた。ロクサスと家族、ボディガードの二人の友人は、軍人が家を捜索する間、床に伏せているように言われた。彼らは仏像、ダイヤ、残っていたビスケット状の金塊、軍刀、コインコレクションそして子供の子豚貯金箱までも持ち去った。又、彼の友人が置いていった二二口径の壊れたライフルも押収していった。このライフルが後日、彼を武器の不法所持で起訴することになる。彼らは仏像も他の何も裁判事務所へは届けなかった。朝になり、ロクサスは地区の新聞社と警察へ強盗事件として報告した。そしてピオ判事に会いに行き、なぜ捜査令状に署名をしたのかを尋ねた。判事は甥であるマルコス大統領からそうするように命じられたと言うのだった。そして付け加え、警察や報道機関へ言うとは、自分から殺されにいくようなものだと言った。ひるまずロクサスは警察へ引き返し、公式に不服申し立て書へ署名した。彼はマニラ北部カバナツアン市へ行き、地方有力者の助けを求めた。そこで四人のボディガードを紹介され、隠れ家も手配してもらった。その間にバグイオの別の判事は捜査令状の指定どおり、仏像を裁判所の保管所へ返還するように軍部へ命じた。軍部は、マニラの熟練工が真鍮製の仏像を急いで作り上げるまでの二週間、返還を延期した。頭の取り外しができず、見た目もまったく似ていない真鍮の仏像がバグイオの裁判所へ納入された。数日後、ロクサスは大統領の母が送り込んだ二人の諜報員に追い詰められていた。彼らは、ロクサスが真鍮の仏像は自分が見つけた物のひとつだと一般に公表すれば三百万ペソ払うと申し出ていた。

四月末、ロクサスはフィリピン裁判所長官直々に発行した身柄保証書を持ち、四人のボディガード、裁判所からの二人の検察官、自分の弁護士、そして多くの報道陣とカメラマンを引き連れてバグイオへ仏像を調べに戻ってきた。裁判所で彼は仏像を調べた。そして勇気を持って(愚かにも)それは自分の見つけたものではないと発表した。まず、色が違っている、顔の形も違う、頭は取り外せないし検査のためにあけたドリルの穴もないと指摘した。報道陣は無名の一人の男が有名な大統領マルコス派閥に挑戦したことで衝撃をうけた。誰もが大統領、暗殺団、妻そして母の残酷さを聞いている。反対陣営、自由党のメンバーは選挙でマルコスに打撃を与える良い機会だと沸き立ち、ロクサスに上院の「金の仏像事件」調査会で証言するように説得してきた。一九七一年五月四日、ロクサスは上院で全面的な供述をした。マルコスは即座に、下品で政略的な目的の攻撃だと非難し、仇はとると宣言した。十四日後、キャバナツアンに戻り隠れていたロクサスは再び追い詰められ逮捕された。逮捕したのはマルコスが送った市民の格好をした三人の諜報員だった。彼らはロクサスにマルコスに会ってもらうと言った。ところが連れて行かれたのは国家警察署で、そこで拷問を受けた。そしてマニラ北部パンパンガのサンフェルナンド警察本部へ連行された。彼らは窓もない監獄の暗闇の中でロクサスに妻と子供の絵をみせ、もう一度会いたいのなら後援している上院議員のリストを提出し、残っている財宝の隠し場所を白状しろと脅した。ロクサスはそれを拒否した。彼は全身に電気ショックを与えられタバコを押し付けられた。そしてクラーク基地の近く、エンジェル市のホテルへ移され拷問が再開された。大きなゴム製の木槌で気を失うまで顔や頭を殴られた。彼は右目を失い、見た目は怪獣のようになってしまった。二週間にわたりホテルに留め置かれ拷問は繰り返された。一方で兵士は家宅捜査を平和的に行い、武器は持っていなかったとする宣誓供述書に署名するよう言われた。彼らがロクサスを拷問するように命令されたことなどは、取るに足らない様に見えるが、実際には考えられないほど残酷なものだったのだ。ある日彼はバグイオの法廷へ戻り、真鍮製の仏像と一緒に写真を撮らされた。その夜、ホテルの窓をこじあけ逃亡し、妹の家で頼りになる人を探した。彼は身に起こったことを上院議員に電話で報告し、再び上院で宣誓証言を求められた。その証言は一九七一年六月三〇日に行われ、拷問を含め、それまでに起こったすべてを報告した。彼がバグイオの家にもどると、マラカニアン宮殿への召喚状を持った男がやってきた。宮殿で、彼は財務局の職員カエサル・デユムラオに会った。彼が言うのには仏像の為に(三百万値上げして)五百万ペソを支払いたいという事だった。午後には金をもらえるというので宮殿にもどるつもりであったが、ロクサスは生命の危険を感じ、もどることをためらった。七月初め、彼は事情聴取に欠席したために逮捕された。一九七一年一月二八日以来未決だった武器不法所持の事情聴取で、彼は出頭拒否罪の短期拘留を命ぜられた。一ヵ月後、彼は反対派、自由党指導者であり、父親が元フィリピン大統領であった上院議員セルジオ・オスネナから送られた弁護士により保釈された。ロクサスはマニラヘ自家用機で飛び、トラックでミランダ広場へ向かった。そこでオスネナは、その夜の政治集会で話をするように求めた。マルコス反対派による集会は大観衆で混み合い、演台の上には有名な反対派の指導者達がならんでいた。数分後、手榴弾が二つ人ごみの中へ投げ込まれた。十名の市民が死亡、オスネナや七人の上院立候補者を含む六十六名が負傷した。我々がマルコス一族から聞いた話によると、手榴弾はマルコスの指令で、大統領保安部隊から派遣された男達が投げ入れたもので、そのひとつは保安長官ファビアン・バーの投げたものだという。

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9af899 No.159210

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>>159209

マルコスはこの攻撃を共産主義テロリストのせいにし、身柄保護条例を停止し、多くの候補者を左翼であるとして留置場へ送った。それは戒厳令への第一段階であり、事実その数ヵ月後の一九七二年九月、彼は戒厳令宣言を発している。大虐殺になるのを恐れロクサスはマニラを逃げ、十二ヶ月の間、身を隠していた。最終的に家に戻った一九七二年七月、自宅を監視していた二人の国家情報部員に逮捕された。ザンバルス地方の海軍基地へ連行され、牢の中へ監禁された。そこで地区司令官から金の仏像を発見した状況について質問を受けた。彼はマルコスが戒厳令を宣言するまでの三ヶ月間収監されていた。バー将軍がこっそりとロクサスの監獄へ会いに来て、自分は金の仏像を押収しにロクサスの家へ行った強奪メンバーの一人だったと言った。一九七三年一月、ロクサスは再びバグイオ裁判所へ連行され、銃不法所持の罪で起訴された。有罪となった彼はバグイオ囚人収容所へ送られ、少なくとも二回目となる拷問を受け、再び金の埋めてある地下坑の場所を質問されることになった。二年近く刑期を務め、釈放されて自宅へ帰った。その翌月、彼は復興支援事業所からきたという男性の訪問をうけ、バグイオ一般病院近くの財宝発掘の協力を求められた。もちろん、ロクサスはこれを拒否した。ロクサスの協力を得られなくなったマルコスは、彼の穴掘り仲間の一人、オリンピオ・マグバラを拷問して得られる情報に頼ることにした。ペンチでマグバラの舌を一人一人がひっぱった。それは彼が地下坑の入り口がどこにあるかを話すまで続けられた。病院の裏の地面を調べ、閉ざされた地下坑の入り口をみつけるために部隊が派遣された。病院の看護婦や患者達は、彼らの捜索を見物するための観客席まで作っていた。一九七四年のある日、病院のスタッフは兵士達が地面の穴の中からとても重そうな木箱を運び出すのを見た。彼らはトラックにそれを積み込んでいた。どの箱も四~六人がかりだった。大統領保安部隊から派遣された兵士達に加えて、フィリピン軍事兵学校の生徒も参加していた。いくつかの箱は腐って壊れていたので箱から三個の金塊が地面に落ちた。それはタバコケースの大きさだった。(七五kgの金塊だ)病院の職員の推定によると、一年以上にわたり毎日トラックへ十ケースは積み込んでいたという。すると概ね三六〇〇ケース、一〇八〇〇本の金塊(各七五kg)である。この間、護衛兵がそこらじゅうに配置され、誰も近づくことはできなかった。ロクサスは兵士達が地下坑をみつけ、彼が発見した金塊を盗んでいるのを知ったが、十分に訓練された兵士達には対抗することはできなかった。

一九七六年、彼は少なくとも暫くの間は運が悪かったとして家族とともに隠れ家へ引越し、十年ぐらいは何事もなかった。一九八六年、フェルディナンドとイメルダ・マルコスは米政府により権力を奪われ、ハワイヘ追放された時、ロクサスの存在が再び浮かび上がることになる。ロクサスが反撃できる時がやってくる。この話は第十五章で再開しよう。

ロクサスが拷問を受けている間、マルコス大統領はサンタ・ロマーナに彼の大量な金口座の幾らかを引き渡すように圧力をかけていた。彼らの関係はずいぶん昔へ遡ることになる。家族の話によると、マルコスとサンティーが最初に手を組んだのは、マルコスが大統領になる前の一九六〇年代だった。サンティーはイメルダがミス・レイテだった時とても親密だったと話している。つまり始めは彼が自分の愛人ということでイメルダをフェルデナンドに紹介したのだった。当時ハンサムで力強いサンティーはイメルダの情夫だった。背が高くスキンヘッドでたくましく、その頬骨が張った東洋的な顔立ちは俳優のユル・ブリンナーそっくりだった。我々が持っている写真の一枚を見ても、白いネール・スーツに白い靴を履き、他の人を見下すように背の高い自然な気品を感じさせる男だ。友人達は彼を「品行方正で、いい性格の男だった。」と述べている。彼のカリスマ性は彼が女性にも男性にも魅力的だったことで作られたのだ。サンティーはセベリノ・ガルシア・ディアズ・サンタ・ロマーナだけではなく、多くの名前を持っていた。(今は引退してカバナツアンに住んでいる彼の弟、ミグエル・マイク・サンタ・ロマーナ判事はサンティーと顔が程遠いのだが、同じ家族の名前を使っている。)

サンティーがエバングライン・キャンプトンと結婚した時に父の別名であるディアズを使った。しかし、一九三八年のジュリエッタ・フェルトとの結婚届ではサンタ・ロマーナにもどしてあった。一九四〇年代後半に仕事上で使い始めた偽名は世界中の銀行証書に見受けられる。たとえば、ラーモン・ポーロッテ、ジョセ・アントニオ・ディアズ、ジョセ・アントニオ・セベリーノ・ディアス、J・アントニオ・ディアス、セベリーノ・ペナ・デ・ラ・パズ、マティアズ・コーネア、ジョセ・アルモンテ、サンティーなどなどだ。偽名を使うということは不法ではないが、どうしても怪しまれる。米国の法律では、偽名が詐欺に使われない限り不法行為とはみなされないことになっている。作家、俳優などの偽名は、生活する上で合法的な役割がある。日本の略奪物資回収の窓口としての彼は、CIAや財務省と仲間だった時、モナコで登記されたDNP・エンタープライズ(ディアズ・ナネティ・ポアロッテ)というトンネル会社を作り、その唯一の株主であり、支配者として偽名を使った。彼は世界中の銀行口座に何十億と持つのだから、ひとつの会社では十分ではない。

他にも、ナネッティ・エンタープライズ、コレット・エンタープライズ、モンティズマ・ディアズ・カンプトン・エンタープライズ、ポイロッテ・エンタープライズ、ディアズ・ポイロッテ・エンタープライズなどの会社がある。それらはマニラから世界の銀行へ金塊を移動する事を隠すために設立した中核会社だった。サンティーはリヒテンシュタインに、最初サンタ・ロマーナ基金と呼ばれる基金を設立した。それは後日、サンティー基金、或いはサンティー・アンタルトに組み込まれた。サンティーの旗艦、DNPエンタープライズのロゴマークは傘の骨組みを意味する開いた傘だった。しかしそれはロゴだけではなかった。アンブレラは、サンティーがフィリピンから世界へ金を移すためのグループに付けられた暗号名だ。我々のCDには大統領マルコスが手書きで注釈を書いたフローチャートを再現しておいた。それを見れば、どのようにしてアンブレラが、一九七〇年代後半までにCIA諜報員、マフィア親分、フィリピン秘密警察、マルコスの殺し屋を混ぜ合わせた強力な組織に成長していったかが明らかになる。

アンブレラ組織の一員にアメリカの億万長者、法を超越しているウォーレン・グローブスがいる。グランド・バハマ島のオーナーであり、そことナッソーのカジノはギャング団、マイヤー・ランスキーが運営していた。グランド・バハマの所有者の中でグローブスの仲間の一人は、パラマウント映画を支配し、ハーバード&チャーリー・アレンを経営するウォール街のアレン&COである。アレンはフィリピンに大きなベンゲット鉱山を所有し、ハーバートはマルコスとゴルフ友達だった。アレンはかつて、「我々は毎日、売春婦や麻薬売人、いかさま師や囚人達と取引してたよ。それはアメリカ建国以来のやり方さ。」と言っていた。複雑なやり取りの中、グローブとアレンは、グランド・バハマの利権の一部をマルコス渡す見返りに、ベンゲットの支配をほぼ独占させるという取引をした。このことで、アンブレラが戦時略奪金塊をフィリピンから持ち出す時、ベンゲット鉱山産出の金に見せかける事ができる

ある時、金塊がナッソーの一流銀行に着いた。これはグローブスのカジノを通した麻薬代金洗浄などの役割の一部を担うもので、すぐに金の棒に取り替えられる。サンティーはその総額を知っており、一九七三年にその件を書いている。(一ヶ月に渡ったCIAとワシントンのエンタープライズへの訪問中に。)それには「ベンゲット社とバハマ社との取引はとても大きなものだった。そしてX、Y、Zグループはあっという間に数百万ドルを生み出した。」とある。アンブレラはCIAに認められ、多くの銀行の金取引仲介を業務としていた。ビル・キャセイやレイ・クラインのOSS―CIA合同を実現させたポール・ヘリウェルは山下金塊の海外持ち出しに関わった第一世代だった。一九五一年にヘリウェルは海上支援会社の設立を手助けした。早い話、黄金の三角地帯から国民党麻薬軍のヘロインやアヘンを運び出し、中国の国家主義者に供給するためだった。ヘリウェルはナッソーで設立していたキャッスル銀行、マーカンティル銀行から身を引き、グローブスと親密になっていった。ヘリウェルのキャッスル銀行はCIA公認の非正規取引銀行のひとつで、独裁者や軍閥、反体制アジア軍将校の不法収益の資金洗浄を引き受けていた。キャッスル銀行はケイマン諸島のIDコーポレーションと密接な関係がある。IDの唯一のオーナーは日系米国人のシゲ・片山で、ロッキード社が日本の政治家に支払った莫大な賄賂事件の時の鍵をにぎる一人である。キャッスル銀行に悪い噂がでてきたので、ヌーガンハンド銀行と呼ばれるオーストラリア人の一人が潰し取って代わった。ところが、退役した米諜報員と国防省の役人がCIA長官と法律上の協議をすると称し、船に監禁して連れ去ってしまった。ヌーガン銀行がつぶれ、幾人かが殺され、BCCIの構想が実現された。BCCIは最終的に一九九一年破綻し、CIAは長年にわたって隠れた作戦のための出費にBCCIを使ったことを認めた。(注・BCCI the Bank of Credit and Commerce Internatinalパキスタン系のイスラム銀行で、ルクセンブルグ籍1972 年、貧民救済を目的に掲げ設立。以後70 カ国以上の国々に進出し、国際的な業務を行ってきた.一方で、フィリピンのマルコス大統領や、パナマのノリエガ将軍などの独裁者、ビン・ラディン一族などの不正蓄財の舞台となり、イスラム諸国の大量破壊兵器開発の資金源ともなり、さらにはCIA のアフガニスタン作戦での資金仲介などを行ったとされる.1991 年経営破綻し、総額100 億ドル近い預金詐欺事件に発展。邦銀や日本企業にも多額の損害が発生した.)

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9af899 No.159211

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>>159210

あまりにも多くの記録文書が隠されたままなので、我々はサンティーの果たした役割は、窓口で進行係、排気弁だったと憶測するべきだ。謎の億万長者として楽しんでいたサンティーにあまりにも財政的なからくりをまかせすぎたため、CIAに拒否権が必要だった。黒い金(black Gold)がフィリピンから香港、チューリッヒ、ブエノスアイレス、或いはロンドンに移さなければならなかった時期は、我々が持つ航空便送り状、貨物送り状、損害保証金などの書類からわかる。それらは、闇の金がクラーク基地から空軍機で、スービック湾から海軍船で、フィリピン国際空港からキャセイ航空で、港湾から米大統領航路により商船で、というふうに運ばれたことを表している。アンブレラは金塊の行き先は勿論だが、機密を守ることに注意した。戦後、サンティーの大量の闇金がバチカンなどのイタリアの銀行へ投入されると、イタリアの共産党が権力を持たないように努力していたCIAに代りマフィアがそれに関わることになるのは承知のことであった。毎回、サンティー或いはサンティーの偽名の一つを口座名に使い新規口座を開設していた。あまりにも多くの偽名を使っていたため、たまに「名無し男」と見られたこともあった。これらの口座にアクセスするには、毎回、通常の銀行コード、パスワード、証書の束、サンティー自身の口座番号、ランスディールから教わった合言葉が求められた。

表面的にはサンティーがその口座の名義人であったが、その財産や派生的な取引は連邦準備銀行や英国銀行、日本銀行、スイス銀行の合意している秘密の目印を取り決め、諸政府に使われていたことがはっきりしている。決して明らかにはされないが、サンティーは口座の窓口としての見返りに、口座金額に応じた相応な歩合、かなりの営業報酬を受け取っていた。一年に十億ドルの一%を報酬としただけで一千万ドルを生み出す。最低で0.1%と考えても百万ドルだ。そしてその口座は何ダースもあったのだ。一九七〇年代まで口座はサンティーと密接に結びついていた。そして幾つかの情報源は彼の物だと考えていた。控えめに見積もっても合計額は五百億ドルをゆうに超えていた。(六兆円??)もしそれが彼の個人財産ならば、世界の大富豪の一人になるだろう。しかし決して国際的な富裕層になることはなかった。私は、彼が死ぬ前年にCIAの要人としてワシントンを訪れたことを、そして死に至るまでCIAに雇われ続けていたことを知っている。

彼はマニラとキャバナツアンに広大な家をもち、マニラのヒルトンにも部屋を持つという優雅な暮らしをしていた。しかし、自家用ジェットもフェラーリも買うことはなかった。彼は、銀行業界とスパイの間を除くとフィリピン外部では知られていなかったし、マニラですら社会的に目立つこともなかった。今まで誰もマニラの不思議な億万長者の物語を書いた者はいない。彼の仕事は冷戦構造の中でとても入り組んだ秘密の歯車のひとつだっただけだ。

CIA或いは米財務省の文書を参考にせずに銀行の内部文書が関わっている彼らの関係を拾い出してみると、どうしてサンティーが口座の名義人の地位にいたかを分析することは重要であろう。しかし、明らかに彼は名義人だったのだから。フィリピン内部で起こったことを把握することは容易だ。サンティーの金の一部は、マルコスが大統領選で勝つための助けになっていた。マルコスはその地位を得るため二十年間出費を続け、ついに一九六五年、実を結んだ。そのやり方は自著「マルコス王朝」に詳しく述べているが、彼はインドシナでの戦争が拡大する間にCIAと米国防省のお気に入りになっていた。マルコスが大統領になる前から、彼の選挙対策チームはランスディールのために働いていた。マルコスは宮殿に入る時、新しいマグサイサイ、つまり、親米家として送り込まれたのだった。

マルコスはホワイトハウスに対して、彼が香港、東京、台北、シンガポール、シドニーの銀行にあるサンティーの預金を賄賂として注ぎ込めば、東南アジアの指導者にベトナム戦争への協力が得られる様にできると説いて回った。それらの現金での賄賂は一晩で浪費される程度のものだったが、金引換証書などの派生商品の形式でその持ち主には莫大な預金の金利が手に入るものがあった。受取人として振舞っている間は、利息を引き出し続けることができた。しかし、仮に彼のことが気に入らないとなれば、その証書は偽者と宣告されるのだ。ちょうど、自民党が「五七年債」を偽造品と言ったようにだ。マルコスが大統領だったとき、彼はインドシナにおけるアメリカの戦争を支持していたが、それは自由のためにではなく、自分がマラカニアンに居続けられるように、アメリカと公共投資で取引をしたのだった。

一九八六年、レーガン大統領によって倒されるまで、彼はホワイトハウスのお気に入りだった。第一期の四年が終わる頃、彼の評判は散々だった。イメルダが週末のショッピングで百万単位の浪費をして、非難が沸き起こった。一九六八年に彼女と娘のアイミーはニューヨークの週末ショッピングで三百三十万ドルを散財した。そしてまた、税務署の記録から、イメルダが大量の預金をしたマンハッタンのシティバンクにはサンティーも大量の現金と金の貯蓄口座を持っていたことが明らかになっている。ある噂(後日、本当だと証明されたが・・)マルコスの給与自体は最低水準だったのに、海外の預金口座には数十億ドルが塩漬けになっていた。多くの批判にもかかわらず、一九六九年、マルコスは不正投票のおかげでもう一期その地位を勤めることになった。フィリピン憲法では三選は禁止されていた。憲法の改正に失敗したマルコスと防衛大臣は、一九七二年、政権に残るためには戒厳令を適用することが必要になり、共産主義の反乱をでっちあげた。そのハイライトは手榴弾によるミランダプラザの攻撃で、反対勢力へのテロ攻撃とロジャー・ロクサスを黙らせることだった。

格別ずる賢かった事は、マルコスらがサンティーにアンブレラの副長官と名づけさせたことだ。二十五年間も次から次へと同じ事をして疲れきったサンティーは酒に溺れていった。マルコスの制御ができなくなり、憂鬱になっていった。マルコスのお気に入りになり褒美にありつくのはCIA高官のトップに成り上がる新しく気まぐれな性格の奴ばかりで、中国で暴れ回ったり、汚い策略を使って冷戦の兵士として活躍したOSSでの昔の記憶などを共有しない連中だった。古い護衛兵達は彼を直接知っていたし、評価もしていた。マルコスはCIAの連中がサンティーの預金に気付かず数年間もそのままになっているのを知った。彼はサンティーにその休眠預金を譲渡させようと考えた。マルコスはサンティー基金には格別に執着した。マラカニアン宮殿では、肉体的な暴力は日常茶飯事だ。宮殿の一角にある「黒い部屋」で殺人や拷問がなされていた事は広く知られていた。大統領と対立した者はすべて酷い姿で暗殺された。目玉はくりぬかれ、バツ印のサインを付けられ死骸は路上に放置された。サンティーは急いで自分自身を守り、なおかつ、個人預金を大統領により押収されない手段を考え始めた。彼が協力を求めた者はタルシアナ・ロドリゲスという名のフィリピン人だった。彼女を彼が持つすべての会社の正式な財産所有者とし、何十億ドルという現金、金の延べ棒、金引換書、世界中にある貯蔵品や財産の信託者とした

フィリピン裁判所へ提出された宣誓証書には、タルシアナが一九七一年八月にサンティーに初めて会った時のいきさつが説明してある。従姉妹のルツ・ランバーノ(サンティーの死ぬまでの最後三年間の愛人)に紹介された時、彼女は小さな会計会社で秘書をしていた。事実上、ルツは彼と結婚していたのだが、カソリックであるフィリピンでは離婚は許されないから、正式にはジュリエッタ・フェルトが彼と結婚していたことになる。ルツはサンティーに信頼できる会計係と帳簿係が必要だと思い、タルシアナの事務所へ連れていった。後日、タルシアナはヒルトンの彼の部屋へ主任会計士として訪問した時、彼が世界の金融界での重要な人物だと知った。「私は彼が重要人物だとすぐわかったわ。七十年代に普通のフィリピン人が五つ星ホテルに部屋をとっているなんて、とてもすごいことなんですもの。彼の部屋に行くと、銀行家、仲介人、仕事仲間とか、そりゃあいろんな人が次から次へと訪ねて来るのでびっくりしたわ。世界中の力のある銀行家の中で彼は有名人だったのよ。」その時以降、タルシアナはサンティーの中核会社の雑用兼会計係をすることになった。彼女は決して馬鹿な質問をしなかったが、彼の病的な癖には困っていた。ヒルトンに年間契約で住むようなゆとりがあるくせに、マグサイサイビルのCIA事務所から道路を渡ってくるとき、彼はどうしてあんなツギハギだらけの服を着ているんだろう?彼女はそのツギあては穴を補修しているものではないと知った。彼は狂ったフィリピンの与太者を装って、出入りする人々を監視していたのだ。マルコスがロクサスから金の仏像を盗み、彼を布切れのように打ち据えた後、サンティーはルツ・ランバーノと一緒にファースト・ナショナル・シティ・バンクのマニラ支店へ行き口座を開設した。(現在のシティ・バンク)彼女の宣誓供述によると、「四千三百万ドルの現金を銀行家ジェームズ・J・コーリン同席のもとで預金したのよ。小さな紙幣ばかりだったから、職員は六日もかかって数えたそうよ。」

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9af899 No.159212

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>>159211

めったにおこらないことだが、銀行員は忘れたのだろう。後になり、ルツが弁護士のメル・ベリーを雇ってシティーを訴え、金を取り戻そうとしたら、「コーリンはニューヨークへ宣誓証書を提出してたの。でもそれにはその口座の開設に関わったことを否定してたのよ、それどころかその取引自体までも否定して、一九七一年にセベリーノ・サンタ・ロマーナが銀行にやってきて、何かの事業を始めるのに少しばかりのお金を借りたいと話していった事を思い出したって言うのよ。」サンティーは四千三百万ドルものお金を持っているのに小さな勘定はないだろう。偽のボロ着を身にまとった風変わりな金持ちサンティーはフィリピン中の家や事務所の壁の中の秘密金庫に金を貯めこんでいたにちがいない。それらは日本軍が東南アジアで没収した通貨で東京へ返却されなかったものだったのだろう。マルコスを恐れたサンティーとルツは洗濯袋に金を詰め込み、シティ・バンクへ持っていった。そこが安全だと思っていたとしたら、とんでもない間違いだった。ルツの話によると、サンティーはそこで九個の貸金庫を借り、現金と宝石で中をいっぱいにしたという。マルコス一族の話では、軍事裁判の直前、サンティーはファースト・ナショナル・シティー・バンクのマニラ支店からニューヨークのシティ・バンクへ預金を動かし、八億ドルをフィリピンから海外へ振替えたそうである。しかし、彼はそんなにすぐにしたわけではない。一九七三年二月二七日、サンティーは

大統領個人事務室のあるマラカニアン宮殿に出頭させられ、マルコスにタイプで書かれた「遺言書」に署名をさせられた。この書面には、サンティーが「自分の資産、不動産、動産、他国の通貨、財宝、貸金庫の安全と貯蔵のための個人的な理由でいろいろな名前えを使用している」、とあった。さらに続けて、「私はマニラ、香港、カリフォルニア、ニューヨーク、アルゼンチン、シンガポール、台湾、ドイツ、オーストラリア、ほかのいろいろなアジアの国々の貸金庫に多くの資産を保有している。」遺言書には「私の妻、ジュリエッタ・フェルトを上記のすべての財産の後継者とし、私が死にいたった場合、全権力と権威のもとに裁判所の検認に従い、私の管財人を執行するための第三者を指名するであろう。」と銘記されていた。遺言書にサンティーが署名し、立会人は仕事仲間のジョーズ・T・ベラスケス、そしてマルコスの従僕、ジル・デ・グツマンと大統領秘書ビクタ・G・ニチューダだった。正式にジユリエッタ・フェルトを唯一の法定相続人にするものだったが、彼が死ぬとマルコスが容易に財産の管財人を指名できることになっていた。そうなればマルコスがサンティーの預金を支配できることになる。

数ヵ月後の一九七三年三月、他にも精神的な攻撃を受け、マニラから香港の香港上海銀行へ五億ドル移した。この合計、つまりニューヨークのシティバンクへ振り替えた八億ドルを加えると、彼はマニラの外へ現金で十三億ドル移し終えていた。同じ期間、彼は後日、日本の三和銀行に乗っ取られてしまうことになる一六四〇トンの金塊を香港銀行へ移送した。それからすぐ、レイテ島のタクロバンへの旅行中、ルツとサンティーは逮捕への恐怖からなのか、飲みすぎで大騒ぎをしてしまった。戒厳令の中、マルコスは誰でも逮捕することができる。タルシアナはサンティーからキャンプ・バンパスの軍事基地に留置されていると長距離電話で告げられた。彼はタルシアナに「噂話で」逮捕されたと言った。(マルコスが裏で噂を流していたのだ!)できる限り早くレイテに来てほしいとタルシアナに叫んだ。タルシアナがやってきたので、彼はシティバンクの支店長代理へ私信を運ぶように話し、貸金庫の鍵を渡した。ひとつの貸金庫には他の八つの貸金庫の鍵が入っていた。二番目の金庫にはタルシアナが貸金庫の支払いをするための現金が、三番目には彼女に持ってきてほしい宝石類が入っている。タルシアナが手紙と鍵を持ってシティバンクへ行くと、コーリンは出国していつ戻るか分からないと聞かされた。何年にも渡ってサンティーはCIAやランスディール将軍に格別に保護されてきた。しかし一九七三年、諜報部は大混乱に陥った。高官の多くは、「首になるか、左遷されるなんて馬鹿馬鹿しい。」と辞職していった。彼らの関心は、自分達の秘密組織か影のCIAを設立する事に集中した。CIAはよく「ザ・カンパニー」と呼ばれていたから、新しく作った影のCIAは「エンタープライズ」とでも呼ばれていたのだろう。(あとの章でもっと詳しく説明しよう。そして不思議な成り行きも・・・。)

この混乱の中、サンティーはランスディール、ヘリウェル、クラインなどと共に昔なじみとしてワシントンに招かれた。一ヶ月以上にわたり、彼らはサンティーと昔のOSSの話、例えばマオとの戦い、台湾脱出の話、どの様にしてCAT(クレイル・ケンナウルト・市民航空)をエアー・アメリカに変えたのか、或いはラテン・アメリカやアフリカ、そして鉄のカーテンの裏で行った数々の秘密作戦を説明し、大いに盛り上がっていた。彼はメイフラワー・ホテルへ帰ると、毎晩グラスを片手に椅子に座り、知りえた事を日記に書いていた。ところどころ日付や綴りが間違っているあわれな文章は、タルシアに言わせるとウイスキーのせいだった。その日記の中には数年後にようやくアメリカ市民が知るようになる数多くのCIA秘密工作の内容が説明してあった。

例えばどうしてCIAが自らDNPエンタープライズの様なものを所有したのか。アンゴラなど、極秘の戦争支援のためにどのぐらいの会社が、航空、海運、軍事物資の供給、傭兵などで存在したのか・・などなど・・。人々は、「沈黙を守るために年金を払うのだ。」と彼は言う。そして道徳的なジレンマを多くの諜報員の作戦で感じていたと述べている。「事件に対する倫理観があったかどうか疑問だし、戦時法はCIAには適用されないからね。」費用も法的な許可なしに使われ、諜報員への資金援助は彼らの好きにまかせた。サンティーは神経質になっていたようで、「ラングレー本部は時々、財産は確かに増えていると曖昧にほのめかしただけだ。」とある。日記の最後のあたりには、CIAとニクソン政権はアジア全体をだらしない所と確信しており、長期間の米国介入を正当化したと書いている。「強調したいのは、第三世界であるアジア独占企業の内部事情にあからさまなアメリカの干渉が継続していたことだ。」

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9af899 No.159213

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>>159212

さて、昔のサンティーの保護者が望んでいた物とは、今や彼らは自分達の私設CIAや私設の軍隊を設立している時であり、ワシントンが失っていた闇の金塊のいくらかを手に入れたかったのだ。彼らはサンティーが大変な金額の個人預金を眠ったまま所有していることを知っていて、それを自由にしたかったのだ。マルコス、CIA、新しい影のCIAの強い圧力に対し、サンティーは自分自身と財産を守るために次の段階へ進まねばならなかった。彼はフィリピンへ引き返し、よく考えた後の一九七四年八月一日、タルシアナへ電話を入れ、カバイト市へ会いにくるように求めた。彼女がやってきた時彼は、彼女に「すべての基金と有価証券、社債の管理と責任」を持ってもらうため、DNPエンタープライズの国内会計士として彼女を正式かつ公式に指名する書類を渡し、彼の旧友であり同僚のDNP エンタープライズ社長、ジョセ・T・バラスクィーズ・JRの助言をもとに、預金も企業への融資もその名前で行うことにした。彼は又、ウェールズ・ファーゴ銀行とハノーバー銀行にあるサンティーの口座をどうするかを指示した。彼女は、どうしてもっとふさわしい人を選ばないのかをたずねた。彼は「信頼できるのは君しかいないよ。」と言った。サンティーは善悪の区別を失いつつあったマニラ虐殺の後の苦しかった時期、小島大佐を拷問してから三十年がすぎていた

ゴールデン・リリィーの地下金庫からの回収作業は一九四七年で終わり、彼はその歩合から大きな収入を享受し始めた。質素な生活を好んだので、彼の財産は今までに比べとんでもないものに成長していた。心優しい男の彼は、年がたつほど陽気になっていった。しかし、マルコスの裏切りと残酷さは彼にショックを与えた。それから、ワシントンでは、暗殺、誘拐、残虐事件、人間性を問われるような大きな詐欺などの話で彼を楽しませた人物と対決させられた。彼らにとって第二次大戦は終わっていない。彼は初めて自分が悪漢や暗殺団の雇い主であったと思い始め、それが彼を憂鬱な気分にさせていた。安全対策のため、タルシアナ、ルツ、ベラスクィーズの三人が預金をおろせるための口座として、香港銀行マニラ支店(後に香港中央支店)の口座開設届けの署名見本用紙に署名させた。彼はルツとタルシアナに彼のすべての偽名、会社、登記場所、彼の口座がある銀行すべてを記憶するように命じた。各銀行の口座番号、コードとキーワード、そしてその預金の引き出しに必要なすべての事務手続きを一覧表にして渡した。彼はいっそう深酒となり、肝臓は悪化した。八月後半、タルシアナは彼が「不安気で心配そうで・・・とても具合悪く、息も絶え絶えだ」と気づいた。一九七四年九月十三日、彼は倒れ、パセイ市のサン・ジュアン・デ・ディオス病院へ収容された。彼はベッド脇にいるタルシアナへ貸金庫を開ける時がきたと言った。彼は彼女に信託証書の保証約款を渡し、識別表と多くの説明書、彼の人生の「発掘と冒険」の話を書いたメモを渡した。九月二十一日、彼は病院で新しく四ページの遺言書を書き上げた。「私は時間がほしい。どんなにつじつまが合わなくてもこの遺言が日の目を見るようにしてほしい。」彼はマルコスに強制されて署名したマラカニアン宮殿の遺書の内容に言及した。この新しい遺言で彼は、使用中である莫大な香港銀行の香港本店と、他にシティバンク・マニラ支店の預金口座を挙げた。彼は銀行預金の受取人として全部で十四人の名前を出した。シティバンク・マニラ支店の銀行預金通帳から六千五百万ドル以上の配分を決定した。香港・上海銀行香港支店からは、二千万ドル以上と別に八百万ドルの配分を決めた。他に香港・上海銀行の一億二千万ドルはレイテの人々と、言い忘れた人達のためにとっておいた。又、サン・ジュアン市のシティ・バンクにある個人口座から五千万ドルと、別の一千万ペソを配分した。受取人の中には最初の結婚での二人の息子、ピーターとロイ・ディアス、スペイン名でペドロとロランドが含まれていた。(この自筆の遺言書はフィリピンと米国の裁判以前に検認されていただろう。そしてCDに載せてある。)

病院で十二日が過ぎ、彼の娘フロレデリッサ・タントコ・サンタ・ロマーナ(よくリザ・タンと呼ばれている)は父の看護から解放された。サンティーは病院を出ることを恐れたが、リザは彼が自宅で死ぬ事を望んだ。彼女が自宅のあるカバナツアン市へ連れていった数日後、彼はベッドの上で死んだ。肝硬変だった。マルコス一族に精通している情報筋によると、ランスディール少佐はすぐにシティ・バンクのマニラ支店に残っているサンティーの金の延べ棒すべてをニューヨークにあるシティ・バンク本店へ移すように手配したという。もし彼がサンティーの名前による法廷弁護人の委任状を利用したのでないなら、それを実行できた説明は困難だろう。動機のひとつは、たぶんマルコスが没収する前にゴールドをマニラの外へ持ち出したかったことだろう。又、別の魔法の杖をふるうことで、別の銀行にある大きな預金、特にその中で特筆すべきは二万トンの金塊が収められていると言われ、名義人の記録にサンティーが載っている口座がランスディール名義に書き替えられていた。(UBSの証書にはあきらかに合意のもとわざとLandsdale と綴られていた。)ランスディールはその預金をより巨大なCIA、或いはジョンバーチ協会とか世界反共連盟などの保守陣営の権力者とエンタープライズ社の支配に委ねたのだろうか?その回答はあとで確かめよう。仮にマルコスがサンティーの死で預金すべての支配をマルコスの与えられると考えていたとすればがっかりであろう。マルコスとCIAやホワイトハウスとの関係は険悪になっていった。マルコスはその預金に関わることができると考えていた。CIAとホワイトハウスは彼を操ることができると考えた。彼らはどちらも正しかった。回収する財宝がある限りサンティーの休眠口座はそのままにされていただろう。

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9af899 No.159214

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Originally posted at >>>/qresearch/20494008 (291133ZFEB24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【10】/QドロップにもUMBRELLAが14回登場している。この世界へ金を移すためのグループ暗号名のこともQは示していたのだろうか?

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>>159210

>アンブレラは、サンティーがフィリピンから世界へ金を移すためのグループに付けられた暗号名だ。我々のCDには大統領マルコスが手書きで注釈を書いたフローチャートを再現しておいた。それを見れば、どのようにしてアンブレラが、一九七〇年代後半までにCIA諜報員、マフィア親分、フィリピン秘密警察、マルコスの殺し屋を混ぜ合わせた強力な組織に成長していったかが明らかになる。

QドロップにもUMBRELLAが14回登場している。この世界へ金を移すためのグループ暗号名のこともQは示していたのだろうか?

https://qalerts.app/?q=UMBRELLA

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9af899 No.159215

Originally posted at >>>/qresearch/20496721 (010125ZMAR24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 生成AIによる著作権侵害、抑止に指針策定へ 文化庁

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生成AIによる著作権侵害、抑止に指針策定へ 文化庁

2024年2月29日

生成AI(人工知能)と著作権を巡り、文化審議会の小委員会は29日、AIによる文章や画像などの無断利用が著作権侵害にあたる場合もあるとした考え方を取りまとめた。現行法の解釈で一定程度の歯止めをかけ、AI開発と権利保護の両立を狙う。文化庁は今後、侵害に当たる具体的なケースなどを盛り込んだガイドラインを策定する。

3月の同審議会著作権分科会に報告する。

現行の著作権法は、技術開発のためであれば、著作物を原則許諾なしでAIに無断学習させることが認められている。「著作権者の利益を不当に害する場合」は例外としているが、どのケースが該当するかはほとんど示されていなかった。

取りまとめた考え方では、無断でAIに学習させた場合に著作権侵害の恐れがある例として、報道機関や出版社などが複製防止の対策を講じ、将来的に販売する可能性があるデータベースをあげた。

特定のクリエーターの作品のみを学習させたAIの生成物も、権利侵害にあたる可能性があると指摘した。

規制の議論が先行する欧州連合(EU)は2019年、学術研究目的などを除き、著作権者が拒めば生成AIを利用できないとした。23年12月に合意されたAI規則案は、AI開発企業に対し、学習したデータに関する概要を開示することなど透明性を求めた。

米国では目的や性質など要件を満たせば著作権侵害にならない「フェアユース(公正な利用)規定」と呼ばれるルールがある。

新サービスが生まれるたびに合法か違法かを裁判所が判断するため、近年ではAI開発企業が訴えられるケースがみられる。米ニューヨーク・タイムズは23年12月、米オープンAIを「多数の記事がAIの学習に無断利用された」と提訴した。

小委員会の考え方は、こうした諸外国の事例や技術の進展などを踏まえ、引き続き規制のあり方を検討していく必要があるとした。

著作権に詳しく小委員会の委員も務める福井健策弁護士は「生成AIの技術は日々進化することなどからルール作りは日本を含め各国が頭を悩ませている」と話す。その上で「海外ではAI企業がクリエーター側と契約する動きがある。日本でもルールの検討は続けながら、協業を模索する動きが広がるのではないか」と推測する。

生成AIはインターネット上の大量の情報を学習し、利用者の指示で文章や画像、音声などを作る。クリエーターや業界団体から著作権を侵害する生成物が出回ることへの懸念が上がっていた。文化庁は23年12月、小委員会で考え方の素案を示していた。

日本新聞協会は2月9日、素案について、同庁が著作権者に一定の配慮を示した内容で「権利の適正保護に向け一歩前進した」との見解を表明していた。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE202F30Q4A220C2000000/

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9af899 No.159216

Originally posted at >>>/qresearch/20496766 (010135ZMAR24) Notable: ワクチン BUN / 狂犬病ワクチン、通年化を検討 厚労省、接種率の向上目指す

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狂犬病ワクチン、通年化を検討 厚労省、接種率の向上目指す

2/28(水)

犬の狂犬病ワクチンを巡り、4~6月に接種するとしている規定を通年に広げるよう厚生労働省が見直しを検討していることが28日、同省への取材で分かった。2024年度、全市区町村を対象に接種の実態を調査した上で、25年度中に見直すかどうか結論を出す方針。低迷する接種率の向上につなげる狙いもある。

 ペットフード協会の23年の全国犬猫飼育実態調査によると、犬の推定飼育数は約684万4千匹。狂犬病予防法施行規則では、生後91日以上の犬の所有者に対し、毎年4月1日~6月30日に予防接種を受けさせるよう義務づけている。

 厚労省によると、動物病院などに在庫があれば期間外でも接種できるが、接種義務の期間を限定することで、呼びかけの効果が高まり、コストも低くなるとされていた。

 ただ1990年代半ばまでほぼ100%だった接種率は、2000年度に80%を割り、その後も低下。22年度は70.9%だった。昨年、複数の自治体から、飼い主の利便性向上や、事務処理の負担軽減などのため、接種期間の見直しを求める提案が出ていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4bcd49ed1ad1137a1fbfe9f228b1091ebce40383

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9af899 No.159217

Originally posted at >>>/qresearch/20498008 (010632ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【11】

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>>159213

黄金の兵士 第十一章 POINTING THE WAY 道案内

サンティが死んだ一九七四年、雑誌や新聞はマルコスのことを数百億ドルを手に入れたアジアの大金持ちの大統領と呼んでいた。不思議なことに富の源は説明されていない。聞かれると、ニヤリとし、実は山下将軍の金塊をみつけたんだと話すのだが、人々は冗談だと思っていた。しかしマルコスは地下金庫に積まれている金塊を多くの人に自慢げに見せていた。その中には奇妙な刻印の物もある。もうこれは冗談ではあり得ない。CIA冷戦兵士の初代メンバーの一人で、サンティの回収のすべてを知るジョン・シングローブは、マルコスの百二十億ドルの財産は実際のところ山下の財宝によるものだと保証した。彼の財産がその様に膨らんだのは、竹田皇子の従者、フィリピン人のベン・バルモアの出現と、戦時中に作られたゴールデン・リリィの地下金庫とその明細書によるものだ。マルコスの探査部隊がテレサー2や沈んだナチ船、他の地下金庫からの財宝を回収できたのはベンのおかげだった。私達が最後にベンを確認できたのは一九四五年六月で、八番坑道というバンバングの地下坑で一七五名の主任技師達がお別れパーティーを開催中に生き埋めにされた時である。竹田皇子と山下将軍は深夜に洞穴を去った。強力な爆弾がしかけられていたのだ。皇子はベンを洞穴の中に残すことを拒否した。山下は呆れて怒っていたが、彼を地表へ連れ出し安全を守った。数分後、大きな爆発が地表を揺るがした。

「キムスは戦争が終われば僕を家に帰すとパパに約束したんだ。」とベンは我々に語った。「キムスは、山下が僕を中に残そうとしたのを許さなかった。僕達が叔父の家まで行った時、キムスはその夜、潜水艦で日本に帰ると言っていた。彼は僕に軍刀と上着をくれた。彼は僕の性格は替えちゃいけないよと言ったんだ。いつでも親の言うことは聞いて、そして彼に忠実だったことに感謝してた。それから彼は地図の入った小型のカバンを私に渡し、地中に埋めておけ、私はいつかここへ戻ってくると言ったんだ。」皇子は夜の闇に消えた。言われた通り彼は頑丈な木箱へカバンを入れ、叔父リノの家の裏に埋めた。三ヵ月後、山下は降服した。カバンを掘り出すまでに何年も経っていた。それまで、デュラオやバンバングの周りは米兵でいっぱいだった。ベンは彼等に雇われ、野営場の調理場仕事をもらっていた。錆びた刀と勲章は、GIに売り払ってしまった。

ある時、インディア部落の森の中にたくさん隠してある日本軍のトラックを水牛の荷車で引きずり出し、デュラオまで持ってゆき、その中の十五台をGIに五ドルで売った。当時五セントもあれば、十分に食事がとれたのだ。アメリカ兵が去り、カガヤン渓谷に再び平和が訪れ、ベンは竹田宮の刀と軍服を取り出してきた。白い上着は彼に良く似合った。左胸にはまだ菊の刺繍があり、父が人々から反逆者と呼ばれるぞと警告を受けるまでずっとその上着を着続けていた。しかし、その後は家の中だけで着ていた。日本刀は収穫の時に稲の刈り取りに使い、刃先がなくなるまで使った。彼はその刀が明治天皇から竹田皇子が拝領したものだとは知る由もなかった。二十年以上過ぎても竹田は戻っては来なかった。竹田はベンに対する将来への保障として金塊でいっぱいの大きな鉄製のトランクを二つ埋めていった。それはピンキアン橋の袂、大きなマンゴーの木の下に立坑を掘り、荷車五台で運び五十人の兵士が引きずって埋めたものだった。竹田はベンに言った。「戦争が終わったらこの箱を掘り出すのだよ。そして大きな農場を買ってデュラオでも飛び切りの美女と結婚し、たくさん子供を生ませなさい。」と。しかし、アメリカ兵が去るまでは怖くて近づくことができなかった。一九四九年、叔父リノの知り合いでバニッツというマニラの弁護士がバンバングへやってきた。彼は、戦時中サンフェルナンドで日本人と一緒にいたフィリピン人を探していると言った。叔父のベンは、それなら私の甥っ子に違いないと答えた。ベンはいつも宝物を掘り出したがる頭がおかしい子だと彼は言った。「行こうよパパ、ここを掘ろうよ、ここだよ。」なんてね、とリノは物まねをしてみせた。「ベンは財宝を埋めた所を知っているけど、彼の父は、危険な罠があるから触れてはならないと言っていたよ。」野良仕事から帰ったベンは、宝物のことは何も知らないとベニッツに答えた。弁護士のそばにいたリノはベンに竹田宮が残していった二つのトランクを思い出せと言った。それを聞いた弁護士は興奮して、すぐに皆でピンキアン橋へ行きトランクを回収しようと言い出した。ベンは秘密を守れるけれど、弁護士は赤の他人だ。次の早朝、彼らはピンキアン橋の袂の部落まで農場学習労働者と共に車で出かけた。部落の地区長である長老が出迎えた。ベニッツは市長の出迎えに気づき驚いたふりをして、「これはこれは市長さん、私達はとても大切な仕事で参りました。」と言うと、市長は「まあ、あがってちょ。」と答えた。

ベンは他の者と冷たいポテトの朝食をとるため下に残された。二人の策士がもどり、市長がベンに言った。「あんたは知ってるか?あんたら市民は金を持つということはできんのだわ。半分づつ分けることはだめだと言っとるんだ。うちの政府は許さんでねえ。私らにそれを差し出すなら、謝礼として金の棒一本ぐらいならやってもいいが、どうだ。」ベンが弁護士のベニッツを見ると、彼は重々しくうなづいた。「いいさ。」ベンは言った。「行きましょう。何もくれなくていいですよ。私は箱の中身が見たいだけですから。」彼は川のそばへ連れて行き、マンゴーの木ではなくてアカシアの木へ連れていった。そして皆が一日中掘っているのを眺めて、ほくそ笑んでいた。やがて陽が落ち、彼らは波も発見できなかった。ベンは言った。「多分、日本軍が掘り出して他のどこかへ持っていったんだよ。」と。ベニッツは、木を見上げて言った。「お前はマンゴーの木下と言ったが、これはアカシアじゃないか。」ベンは、「その木がマンゴーだと思っていたんだ。」デュラオへ戻る道中でベンは弁護士に語った。「あなたは私を騙せると思っただろうが、あなたの事を早くわかったので私は助かりましたよ。」帰宅して、ベンはリノおじさんに、彼ら二人がしようとした事を報告した。ベニッツは言い訳にあけくれた。そうしている彼らを残し、ベンは外へ出て大笑いをした。ピンキアン市長に捕らえられたり拷問されたりすることを恐れ、ベンは何年もそこへは行かなかった。その河は新人民軍の勢力圏内だった。ベンは共産軍にさらわれたくはなかったのだ。

一九九九年、ベンはついに友人とそこへやってきた。大きな台風のせいでピンキアン橋とトランクが埋まっていた堤防全体が流されていた。もちろんマンゴーの木もなかった。トランク一個の重さは一トンもあり百万㌦の価値がある。彼らは泥で埋もれたピンキアン川の下流にいた。農園にするにはぴったりだろう。キムスは可愛い誰かと結婚しろと言った。ベンは結婚し子供もあった。最初の結婚を経て再婚し、二人の娘をもった。彼はとても優しかった。しかし戦後二十年以上過ぎても貧しい農民のままだった。彼はデュラオに小さな家を持っていた。ちょうど日本兵数百名が隠匿した場所だ。しかし彼はそれを発見する幸運には恵まれていなかった。彼が何かしようとすると、いつも騙されるか盗まれるかだった。ある静かな夕刻、彼は円錐形の丘が点在する山間の渓谷を眺めながら座っていた。キムスがくれた地図は家の裏に埋めたままだった。彼は何度も鞄を掘り出した。判読すること自体は簡単だった。しかし、意味がわからない。しかたなく鞄に地図をもどし、再び埋めた。ただし磁石(コンパス)と望遠鏡は出したままにした。宝探しの連中はその様な地図が存在することを知っていた。それらは三種類あった。白表紙には一般的な各施設の位置が示されている。ベンが持っていたのは赤表紙で、暗号を解読すれば、回収に必要なすべての情報がわかる。技師が書いた青表紙には、技術的な言葉の説明付で詳細な情報を解説している。いくつかの白表紙は教会で見つかり出回っていた。しかし地下金庫や深さを特定する必要な組み合わせを与えていなかった。

一九五三年、七名の若い日本人がベンのところへやってきて、彼の持つ地図を買うと申し出た。彼らは戦争の体験があるには若すぎる。しかし、何故か地図がベンの所に残っていることと、デュラオにベンが住んでいることを知っていた。多分彼らは竹田の息子の友人か、竹田皇子の息子だったのだろう。彼らは自分が誰なのかを説明しなかった。ベンは財宝の地図について何も知らないと否定し、どうして会いに来たのかを尋ねた。彼らは笑いながら、「私達はあなたのことを知っていますから。」と言い去って行き再び現れることはなかった。戦争が終わり、宝探しが村の主産業になった。日本人が金塊を隠した場所を知っているフィリピン人はポインターをよばれた。各村にポインター、金中毒者、反対者、地域の長老や伝道師がいて、秘密の地図や目撃した記憶をもっていた。大きな収入になりそうだと見ると、秘密の場所へ案内してくれ、掘る所をみせてくれる。彼らは絶妙なタイミングでお客があきらめるころに別のカモを探すために雲隠れするのだ。ベンはポインターになる気はなかった。彼はキムスとの誓いを守った。ただ、父親にはバンバング付近の施設について話をした。ベンが見てきた記憶は消えていない。どうやってキムスと各施設へ行ったのか。そしてどんな風にキムスが青表紙の図面を持ち、歩き回るところを眺めていたのか、地下金庫を閉じる命令を出す前に最終的な一覧表を作ったことも覚えていた。くだらない財宝探しの連中がベンに詳しく話すように圧力をかけてきたが、彼は口をつぐんでいた。彼はただの目撃者ではない。生き残った戦時捕虜、逃げた台湾労働者、ジョーン・バリンジャーの様に日本人が金を隠匿するところを見ていたアメリカ人やフィリピン人もいくらかはいるのだ。森林地帯の牧草所有者の家族が回収に成功したという噂だった。彼らはバンバングの要人になり、町に三階建てのビルを建て大きな三つの衛星アンテナからTVを受信しTV会社を運営した。ベンは皇室の地下金庫、一七五箇所すべてを贈呈できる唯一の男だ。そして彼は貧乏のままだ。

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9af899 No.159218

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ある時彼は小さな高さ四インチの金の仏像を掘り出した。小さな農場を買う事ができるのに、値打ちが分からないためにラジオと交換してしまった。彼が二十二歳になった時だった。彼はつつましくよい性格で妻と子供にやさしく、いつも笑みを絶やさなかった。一九六〇年代半ばになりマルコスが国内外で公に戦争状態が和らいだ日本人と財宝の回収に乗り出し、大勢の日本人が財宝を求めてフィリピンに戻り始めた。小さな集団が毎年カガヤン渓谷にやってきた。あるチームはバンバングの共同墓地周りを調査していた。そこは、キムス配下の労働者達が深い穴と七七七番地区と名付けられたとても大きな円形の地下貯蔵庫へ降りていくトンネルを掘っていたのをベンが見ていた所だ。そこは八番トンネルと九番などを含む複合施設の一部分だ。ベンはその人達をひとりも知らなかった。そしてある日彼らはいなくなった。村人は夜のうちに切り取られた木を共同墓地の傍でみつけた。そして三つのトランクの蓋は開けられていた。彼らはそこにいくつかの金の延べ棒が隠されていたのをはっきりと見た。金の延べ棒の周りに木が生えていたのであり、木の中に金の延べ棒があったとは思わなかった。

一九六八年末、マルコスは日本へ使節を送り、もっとたくさんの回収をすすめるために共同開発を求めた。その使節には情報長官フロレンティノ・ビラクルシス中佐、フィリピン軍統制官、准将のオノファ・ラモスと他に三人の将校がいた。その使節は、マルコスが発掘した一定部分を日本に割り当てる見返りにゴールデン・リリィの財宝地図一式を求めた。もし日本政府が協力しないなら、日本企業を全ての島から追い出してやると警告した。マルコス大統領は就任して最初の二年間、東声会の長、児玉と町井久之に率いられた日韓ギャングによる海底発掘を公認していた。他のパートナーに児玉の巣鴨仲間、億万長者の親分笹川良一がいる。彼は競艇を舞台にした賭けスポーツ界の有名人の一人で資金洗浄には都合がよかった。彼の本当の富はスカルノ大統領やマルコス大統領と共同してインドネシアやフィリピンの戦時略奪品回収を分け合って作った秘密資金からきていた。「私とマルコスとはとても親しいよ。」と笹川が記者達に言った。「大統領になるずっと前からね・・・。」笹川は、たまたまゴールデン・リリィー施設を含めた財宝の中でマニラ湾に沈んでいる那智丸の場所を教え、引き換えにフィリピンで死んだ日本兵の共同墓地と慰霊碑の建設を許された。「私は個人として、フィリピンに墓地を提供してもらうために十分な最大級の文化会館を寄付してやったよ。正確に言うと四万袋分だぜ。(一袋いくらかは不明)」と自慢した。

ビラクルシス・チームが東京へやって来た時、児玉と笹川はゴルデン・リリィーのリーダーだった秩父宮は一九五〇年代初期に結核で死んだと彼らに伝えた。そして、ビラクルシス達のために、秩父宮と一緒に活動していた別の皇族と秘密会談ができるように手配した。ビアクルシス一族の話では、その人は「裕仁の従兄弟で最高位にいる将校」ということだ。日本情報部の最高位に位置する陰の人物はラモスとビラクルシスに語った。日本はフィリピンで一千億ドル以上の財宝を隠匿してきた。そしてそのすべてを回収するには百年以上かかるだろうと言ったのだ。この会談の記録にはビラクルシスによって市原公爵とだけ記されている。(裏では音声的にスペイン語でロード・イチハラと綴られている。)

後にマルコスが権力を失い大統領安全命令の多くの文書で東京の市原公爵との秘密の接触に言及している。その文章は、市原公爵が、一九四二年~四五年の間、ルソン島での隠匿作戦において秩父宮グループの鍵を握る一人であり、ゴールデン・リリィの生き字引であることをはっきりと示していた。彼は戦争中に児玉や秩父宮と働いていた高級情報将校のようにみえる。しかし、市原公爵を特定する努力は失敗に終わった。名前が一般的であり、いろんな綴りで書けてしまうからだ。戦後SCAPは貴族の称号を捨てさせた。だから一九六八年にその様な称号の使用は時代錯誤であった。彼は皇子ではなかったかもしれないが、伯爵か男爵だったはずだ。市原公爵というのはフィリピン人に彼が本当は誰なのかを隠すための偽名だろう。或いは戦時中の行いが評価され戦後になって裕仁からこっそりと称号をもらい公爵になることができたのかもしれない。私達は市原公爵が竹田宮の偽名だという可能性を考えてみた。しかし、二人は同一人物ではないと結論をだした。市原公爵がマルコスと共謀しようという意志は竹田皇子の個人的な正義感とは一致しない。キムスはベン・バルモアをマルコスから隠そうとしたが、市原公爵はベンへ彼を引き合わせた。ある日本情報筋は、シンガポールやマニラでの中国人虐殺や連合国パイロットの肝臓を食べたと罵られた悪名高い辻正信大佐に違いないと語った。華人殺害の後、彼は帝国監察長官の肩書きでマニラへ紛争調停役として送られた。形式的にあてはめるなら、辻はパターン死の行軍に責任をとるべき首謀者であり、穏やかな本間大将を出し抜き、行軍中の連合軍捕虜を殺すよう陸軍将校をけしかけたのだ。彼は帝国海軍の支配下では、海軍の肩書きである大佐として扱われた。そして陸軍支配下では、軍服を変えて、やはり陸軍大佐だった。二年間は飛行機で東京との行き来をして、ガダルカナルや他の戦闘に出現していたものの、一九四三~四四年の殆どをルソンで児玉とともにマニラ郊外のゴールデン・リリィー財宝貯蔵庫の監視をしていたと言われる。一九四四年後半、辻はビルマとタイへ移動し一九四五年八月の日本降伏時は捕虜にならないようにバンコクにいた。辻かどうかは別にして、市原公爵は一九四二年の半ばに海軍の軍服を着てマニラに着いたのだった。

日本船はマニラ埠頭で略奪品を降ろし、トラックを連ねてボナファシオ要塞へ向かった。サンティアゴ要塞と同じくボナファシオもスパイや工作員の疑いがある捕虜でいっぱいだった。ボナファシオを訪問中のことだ。市原は、国旗掲揚台に後ろ手でしばられ、日本語で汚くわめいている囚人の前を通った。驚いたことに囚人は流暢な日本語で答えた。市原はどうして日本語を喋るようになったのかを聞いた。囚人は母がフィリピン人で父親はマニラの大使館に所属していた日本人将校だと答えた。「お前の名前は?」と市原が尋ねると「レオポルト・ギガと言います。」と答え、友人はポールと呼んでいると付け加えた。「『ギガ』は日本名だな。」と海軍大佐は言った。実際のところギガ少佐は一九二八年に満州の軍閥張作霖の暗殺を手伝ったことで有名だった。これはギガの父がもらしたのだが。ギガ少佐は東アジア全域で日本情報将校として活動していた。一九二〇年代前半マニラに駐留しそこでフィリピン人と結婚し息子をもった。少年は成長し日本語、英語タガログ語を話した。しかし彼の父は上海やムクデン(Mukden)の任地に赴き彼は取り残された。一九三八年、ギガ少佐自体は暗殺された張作霖の息子が送り込んだ刺客により殺された。市原は囚人の紐を解かせ自分の管理下に置いた。それ以来ギガは通訳兼情報係として雇われることになった。彼の忠誠心と冷酷さを試すために頭巾をかぶせ、ボナファシオの囚人全員と面会させた。ギガと市原がテーブルにすわり、その前を全員歩かせた。頭巾を被ったままのギガは、アメリカのために秘かに活動している男をみつけると頷いた。そしてそれらの男達は即刻処刑された。

タガログ語で裏切り者は「マカピリ」という。しかし頭巾がギガの正体を隠した。それ以来ポール・ギガはルソンでの市原の子分になった。マニラ市にあるサンティアゴ要塞などの四つの財宝貯蔵庫や罠を技術者達と設計したのは市原だった。ポールはカーバイト市から電気工事技師を手配し、罠の配線作りを手伝った。市原がマニラから陸軍指揮下の田園地帯へ活動範囲を移した時、彼は陸軍大佐の制服に着替え、ギガには日本の第十六技術師団少尉の階級を用意させた。ギガは地下抗技術を日本で半年間学んだと言った。しかし、ギガは場所に合わせて色を変えるカメレオンの如く絶えず話を変えることがわかった。二十五年が過ぎ、市原は東京でビラクルシス大佐に、マルコスへゴールデン・リリィーの財宝地図の全てを渡したいのならポール・ギガを探すことだと言った。その後、ビラクルシスは竹田皇子の従者をしていたベン・バルモアを探し出すことができた。皇子の説明では、日本へもどる潜水艦が沈められるという想定される中で、すべての地図はベンの所に残してきたということだ。市原はビラクルシスに、ギガはフィリピンでコルゲート歯磨に雇われていると語った。だから市原は戦争以降ギガと接触していたことは間違いない。市原はギガがコルゲートの収入を補うため、日本人の金堀りグループの通訳やポインター、黒幕として仕事をしていると言った。ギガは日本人が余分な不信感を持たない様に、車、堀削機、発電機、ドリルなどを借りていた。

ビラクルシスはどの様にしてギガが本物のベン・バルモアを見つけたことを知ったのかを聞いた。市原は言った。彼らはベンに直接竹田宮と電話で話しをさせ、その会話を全部聞いたという。もし彼が本当にベン・バルモアならばすぐにわかることだ。東京から戻るや否や、ビラクルシスは急いで諜報員をコルゲートへ送りギガを探し、大統領令で彼を引っ張った。怯えたギガは問われるままになった。ベンを探し出すことは難しいことではないとギガは言った。戦時中に竹田宮と一緒にいる所を何度も見ているし、そして彼等はバンバング郊外のサン・フェルナンド・バリオ地区を拠点にしていた、ベンの家族もその近辺に住んでいたはずだ。そうしてギガはバスに飛び乗りコルゲートから出発していた。一九六九年一月早朝、ギガはデュラオのベンの家をノックした。ベン・バルモアは彼が誰なのかまったく思い出せなかった。ギガはベンに、戦時中ゴールデン・リリィーの色々な施設で話をしたじゃないかと、言った。そして自分は財宝の目録作りにも関与していたと話をした。しかし、目録作りは竹田宮だけが関わったことをベンは知っていたので、それは真実ではないとわかった。そしてギガに会ったことがない事を確信した。ギガはいつも日本の軍服を着ていたと言っている、それではどうすれば他の兵士たちの中でギガを思い出せるだろう?最初から二人の関係は緊迫していた。ベンはギガがひねくれ者で信用できないと感じたからだ。後日ベンは、ギガが誰に対しても、自分は皇子の従者で、財宝の地図を(ベンではなくて)自分がもらったと話しているのを知った。ギガは戦争の後、地図の入ったカバンは燃やしてしまい、今はコピーがあるだけだと言っていた。ギガは一ヶ月千ドルの手付金でどこを掘ればいいのか教えたのだろう。我々の調査員が一九八六年、彼を問い詰めると、ベンは前年に死んでいて、彼と自分はともに日本人とフィリピン人の混血だと主張した。これはどちらも嘘だ。それから彼は終戦の週にベンと共にいかにしてバグイオで山下将軍から地図を盗んだのかを詳しく語った。

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9af899 No.159219

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>>159218

ギガはデュラオに数週間滞在し、何とかベンを説き伏せようとした。ベンは受け流すため、イロカノ語でしか話せないと偽った。ギガはベンが初歩的な日本語は習っていたのを知っているので日本語で切り替えした。マルコスの使者として来たのであり、慢性的なフィリピンの貧困を救うために金の回収が必要で、そのためにマルコスはベンの地図を望んでいるとベンに語った。ベンは、マルコスは悪魔だという噂や、新聞でイメルダの数百万ドルに及ぶ買い物の馬鹿騒ぎを知っていたので、信じることはできなかった。するとギガは豹変し、もしもベンが地図を差し出さないのならば、大統領国家安全令で兵士がやってきて、ベンも家族もビリバッド刑務所へ連行され、逮捕されて娘はレイプそして全員が殺されると脅した。それでもベンは拒絶した。彼は家族のことが心配だったが、キムスへの誓いがあったのだ。キムスが日本へ帰ってすでに二十三年が経過していた。ベンは三十年間、地図を守ろうと誓っていたのだ。あと七年あった。皇子は二度とこないし接触もなかった。キムスは死んだのかと思った。そうだとしてもキムスの本当の名前は誰にも言わなかった。秩父宮、三笠宮、朝香宮の名前も一度も出したことはない。それでも、ついにベンは家族を守るために歩み寄ろうと決心した。ある朝、ベンはカバンを掘り出した。まず技師の書いた青表紙(ブルーシリーズ)を取り出し、ビニールで包み、頑丈な箱に入れて大急ぎで埋めもどした。次に赤表紙を再検討した。全部で一七五種類ある。彼は三箇所の気に入った施設を自分用に取り置くことにした。それは八番坑と九番坑でバンバングの近く、マニラ東方のモンタルバンだ。赤表紙の地図は丈夫な紙に書かれ、仕上げの後にしっかりと蝋引きしてあった。その図面は地形を三次元で示していた。黒澤明の古い映画「七人の侍」をみた人は、村人を賊から守るために侍達が描いた同じ様な地図をみたことであろう。図案化して描かれた物は命に関かわる情報の暗号である。日章旗が右か左へたなびくのは、その方向へ行くか否かを示している。二つかそれ以上の針を持つ時計の絵は、向かう方向の深さ、そして罠に関する情報を表す。他の記号は各施設のどこに財宝があるのかを教えている。最も重要な事は、赤表紙の地図は各施設の起点を表示していることだ。起点が分からなければ正しい深さと方向は絶対にわからない。(いくつかの赤表紙の地図はCDに公表してある)

残った一七二箇所の赤表紙の地図で、ベンは小さいと考えた所と非常に難しい所、四十箇所を選んだ。もし脅されたり家族に危険が及んだら、その束をギガからマルコスへ渡せばいいのだ。数日後ビラクルシス大佐自身がベンの家にやってきて深夜にも拘わらず「ベン、ベン」と大声で叫んだ。ベンは彼を中に入れた。キムスと約束しているので応じることはできないとベンは言った。ビラクルシスは「君の気持ちは尊重するさ。」と言い、力ずくで地図を取ろうとはしなかった。しかし、「大統領にだけは地図を見せなくてはならないので、私とマニラへ行ってもらいたい、その後で君に返すからね。」言うまでもなく選択の余地はなかった。ベンはビラクルスに四〇の小さな施設の地図を手渡した。彼は夢中でそれを見て、他のも見たいとは要求しなかった。すっかり怯えながらベンはビラクルスが用意した軍車両に乗せられ古い皮のケースに地図を入れ山を降りていった。マラカニアン宮殿ではなく、軍の支配者であり、ビラクルシスと一緒に東京へ行き児玉、笹川、市原大佐と会談した軍司令官、オノフリオ・ラモスの自宅へ行った。厳重な基地司令部の将軍事務所にはタバコ臭いデブデブの悪漢達が待ち構えていた。マルコスの閣僚も含まれている。ラモスは主人面をして飲み物を回し語った。彼らは非常に機嫌がよかった。

次なる問題は、マルコスに会わせるためにすぐにもベンをマラカニアンへ連れていくかどうかだった。ラモスは怒鳴った。「もし俺があんたならベンを渡すようなことはしないぜ。鍵をもったんだ。鍵を持った以上、なんで大統領にベンを渡さなきゃならんのだ?」結論はでないし、それを認めるのもならないしで、彼らは車に乗り込みマニラ東部にあるアンティポロの高台の防衛大臣、アーネスト・マタの隠れ家へ車を走らせた。マタはカバンを取り上げ、豚のように中の臭いをかぎまわった。マタはマルコス政権のごろつきの一人で、彼の手により多くの血が流され、それを彼はひどく楽しんでいた。彼がいくつかの地図を調べたところで何も理解できなかった。そしてベンに尋ねた。「お前はこれを持っていた奴を殺したのか?」「とんでもない閣下、僕はこのために人を殺すなんてありえません。」「それならどうしてこんな書類を持っているのだ。」「彼が僕に残していったんです。」「いや、お前はそいつを殺している。」ベンはとても怯えた。そしてビラクルシスに帰りたいとささやいた。ベンは約束どおり地図を返してほしいと求めたが、マルコス大統領に見せなければならないと言われた。ビラクルシスは、マルコスがそれを見たらベンに返すだろうと言った。

マタはマラカニアン宮殿の交換機に直通回線を持っていた。安全な宮殿の交換機を使って、東京の市原公に長距離電話をかけた。東京湾東部の農園にいる竹田皇子への取次ぎを求めた。マルコス一味が聞いている中でベンに電話が渡された。次に起こったことは遠い過去のあのキムスの声だった。「やあ。ベンハミーン。」二人の会話は短いものだったが情感にあふれていた。ベンが我々に言ったのだが、キムスが簡単な日本語で話し始めたとき、声から察するに感情がこみあがったのか、泣いていたみたいだったが、話はできたという、地図を皇族以外の誰にも渡してはいけないという誓いをキムスは念をおし、呪文をくりかえした。「ベン・ハミーン、いいかいフィリピン人もアメリカ人も日本人も中国人もだめだよ。私だけを待っていなさい。」国防大臣マタは不意に電話を取り上げ電話を切った。それがベンとキムスの最後だった。彼らは大喜びでタバコを吹かしながらお祝いをした。ベンは本物だと証明された

マルコスの所へは連れて行かない事にした。彼らが鍵を握ったのだ。この方針の決定後、ビラクルシス、マタ達は「赤表紙の地図」を一枚もマルコスにみせなかった。マタの隠れ家を後にするときビラクルシスは四〇枚の地図の束を研究用として持って行き、ベンには空のカバンを渡した。そしてベンに幾らかの交通費を渡した。それがビラクルシスが見せた唯一の心くばりだった。彼は他の者ほど冷酷ではなかった。そして四〇枚の地図で十分満足だった。四〇枚が理解できないのなら、もっと欲しくなるポイントとはなんだ?ベンは家族の事を心配しているから、残りの地図を取り上げることはいつだってできるではないか。生きている事に感謝し、ベンはバンバングへ飛んで帰った。この気の利かない、馬鹿で、威張り散らしたやり方で、一九七〇年代から八〇年代初めにかけマルコスの金発掘が始まった。最初、本物のゴールデン・リリィーの地図があるのだから、誰が考えてもマルコスも大尉も実に簡単なことだと思っていた。しかし、全員が誤りだった。ビラクルシスはいきなりサンク・メサ・ロータング施設の発掘で大成功し、アジアの国々からの金のバーの詰め合わせ、寺や仏塔から略奪した多くの金の仏像を手に入れた。大いにはりきったマルコス大統領は軍技術者の特別部隊を投入しラグーナの施設で穴掘りをさせた。そしてそこでは金のバーがいっぱい詰まったコンクリート製の地下貯蔵庫を発掘した。(十五章参照)

マルコスが大統領として初めて本当に大きな発掘をしたのはアグイナルド野営地、旗竿の下のゴールデン・リリィー貯蔵庫だった。次に兵士をボナファシオ要塞へ送った。(以前はマッキンレイ要塞と呼ばれていた)そこで彼らはマッカーサーの防空壕を掘り進んでいた。彼らはマニラの地下に掘られた三五マイルの長いトンネルの終点のひとつを発見した。トンネルの探索は二年間続けられたが、置き去りにされた軍車両の跡で金のバーひとつを見つけただけだった。ゴールデン・リリィーで隠匿された地下坑と財宝はそれほど上手に隠されていたのだ。市原公爵は協力し続けていた。マルコスが応援するギル・ガディ博士はサンティアゴ要塞で行われた穴掘りの失敗に立会い、市原公爵に専門家の助言をすすめた。准将軍がマルコスに渡したサンティアゴ・バランガン報告書には、「ガディ博士は、サンティアゴ要塞施設で直面した困難さの理由を話し、東京の市原へ手紙を書いた。市原はラグーナからペドロ・リムに連絡するように言った。リムはルソン島で略奪物資の隠匿でヤグラ大佐や山口大尉と働いていた市原部隊の一員だ。ペドロ・リムはガディ博士にベンジャミン・イルクイアのことを告げた。彼はフィリピンの電気技術者で市原公爵の依頼でサンティアゴの危険な罠を設計し施工したのだ。

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9af899 No.159220

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>>159219

すべての金貯蔵庫の場所を知っているベンにとってデュラオとバンバングでの生活とは、稲を植えて刈り取るという年間予定をこなしていくことだった。たったひとつの例外はベンがロジャー・ロクサスと友達になったことだ。彼はバグイオに住む錠前師で、埋もれている略奪品目当てに定期的にバンバングへやってきた。数年が過ぎロクサスとベンは友達になった。ある日ベンは、バグイオ病院の裏手で坑道がたくさんある地域の地図を進呈することを約束した。ロクサスは金の仏像を見つけた時、フランスの有名なレイムス大大聖堂を模った立派な金の模型もみつけた。そしてそれを発掘の分け前としてベンに与えた。その大聖堂はウエディングケーキの様に五〇センチの高さがあり、中世の教会の細かい部分を再現し、美しく手作りされたものだった。入り口の大きく丸いステンドグラス以外は純金で作られ、上品な時計がついていた。ベトナムから来た物だという以外その由来は誰にもわからない。財宝にはそれぞれ秘密の歴史があるものだ。熟練の細工師がハノイやサイゴンにあるカソリック教会の裕福な後援者の為に作ったことは明らかだ。ニューヨークやロンドンのオークションに芸術的作品として出品されたならば、その価値は金の価格の倍になるであろう。

ベンはロクサスと金の仏像に起きた事を知り、彼はそれを箱に入れデュラオの裏庭へ埋めなおした。後日、ギガからベンが金の大聖堂を発掘したと聞いたフェビアン・バー将軍はすぐに暗殺団を差し向け、ベンにそれを渡さないならば家族を痛めつけるぞと脅した。ベンは素直に応じた。十年後、キムスから貰ったものでベンに残っていたのは、階級章、水牛、飛行機の模型、ワラ帽子、ココナッツの木、そして水田だけだった。あとはすべて盗まれるか没収されて失くした。マルコスとその悪友達がくれたものといえば、「タバコ」だけだった。子供が生まれ宝探しが行ったりきたりした。ベンは貧乏のままだった。一九七二年、ベンは日本人の一団がバンバングにやってきて、サンフェルナンドにあったキムスのキャンプから半マイル以上離れた山下将軍の野営地区でブルドーザーと堀削機を使って作業していると聞いた。ベンは馬鹿なところを掘るもんだと笑った。彼は誤解していた。ベンがキムスと地下の複合設備をめぐっている時、ベンが一度しか通ったことのない八番坑の入り口を貫通し掘り下げていたのだ。彼は離れたところに別の九番坑の入り口があることを知らなかった。一九四五年、連結坑は潰れてしまったが、鉄筋コンクリートで強化された主坑道はそのままだった。これらの日本人が開けた九番坑の入り口は山下の防空指令本部へ通じていた。日中、彼らは地下の見えないところにいた。近隣の農民の話では、夜になると空のトラックがやってきて夜明けには満載で去って行ったという。

マルコスを利用してゴールデン・リリィー施設の回収を進めるため、竹田皇子はバンバングの地下複合施設の部分的な回収を許可したのだろう。それは八番坑や共同墓地につながる連結坑の再開通に関わっていただろうから、すべてを回収するのは不可能になってしまう。(訳注、申し訳ない、ちょっとここのところ意味がわからない。)竹田が二年後の一九七四年に私用でマニラに戻った事を我々は知っている。当時、九番坑の回収は完了していた。一九四五年六月、ベンと別れ、潜水艦で日本に戻って以来、彼は任務を完璧に成功させたおかげで、裕仁から温かく受け入れられていた。終戦の月には満州に送られ、帝国陸軍の財務長官に着任していた。終戦時、彼は満州の関東軍が裕仁の降伏命令に従う事を確実にするよう指令をうけていた。その後、竹田宮は妻と子供を連れて東京へもどった。貴族制度が終わり、竹田は爵位を奪われ単に竹田恒徳になった。これは明治天皇の意志で一九〇六年に設けられた日本の偉大なる宮家のひとつ、竹田宮家の終わりをもたらした。他の旧宮家と同じで、連合軍に財産を没収されるのを避けるため、竹田は自分の邸宅を富豪の堤家に売却した。堤と彼は残りの人生において密接に関わっていくことになる。彼は東京湾の東部、千葉県ののんびりした農場ひとつだけを残した。他の皇子と同じく実業家として竹田編物機械会社を始めたが、すぐに倒産した。アメリカ人が帰還すると、竹田はすぐに日本の最上貴族としての生活をとりもどした。金などは問題ない。すべてが過去のものとなり、彼はすべての日本人支配者を裕福にする手伝い、つまり借金を返さなくてもよくなるような努力をした。醜い東京にはあきあきし、ほとんどを千葉で過ごし、世界でも最も高価な趣味のひとつであるサラブレッドの品評会をたちあげた

一九六二年日本オリンピック委員長になり、一九六七年~八一年までIOC(国際オリンピック委員会)のメンバーだった。(彼の息子もこのIOCを引き継いでいる。)一九六四年四月のジャパンタイムズで竹田の横顔が次のように書かれてある。「もし、一言で竹田を表現するとしたら「なごやかさ」(relaxed)だ。自意識や緊張というものから完全に解放され、優しく暖かい雰囲気、惜しみなく好意を示してくれる。毎日の活動において、「真実、公正、善意にこだわろう」と書かれた机の文字は、彼が生きてきた信条を表している。もしもあなたが王様の気品をお望みならば、その最良の見本をお見せできるであろう。」

一九七四年、日本兵の生存者小野田寛郎少尉がマニラ湾の七〇マイル西南、七四マイル四方のルバング島で隠れているところが発見され、竹田はフィリピンへ飛んでいった。一九四五年当時、三人を除いたルパング島の日本兵はアメリカ兵との四日間に及ぶ戦闘で殺されるか捕虜になった。小野田と二人の戦闘員はジャングルにもぐりこみ三十年にわたって散発的なゲリラ戦を継続していた。一九五〇年代、戦争は終わったのだと語りかけるビラをばら撒いたが、彼らは偽装であると考えた。結局、小野田の仲間は二人とも熱帯性の病気で死に、日本では小野田自身も法律的には死んだことになっていた。ルバングの村人はそうは思っていない。一九七四年二月、日本人の若者、鈴木紀夫が小野田をジャングルでみつけた。彼はライフルと五百発の弾薬、手榴弾を持っていた。小野田は自分に指令を出した将校の指令解除がなくては投降できないと拒否した。ベンはテレビのニュースですべてを知った。彼は戦時中、竹田皇子とともに財宝金庫の隠匿にルバング島で数週間すごした。その時、ベンは小野田に会っていた。その施設を守るよう小野田に命じたのは竹田宮であることをベンは知っていた。だから竹田宮だけが指令を解除できるのだ。数週間後、数人の日本人役人が小野田に投降を説得するためフィリピンへ到着した。注目は谷口義美少将に集まり、テレビでは小野田の司令官だったと紹介された。しかし、代表者の後ろにベンは忘れられない顔、竹田宮を確認した。彼が密かに小野田を任務から解放しにやってきたのだ。

数日後、小野田は日本に帰還した。(彼は近代的になった日本にはなじめないと主張し、ブラジルのマタ・グロッソにある大きな日本人所有の農園に送られた。ルパングの財宝が回収されるまで、誰も彼を訪ねて来れないように多くの護衛がつけられた。ルパング島での回収は裕福な日本人旅行者のためのリゾート開発を装い、笹川が成し遂げた。それはマルコスの要望でやった事だと、笹川は言った。結局、ホテルやゴルフクラブが建てられ、日本人の金持ちハンターのために、アフリカの未開の遊びや珍しい鳥が集められ、性的な遊びのために若い男女が用意されていた。同時にイメルダの福祉事業に多くの寄付をしてもらい、戦時中の不快感を日本とフィリピンの友好関係を確立することで払拭するため笹川をフィリピンの名誉市民にした。笹川はマルコスに戦時略奪の分け前を渡すとは言わなかった。

竹田宮は戦後ベンに会いにくることはなかったが、使者をよこした。一九八四年、そのころベンは一時的にマニラに住んでいた。ある朝、日本人の相撲取りのような男がバンバングでバスを降り、重いスーツケースを下ろした。戦時中、竹田宮に従っていた将校の笠淵大佐だった。いまや年をとり白髪の彼は暑さで参り、湿ったハンカチで顔の汗をぬぐった。バンバングにタクシーはなくオート三輪しかなかった。唯一のオート三輪乗り場はランゴーの所有で、彼は人を乗せたり物を運ぶことを仕事にしていた。笠淵はランゴーにサン・フェルナンド部落へ連れていくように頼んだ。ランゴーはスーツケースを持とうとしたが笠淵は断った。サン・フェルナンドへ着くまで膝の上に抱えていた。ランゴーにベンハーミンという名の男を捜していると言った。笠淵はベンの名字を知らないし、もともと、どの部落からやってきたのかも覚えていなかった。彼はランゴーに、ベンは、ここサンフェルナンドで日本人皇族の従者をしていたと語った。笠淵は、はるばる東京から皇子のプレゼントをベンに持ってきたのだった。ランゴーが何度もスーツケースを運ぶと申し出たが大佐は触らせようとはしなかった。一日中、三輪自動車で走り回りベンを知る者を探した。もしも彼らがあと一キロいやその半分でもデュラオ部落へ近づいていたなら、誰でもベンを知っていただろうし、どこへ行けばベンに会えるのかを大佐に正確に話しできただろう。最終日になり、彼とランゴーはやれる事はすべてやったと認め、笠淵は渋々マニラヘの最終便に乗り、贈り物のスーツケースは彼が持ち帰った。ベンはやはり貧乏のままだった。

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9af899 No.159221

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Originally posted at >>>/qresearch/20498372 (010958ZMAR24) Notable: 小沢一朗氏のライフワークである財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター。今年は7月に和歌山県で日米草の根交流サミット大会が開催される予定

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lb

>>132718, >>132719, >>132720, >>132721, >>132722, >>132723, >>132724 アヘン貿易に関わっていたデラノ家の子孫に米国の第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトがいる。デラノ家とペリー家は親類関係。ペリー家はJPモルガンのモルガン家とも親類関係。日本人として初めてアメリカに渡ったジョン万次郎はワレン・デラノに可愛がられた(彼の銅像の手にはコンパスと三角定規がある)

小沢一郎公式サイト

https://www.ozawa-ichiro.jp/?d=lifework&a=02

ライフワーク

財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター(略称:CIE)

目的)

日本とアメリカの市民一人ひとりが国境・言葉・生活習慣などの違いを超え、同じ人間として互いに心を通わせ、理解し友情を深め合う機会を提供することによって、日本とアメリカの良好な友好関係を築き上げていくことを目的としている。

経緯)

1841年のジョン万次郎とホイットフィールド船長の出会いが日本の開国と日米親善の原点であるとの想いから、小沢一郎が代表発起人となり1990年に「ジョン万次郎の会」を立ち上げた。その後1992年に「財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター(会長:小沢一郎)」に発展させ、当会を主体として日米交流促進の活動を続けている。発足以来、毎年「日米草の根交流サミット大会」を日米交互に開催し、これまで、あらゆる年齢・職業の両国市民延べ48,000以上の人々が「心の交流」を深めてきた。

活動)

毎年、日米交互に会場を移し「日米草の根交流サミット大会」を開催している。このサミット大会は、母体であるCIEと、毎年ボランティアによって結成されるサミット大会実行委員会とが協力して運営している。

CIEウェブサイト

http://www.manjiro.or.jp/foundation/praise.html

http://www.manjiro.or.jp/foundation/origin.html

ジョン・マンの(日本への)帰国は、アメリカ最初の大使を日本に送ったことに等しい。なぜならば、ジョン・マンが我が国の本当の姿を当時の日本首脳部に理解させていたからこそ、我々の使節ペリーは、友好的な扱いを受けることができたのである。

アメリカ合衆国第30代大統領 カルビン・クーリッジ(1923−1929)

理事長 石川 和秀

公益財団法人 日本国際問題研究所 客員研究員

(元駐フィリピン大使)

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9af899 No.159222

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Originally posted at >>>/qresearch/20498379 (011004ZMAR24) Notable: 小沢一朗氏のライフワークである財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター。今年は7月に和歌山県で日米草の根交流サミット大会が開催される予定

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>>159221

今年は和歌山県で日米草の根交流サミット大会が開催されるようです

2024年7月9日〜15日

http://www.manjiro.or.jp/e/activities/img/wakayamasummit_brc.pdf

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9af899 No.159223

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Originally posted at >>>/qresearch/20498557 (011115ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ARCHIVING - TRUMP LIVE AT EAGLE PASS, TEXAS 29TH FEB 2024 !!!

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>>134132

ARCHIVING - TRUMP LIVE AT EAGLE PASS, TEXAS 29TH FEB 2024 !!!

Note: Will add notes from trump speech to this post later.

=

LIVE: President Donald J. Trump to Visit Eagle Pass, Texas - 2/29/24

https://youtu.be/pRwxV1prOJs

>>134152

>>>/qresearch/20496279

トランプ大統領【イーグルパス [バイデンは)戦える年齢の男たちの隊列をすべて輸送した。彼らはみなある年齢で、彼らを見ると...私には戦士のように見える。何かが起こっている、そしてそれは悪いことだ。

>>>/qresearch/20496284

トランプ大統領【イーグルパス 昨年、移民局の逮捕者のほぼ半数は犯罪を犯した外国人であり、3万3千件以上の暴行、3千件の強盗、6千件、900件の強盗、7千5百件の武器犯罪で起訴された。性犯罪は4千3百件、誘拐は1千6百件、殺人と殺人は1千7百件である。これが私たちの国に入ってくる人々だ。

>>>/qresearch/20496304

トランプ大統領【イーグルパス テキサスは素晴らしい仕事をしてくれた。彼らは本当に素晴らしい。彼らが私に見せてくれた作戦は、信じられないというほかない。これは軍事作戦だ。これはまるで戦争だ。軍事作戦だ。

>>>/qresearch/20496333

トランプ大統領 [イーグルパス]: "我々は特別な体験をした 私たちはツアーを行い、あらゆる種類のカメラを駆使した。彼らはそこら中にいる。空にも、衛星にも、電柱のてっぺんにも。あちこちにあるんだ。

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9af899 No.159224

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Originally posted at >>>/qresearch/20498579 (011120ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ARCHIVING - TRUMP LIVE AT EAGLE PASS, TEXAS 29TH FEB 2024 !!!

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>>159223

>>>/qresearch/20496365

バイデン氏[ブラウンズビル] 私は多くの山火事の上空を飛んできました...気候変動など存在しないという考え、私はそれが大好きです。気候変動なんてないと思っているネアンデルタール人の友人が大好きだ。

>>>/qresearch/20496377

バイデン氏[ブラウンズビル]: 私の前任者が今日、イーグル・パスにいると聞いています。そこでトランプ氏に言いたいことがあります。この問題で政治的な駆け引きをする代わりに。議会議員にこの法案を阻止するように言う代わりに、私に加わってください。あるいは、私もあなたとともに、この超党派の国境警備法案を可決するよう議会に伝えます。一緒にやりましょう

[トランプ大統領にPANICアピール]

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9af899 No.159225

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Originally posted at >>>/qresearch/20498700 (011159ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ARCHIVING - TRUMP LIVE AT EAGLE PASS, TEXAS 29TH FEB 2024 !!!

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>>159223

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112020275624915085

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9af899 No.159226

Originally posted at >>>/qresearch/20499228 (011501ZMAR24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 日本、福島処理水の4回目の放出を開始

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>>>/qresearch/20487862 Q Research General #25131: MAGA Edition

>>133640 #25131 NOTABLES

>>133635

日本、福島処理水の4回目の放出を開始

東京(スプートニク) - 東京電力(TEPCO)のデータによると、日本は水曜日、福島原子力発電所から新たな処理水の放出を開始した。

東京電力のデータによると、原発の運転員は7800トンの水を太平洋に放出する予定だ。

福島原子力発電所からの処理水の放出は、過去3回、2023年8月、10月、11月に実施された。

日本は2023年8月、近隣諸国や地元漁業者の反発にもかかわらず、推定134万トンの福島原発処理水の一部を海洋放出し始めた。3月31日に終了する2023年度中に、合計31,000トン以上の軽度の放射能汚染水が放出される予定だ。全プロセスには少なくとも30年かかると予想されている。

https://sputnikglobe.com/20240228/japan-starts-4th-round-of-treated-water-release-from-fukushima-npp-1117032951.html

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9af899 No.159227

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Originally posted at >>>/qresearch/20499308 (011524ZMAR24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / @YokotaAirBase 23日、横田基地を守ってきた軍用犬「フロリダ」が8年間の任務を終えて引退した

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>>>/qresearch/20494824 Q Research General #25139: Shill Panic Smells Like Victory Edition

>>134090 #25139 NOTABLES

>>134062

@YokotaAirBase 23日、横田基地を守ってきた軍用犬「フロリダ」が8年間の任務を終えて引退した

横田基地の警備に当たってきた軍用犬「フロリダ」が23日、8年間の任務を終えて退役しました。今後は同憲兵隊のアンドレア・ディケル軍曹宅で、飼い犬として「第二の人生」を歩みます。フロリダお疲れ様でした。

https://twitter.com/YokotaAirBase/status/1762960930533478688

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9af899 No.159228

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Originally posted at >>>/qresearch/20499390 (011543ZMAR24) Notable: アノンたちが過去2ヶ月の診断結果、急死、逮捕者をリストアップ

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>>>/qresearch/20498181 Q Research General #25143: All Surv LeapFrog Hops The 7th Moon Edition

>>134361 #25143 NOTABLES

>>134328, >>134331, >>134333

アノンたちが過去2ヶ月の診断結果、急死、逮捕者をリストアップ

この2カ月で:

- チャールズ国王がガンと診断された。

- ケイト・ミドルトンは腹部の手術を受け、12月以来姿を見せていない。

- ヨーク公爵夫人サラが皮膚がんと診断された。

- エドワード王子は王室の職務から「身を引く」。

- 英国王室に嫁いだトーマス・キングストンが急死。

- ジェイコブ・ロスチャイルド死去。

- ノルウェー国王が感染症で緊急搬送。

- フランシスコ法王が病院に緊急搬送。

- デンマーク女王が衝撃の退位を発表。

- バッキンガム宮殿の外で、2頭の黒馬が "捕獲 "された白馬と黒旗とともに目撃される。

ちょっと変だと思うのは私だけではないはずだ、だよね?

>>134328

それ以上だ。

22歳のEvelyn rottenchild。

北欧の君主制のメンバーの何人かが死亡した。

消えたと思われるペドウッド(pedowood)の面々。

ミドルトンは少なくとも半年は姿を見せないという声明があった。

ウィリアム王子が王宮での公開イベントでメルケル・トゥワークを披露。

王室のヘリコプターがバッキンガム宮殿を出るのを目撃され、チャックルズもそれ以来姿を見せない。

一斉検挙はしばらく前から行われていた。

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9af899 No.159229

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Originally posted at >>>/qresearch/20499407 (011546ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ARCHIVING - TRUMP LIVE AT EAGLE PASS, TEXAS 29TH FEB 2024 !!!

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>>159225

>>134392

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112020914864743379

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112020915488386657

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112020916006777341

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112020916574766289

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112020917151601016

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9af899 No.159230

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Originally posted at >>>/qresearch/20499412 (011547ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ARCHIVING - TRUMP LIVE AT EAGLE PASS, TEXAS 29TH FEB 2024 !!!

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>>159229

>>134390

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112020914293276078

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9af899 No.159231

Originally posted at >>>/qresearch/20502096 (012358ZMAR24) Notable: ワクチン BUN / HIV治療薬「ツルバダ」、予防投与でも申請…承認国では「適切な服用で99%感染予防」

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HIV治療薬「ツルバダ」、予防投与でも申請…承認国では「適切な服用で99%感染予防」

2024/02/29 12:39

米製薬会社ギリアド・サイエンシズは28日、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染症の治療薬「ツルバダ」を、感染予防でも承認するよう厚生労働省に公知申請した。予防投与を認める国では新規感染者が減少しており、HIV流行を終結させる切り札として期待される。

公知申請は、国内の臨床試験を省略し、医薬品の製造販売を承認申請できる制度。欧米での使用実績などの条件がある。予防投与は、世界保健機関(WHO)が推奨し、欧米やアジア諸国で承認されている。

ツルバダは飲み薬で、HIV感染症のパートナーがいるなどして、医師が性行為でHIVに感染するリスクが高いと判断した人らが対象となる。適切な服用で感染を99%防げるとする海外の報告がある。

 厚労省は、予防投与については、公的医療保険を適用しない方針だ。国立国際医療研究センター(東京)エイズ治療・研究開発センターの水島大輔治療開発室長は「承認されれば、医師らが予防法として情報提供しやすくなる。感染リスクが高い人が確実に服用するには、公費助成の仕組みも必要だ」と話している。

 国立感染症研究所によると2023年に新たにHIV感染が判明した人は943人(速報値)だった。

https://www.yomiuri.co.jp/medical/20240229-OYT1T50065/

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9af899 No.159232

Originally posted at >>>/qresearch/20502100 (012359ZMAR24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 政府 地方自治法改正案を決定 重大事態発生時の特例設ける

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政府 地方自治法改正案を決定 重大事態発生時の特例設ける

2024年3月1日

新型コロナウイルスの対応の際に自治体に対する国の権限が明確化されていなかったことが課題となったことを踏まえ、政府は、感染症や災害など重大な事態が発生した場合に、国が自治体に必要な指示を行えるようにする地方自治法の改正案を決定しました。

2月29日の閣議で決定した地方自治法の改正案は、新型コロナの集団感染により県をまたいだ患者の移送が必要となったものの、国の権限に関する法律の規定がなかったため、自治体との調整に時間がかかったことなどを踏まえたものです。

具体的には、大規模な災害や感染症のまん延など、国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生した場合に、個別の法律に規定がなくても国が自治体に必要な指示を行うことができる特例を設けるとしています。

この規定をめぐっては自治体側から国との対等な関係が損なわれるのではといった懸念が示されたことから、改正案には国が指示を行う際には自治体に意見の提出を求めるよう努めなければならないことも盛り込まれています。

このほか、▽感染症などへの対応でも国が自治体間での職員の応援の要求・指示を行うことができるようにすることや、▽市や区が行う保健所の運営などの業務について、国の指示により都道府県が必要な調整を行うことも盛り込まれています。

サイバーセキュリティ強化も

地方自治法の改正案には、サイバー攻撃や情報漏えいの防止など自治体がサイバーセキュリティを強化することも盛り込まれています。

自治体がサイバーセキュリティを確保するための方針を策定して公表し、必要な措置を講じることを義務づけます。

また総務大臣は、自治体が方針を定めるのに参考となる指針を示すとしています。

このほかデジタル化の推進の一環として、自治体共通のQRコードを使って地方税を納付する「eLTAX」を活用し、国民年金保険料なども納付できるようにすることが盛り込まれています。

また、人口が減少する中で、地域住民の生活を支えていくために、市町村が自治会連合会や社会福祉協議会など地域で活動する団体を「指定地域共同活動団体」として指定し、必要な支援を行うことも盛り込まれています

松本総務相「国と地方の関係の一般ルールを尊重」

松本総務大臣は閣議のあとの記者会見で「改正案は、国と地方の関係の一般ルールを尊重した上で国民の生命などを保護するために、的確・迅速な対応を必要な限度で可能とするものと考えている。趣旨や内容について丁寧に説明していきたい」と述べました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240301/k10014375571000.html

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9af899 No.159233

Originally posted at >>>/qresearch/20502610 (020155ZMAR24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 「NTT法」改正案が閣議決定 「研究開発の自由度向上」や「商号変更」など5項目を盛り込む

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「NTT法」改正案が閣議決定 「研究開発の自由度向上」や「商号変更」など5項目を盛り込む

3/1(金)

内閣は3月1日、定例閣議において「日本電信電話株式会社等に関する法律(NTT法)の一部を改正する法律案」を閣議決定した。同法律案は、現在開会中の第213回国会に閣法(内閣提出の法律案)として提出される。

日本電信電話株式会社等に関する法律の概要

 日本電信電話株式会社等に関する法律(通称「NTT法」)は、以下の3社について設立の目的や事業内容、果たすべき責務などを定めた法律だ。

・日本電信電話株式会社(NTT:「NTT持株(会社)」と呼ばれることもある)

・東日本電信電話株式会社(NTT東日本:東日本エリアにおける地域通信事業を担う)

・西日本電信電話株式会社(NTT西日本:西日本エリアにおける地域通信事業を担う)

 同法は日本電信電話公社(電電公社)を民営化する際の根拠法として1984年に制定され、その翌年の1985年に現在のNTTが発足した。その後、NTTから通信事業を切り離し、2つの地域通信会社(NTT東日本とNTT西日本)と1つの県間通信会社(NTTコミュニケーションズ、※1)に継承することに伴う法改正が1997年に行われたこと(※2)を除き、大規模な改正は行われてこなかった。

(※1)NTTコミュニケーションズはNTT法の規制対象外。同社はNTTの完全子会社だったが、NTTグループの事業再編に伴い、現在はNTTドコモの完全子会社(NTTから見ると孫会社)となっている(※2)実際の事業分割は1999年7月に行われた

 同法を巡っては、自由民主党において防衛財源の確保の観点から完全民営化(≒NTT法の廃止)の議論が湧き起こる一方で、NTT以外の通信事業者はNTT法廃止を阻止する観点で一致団結するなど、ここ最近は議論が活発となっている。

 当のNTTはどうかというと、機会がある度にNTT法が事業上の障害となっている面があることを訴えてきた。NTT法の廃止(≒完全民営化)とまでは行かなくとも、少なくとも時代や事業環境に合わせたNTT法の改正を求めるというスタンスだ。

法律案の概要

 今回閣議決定されたNTT法の改正案の主な内容は、以下の通りだ。

研究の自立性の向上

 NTT法の第3条には、以下の文言がある(一部、分かりやすくするために注釈を加えている)。

第3条 会社(NTT)及び地域会社(NTT東日本/NTT西日本)は、それぞれその事業を営むに当たつては、常に経営が適正かつ効率的に行われるように配意し、国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切、公平かつ安定的な提供の確保に寄与するとともに、今後の社会経済の進展に果たすべき電気通信の役割の重要性にかんがみ、電気通信技術に関する研究の推進及びその成果の普及を通じて我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与し、もつて公共の福祉の増進に資するよう努めなければならない。

 NTTはNTTグループの持株会社としての役割と共に、通信技術を中心とする研究開発(R&D)機関としての役割も担っている。一般に研究開発は単独で行うものばかりではなく、他の学術/研究機関や企業と共同で行われることもある。その際に「NDA(秘密保持契約)」を締結することも珍しくない。

 しかし、先に触れたNTT法第3条の文言の解釈によって、NTTのR&D部門の成果は広く公開しなければならないとされている。このことが、NTTが共同研究に参加する際の足かせとなっているという指摘がある。

 そこで今回の改正案では、NTTのR&D部門の研究の自立性を向上することを目的として、NTT法第3条の文章から解釈の根拠となっている文言を削除する。これにより、NDAの締結が必要な共同研究にも参加しやすくなる。

外国人役員に関する規制の緩和

 NTT法では、法規制を受ける3社において外国人が役員(取締役/執行役/監査役)に就くことを禁止している。しかし、NTTグループ全体では外国人が従業員の約4割を占めており、特にR&D機能を持つNTTでは「能力や意欲があっても責任のある立場に就けない」ということが外国人従業員のモチベーションの低下を招くとの指摘もある。また、NTTグループにグローバルかつ多様なマネジメントを導入する機運が高まらないとの声も挙がっている。

 そこで今回の改正案では、代表権のない取締役/執行役または監査役であれば、全体の3分の1未満の範囲で外国人の就任を認めるように規制を緩和する。これにより、外国人は引き続き3社の代表取締役/代表執行役にはなれないものの、一般の取締役/執行役や監査役には就けるようになる。

総務大臣からの認可に関する規制の緩和

 NTT法では、法規制を受ける3社が以下の行為をする場合に総務大臣からの認可を得る必要がある(特記のない場合は3社全てに適用される)。

・株式の新規募集や株式交換を行う場合(※3、4)

・取締役/執行役/監査役の選任および解任の決議

・定款の変更や、合併/分割/解散の決議、NTTの剰余金の処分(※4)

・NTT東日本/西日本が電気通信幹線路や重要設備を他者に譲渡または担保にする場合

(※3)新株予約権付きの社債を発行する場合を含む。ただし、株式交換や新株予約権で交付する株式にNTTの自己保有株式を充てる場合は除く。なお、NTT東日本/NTT西日本の株式は、全量をNTTが保有しなければならない(※4)内容によっては、総務大臣は財務大臣と相談した上で認可する必要がある

 今回の改正案では、上記のうち取締役/執行役/監査役の選任および解任の決議を「事後届け出制」に変更し、剰余金の処分は認可不要とする。

会社名(商号)を変更可能に

 特殊会社(特別な法律で規制を受ける株式会社)は、原則として会社の名前(商号)が法律で規定されており、会社名を変えるには先んじて法律を改正しなければならない。

 NTT法の規制を受ける3社も例外ではなく、NTT法の第1条に以下の記載があるため、「会社名を変える≒法律を改正する」ということになってしまう。

第1条 日本電信電話株式会社(以下「会社」という。)は、東日本電信電話株式会社及び西日本電信電話株式会社がそれぞれ発行する株式の総数を保有し、これらの株式会社による適切かつ安定的な電気通信役務の提供の確保を図ること並びに電気通信の基盤となる電気通信技術に関する研究を行うことを目的とする株式会社とする。

2 東日本電信電話株式会社及び西日本電信電話株式会社(以下「地域会社」という。)は、地域電気通信事業を経営することを目的とする株式会社とする。

 しかし、現在のNTTは持株会社であり、「電信」や「電話」の事業を直接手掛けていない。そこから分割されたNTT東日本/NTT西日本も、通信事業における主力は光ブロードバンド回線の提供となっており、「電信」「電話」は祖業でこそあれ主力ではない。ゆえにNTTはことあるごとに「会社名を変えたくても自由に変えられない」という旨の不満をアピールしていた。

 そのことを受けてか、今回のNTT法の改正では第1条の文面を変更した上で、同法の第8条の内容を「商号の使用制限」(※5)から「商号の変更」に改め、会社法の規定にのっとり会社名を変更できるようにする。

(※5)現行法では、3社以外が「日本電信電話株式会社」「東日本電信電話株式会社」「西日本電信電話株式会社」の商号を使ってはならないという旨の規定となっている

付則で「NTT法廃止」の路線も排除せず

 今回の改正法は、国会での成立後、交付された翌日に施行されることになっている。また、付則に「令和7年(2025年)の常会(通常国会)を目途とした法案提出」が盛り込まれている。

 この付則では、提出する法案についてNTT法の廃止も含めて検討するとされており、NTTやNTT法の在り方については今後も議論が続く。

 なお、今回の改正案について、KDDI、ソフトバンク、楽天モバイルは連名で声明を発表している。声明では「NTT法の廃止を含めた検討や時限を設ける規定」に対する懸念を示すと共に、「NTT法の廃止反対」「より慎重な政策議論」を改めて要望する旨が盛り込まれている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b163a1d48da006d55b6a43882e0c276762fc3186

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9af899 No.159234

Originally posted at >>>/qresearch/20504319 (020807ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【12】

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>>159220

黄金の兵士 第十二章 SANCTIFYING THE GOLD 金の浄化

すでに熱帯の楽園を手に入れた億万長者、マルコスには病的な傾向があった。多すぎることは決して十分でないと言う事だ。マルコスは自分がロスチャイルド家、サウド家、オッペンハイマー家と同じくらい金持ちであることを万人に知って欲しかった。このことがマルコスを破滅させることになる。マルコスは、日本人が自分を食い物にし、大きな金貯蔵所とは離れた方向へ案内していることを知った。それでも日本人の手助けなしに最良のゴールデン・リリー施設を発見し、発掘することは困難である。本物の地図があり、ベン・バルモアのような目撃者がいたとしても、場所を探し当て目印をつけてそこを掘り始めることは出来なかった。ベンはその場所へ案内することは出来ても地中の構造物については何も知らなかった。地上でさえ、ベンは正確に場所を特定できなかった。木々は倒れ、川はコースを変え、新しい建造物は場所の目印を消してしまったのだ。もし場所を数インチずらしただけで、数ヶ月が浪費されてしまう。

そこで、マルコスは有名な霊能者と利口な鉱山技師を呼び寄せることを決めた。鉱山技師は地図を解析し、霊能者は金の埋蔵場所を正しく確定出来るだろう。ひとたび彼らの仕事が終われば取り除けばよい。金を市場に出すことがもうひとつの悩みの種だった。一九三三年以来、一九七四年まで一般のアメリカ人は金の購入を法律で認められていた。その結果、世界の金価格は上昇し始めた。このおかげでマルコスは、もし市場に金を持ち込めるなら、売却可能な金の大量所有者と言うすばらしく「強者の立場」につけることになる。しかし、マルコスの回収した金の延べ棒は、サイズ、純度、重量、あるいは刻印とも標準ではなく、認定証書もついていなかった。なんでもありの闇市場の取引は別としても、通常の金の取引では、ロンドン金市場で受け入れられる標準のサイズ、重量、純度で行われるのだ。本物の金の延べ棒は純度認証刻印がつき、さらに認定証書番号がかならず必要だ。

また、所有証明書も、由来証明書も必要で、輸送記録を示す文書の保証も保険も必要になる。ゴールデン・リリー作戦で略奪されたほとんど全ての財宝はロンドン標準に合致しなかった。財宝はアジア諸国由来のもので、それらの金塊は一貫性がなく、純度は22カラット以下であった。また、財宝は銀行や国庫からの正規なものではなく、海外の中国王、マレーのイスラム教徒、仏教徒の一派、麻薬王、ギャング、古代の墳墓、宝石類そして工芸品の貯蔵品に由来していた。金塊はいろいろな形や重さで印やシンボルがつけられ、違った言葉でスタンプを押されるか刻まれていた。金塊はそれぞれ指紋のように特徴のある各種の鉱物や不純物を含んでいたので、試金分析をすればどこで採掘されたかが明らかとなる。第2次世界大戦の終った後のヨーロッパで連合国は、ナチの金塊を再精錬し、所有を示す顕著な特徴や名残を消し去り問題を切り抜けた。

過去にマルコスは回収した金塊を日本人やCIAを通して売ることで、この問題を回避していた。両者とも不ぞろいだったため、ずいぶん値切られたようだ。実際、CIAはサンタ・ロマーナが門番(案内人?)を務めた期間にマルコスが手数料を払ったように、マルコスにも発見者としての手数料を払った。マルコスは闇市場での取引を試み、規格外の金塊をパナマに対してコカインと交換し、タイの麻薬王とはヘロインと交換した。しかし、それはそれで麻薬の売人を見つけなくてはならないという別の頭の痛い問題をもたらすことになる。もしマルコスがCIAと日本人を出し抜き世界市場で自分の金塊を売ろうとするなら、ロンドンの金基準を満たすため、金塊は物質的に改変(浄化と呼ぶ過程)されねばならない。大幅値引きさえすれば、「金カルテル」のメンバーがマルコスのために金浄化をやってくれるだろう、だからマルコスは、金を浄化し、さらにその不純物混入率がフィリピン鉱山から採掘された正当な金である正当性を証明の出来る民間人(私人)を見つけなければならなかった

ひとつの可能性がカーティスと言う名前のネヴァダに住む鉱山技師で冶金学者の男だった。マルコスがメキシコ湾のカンクンで開催された大統領会議に参加した時、マルコスはコスタリカの大統領、ホセ・フィゲレスと金塊問題について話し合った。コスタリカにも金鉱があったので、フィゲレスはその問題についてはよく知っていた。フィゲレススはマルコスに、ロバート・カーティスはすでに発掘された鉱石からより多くの金を取り出す方法を確立し、あたかもフィリピンで採掘されたかのように金塊の持つ顕著な特徴を変えることが出来ると言った。カーティスを見つけ出すため、マルコスがよく面倒をみていたウィスコンシン出身の詐欺師(ばくち打ち)、ノーマン・キルストを呼んだ。マルコスはすでに有名な霊能者、オロフ・ジョンソンと接触をしていた。かれは市民権を取得しアメリカ市民になりシカゴに住んでいた。ジョンソンはアメリカの深海財宝ハンター、メル・フィッシャーが、一七世紀に新世界から略奪した一億四千万㌦相当の金塊を積んで沈没したスペインのガレオン船探索で沈没場所を特定する手助けをした。ジョンソンはまた宇宙飛行士とのテレパシー(精神感応)の実験をするため、アポロ計画の間、アメリカ政府に雇われていた。NASAとの仕事中ジョンソンはアメリカ空軍の大佐と会い、フィリピンに行き、クラーク空軍基地で財宝埋蔵場所を調査するように依頼された。ジョンソンがクラーク基地で仕事をしている時、うわさがひろまり、ヴィラクルシス大佐がジョンソンに会いに来た。彼はジョンソンにクラーク基地での財宝探索は厳しく禁じられていると言った。しかし、ジョンソンはマルコス大統領の大きな力になれたし、基地外の財宝探索にも大きな力となったのだ。マルコスはいつも自分を霊能者だと夢想していたのでマラカニアン宮殿で二人が会った時、マルコスはジョンソンに深く印象付けられた。マルコスは霊能者に、フィリピン人民のためにも第二次世界大戦の財宝を見つけ、そして人民を貧困から救うため、ジョンソンの助けが必要なのだと言った。マルコスは隠匿された日本軍の金塊の多くの場所をすでに知っているが、彼の部下たちはどこを掘ればいいのか厳密には知らないのだと言った。オロフジ・ ョンソンは目標場所を的確に示す偉大な情報提供者になりうる。ヴィラクルシス大佐は専門家チームも投入していた、彼の言によれば、チームはレバー(Leber)グループと呼ばれた。レバーはREBEL(反逆)を逆に綴ったものだった。マルコスはオルフジ・ ョンソンにレバー・グループの指導メンバーになるよう望み、謝礼は気前よく山分けにしようと言った。ジョンソンは大喜びし、魅了され、すぐに意見が一致した。

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9af899 No.159235

Originally posted at >>>/qresearch/20504326 (020809ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【12】

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>>159234

一方で、一九七四年後半、ロバート・カーティスはノーマン・キルストがフィリピンからなんども電話したうちの最初の連絡を受けた。カーティスは四十四才の成功した採掘・精錬会社のオーナーで、会社はレノの近くのネヴァダ州スパークスにあった。カーティスはサン・フランシスコで銀行員としてスタートし、カリフォルニア・ネヴァダ州境に沿った地域の古い銀や金の採掘に魅了された。彼は多くの古い採掘鉱を手に入れ、スパークスに工場を建てた。その工場でカーティスは鉱石を再処理し、より多くの金、そしてプラチナやイリジウムなどの貴金属を採り出す新技術を完成させた。大抵のひとは、アメリカでプラチナが採掘されるとは知らなかったが、それは金のカルテルが、アフリカで自分たちの鉱山から採掘する金属の量や価格を支配するためプラチナの探索を妨害したからだ。

しかし、カーティスは独力でシエラで採掘した鉱石からプラチナを採り出す方法を確立した。そのおかげでカーティスはそこそこの金持ちになれたのだ。ノーマン・キルストはボブカ・ ーティスに、マニラに飛びマルコス大統領のために精錬所を立ち上げる相談をする気がないか訊ねた。キルストはカーティスに、金塊を再精錬し、認証をフィリピンの公式のナンバーと刻印に変え、フィリピンの鉱山からの採掘されたように見えるよう化学組成を変えることをマルコスが望んでいると説明した。カーティスにとって信じがたいのは告げられた金の量の多さだ。キルストとマルコスはまず第一に、少なくとも一年に三百㌧の金塊、つまり三千トンの金塊を向こう十年間で処理することを望んでいたのだ。(現在の価値なら二百八十兆円!)

カーティスはよく考えて、下調べをした。歴史的にみても、フィリピン鉱山から採掘した金が大きな割合を占める可能性はなかった。一九三九年にフィリピンの金山はそれまでの最大の量の金を産出したが、百万トロイオンスつまり三一トンちょっとである。一九七〇年代にフィリピンは毎年わずか二二㌧を産出しただけだった。金鉱の作業は活気がなく非効率的だったので、毎年の産出量が突然十倍に急上昇したことを説明するのはむずかしかった。しかしながら、マルコスはもう少し辛抱すれば長年にわたった少量の市場取引から抜け出せる。金塊の浄化さえできれば、マルコスはすぐにでもそれを民間のバイヤーに売ることが出来る。カーティスはキルストの話を何回か断ったあと、一九七五年二月二十二日、キルストから長い手紙を受け取り考えを変えた。手紙には、本当の金塊の出所は日本軍の略奪品だと明らかにしていた。クリストは手紙で述べている、「アメリカ大使館の敷地、クラーク空軍基地、スービック海軍基地に埋蔵された財宝がある…重要なものが34ヶ所で、それほど重要でない場所が一三八ヵ所ある。レバーグループは百七十二ヵ所全ての回収計画を立てたが、重要な三四ヵ所での作業だけを望んだ。というのは三四ケ所のうちのいくつかから財宝を回収できただけでも、ずいぶんいい仕事になると知ったからだ。」(マルコスはベンが自分のために、八番抗、九番抗、マンタルバンの三枚の地図を取り除いていたことを知らなかったので隠匿場所一七二ケ所と言う数字が定着していた。

「君が埋蔵場所へ行けば、そこで本物の日本軍の図面を見せてもらえるだろう。」。「一九四〇年の金相場で言えば七千七百七十億円の財宝があるんだ…坑道の内のおばけ貯蔵所には…九千九百九十億円の財宝がある…八千八百八十億円の財宝がある…」。どんどん、財宝の数字は途方のないものになった。マルコスの取り巻きはこれらの推測を、三桁の数字と長いゼロが続く円記号で印のつけられた地図を根拠とした。地図上にある多くの他の記号のように人を欺く暗号が含まれていることを考えもせずに、その記号で埋蔵場所に七千七百七十億円の金があるという結論に飛びついた。マルコスはたいへん興奮して、自分のヨットに「七七七」と名づけた。少し理性的に考えれば、各埋蔵場所にどれくらいの財宝があるのか誰もわからないことは自明だ。埋蔵された個別の品目は金の仏像、宝石が詰まったドラム缶ように地図上に特定できるが、その価値は特定できるわけではない。現行の金価格がどうであろうが、七五㌔の延べ棒はまともな人間であれば誰でも満足できるものだ。多くの理由のため、ほとんどの財宝ハンターたちは、地図を持つ者も持たないものも、収穫はなかった。極少数の人間だけが成功し、マルコスも、ロバートカ・ ーティスのおかげで成功者の中に入ったのだ。

カーティスは思い出す。「私は信じられなかった。私は財宝について信じられない理由があるんだ。」カーティスは世界の金算出量の一般常識的について、キルクスが言ったことに満足できなかった。カーティスは工夫と幸運しだいで再精錬されるのを待っている第二次世界大戦の財宝の大きな貯蔵所があると云う考え方に夢中になった。カーティスは何をするかを決める前にもっと調べるべきだった。カーティスはキルクスに三日以内にマニラに飛ぶと告げた。カーティスは一九七五年の二月の終わりにマニラに着き、キルストに会い、ファビン・バー将軍等、マルコスの側近と仲間に紹介された。彼らは大変友好的だったのでバーを含んで彼らの半分がプロの殺し屋だとは気付かなかった。そのことは後ではっきりした。「三日か四日で私は納得したよ。」とカーティスは我々に語った。カーティスはマニラに三日間滞在するつもりだったが、一ヵ月もとどまった。カーティスを納得させたのは圧倒的な物的証拠だった。カーティスはマニラのマラカニアン宮殿や他の場所で、金の延べ棒でいっぱいになった部屋を見た。あるひとつの部屋のだけでも、金の延べ棒で六千万ドル分を見たと計算したのだ。銀行員として、冶金学者としてそれが本物だと理解した。マルコスは礼儀正しいホストであろうと努力して、カーティスはマルコスの知性に感心した。

後になって初めてカーティスはマルコスがまた大変「冷酷な男」だと気づいた。最初の会合で、マルコスは、国際法では「第二次世界大戦の略奪財宝の発掘で、出自が特定できる物はすべて奪われた国に返却されるべきだ。」と定めている、この点で助けが必要なのだと言った。マルコスはカーティスに、自分は莫大な量の金を回収しており、その金が偽装しない限り没収されることになると言った。一九七五年三月十一日から十二日に、マルコスはカーティスや他のゲストと掃海艇を改装した大統領専用クルーザーで夜のクルージングに案内した。クルーザーは百人のゲストを乗せマニラ湾周辺をまわり、宴会が行われ、その後は踊りが続いた。踊りは真夜中に終わり、ゲストは湾に面したところに降ろされた。そして、クルーザーはレバー・グループの中心メンバーと幾人かの外国のゲストだけを乗せて再びマニラ湾へ向かった。カーティスはオルフ・ジョンソン、ノーマン・キルストに混じって、戦争略奪品の回収に関する秘密の会談に参加した「 ニクソン元大統領の側近と」 「フォード大統領の側近」がそこにいたことを覚えている。ニクソンは七ヶ月前に大統領を辞任し、後をフォードが継いだ。共和党はウォーターゲート事件のために一九七六年の大統領選挙に敗れそうだった。二人の側近が参加していることで、カーティスはニクソンとフォードがマルコスの金回収活動に何とかして参加しようとしていると推測した。カーティスは、ふたりの側近が政府の代理人なのか、ニクソンとフォードを非公式に代表しているのかあれこれ考えた。

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9af899 No.159236

Originally posted at >>>/qresearch/20504328 (020810ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【12】

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>>159235

カーティスとマルコスは星空のもとデッキチェアで多くの夜を過ごし、闇の金塊の問題について話し合った。マルコスは自分のことを自国民の生活向上のために、又冷戦時代のワシントン政府の良き協力者であるため誠実に取り組んでいる親米民主主義国家の大統領であると主張した。マルコスは自分の持つ悩み、つまり金塊を処分する難しさについて説明した。最良の方法は、他の金の銀行に金を売る危険に巻き込まれるより、むしろマルコスが自分の地金銀行を設立することだとカーティスは言った。自分の地金銀行があれば、金を保有することもデリヴァティヴに貸し付けることも可能だし、大きな利益を得ることも出来るだろう。この提案はマルコスの興味を引かなかった。なぜなら、世界の新しいオッペンハイマーとしての華やかな自己イメージに合致しなかったからだ。

カーティスはマルコスに金塊をアラブ諸国と石油と交換し、その石油を日本に売ってクリーン・マネーで決済させたことがあるか尋ねた。マルコスはこのアイデアが気に入ったようだ。朝方、クルーザーはバターン州マリヴェレスにある避暑用の大統領宮殿沖に停泊した。カーティス、ジョンソン、そしてキルストはマルコスの書斎に連れて行かれ、そこで本物のロクサスの仏像を見た。カーティスは近づき仏像が純金であることを確認した。仏像には刻み目や引っかき傷があり首にはドリル穴がある、それでメッキした銅ではないことがはっきりした。マルコスはその首がどのように回して外れるかを見せた。オルフ・ジョンソンの助けがあっても、カーティスはひどく重い仏像を動かすことはできなかった。次にカーティスはバー将軍に地下の大きな部屋に連れて行かれ、何列にも並べられた金の延べ棒を十分に調べた。帰りにマルコスはテラスに立ち避暑用宮殿の前の丘を指差した。マルコスはカーティスに、あの丘に幅八〇フィート、長さがフットボール競技場くらいの地下倉庫をいくつかデザインして欲しいと言った。そうすればマルコスは二十万㌧から五十万㌧の金塊を貯蔵できることになる。マルコスはマニラで使用している貯蔵庫はすでにあふれ出んばかりだと語った。再びカーティスはマルコスの述べる金の量に驚いた。その量は一般に存在すると考えられている精錬された金の量の何倍もの量だ。

しかしカーティスは金は稀少だという俗説は、ダイヤモンドの俗説とおなじで、価格を高く維持するために希少だと言っていると確信できるに十分な金の量を見てしまった。一九七五年三月二十五日、カーティスはオルフ・ジョンソン等と一緒にレバー・グル-プとの契約に署名をした。彼らは「前述の財宝を調査研究し回収するため、一緒に能力や手段を出し合うこと」に同意した。見返りは「フィリピンの国土と海域」で回収された金を分け前としてもらうことだった。カーティスが関与したのは、ネヴァダの工場から二基の溶鉱炉を提供したことだった。溶鉱炉はマニラに運ばれた。一基はマラカニアン宮殿に隣接する国立開発コープに据え付けられ、そこでは溶鉱炉は金を適切な品質証明と品質番号をつけロンドン基準に改変(浄化)するために使われた。もう一基はバターン州のうなぎ工場の隣地にカーティスの仕様に合わせて建設された精錬所に据え付けられた。そこで事前に精錬された多量の鉱石や新しい鉱石が、カーティスが開発した、より効率的な抽出工程へ送り込まれた。この新工程での金の産出量の増加はフィリピン全体の金の産出量が増加しているもっともな説明になった。マルコスの金のいくらかは、銀や他の金属を八百純度まで加えることで、精錬していない鉱山のインゴットに見えるように格下げされた。鉱山の金の延べ棒は登録も品質保証も必要ないのでその金は疑惑を起こすことなく少しずつ市場に流された。

カーティスが最初の旅でマニラにいる間、マルコスはオルフジ・ ョンソンを試した。バー将軍は、ジョンソンとカーティスを沿岸警備隊の哨戒用魚雷艇でマニラ湾のある場所に連れて行った。そこは日本軍の重巡洋艦「那智」が一九四四年一一月五日に沈められた所で、ジョンソンが沈んでいる「那智」を見つけられるかどうかを確かめようとした。「那智丸」については、そして「那智丸」がどのようにして、どこで最期を迎えたかについて様々な論議のあるところだ。ひとつの見方として、「那智丸」は衝突で破損した後、日本での修理を必要とし、マニラ湾沿いのカビテ州で百㌧の「金のユリ」金塊が積み込まれ、出航したとたんマニラ湾で待機していた日本軍の潜水艦に故意に魚雷で沈められたというものである。海面に浮かび上がった乗組員たちは潜水艦の乗組員に機関銃で撃ち殺された

この説明では、「那智丸」は銀貨や金貨でいっぱいのドラム缶を積んだ荷船を曳航しており東京へ向かっていたという。二番目の魚雷は荷船に命中し、真っ二つとなり砂と泥の海底に銀貨や金貨をぶちまけた。日本軍によって意図的に穴を開けられ沈められた他の財宝船のように、「那智丸」は浅い海域(約百フィート)に沈んだ。公式の米国海軍の報告書には、「那智丸」は一九四四年十一月五日にマニラ湾に沈められたと断定しており、その沈没は連合軍の飛行機によるものだとしている。ベン・バルモアに残された「金のユリ」の地図は沈められた船の位置と、積み込まれた財宝の種類を示していたが、マルコス配下のダイバーたちは濁った海水のなかで財宝を見つけることが出来なかった。だから、オルフ・ジョンソンは霊能力で財宝を見つけることを期待されていたのだった。

「那智丸」の位置を正確に突き止める努力に緊迫感が取り巻いた。なぜなら、日本のダイバーたちもまた財宝を探していたのだ。マルコスは以前、日本の難破船引き揚げ会社に許可を与えていたが、その時は日本人が「那智丸」の沈んだあたりに潜水するのを望まなかった。予防手段として「ルソン荷役会社」を国営化したが、この会社は日本のために仕事をしていることをマルコスは知っていた。バー将軍は沿岸警備隊の巡視船に日本人ダイバーたちのどんな動きも見逃すなと命令した。日本政府は何が起こっているのかをあたかも知っているかのように、日本の首相はまさにこの時をマルコス公式訪問に選び、「那智丸」の親族の代表団を一緒に連れてきた。代表団の中には艦長の「コノオカ・エンペイ」大佐の未亡人も含まれていた。代表団は遺骨の回収を希望していると言い、首相は日本の引き揚げチームが「那智丸」から遺骨を探索する許可を要求し、またフィリピン海域に沈んだおよそ四百の日本船を探索する許可も要求した。マルコスは拒否した。カーティス、ジョンソンと一緒に哨戒用魚雷艇に乗っていたのはベン・バルモアとポル・ギガ、加えてフィリピン人ダイバーの一グループとバーの警備係であった。ベンの地図に示された場所に錨を降ろし、ダイバーたちは濁った海水の中で数時間探索したが何ら得るものがなかった。ジョンソンはダイバーたちが諦めるまで忍耐強く待ち、それから右側に数百ヤード移動することを主張した。ダイバーたちは再び潜り、すぐ浮上し、ジョンソンに「那智丸」を発見したと叫んだ。そして、ダイバーたちは証拠に号鐘(船鐘)を運び上げ、浮きブイを沈没船の船首と船尾につないだ。彼ら全員が翌日の午後その場所に戻ったとき、目印のブイは姿を消していた。海流が綱をちぎったようで、その日の内に船の場所を再確認するには遅すぎた。三日目にジョンソンは再び「那智丸」の場所を特定し、新しいブイがしっかりと取り付けられ、バーは侵入者から守るために巡視船をその場に残した。しかし、三日後、彼らが実際に金の回収を始めるためにその場に戻った時、ブイはまたもやなくなっていた。何か胡散臭い。カーティスはバーの直属の部下がブイを取り去ったのではないかとほのめかした。バーは、彼の指揮下の巡視船は大統領のクルーザーを護衛するためにその場所を離れなければならなかったと主張した。実際のところ、カーティスは始めて本当のフェルディナンド・マルコスを理解しつつあった。「那智丸」がどこに沈んでいるか確実に知ってしまえば、マルコスは誰かと回収品を分け合う気持ちが微塵も無かったのだろう。マルコスはカーティスとジョンソンに「那智丸」の事は忘れ、代わりにもっと見込みのある陸上の財宝隠匿場所に関心を向けるように言った。

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9af899 No.159237

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>>159236

マルコス一派のいくつかの情報筋によれば、マルコスは「那智丸」の金を回収したはずだと言う。レバー・グループの元駐米大使、アメリト・ミュータックはカーティスに、マルコスが「那智丸」から回収した金は一九七五年時点で六十億ドルの価値があり、その当時金は一オンス六十五ドルで取引されていたと言った。この数字は別のマルコスサイドの情報筋から我々が確認したものだ。三月の終わりにカーティスは緊急の用事にけりをつけ、自分の所有する精錬機器をフィリピンに発送しにネヴァダに飛んで帰った。彼は何枚かの地図を調べた後、マニラのサンティアゴ要塞ではすぐに金の回収が出来、その後マニラのちょうど東南にあたるテレサー2と呼ばれる大事な場所に取り掛かろうと決めていた。ベンの「金のユリの地図」によれば、テレサー2地区はトンネルのひとつに乗り入れられた多くの日本陸軍のトラックの数を基本にし、また三体の大きな純金の仏像、裸のダイヤモンドが詰まったドラム缶を考えると、金の延べ棒で八十億ドル以上が埋められているはずだ。テレサー2は複合施設のほんの一部分にすぎない、ひとたび彼らがテレサー2に入れれば、別の施設に入り込むことが出来る。カーティスは土木工事の経歴を持つ数人の従業員をネヴァダに持っていた。カーティスは従業員をマニラへ連れて行き、財宝隠匿場所の開放を手伝わせようと計画していた。これは前もって給料、移動費そして海外での生活費など金のかかることだ。カーティスは二基の六トン溶鉱炉をフィリピンまで運ぶ費用も支払わねばならなかった。カーティスはまた、ネヴァダで別の形で生み出していた事業収入も失うことになるだろう。

マルコスは全てのレバー・グループ仲間の経費支払いを拒否したので、カーティスは自分の懐から全ての費用を負担した。マルコスからみれば、カーティスは生涯のチャンスを与えてもらうのだから、全てを犠牲にする覚悟が必要であろうということだ。今にして思えばカーティスは騙されていたのだが、彼は事が順調に進むことを望んだ。カーティスは多額の資金を、彼の鉱山、スパークスの工場と設備に投資をしており、その投資の邪魔をしたくはなかった。彼はフィリピンで地中から金の延べ棒を掘り出し始める費用を補うため、金策をする必要があった。この探索の冒険物語は異様だし秘密なので、間違っても銀行に打診することはは出来なかった。そんなことから彼は「ジョン・バーチ協会」へ話を持ちかけることになった。カーティスは、協会の側近グループが貴金属の取引に深く関わっていることを知っていた。数年も前、協会の連中はカーティスに話を持ちかけていた。「ハント・ブラザーズが一九七〇年代初め、世界の銀生産を独占しようとしていた時に」とカーティスは我々に話した。続けて「連中はハーバート・F.ブッフホルツ大佐を私のもとへ寄こしたのさ…ジェリーア・ ダムズ…ロバート・ウェルチもやって来たな。バーチ協会の創始者、下院議員のラリー・マクドナルド、そしてジェイやダン・アグニュー、フロイド・パクストンもやって来たんだ。」と話した。

バーチ協会は一九五八年、アメリカのいたるところに共産主義者、ユダヤ人、不法入国者、アフリカ系アメリカ人、自由主義者そして同性愛者が入り込んでいると確信する金持ちの実業家と極右政治家のグループにより活動を開始した。会員たちはまた金と銀の虫をその印として与えられた。会員たちはFRB(連邦準備制度理事会)を創設したアメリカ大統領に対し、ずっと前から恨みを抱いた。FRBはアメリカで個人的が金を所有することを犯罪とみなし、その罪は多額の罰金、没収、投獄といった罰を伴うものだった。会員たちはニクソンがアメリカを二度も裏切ったと信じていた。一度は金本位制を廃止した時。二度目は共産中国を承認したことである。他方で、ニクソンの政策のおかげで、一九三三年以来、初めてアメリカ人は合法的に金を購入し、所有することが可能になった。だからこそ、バーチ協会の指導者たちは海外で金を手にいれ、カナダの闇ルートから国内へ金を持ち込み、それを反共活動のために協会の基金に加えられた。

アメリカの超保守グループや、リベラル派にCIAや国防総省から追い出されたランズデール将軍のようにバーチ協会員は自分たちの右翼自警団を作るための長期戦略を持っていた。それは決してヒトラーのブラウンシャツやゲシュタポのように無教養なものではなく、エリート民間軍隊に支持された私設FBIに近いものだ。これには資金がかなり必要だろうから、民間に所有されている多量の金が必要だった。カーティスは保守主義者で愛国者だったが、バーチ協会のメンバーではなかった。しかし貴金属に対する強い興味は共有していた。カーティスがマルコスの金探索に参加したときバーチ協会の役員に対し、隠匿された日本軍の略奪品について自信を持って語った。彼はレバー・グループでの役割、マルコスと行う金の浄化と金を売りさばく販路探しへの関与について語った。

カーティスはバーチ協会幹部の幹部連中がすでにサンタ・ロマーナの金回収や、「ブラック・イーグル信託」を設立した時のロバート・B・アンダーソンとジョン・J・マックロイの役割を知っていることは気付かなかった。すでに彼らはM資金におけるマッカーサー将軍、ウィットニーと、ウィロビーの役割、そして戦後日本での金融操作の全てを知っていた。彼らがこれを知っていたのはバーチ協会の設立メンバーの一人にローレンスバ・ ンカー大佐がいたからで、ユーモアの無い男、バンカーは日本でマッカーサーの個人的スタッフをボナー・フェラーズ将軍から引き継いだ。バンカーは一九四六年から一九五一年まで日本におけるマッカーサーの主席補佐官であり、スポークスマンだった。一九四六年から一九五一年の間、日本ではアメリカで行われたマッカーシーのアカ狩りがかすんで見えるほどひどいアカ狩り(魔女狩り)が続いていた。

カーティスに融資を手配したバーチ協会の金庫番はワシントン州上院議員フロイド・パクストンと彼の息子のジェリーだった。彼らはビニール袋を閉じるプラスチック製のクリップを製造しているクウィク・ロック社を経営していた。カーティスが言うには、もう一人の参画者はアトランタ州の上院議員ジェリー・アダムスで、彼はハント兄弟と提携している貴金属会社「グレート・アメリカ・シルバー社」の社長だった。カーティスが言うには、彼は下院議員のマクドナルドとロバート・ウェルチから、マルコスとの仕事をした時の融資は二人が個人的に「清算」してくれたと知らされたそうだ。彼らはカーティスがバーチ協会の国民会議の一員である億万長者サミュエル・ジェイ・アグニューと直に取引することになっていると言った。彼らはカーティスにフィリピンでの費用として三件の貸付、合計三七万五千ドルをすることに同意した。この貸付にはレバーの分け前22.2%という約束と、うなぎ飼育場の近くのバターン精錬所での10%の分け前以外に担保がなかった。バーチ協会から財政的支援を取り付けたことで勇気づけられ、金を回収すれば数ヶ月で借金は容易に返済できると確信し、一九七五年四月半ば、カーティスはフィリピンへに戻った。カーティスはサンティアゴ要塞で容易に金を回収できるつもりだったので、大金持ちになるのは数週間、数ヶ月そこらで十分だと思っていた。カーティスは相棒のジョン・マカルスターとその妻マーセラ、エンジニアのウェル・チャプマン、霊能者オルフ・ジョンソンを連れて行った。気前の良さを発揮して、カーティスは彼の相棒だけでなく、ジョンソンにもファーストクラスの航空券を購入したのだった。

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9af899 No.159238

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>>159237

その四月、マニラに再集結し、カーティスはサンティアゴ要塞の換気口からおばけ金庫の回収、つまり簡単な回収から始めたいとマルコスに言った。そうすればバーチ協会に金を返すことも出来るし、ネヴァダで工場の製造を開始することもできるだろう。マルコスはカーティスがバーチ協会に金を返済することには何の関心もなかった。サンティアゴ要塞の作業がそんなに簡単なら、どうしてカーティスにやらせるだろう?マルコスはフォートサ・ ンティエゴは史跡なので特別許可が必要だと嘘をつき、マニラ市街の外側の地区を選ぶようカーティスに言った。マルコスは再び避暑用のマリベラス宮殿裏にある二カ所の地下貯蔵所で作業するようカーティスに強く求めた。カーティスはその仕事をウェスチ・ャプマンに与えた、彼はそれぞれ幅八〇フィート奥行三百フィートのトンネルの設計図を描いた。そこを訪れた一人、常勤のCIA職員はどちらのトンネルも金を詰め込みながら建設されたと証言した。カーティスはサンティアゴ要塞で急ぎの回収が出来ないことに失望したが、テレサー2や、もうひとつの目標の作業に興奮していた。

ビラクルシス大佐はベン・バルモレスとポル・ギガを引き連れ、四〇の財宝隠匿場所をカーティスに調査させた。毎晩カーティスはマニラ空港近くの四つ星ホテル、フィリピンビ・ レッジホ・テルに戻った。そこでカーティスは最上階のペントハウスをジョン、マーセラ、マッカラスター、それにウェスチ・ ャプマン、オルフジ・ ョンソンらと一緒に使用した。カーティスは探索場所を訪れていないときは、時間の多くをベンとペントハウスで過ごした。地図を調べ、その重要部分を発見し、地図の暗号を解読しようとした。カーティスが特定の隠匿場所の調査を望めば必ずベンがバンバングまで長い距離を出かけ、望んだ地図を手に入れてマニラへ持ってきた。結局、ベンは旅をすることに嫌気がさし、彼がいつも持っている三枚の地図を除き、残った地図を全部カーティスに渡してしまった。そいつがとんでもない決定だったのだ。

レバー・グループは当時カーティスと一緒に調査する多くの専門家を用意しており、日本人の言語の専門家も含まれていた。各地図にはひとつの時計の文字盤が描かれており、時には二個か三個の場合もあった。時計には時計の針がないものもあれば、四本の針があるものもあった。各時計の数字は時には普通の並びで、時には奇妙な配列もあり、時には逆さまになっていた。全ての場合に、時計の数字の間にある印はいつも違っていた。全ての地図はそれぞれが謎だった。昼間は多くの実地調査があるために、カーティスには隠匿場所の地図にこだわる時間がますますなくなるし、地図を取り上げられないとの保証もなかった。そこで彼は百七十二枚の地図全てを写真に撮った。最初はポラロイド、次には三十五ミリのカラー写真で撮った。カーティスは記録保存マニアだったので、書類、写真、録画テープの山を積み上げていた。彼は掃除婦がそれらの資料を処分しないかと心配だった。ある日、マルセラ・マッカラスターは買い物に出かけ、フィリピンの堅木から手彫りで作った三層式の回転式食器棚を買ってきた。カーティスは同じ店に出かけ、ネヴァダの妻に回転式食卓をひとつ送ることにした。カーティスは店員が搬送箱の中に古新聞を詰め込んで回転式食卓に詰め物をしているのを見た時、彼は店員に自分の事務書類で代用できないかを尋ねた。それが出来れば別の荷物を送る費用が節約できる。

カーティスは急いでホテルへ帰り、書類、録音テープ、写真、ベンの地図を撮った写真の入った三つの箱を持って帰ってきた。それはとっさの決断だったが、カーティスの命とジョン・マッカラスターの命を救うことになるのだ。翌日、カーティスはマルコスにテレサー2に取り掛かるよう勧めた。ベンの地図によれば、ここは777地区で、かなり期待できる場所だった。マルコスが派遣した陸軍チームはすでにテレサー1の発掘を試みて失敗していた。テレサー1とテレサー2はともに、テレサと呼ばれるヒスパニック地区にある陸軍基地のそばにある。テレサはマニラの南東、リサール州の活気のない地方都市である。ここにすり鉢山の形をした石灰岩質の丘を削って掘られた精巧なトンネル複合施設があり、トンネル内には数十億ドルの価値の金、プラチナ、ダイヤモンドそして三体の純金の仏像があった。テレサは一九四三年におよそ二千人のアメリカ人、オーストラリア人、ドイツ人、そしてフィリピン人の戦争捕虜により掘りおこされた。日本陸軍が既存の軍事基地を支配した時、全ての現地のフィリピン住民たちを立ち退かせ、捕虜収容所が建設された。ちょうどテレサの外側に特別のすり鉢山が突き出ており、それは二百フィート以上突き出ているカルシウム・カルストだったのだ。この石灰岩はきめが細かくネズミ色の岩石で、フィリピン人はそれを切断してアドービ煉瓦と呼ぶ建築用煉瓦にしていた。なぜなら石は強固だが切断しやすく、支柱なし、コンクリート補強なしでトンネルを掘ることが可能だった。日本人技術者たちはすり鉢山とその下に、数層のトンネルを開発するためにひとつの計画を立てた。上の層は片方が水牛の角のように曲がったトンネルのある棒線画に似ている。左手の角はテレサー1であり、右手の角はテレサー2になる。他の層はその下にあった。建設中トンネルを換気するため、地図を見ると六本の通風縦坑が掘られたことが分かる。カーティスは入り口にするため、大きい通風坑のひとつを突き止めようとした。

戦争中、ここには六つの掘削チームがあり、違った開始場所から休みなく働かせた。男たちは腰布と捕虜札を身につけているだけで、薄いお粥の椀だけで生き長らえた。衰弱したり死んだ人間は交換させられた。強制労働をする人間には不足しなかった。トンネル掘りが完了した時、六つのトンネルの内五つは各入り口から二十フィート内側で封印された。封印には陶土、細かい砂、砕石そしてセメントを特別に混ぜたものが使用された。本州北部の石川県(窯業で有名な地方)出身の将校が入口を封鎖する際にその管理をした。石川県の陶磁器が持つひとつの秘伝は、中国北部の土を使うことだった。中国北部の土は海砂、セメント、同地の砕石と混ぜ合わせると固まっても縮まないし、格別に堅牢なる。そして同地の石灰岩と混ぜ合わせれば色をつけることも出来るので、そこが入口であることは見ても分からなくなる。

この入り口の蓋を処理した後、入口に残った二十フィートの部分を土で埋め戻し、低木や竹そしてパパイヤが植えられた。パパイヤは早く成長するので、埋め戻し場所はすぐに近くの地形から区別が出来なくなった。一方、日本陸軍のトラック集団がマニラ湾の倉庫からテレサ地区へ移動し、金塊、宝石の入った油のドラム缶、三体の金の仏像を運び出した。金の仏像はそれぞれ三フィート、八フィート、十三フィートの高さがあった。計画によれば、財宝はトンネル複合体のいろいろな場所に分散して貯蔵された。テレサー1とテレサー2には金の延べ棒を貯蔵する六つの場所があった。小さめの金塊は、床部分にちょうどロジャー・ロクサスが発見した穴のようなものを掘り、二箇所に収められた。他の場所には宝石やダイヤモンドが混在したドラム缶が収められた。何十日もかけて、金の入った金属製の箱はトンネルに運び込まれ、決められた場所に置かれた。すべてのこうした地域はその後、戦争捕虜によって枝編みカゴで運ばれた土で埋め戻された。次に小さいほうの二つの仏像はブルドーザーを使いトンネルのなかへ押し込まれた。各仏像は厚い鉄板の上の場所に押しやられ、片側に突出部が突き出ている千ポンド爆弾の上に載る形になった。引き金機構がセットされてしまえば、誰かが仏像に手をかければ、爆弾は爆発することになる。十三フィートの高さのある三つ目の仏像は大変重いのでトンネルの中へ入れるため二台のブルドーザーが使われ、一台は仏像を引っ張り、もう一台が押して中に入れたのだ。仏像が所定の位置に納まった時、仏像を引っ張ったブルドーザーは動けなかった。そのため、日本軍はエンジンを取り外し、その場所に金の延べ棒の入った2つの箱を押し込み、燃料タンクを空にし、枠をはずした宝石をいっぱいに詰めた。この作業が終った時、最後のトラックがテレサに到着した。これら二十三台のトラックは水牛の角に相当する残った場所にまっすぐ運転していった。タイヤは空気が抜け、車両は金の重みで下がり、車輪の軸(こしき)あたりまで沈み込んだ。

神主が財宝を清めにやって来た。全ての戦争捕虜たちはトラックの荷物を降ろすためと偽りトンネルに入るよう命令された。千二百人全ての戦争捕虜がトンネルに入った時、入り口にブルドーザーが土を押し込み始めた。戦争捕虜たちは自分たちが生き埋めにされるのだと分り、入口に向かってわめきながら殺到した。あらかじめ全ての入口に据え付けられた機関銃が彼らを撃ち殺した。前列にいた捕虜たちが射撃で死んでしまい、飢えと過労で半死半生の残りの捕虜たちには道をふさぐ死体を通り抜ける力も、ブルドーザーがすでに押し込んだ土の山を登りきる力も残っていなかった。捕虜たちはこのままでは生き埋めにされてしまうので、わめきたて土と死体の障害物を何とかしようともがいたにちがいない。それから、この入口は特殊なセラミックセ・ メントで封印され、千ポンド爆弾と青酸カリの入ったガラスの小壜で偽装爆弾がしかけられた。結局、日本軍はテレサー1の三本の通風縦抗とテレサー2の三本の通風縦抗を閉じた。それぞれのグループは、二つの換気口は直径がたったの二フィート、三つ目の換気口は直径八フィートだけで深いトンネルの換気を行った。小さな換気口は土と瓦礫と岩でいっぱいに満した。八フィート幅の換気口は、土、岩、炭、竹、割れたガラスそして人骨で何層にも重ね一杯にした。人骨は殆どが頭蓋骨と腕の骨だった。(日本軍が処罰をする時は、他の捕虜全員がいる前でまず腕を切り落とし、次に頭を切り落としたのだ。)

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9af899 No.159239

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>>159238

赤表紙の財宝地図には主通風縦抗に詰めた物について細部にわたる正確な情報が含まれている。なぜなら、この情報は何時の日か財宝を回収しに日本から戻ってくるチームにとって、取り掛かる目印になるはずだからである。最後の仕上げは丘の上とその周辺に木を植えることだ、そうすれば村人たちがこの地へ戻ったときにその変化には気づかないだろう。カーティスは、彼とベン・バルモアが財宝の回収の目印となる大きな通風縦抗のひとつを発見できそうだという虫の知らせがあった。カーティスはベンやポールと一緒にその場所を訪れると、地元の男たちが丘の頂上から石灰岩のブロックを採掘しているのに気づいた。彼は、陸軍が軍事施設のためにこの場所の土サンプルを採る予定だと言って彼らを追い払うようバー将軍に頼んだ。数人の無断居住者は掘っ立て小屋から強制退去させられた。カーティス、ベンそしてポールは、縦抗の中味が多少沈み込み円形のへこみが出来ているのですぐに通風縦抗を発見できた。マルコスは掘削のために、「エイジ・コンストラクション社」を設立し、通風縦抗の掘り下げを始めた。

財宝地図が示していた通り、人骨、竹、割れたグラスと炭の層にぶち当たった。三十一メートルの深さで陶磁セメントの仕切板にぶち当り、彼らがその板をぶち壊すと全員がひどいにおいを嗅ぎ、嘔吐をし始めた。作業者は突然の痛みと発疹に襲われ入院が必要だった。ある者は、財宝と共に生き埋めにされたおよそ千人の死体の腐敗から生ずるガスが広がっているのだと信じた。カーティスはそれがメタンガスか、通風坑が封印される前に放り込まれた小型容器に入った毒物だろうと考えた。元が何であれ、数日のうちに腐敗ガスに覆われた通風縦抗の入口は大きな醜い花、いわゆる死の花で囲まれてしまった。通風坑の空気が入れ替わると三十六㍍まで掘削作業が再開された。そこで掘削作業員は直径六十インチで、まん中に六インチの穴がある大きな丸い石を見つけた。それは石うすで、ベンの財宝地図に示された別の記号であり、彼の持つ地図の正当性を証明した。5週間後、つまり一九七五年六月八日、掘削人たちはもうひとつの厚い磁器セメントの板を突き破り、金を積んだトラックのある貯蔵庫に入り込んだ。オロフ・ジョンソンは貯蔵庫に入り、その光景を一目見て恐慌をきたし、半狂乱で転がり出た。ジョンソンはカーティスに、生き埋めにされた全ての男たちの魂を強く感じ、死者の指が自分を掴みかかろうとするのを感じると言った。その後、オロフは中に戻ろうとしなかった。カーティス自身が降りていき、近親者に通知するために認識番号札を集め始めたが、バー将軍の部下はそれを戻すように要求した。カーティスがジョンソンのような霊能者だったらその行為だけで、そしてジョン・バーチ協会から彼に押し付けられた突然の新しい要求を聞いただけで警戒しただろう。突然、アグニュー家はローンに対する追加担保をカーティスに要求してきた。カーティスは電話でネバダにある重機の所有権をアグニュー家に差し出した

カーティスは、マルコスのために取り組んでいる金の回収の内、二百億㌦までの排他的権利をバーチ協会へ与える新しい契約書に署名することを余儀なくされた。カーティスはバーチ協会員からバハマのオフショア会社(税金回避地に設立された会社)を通して金の販売を行うつもりであると告げられた。その会社は「コモンウェルス・パッケージング」社と呼ばれ、クウィクロ・ ク所有の会社だった。マルコス所有の金は金取引の大規模な中心地であるナッソーで売買されるだろう。手続きはカナダ・ロイヤル銀行ナッソー支店で処理され、売上代金はバーチ協会の幹部メンバーに管理されている口座を使い、カナダのブリティッシュ・コロンビア州、バンクーバーの東にあるカナダ・ロイヤル銀行ケローナ支店の口座に入金される。そこで金はバーチ協会の中心となる金融専門家が管理する口座へ預けられ、その金を手に入れた金融専門家は、国境を越えて金を持ち込むのだ。バーチ協会員はカーティスに、今までもこのようなやり方で多額の金を合衆国へ持ち込んだと自慢した。

カーティスは疑うべきだった。なぜなら、こうした新しい要求が出てくることはカーティスが知らないところで何かが起こっていることを示している。だが、彼はテレサー2にかかりっきりだった。金の回収は間近だった。かなり前から、カーティスはマルコスに警備体制に関する連絡書を送り、そしてテレサー2から回収された財宝をどのように運ぶべきかをマルコスに知らせていた。彼は、財宝がトンネルから回収された場合、カーティス、ヴィラクルシス、バーの副官、マリオ・ラチーカ大佐らの五人の男の立会いで明細書を記載するべきだと提案していた。そして、それから財宝は番号のついた箱に収められるべきだった。カーティスは、裸の宝石は国防部隊で保管したらどうだと提案した。工芸品は流通していない外貨や全ての紙幣と一緒に保税倉庫へ送ることが出来る。「重量のある品物である「金塊」は、金の「浄化」工場かその付近にうまく保存すれば、浄化工場を行ったり来たりする時の護衛部隊は必要でなくなるだろう。」。

マルコスはカーティスに三体の仏像が回収された時には、仏像を切り刻んで再精錬するべきだろうと言った。そうでなければ、出所がばれてしまうに違いない。一九七五年六月五日の朝四時に、カーティスはフィリピンン・ヴィレッジ・ホテルのペントハウスでテレサー2の警備員からの電話で起こされた。工事の現場監督は、掘削人夫がトラックのフェンダーと千ポンド爆弾の突出部を掘り当てたため、全ての掘削作業をストップしていると伝えた。事前の同意により、爆弾にぶち当たった場合、カーティスは全ての作業者を移動させ、ジェモーラ大佐に連絡し、彼に爆弾除去部隊がすぐに駆けつけるよう手配してもらうことになっている。トラックのフェンダーが見つかったとのニュースに興奮し、カーティスとマッカラスターは陸軍基地へ車を飛ばし、ジェモーラをたたき起こした。ジョモーラはバー将軍と連絡をとろうとしたが、連絡はつかなかった。彼らは一緒にケソン市まで車を飛ばしカヌー将軍に知らせ、カヌーはバー将軍と電話で連絡をつけた。バー将軍はあとの事は全て任せ、カーティスとマッカラスターはホテルへ戻るようにカーティスに言った。

バー将軍は後で彼らのところへ車を差し向けマルコス大統領と成功を祝う会合を設定するだろう。カーティスとマッカラスターがペントハウスに戻った時、オロフ・ジョンソンが詰め込んだバッグを持ちひどく心配そうに居間にいるのに気づいた。オロフジ・ ョンソンは二人に自分たちは生死に関わる危険な中にいるので早々にフィリピンを立ち去るべきだと言った。オロフは大変優しい性格だが、自身に関して弱くも風変わりでもない。カーティスはオロフがそんなに動揺しているのを見たことがなかった。「オロフが我々に話したような恐怖をあなたも実感できたら良かったのだが。」カーティスとマッカラスターはオロフを落ち着かせようと試み、自分たちはまさに大金持ちになろうとしているところだと言ってみたが、人の話を聞こうともしなかった。オロフは近くの空港に出来るだけ早くたどり着きフィリピンから立ち去ろうとしていた。カーティスはオロフに、フィリピンは戒厳令(軍政)が施行されているので、必要な出国許可を得る術はなく、その日のハワイ便に乗る術もないと教えた。オロフは思いとどまらなかった。彼はすぐに空港に向かって出発した。「私は今でもオロフがその飛行機をどの様に手配したのかわからないね。」、とカーティスは我々に言った。「フライトは3時間も遅れていた。後でオロフにその遅れは霊能者の力で影響を与えたのかどうか尋ねたが、彼は微笑むだけだったよ。」

カーティスとマッカラスターはまだ意気は高揚していた。二人は金の延べ棒を積んだ二十三台の軍用トラックの中の1台のフェンダーを見つけたことを知った。二人はまさに大金持ちになるところだった。「我々はみんなでマルコス大統領とマラカニアン宮殿でお祝いしようと考えていた。」とカーティスは言った。オロフが祝いの席に欠席するならそれは残念なことに思えた。その日の午後、約束通り、一台の車がカーティスとマッカラスターを迎えに来た。車は二人をマラカニアン宮殿へ連れて行くのではなく、ボナファシオ要塞にあるアメリカ戦争墓地へ連れて行った。ラチーカ大佐が二人を待っており、オリヴァス少佐と一緒にジープに乗っていた。ラチーカは四五口径の自動銃を持ち、オリヴァスは三八口径のリボルバーを持っていた。ラチーカはカーティスに車から降りるように命じ、シャクナゲの生えている一角へ連れて行った。オリヴァスはマッカラスターを別のシャクナゲの一角へ連れて行った。茂みのかげで、ラチーカはカーティスに下を見るよう合図した。そこには掘ったばかりの三フィートの深さの墓穴があった。カーティスはそれは自分の墓だと理解した。ラチーカは自分の四五口径の銃をカーティスの右耳に押し付けて言った。「悪いな、ボブ。こうするように命じられたのだ。個人的なことじゃないからな。」カーティスは早口にしゃべり始めた。「あんたが引き金を引くのをとめる事はできんだろ、だけど、もし撃ったら、次はあんたが穴の中で俺の隣に横たわることは間違いないね。俺を殺せよ、そうすればマルコスは財宝地図を絶対手に入れることは出来なくなるさ。」

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9af899 No.159240

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>>159239

ラチーカはカーティスの言葉をこけおどしと思ったが、確信が持てなかった。ラチーカはオリヴァスを呼びジープまで戻り、バー将軍に無線連絡をした。ラチーカらが指示を待つ間に、バーは部下を派遣しカーティスの住むペントハウスと隣の会議室を家捜しさせた。そこはカーティスと彼の仲間が使っていたところだった。マルセラ・マッカラスターはそれを見守りながら恐怖に振るえていた。捜査係たちは全ての紙片、写真、図、巻きフィルムを没収した。その没収物は宮殿に運ばれ調べた結果「赤の地図集」は含まれていなかった。その地図がないことがはっきりした時点で、マルコスはバー将軍に殺しを延期するように命じた

墓地で、ラチーカは「マルコス大統領とバー将軍はお詫びのしるしに数日中にディナーをしたいと言っている。とりあえず、二人をホテルへ送ることにする。」と言った。カーティスは簡潔に答えた。「そりゃよかった。」

その時までに、太陽は沈んでいた。ラチーカとオリヴァスはカーティスらをホテルで降ろした時に、ラチーカは「 マルコス大統領とバー将軍は今回の出来事を非常にすまないと思っている。すべてはひどい誤解だったのさ」。と言った。カーティスは後々まで、このひどい誤解がプリミティボ・ミハレスという名前の男と関わりがあった事を知らなかった。ミハレスは長年にわたってイメルダ・マルコスの報道担当官だった。聡明な男、ミハレスはフィリピンで実際何が起こっているのか、あるいはマラカニアン宮殿の「黒い部屋」と呼ばれる警備室で行われている拷問や殺害について、ほとんどの国民より多くを知っていた。彼は結局うんざりし、反マルコス一派から実態を暴露するように説得された。

ロクサスと同じくミハレスは、勇気ある行動のためにひどい報いを受けることになった。考えうる最高の舞台を求め、ミハレスはアメリカ合衆国に飛び、マルコス体制の聴聞会を開催しているアメリカ議会の委員会で証言するよう手配された。すでに、マルコスが行動を改めないなら,アメリカのフィリピンへの援助は大幅に削減されうるという強い指摘がされていた。ミハレスが議会で証言をすると外交的問題が勃発した。同じ時、一九七五年七月四日~五日、コラムニストのジャックア・ ンダーソンが、マルコスは日本軍の戦争略奪品探索を数人のアメリカ人の助けを借りて行っているという情報を流した。マルコスはロバート・カーティスがジャック・アンダーソンにこの情報を漏らしたと考え、テレサー2で財宝が発見された時点でカーティスとマッカラスターを殺すことを決めた。一九七五年七月五日の夜、ペントハウスで、カーティスはラチーカが言ったことだけは理解した。それは、ジャックア・ ンダーソンのコラムに対する情報漏洩はカーティスとマッカラスターの責任だったという事である。二人は間一髪で自分たちの頭を吹き飛ばされることから免れた。二人はやっとオロフの恐ろしい予感を理解した。マルコスが財宝地図さえ再び手に入れれば、カーティスらを殺すことに躊躇するような輩ではないのだ。

実際のところ、地図はずっとペントハウスにおいてあったのに、バー将軍の部下が家捜しで見つけられなかったことにカーティスは驚いた。数週間前、テレサー2の仕事から解放され、カーティスは一七二枚の蝋引きした地図をどうするかという問題に直面していた。どの財宝地図も金で買えるものではなく、替えの効かないものだ。まだこの部屋を毎日掃除するメイドがいる。会議室を見回し、カーティスはホームバーの流しの下に配管工のパネルがついているのに気がついた。とっさの思いつきで、カーティスはパネルのネジを回し、外すと財宝地図が内側にきちんと入ることを発見した。その時から、彼は地図の原本は四六時中パネルの内側に保管し、関心のある地図だけを取り出していた。今や、カーティスはアメリカ墓地で殺されかけた体験から、バー将軍が近いうちに自分たちの部屋をもっと徹底した捜索をするだろうと考えた。カーティスは地図の隠し場所から地図を取り出し、ジョン・マッカラスターに注意を促した。「財宝の事は忘れようぜ。」とカーティスはマッカラスターに話した。「命あっての物種だろ。」助かるための唯一の方法は、財宝地図を破棄することだとカーティスは言った。マルコスとバー将軍が地図を見つけ出せない限り、彼らはカーティスが地図を隠していると考え、地図を失うような危険な事はしないはずだ。カーティスはマッカラスターに、地図は全ての細部もはっきり分かる写真に撮ってあり、すでにネヴァダに送っていると説明した。カーティスはその写真が回転式食卓と一緒に無事に到着していることを知っていた。そのため、原本の地図がもはや絶対に必要なわけではない。マッカラスターは理解した。問題はどうして地図原本を破棄するかだろう

マッカラスターは地図を埋めようと提案した。カーティスは、我々は厳重に見張られているので、地図の包みを持ってホテルから出ることも、シャベルを買うことも、地図を埋めるための目立たない場所を探すことも出来ない相談だと言った。いい方法はホテルの中で地図の廃棄処分をすることだった。地図はワックスでしっかりと上塗りしてあるので、びりびりにひき裂きトイレに流す事は出来ない。最良の解決策は地図を燃やすことだった。会議室のバルコニーにはホテルの仕出し係がカクテルのつまみを焼くための小さなコンロが置いてあった。朝の三時、カーティスとマッカラスターは会議室のバルコニーにベッドカバーを引っ張り出し、手すりに垂らして掛けた。掛けたベッドカバーのため、はるか下のホテルの庭の見張りからはバルコニーの様子が見えなくなった。コンロに火をつけて二人は一七二枚の地図を一枚ずつ燃やした。それには1時間以上もかかった。

ひとたび地図が廃棄処分した後、二人はフィリピンから脱出するために出国ビザが必要だった。出国ビザはバかマルコスからの直接の指示で発行されねばならなかった。カーティスはネヴァダにいる信頼できる部下のジム・デュクロに暗号テレックスを送った。デュクロはカーティスが自分の会社の緊急役員会に出席しなければならないと平文でテレックスするよう指示された。デュクロはまたカーティスの友人、ネヴァダ州知事D・N・オカラガーンと連絡をとるように頼まれた。オカラガーンは「ラス・ヴェガス・サン」紙の取締役でもあったのだ。カーティスはホテルの電話は敢えて使わなかった。間違いなく彼は盗聴されていたはずだ。ネヴァダからカーティスのホテルに平文のテレックスが着くと、カーティスはラチーカ大佐を邸宅に訪ね、テレックスのメッセージを読んで聞かせた。カーティスはラチーカに、マッカラスターはアメリカ墓地での出来事が原因でストレス性の心臓発作に苦しんでいるので、彼も治療のためアメリカに帰らなければならないと訴えた。

バー将軍とマルコスは恐らくその話がわざとらしい言い訳だと理解していたが、二人は財宝地図をどの様に手に入れるかがわからないため追い込まれていた。マルコスはジャックア・ ンダーソンのコラム事件でひどく危機感を募らせ、アメリカ議会が海外援助を削減するのではないか、あるいは事が収まるまで低姿勢でいたほうがよいかとひどく気をもんでいた。もしマルコスがカーティスとマッカラスターをアメリカまで後を追いたいと望めば簡単にそのように出来たし、簡単に殺し屋グループを送り込むことも出来たのだ。マルコスは時間を稼ぐことにして、バーに二人の出国を許可するよう命じた。カーティスとマッカラスターは直ちにホテルで出国許可証を受け取った。二人は次のユナイテッド航空便の予約を取った。二人は出国の便を待つ間に、バー将軍が自分たちのバッグに麻薬をしかけようとするかもしれないと心配し、小さな機内持ち込み用バッグ以外はすべて残すことにした。二人は空港で緊張から冷や汗をかきながら、警備員に逮捕されることも覚悟していた。「我々はようやく飛行機に乗り込んだ」とカーティスは言った。「そして飛行機は滑走路をゆっくり進み、私はうまくいくと考え始めていた。

その時、パイロットはスロットルを緩め、これからゲートまで戻るとアナウンスした。我々はファーストク・ ラス席にいたんだ。私はマッカラスターにやっかいなことになるかもしれないとささやいた。本当にそうなったよ。ドアが開き制服姿の二人の大佐が機内に入ってきた。スチュワーデスが私をキャビン・ドアまで呼んだ。私は行ったさ。担当の大佐は携帯無線機で誰かと話をしていた。大佐は私に、自分は私と機内持ち込みバッグを調べるよう命令されていると言うのだ。私は彼らが私のバッグに麻薬や金、あるいは金塊のようなものを隠し持ち、密輸品を持ったまま出国しようとしたと主張するだろうと確信したね。私はきつい調子で彼を叱りとばし、俺はアメリカ人だ、アメリカの飛行機に乗っているんだ、空港の警備のチェックをすべて通過して来たんだぞと叫んだ。私は検査を受けることを拒否し、大きな声でこの仕打ちは国際的な違法行為だと叫んだ。大佐は無線通信機を取り出し、タガログ語で誰かと話した。相手が誰であれ、地位が上の人間だろう。大佐は英語で「サー」を連発してたからな。結局、永遠のように思った後で、大佐は、席についてもよいと言った。五分ほどして飛行機のドアは再び閉じられ、我々の乗った飛行機は滑走路を再び動き始めた。我々は助かったのさ、さしあたっては‥‥。」ヴィラクルシスは地図の写真撮影や写真複製という予防策をまったく取っていなかった。カーティスが逃げた後、ヴィラクルシスは自分を守るために記憶に頼り十四枚の地図を描き、それを彼が別にとっておいた「赤表紙の地図」原本であるとうまくごまかした。マルコスはカーティスに見せられた一枚の「赤表紙の地図」しか見てないので、その計略はまんまとうまくいった。マルコスはヴィラクルシスの描いた複製地図をマラカニアン宮殿の書斎にある金庫に保存した。マルコスが権力を剥奪された時、金庫の中でその複製地図は発見された。

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9af899 No.159241

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>>159240

カーティスは後日、バー将軍の部下の一人、オーランド・デュレイ大佐から、マルコスはテレサー2からの財宝回収を進めたが、埋っていた陸軍トラックから金塊を回収しただけだったとの情報を得た。マルコスはその後、主要な空気ダクトを閉じるように命じた。マルコスはダイヤモンドと裸の宝石の入った油のドラム缶を回収しなかったし、三体の純金の仏像も回収しようともしなかった。デュレイによれば、金塊はテレサからサンフ・ ァンの町にあるマルコス所有の自宅にトラックで運ばれ、金塊は検査のうえ在庫目録に記入して保管された。デュレイは、トラックの金塊は合計で二万二千トンだったと言うが、金塊保管を手伝ったマルコスフ・ ァミリーの一人は二万トンだと言った。どちらにしても、金塊は一九七五年半ばの相場なら、わずか数百万ドルの誤差を含んでも八十億ドルの価値があるはずだ。

「那智」から回収した金塊六十億ドルに、テレサー2から回収した八十億ドルの金塊を加えれば、ほんの六か月でマルコスは金塊、百四十億ドルを所有する大金持ちになっていた。それもこれもみんなオロフジ・ ョンソン、ロバートカ・ ーティスそしてベン・バルモアの働きのおかげだった。その時、マルコスは、彼らに文句を言わせず、次の回収作業の協力を取り付ける必要があるのに、どうしてカーティス達にレバー・グループの分け前を払わなかったのだろうか?簡単に言うなら、マルコスは病的に貪欲で、金を払うくらいなら殺したほうがましだという輩なのだ。アメリカで受けている新聞での悪評のため、マルコスは神経質になり、自分の不安を緩和するためには誰かを殺し、破滅させ、破産させなければならなかった。

カーティスはまだ生きていたが、彼の難儀は始まったばかりだった。彼の乗った飛行機がマニラ国際空港から離陸したとき、彼はやっと安全だと考えた。しかし、カーティスがネヴァダに着いた時、彼がテレサー2でトラックのフェンダーを見つける以前からマルコスはすでに彼をだましていた事に気がついた。カーティスは我々に次のように述べた。彼がテレサー2で回収作業をしている時に、「金カルテル」( G O L D C A R T E L が) マルコスに「カーティスを殺し、金塊販売の仕事は「金カルテル」に任せろ、さもないとマルコスはまずいことになるぞ」というマフィア的な申し入れを持って近づいていた。カーティスは「金カルテル」という言葉を、世界の公的な金市場を支配している一流銀行、金加工会社、そして(連邦準備銀行やイングランド銀行を含む)国家財政部門の連合体と解釈していた。このときにカーティスが言っている事を証明する事は不可能だが、以下に述べる出来事で裏付けられるだろう。カーティス所有の溶鉱炉とマニラでの金浄化の仕事はジョンソン・マセイ化学と呼ばれる金カルテルのメンバー会社に引き継がれた。ジョンソン・マセイ化学はイングランド「金地金銀行」の一つ、ジョンソン・マセイ銀行(JMB)傘下の会社だった。ロンドンのシティ(金融中心街)の仲買人が「マルコスのブラック・イーグル取引」と呼んだ多くのスキャンダルが引き起こされた後で、ジョンソン・マセイ銀行は倒産しイングランド銀行に吸収された。

(訳者注。G O L D C A R T E L 銀行とは、ロンドンにある五社のことで、モカッタ&ゴールドスミッド、シャープス・ビクスリー、ジョン・マセイ、ロスチャイルド、サミェル・モンタギューのことである。その五社は世界の金相場を支配していると言う。)

マルコスはムータック大使をサン・フランシスコヘ派遣し、カーティスに関係のある全ての破壊工作を始めた。カーティスは次のように言った。「ムータックは私の取引先の経営者や株主の全てに接触し、サン・フランシスコで会合を持ち、その場で私が戻って来ることはないと言った。ムータックは多額の現金を彼らに提供することで、私の会社を倒産させ、民事訴訟を起こすことを要請したのだ。経営者や株主の殆どはムータックの話にのり、マルコスが彼等を金持ちの大物にしてやった・・・・・その結果として、私は民事訴訟、大陪審、告訴とひどい目に遭ってしまった。彼らは文字通り、米国にある私の工場を破壊した。ブルドーザーで壁を倒し、私の所有する設備の全てと貴金属を盗み、私の銀行口座を空っぽにした。我々はトラック、ドリル、ブルドーザーなどの部品を所有していたが、それらは全て盗まれ、金庫には権利書が入っていたので、奴らはそれも売り飛ばした。我々は破産に追い込まれたんだ・・・法廷での弁護費用もないし、事実、無一文だったから、マルコスや金カルテルに何の脅威もかんじなかっただろ。」

ジョン・バーチ協会のジェイ・アグニューはカーティスを法廷に引っ張り出し、コモンウェルス・パッケージング社を通して貸し付けた金を回収しようとした。カーティスには返済は不可能だった。なぜならマルコスがジョン・バーチ協会の協力でカーティスを破産させていたからである。マルコス・ファミリーの情報筋によると、彼らがカーティスを訴える前に、バーチ協会員はすでにマルコスと取引をしており、それはもともとカーティスを通して手に入れる予定だった二百億ドルの金塊を販売するためだった。そんなわけでバーチ協会の理事会(取締役会)は前から狙っていた全てを手に入れたのだ。我々が聞いたところでは、カーティスに対するアグニュー家の訴訟は、取引を決着させるためにマルコスが要求した報酬だったということだ。「あまりにもひどい状況に置かれると、逆に何も感じなくなるものだ。」とカーティスは言った。

以前はカーティスに関心を持たなかったFBIもカーティスの事件を調査するよう命じた。FBIはアグニュー家を謀略に加担したことで告発しようとはしなかった。謀略とはバハマで闇の金を販売したり、カナダ経由でアメリカへ売上金を密輸したことである。その代わり、カーティスとマッカラスターは、バーチ協会員より提供された証拠に基づいて、謀略の詳細を電報と電話で相談した罪で告発された。彼らの裁判は一九七八年八月十四日に始まることになっていたが、カーティスもマッカラスターも無一文だった。彼らは又、国選弁護人ではとても仕事が務まらないと思った。聴聞会でカーティスは事実と認め、執行猶予五年となった。カーティスは反撃に転じて、自分の持つ情報と、全ての証拠(三百時間以上の録音された電話テープと、二千ページの書類)をアメリカ上院情報委員会の委員長であるネヴァダ州上院議員、ポール・ラクソルトに送った。ラクソルトの事務所は何も出来ないと言い、バーチ協会へ全ての資料のコピーを手渡した

数年後、カーティスはラクソルトがマルコス大統領とホワイトハウスとの主要な橋渡し役の一人であり、マルコスの取り巻き連中の多くがネヴァダ州にセカンドハウスを持つ理由のひとつだと知った。カーティスには事を公表する以外に選択肢はなかった。彼は「ラス・ヴェガス・サン」紙の編集長ハンク・グリーンスパンとコラムニスト、ジャック・アンダーソンに連絡をとった。彼らは一九七八年四月に始めた連載で情報を発表した。スティーブ・プシナキスというカリフォルニア在住のフィリピン人亡命者はその年の六月、「フィリピン・ニュース」紙で二十四回シリーズの記事を発表し、反マルコス派の抗議の火に油を注ぐことになった。マルコスは山下将軍の金塊話をヨタ話だと言って反論した。しかし、こうした記事でマルコスは、カーティスが「赤表紙の地図」を燃やしてしまったことと、カーティスだけがその地図のコピーを持っていることを知った。仲介人を通して、カーティスは、レバー合意で彼に支払われるべき金を支払う事を条件に、マルコスに地図のコピーを返すことを提案した。マルコスは、一九八〇年の十月に回答し、カーティスにレバー回収事業での分け前全額分として、金塊で五十億ドルを送ることで全ての地図を買い戻そうと申し出た。金塊はマニラからネヴァダ州のレノ空港へ直接空輸されるはずだった。ネヴァダ州は州法により非関税の空港なので、金塊も他の輸入品も税金なしに運び込むことが出来る。その年の十月、金塊を積んだ飛行機はマニラ空港から離陸した。太平洋の真中まで来たところで、マルコスは急に飛行機の進路をチューリッヒに変更した。ワシントンでこの飛行を説明したフィリピン大使、トリニダード・アルコンセルによると、マルコスは将来の娘婿のグレゴリー・アラネタ、バー将軍、友人アドナン・カショギから、重大な過ちを冒す事になると警告を受けたのだった。もしマルコスが五十億ドルを払えば、カーティスが述べていた事がすべて真実だという証明が得られただろう。

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9af899 No.159242

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Originally posted at >>>/qresearch/20505720 (021532ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / LIVE: Trump Holds a “Get Out The Vote Rally” in Greensboro, N.C. - 3/2/24

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LIVE: Trump Holds a “Get Out The Vote Rally” in Greensboro, N.C. - 3/2/24

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9af899 No.159243

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Originally posted at >>>/qresearch/20506664 (021949ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ありがとう、ミズーリ州!共に、我々は再びアメリカを偉大にする!!!

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>>134788

THANK YOU, MISSOURI! Together, WE are going to MAKE AMERICA GREAT AGAIN!!!

ありがとう、ミズーリ州!共に、我々は再びアメリカを偉大にする!!!

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112027518409450884

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9af899 No.159244

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Originally posted at >>>/qresearch/20507594 (022320ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / LIVE: Trump Holds a “Get Out The Vote Rally” in Greensboro, N.C. - 3/2/24

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>>159242

>>>/qresearch/20506720 Q Research General #25153: Too Big To Rig Edition

>>134871 #25153 NOTABLES

>>134834, >>134849

(アーカイブ)ノースカロライナ州グリーンズボロでのトランプ大統領

アーカイブ - 2024 年 3 月 2 日、ノースカロライナ州のトランプラリー

注: 以下のラリーのメモ

= = = = = = = = = ==

トランプ大統領、ノースカロライナ州グリーンズボロにて

https://rumble.com/embed/v4e1abx/?pub=4

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トランプ大統領: 1週間前、私たちはサウスカロライナ州で勝利し、前例のない数で特定の知事を破り、サウスカロライナ州の歴史上、これまでの候補者の2倍の票を獲得しました。

トランプ大統領:我が国の国境は開いた傷口であり、麻薬、ギャング、テロリスト、そして何百万人もの不法滞在者が我が国に流入しているのに、ペテン師ジョーは国境を守るのを阻止するためにテキサス州と戦っている。

トランプ大統領: ペテン師ジョーが議会に送った最初の法案は、不法滞在者を有権者に変える法案だった。現在、彼は国境警備と称しながら、別の大量恩赦計画を推進している。

トランプ大統領:ジョー・バイデンが可決を望んでいる法案は、何百万人もの不法滞在者に亡命を許可する無制限の権限をバイデンに与えることになる。言い換えれば、これはバイデンの新参者全員にとって自動的に市民権への道だ…彼らは不法滞在者を「新参者」と呼んでいる。

トランプ大統領:バイデン国境法案は、わが国への侵略、継続的な侵略を加速させるものであり、したがって彼の計画は社会保障、メディケア、メディケイド、医療、そしてすべての公教育を完全に破壊することになるだろう…彼はこの国を崩壊させようとしている。しかし、私たちは彼に社会保障を破壊させるわけにはいきません。私は彼にメディケアを崩壊させません、それは崩壊するでしょう。私は彼に公立学校を移民キャンプに変えることを許しません。そして、私は彼がアメリカを犯罪と病気が蔓延するゴミ捨て場に変えることを許しません…毎日、ジョー・バイデンはアメリカの外敵たちに援助と慰めを与えています。

トランプ大統領:国境でのバイデンの行為は、どう見てもアメリカ合衆国を転覆させる陰謀だ…バイデンとその共犯者は、アメリカのシステムを崩壊させ、実際のアメリカの有権者の意思を無効化し、アメリカの新たな拠点を確立したいと考えている。彼らに何世代にもわたって支配を与える権力…しかしペテン師ジョーはこれらの計画を成功させることはできず、犯罪から逃れることもできないだろう。

トランプ大統領:ジョー・バイデンの不法滞在移民が国に帰らなければ、私たちは決して国を取り戻せない。しかし、我々は彼らを連れ戻すつもりだ。なぜなら、彼らは戻るつもりはないのだから。素早くね。すぐにだ。地元警察です。

トランプ大統領:もし彼女(ウィリス)が彼(ウェイド)に返済しなかったら、彼女は大きな犯罪を犯したことになる、なぜなら彼女は自分が与えたお金を国を通じて手に入れたからである。

トランプ大統領: 考えてみてください、ジョー・バイデンは先週完全に無罪となりました。彼は10倍の文書を持っており、それらは機密扱いであり、彼は大統領[記録法]の対象ではない、そして彼らは彼を無罪とした。もちろん、彼は重大な証拠隠滅を行ったと言われているが、それについては触れる必要はない。しかし、それはいずれ明らかになるだろう。

トランプ大統領:外国に対する関税が上がるにつれて、アメリカの労働者や家族にかかる税金は劇的に下がるだろう、なぜなら我々は多額のお金を受け取ることになるからだ。ご存知のとおり、私たちは途方もない赤字を抱えています。大きな赤字は出ないだろう。私たちは互恵貿易法を施行します。そうすれば赤字のかなりの部分が解消され、あなたは何も支払う必要がなくなります。

トランプ大統領:今週、ジョー・バイデンは過激な反警察法案を議会で可決することにより、警察官の資格ある免責を剥奪する意向を再度宣言した。対照的に、私は全米のすべての警察官と法執行官を補償し、犯罪に対して強力な行動をとる急進左翼による破壊から守るつもりです。

DJT: 私たちは止まるつもりはありません、私たちは貨物列車です

トランプ大統領: 私たちが首都を浄化すると同時に、ディープステートも浄化し、一掃するつもりです。我々はコミーから始め、コミーを辞めさせ、多くの人々を辞めさせた。しかし、その沼は深い......誰も想像していなかったほど深い。

音楽再生 wwg1 wga

DJT;そして私たちはアメリカを再び偉大にするつもりです

music play hold on, i'm coming

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9af899 No.159245

Originally posted at >>>/qresearch/20507622 (022327ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / LIVE: Trump Holds a “Get Out The Vote Rally” in Greensboro, N.C. - 3/2/24

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>>159244

"ジョー、お前はクビだ、ここから出て行け!" - トランプ大統領、ノースカロライナ州グリーンズボロでの「投票率アップ集会」でオールド・ジョーを非難

"ジョーはクビだ!お前はひどい仕事をした!歴史上どの大統領よりもひどい仕事をした。ジョー出て行け!" とトランプは言った。

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9af899 No.159246

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Originally posted at >>>/qresearch/20507694 (022345ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ライブ:トランプ大統領、バージニア州リッチモンドで「投票率向上集会」を開催 - 3/2/24

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ライブ:トランプ大統領、バージニア州リッチモンドで「投票率向上集会」を開催 - 3/2/24

https://rumble.com/v4g7zl8-live-trump-holds-a-get-out-the-vote-rally-in-richmond-va-3224.html

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9af899 No.159247

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Originally posted at >>>/qresearch/20508966 (030327ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ライブ:トランプ大統領、バージニア州リッチモンドで「投票率向上集会」を開催 - 3/2/24

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>>159246

>>>/qresearch/20508251 Q Research General #25155: LIKE CLOCKWORK ~ THE CLOCK IS TICKING ~ 2 BIG 2 RIG = Q+? Edition

>>134984

アーカイブ - 第 2 回トランプラリー、バージニア州リッチモンド、2024 年 3 月 2 日土曜日

注: トランプの名言を集めました。おそらく集会を完全に見ることになるだろう、このスピーチには多くのコミュニケーションが含まれています。

= = = = = =

ライブ:バージニア州リッチモンドでのトランプ大統領

https://rumble.com/embed/v4e91u6/?pub=4

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トランプ大統領: アイオワ州ではその2倍という史上最高の得票数を獲得した。ニューハンプシャー州では、ニューハンプシャー州予備選の歴史の中で最も多くの票を獲得しました…ちなみに両党とも。ネバダ、私たちは記録で勝利しました、あなたもそれを見たでしょう。 97パーセント。ヴァージン諸島、私たちは記録的な得票率を達成し、1週間前にはサウスカロライナ州を制圧し、前知事を前例のない得票率で破り、史上の歴代候補者の2倍の得票数を獲得しました…ミズーリ州でもミシガン州でも100%近い得票率を獲得している。

トランプ大統領:疑いのないように、これはジョー・バイデンの(不法外国人)侵略だ。これはジョー・バイデンによる我が国の破壊です。

トランプ大統領: 他のあらゆるものに加えて、簡単に感染する恐ろしい恐ろしい病気に罹患した人々が我が国に流入していると言わざるを得ません。

トランプ大統領:今回の選挙の中心的な問題は、ジョー・バイデンの外国軍隊が国境を越えて密入国しているかどうかだ。彼は軍隊を入国させています。軍人の年齢だ。彼らは私たちの国境を越えて密入国し、私たちの国境に歩いて入ります...彼らはただ歩いて渡って、好きなことをします。私たちは彼らが私たちの国にものもらいをすることを許可するつもりはありません…私たちは彼らを追い出すつもりです。奴らを排除するよ。外に出て家に帰りましょう。そうしなければ、彼らを家に連れて帰るか、それよりひどいことをしなければならないだろう。私たちの刑務所を満杯にしたくない。ご存知のように、私たちの刑務所はすでに他人の囚人でいっぱいです。約束します、彼らは自分の国に帰るんだ。

トランプ大統領:議会の共和党議員がバイデン犯罪ファミリーの大規模な汚職を追及していることは喜ばしい。私は彼らを高く評価する。私は彼らを高く評価する。特に、彼らはペテン師ジョー・バイデンを追っている。彼が司法省と連携し、州の地方検事や検事総長と協力して、私を違法に追っているのだから。

トランプ大統領: どう思いますか;大統領に会いに来た指導者たちが、穴だらけでゴミだらけの道路を走っている。中央分離帯はご存知の通り、金属製の中央分離帯だ;あれはゴミだ。設置しても2日後には太陽で溶けるか何かして、膨張と収縮を繰り返す。地面一面に敷き詰められている。

Thank you so much, anon.

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9af899 No.159248

Originally posted at >>>/qresearch/20510228 (030913ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【13】

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>>159241

黄金の兵士 第十三章 勇者たち

あるとき米国の法廷で、マルコスが大統領だった二十年間に、多量の金が積荷としてフィリピンから出ていったことが判明した。その金は中央銀行で作られたのでも、バンゲット社のような鉱業所で作られたのでもなかった。残った謎は、それがどこへ行ったのか?たしかに、マルコスはマニラでロバート・カーティスから盗んだ機材を使いジョンソン・マセイ・ケミカル社で再精錬した後、こっそりと船で運びだした。金はマニラを出る前に、ジョンソン・マセイ銀行で新しい紙で包みなおされ、それからチューリッヒ、ロンドンの金取引所から買い手に運ばれた。他の闇の金塊はサウジの王子や中東シンジケート、またはルクセンブルクやリヒテンシュタインを通してヨッロッパの用意周到なグループに内密に販売された。物資運送状を含む書類によると、いくつかの荷物は商業船や飛行機に乗せられてアメリカへ行ったことが分かる。

一方、残りはCIAの飛行機で香港やオーストラリアの米軍基地へ向かった。金はフォート・ノックスで行き着いたわけでなく、びっくりするほど遠いアメリカへ運ばれた。たとえ、金がそこで行き着いたとしても、アメリカ政府はそのことを認めていない。それなら、金塊はどこへ行ったのか?CIAや国防総省以外に誰がマルコスを保護し助けていたのだ?発見された略奪品から利益を得ていたのは誰だ?個人の懐にこの金塊のいくらかを入れるため連邦政府の影響力が使われたのだろうか?答えはこうだ。マルコスはCIAを飛び越えて、「エンタープライズ」と呼ばれる闇の組織と関係を持っていた。その組織は民間の諜報機関(PIO)と民間の軍事会社(PMF)の一団である。これらの組織はCIAや国防総省の元職員で構成され、彼らは自分たちのことを、冷戦の勇者たちと見なしていた。多くのPIOやPMFはCIAの大改革がすすんだ一九七〇年代に活動を開始した。彼らはジミー・カーターがCIAをかき回した後の一九八〇年代に急速に発展し、やる気十分なメンバーは、別の場所で仕事を続けることになった。

一九七二年の終わり、ジェイムズ・シュレジンジャーは、リチャード・ヘルムズに代ってCIA長官に就任した。彼は、もう役に立たない連中や、ヘルムズの下で暗殺も含め、アメリカの法を侵す活動に長期間従事してきた不正工作一派、数百人の工作員を強制的に退職させる意向をはっきり示した。CIAがウォーターゲート侵入事件や他の国内の侵入事件に絡んでいることが知られるようになった時、シュレジンジャーは内部調査と、政府に迷惑をかけるかも知れないCIAに関わる全ての諜報計画の完全なリストを作成するよう命じた。結果的に六九三頁の「家族の宝石」という報告書となったが、マングース作戦のような暗殺計画、フェニックス作戦における殺人部隊、国家安全保障のために隠された汚い仕事についての情報などが漏洩することになった。そして百人以上のCIA職員が首になるか早期退職を余儀なくされた。

フォード大統領はニクソンが辞任してから、CIAの悪事を調査するためにロックフェラー委員会を設置したが、「米国やトルーマン以後の各大統領の名前を傷つけそうな」事実を明らかにしないよう強硬な保守派を配置した。フェニックス作戦、ロッキード賄賂スキャンダル、その後のイラン・コントラ事件に関する議会聴聞会が開かれ、CIAと国防総省に対する追加的な粛清が行われることになった。こうした追放に加えて、中国との和解についてCIA職員のレイ・クラインとニクソン大統領の間に、ジミー・カーターに対するジョン・シングローブ少将やジョージ・キーガン空軍司令官のような軍トップとの間に生じたのと同じような争いがあった。カーターが大変多くの職業軍人やスパイを排除した時、彼らが個人生活を楽しめるために何をやるべきかということまで充分考えたようには思えない。どんなローマ皇帝でも軍団を解散するときにそれほど不注意であったことはなかったであろう。

賢明で攻撃的な男たちが、バーチ・ソサエティやムーニィズ、世界反共連盟、金持ちの保守派の大物などから資金援助を受けてこっそりと再結集した。サンティーの「アンブレラ組織」のように、「エンタープライズ」は一九八〇年代の後半にパワーのある影響力のある組織に成長した。彼らはすでに民間の市民であったが、こうした男たちは、軍当局者やCIAや国軍の長にたいして緊密なつながりを持ち続けた。こうした二重構造のため、公的なアメリカ政府の活動と秘密の目的を持った活動を厳密に区別することは、殆ど不可能である。このことは、これらの個々人の多くが、秘密の活動、詐欺、公共サービスや秘密基金の使用に長年従事してきたため、本当に分からなかったのだ。

エンタープライズのメンバーは、民間企業の合法的な会社の姿であるが、実際は情報機関のための、もっと言えば軍部のための「トロイの木馬」の役割を果たすCIAの秘密企業と仕事をすることに慣れていた。事実、PMFのいくつかは、軍司令官や提督や元スパイが政府業務から離れていないかのごとく、給料や年金を引き出し続けることが出来るように作られたみせかけにすぎなかった。多くのCIA職員は各種のごまかしの下で、数年いや数十年過してきたので、彼らがすでにCIAを辞めたのか単に地下に潜ったのかを、何の疑いもなく確定することは難しかった。

ひとつの完璧な例は、ウィリアム・キャセイである。キャセイはOSSのオリジナルメンバーの一人である。彼は法科学校を終了後、会計会社で働き、同僚の弁護士であるジョン・ポップ・ハウレイと関係を維持した。ジョンはワイルド・ビル・ドノバン法律事務所、ドノバン・レジャー・ニュートン・アンド・アービーンで働いていた。ドノバンがOSSの長官に就任したとき、キャセイとハウレイは彼の組織、OSSに参加した。キャセイは戦時中のジョン・シングローブ事件の担当官だった。一方。ポール・ヘリウェルはシングローブの直接の上司である。キャセイはまたアレン・ダレスやジョン・フォスター・ダレスの親密な友人であり、レイ・クラインと共に働き、小島少佐に対するサンタ・ロマーナの拷問が成果をあげたころ、ランズデールに関係するようになった。このため、キャセイはブラック・イーグルについて多くを知る地位についた。ある情報筋は、キャセイは財務知識があるため、ロバートB・ .アンダーソンやジョン・J.マッコイの指導のもとにブラック・イーグル・信託を開始するとき、ポール・ヘリウェルやエドウィン・ポーレイと同じように重要人物の一人となった。戦後、キャセイと友人ハウエルは、彼らのウォール・ストリート法律事務所を設立した。しかし、キャセイを本当に金持ちにしたのは、一九五四年のメディア所有会社キャピタル・シティズを立ち上げるとき、別の元諜報担当者と関係を持ったことにある。多くの調査によれば、この時期、CIAは放送や出版における秘密の活動のためのみせかけ会社を設立するため、数百万ドルを注ぎ込んだし、キャセイは破綻したメディア会社を獲得し、赤字決算から抜け出すためキャピタル・シティズにこれらの資金のいくばくを注ぎ込んだといわれている。

キャセイは決してCIAを去ったのではなく、ただ金融を扱う蝶々に生まれ変わっただけだった。上級のCIA工作員がウォール・ストリートで二重の仕事をしたのは初めてではなく、アレン・ダレスは同じことをやった多くの中の一人にすぎなかった。一九七一年から七三年の間に、キャセイは証券取引委員会(SEC)の委員長としてニクソンに任命され、そこでSECの弁護士スタンリー・スポーキンと緊密に仕事をした。(スポーキンは後にキャセイにCIAの総合弁護士として指名され、Schlei 事件に関与することになる)。キャセイはニクソン政権の経済担当次官として、また輸出入銀行の会長として仕えた。一九七八年、キャセイはマンハッタン研究所というシンクタンクを設立したが,そこは多くの元CIA職員を抱え、保守派の基金から保守派の作家まで回り、かき集めた金を注ぎ込んだ。キャセイがキャピタル・シティズを去り、レーガンの大統領の選挙参謀となり、その後レーガン政権のCIA長官になった時、キャピタル・シティズの株を七百五十万ドルも所有する最大の株主であったといわれている。彼はずっと大株主であったし、CIAの長官であった一九八五年、キャピタル・シティズはABCを買収している。

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9af899 No.159249

Originally posted at >>>/qresearch/20510230 (030914ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【13】

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>>159248

自らの全職歴が不正の金融活動に巻き込まれた一人の男、キャセイは本書に登場する多くの主要人物と関係をもった。彼のDNAはサンティーに出会う前からマルコスが終わるまで、あらゆる場所に存在している。彼はCIAの民営化を夢見た男の一人で、CIA長官としてレーガン大統領にその方法を示した。レーガンの最初の行動は、大統領行政命令12333 号に署名することだった。この命令は、CIAや他の政府機関がPMFと契約をすることを公認し、「公認された諜報目的のための契約や調停は、財政支援元を明かす必要がない」ことを公認するものだった。このことでキャセイはクライン、シングローブ、シャックレー、ランズデール、他の多くの追放された者たちとの仕事にもどることになった。そして、彼らの活動をあいまいにしながら、彼らを、少なくとも論理的には秘密の領域の人間にしていた。同時にキャセイは、個人的にマルコス大統領を丸め込む仕事を引き継ぎ、闇の金塊を提供するよう圧力をかけ、最終的にはマルコスの失脚と追放、そしてマルコスの金塊を陰で操った

結局のところ、イラン・コントラ事件ではエンタープライズのメンバーと、選挙で選ばれたわけではない国家安全保障会議、国防総省やCIAの職員との間で親密な契約があったことを明らかにしている。そうした二重構造は政府にとっては、例えばランズデールがマフィアに対してフィデル・カストロの暗殺を依頼するような時に役に立つのである。PMFを使い、よその国で暗殺部隊を訓練させることは、ホワイトハウスが暗殺を含む秘密の海外での政治目的を実行することを可能にした。また米国とは戦争状態にない国で、代理軍事活動も可能になったのである。それは対外政策の汚い部分を実行するために、外科手術用手袋やコンドームをつけて、指紋もDNAも残さないようなものである。役人が委託殺人をうまくやってしまうことが許されるだろうか?これは、連続殺人の常習化につながるのではないか?

これまでに、驚くほど多くの元帥、海軍大将が、国家安全保障会議の高級職員がフィリピンでの財宝探しと、マニラからの秘密の金の運搬に関与した。この場合の二重構造は海外での政治目的を有利にすることと、秘密な意図が明らかでない極右の私的軍事組織を豊かにし、資金援助をすること両方に使われたのだろう。ランズデール、レイ・クライン、そしてジョン・シングローブのようなエンタープライズの中で良く知られた人物の幾人かは、第二次世界大戦中にOSSで仕事を開始し、トルーマンやアイゼンハワー政府の時代に急速に出世をしたのだ。当時、ナチや日本軍の金は不法活動を立ち上げるために、M資金のように使われた。「冷戦主義者」としての彼らの政治観は、蒋介石総統を救出しようとした時に、イランでシャーに権力を持たせた時、スカルノやカストロを排除しようとした時、チリのアジェンデ政権を転覆させる動きを助けた時、カンボジアやラオス、ベトナムで不都合な市民を処分する自由をもっていた時などに形成された。

ランズデールは、まだ現役の提督であったが、カストロを殺す活動であるマングース作戦を指揮した。ランズデールはケネディ大統領により引退を余儀なくされた時、かれは簡単に野にくだり、エンタープライズの設立委員となって、一九八七年に死ぬまでその中心人物であった。フェニックス作戦は一九六九年から一九七二年までサイゴンのCIA局長で、後に作戦担当のCIA副長官になった、テッド・シャクリーに監督されていた。ある情報筋によると、シングローブは軍事面でフェニックス作戦に関与していたと主張しているが、本人は強く否定している。彼は確かに、シャクリーを含む作戦に関与した多くの人間に近いところにいた。ウィリアム・コルビーは上院聴聞会で、フェニックス作戦では、共産主義者と疑われた二万人以上のベトナム市民(男・女子・ 供)を殺したと述べた。別の人間は合計を七万人以上と言っている。議会聴聞会は、フェニックス作戦は総じて非合法活動であると宣言した。

それでも、フェニックス作戦は一九七五年に米軍がサイゴンから撤退するまで、議会の方針に従わないで続けられた「フェニックス作戦は退役軍人ネットワークの創造だった。」と作戦の担当であったスタン・フルチャーは言っている。「最高レベルの男たちのグループ、つまりコルビーとそうした連中は自分たちのことをアラビアのロレンスと考えていた。」同様の古い仲間がエル・サルバドルにいて、この時は、レイ・クラインは特別戦争学校で訓練された台湾の将校を含む代理軍を使っていた。ジャーナリスト、ダグラス・バレンタインは次のように説明する。「フェニックス作戦の全員が一般的に持っていたのは、強圧的な政府やコントラのような」反乱グループに武器や補給品を売って、彼らが反テロリズムから利益を得ていた。それらの名残が第三世界中の焼き尽くされた灰のあとなのだ。

シングローブとシャクリーは後にCIAを去り、エンタープライズの組織と緊密に一体化した。シングローブは公表されている一九七八年のカーター大統領との争いの後、野に下った。シャクリーはカーター政権のCIA長官、スタンスフィールド・ターナーとのケンカの翌年に野に下った。シングローブとランズデールはその時、ウイリアム・キャセイに率いられ、レーガンの選挙運動に参加した。シュレシンジャーによる「家族の宝石」関連の追放と、それに続くカーター大統領による人事面の粛清という組み合わせの影響は、そのために思わぬ面倒を招いた。それは極右を地下活動や民間企業に追いやり、そこではチェック無しにかなりの程度まで活動が出来たし、政府の秘密の資産を自由に使え続けられたという意味においてである

もし「エンタープライズ」が空軍機、海軍艦、Seals(海軍特殊部隊)、特別作戦部隊を使うことを望んだら、それらが誰に気付かれることもなく、注文通りに準備される方法があったのだ。ニューヨークタイムスのジャーナリスト、セス・ミダンスは信頼できる情報として「シングローブはフィリピンに入ったり出たりしている、彼は、我々に知られないでクラーク基地に着陸することさえ出来るのだ」と紹介している。我々は、特殊部隊の高官が、シングローブやクラインなどに関係するPMFのグループと一緒に、フィリピン財宝狩りに参加するために短い休暇を取ったことを確認している。このことは政府サービスと個人の利益との重大な区分をなくすもので、倫理規範の実践を求めることが出来なくなってしまう。監視されないと常習的になるものだ。

レーガン大統領、ブッシュ大統領のもとで、PIOやPMFは増殖し、ホワイトハウスの事実上、「秘密の拡大組織」となった。今日まで、エンタープライズのリーダーやPMFの支持者達は。ホワイトハウスは事業家に転じた情報員によって運営される私的非合法組織を必要としていると主張している。それゆえに、PMFは少し名前を挙げるだけでも、南アメリカ、アンゴラ、コロンビア、クロアチア、エリトリア、エチオピア、シエラレオネの紛争に関与した。ホワイトハウスに雇われたわけではなく、彼らは政治体制への契約のもとで仕事をしたが、彼らの人権の扱いたるやひどいものだ。ビネル社はディック・チェニーのハリバートンが率いるPMFの子会社で、ミャンマーの軍事独裁政権と仕事をした時は、地球上で最悪の人権の扱いだった。彼らの目的のいくつかは合憲性の面で問題がある。エンタープライズ組織のメンバーからの手紙を再現してみよう、そこには彼らが秘密のFBIスタイルの保安部隊を立ち上げアメリカ国民や「彼らの支配化にある」別の産軍複合体を守るため、発見された日本軍の戦争略奪品をいかに利用しようとしたかが書いてある。これはお金のかかることである。ムーニーズやバーチャーズのようなグループ、そして裕福な個人は必要とされる金額の一部だけしか提供しなかった。ひとつのはっきりした解決がサンタ・ロマーナに管理されて遊んでいる口座のような現存のブラック・イーグル基金を流用することだった。これがサンティーが一九七三年にワシントンヘ連れて行かれ、彼が所有する基金を譲り渡すよう圧力をかけられた理由である。翌年サンティーが死んだ時、彼の所有するシティバンクとUBSにあるいくつかの莫大な金額の口座が速やかにランズデールの管理下に入った理由を説明している。それがどのように使われたかは知られていない。

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9af899 No.159250

Originally posted at >>>/qresearch/20510232 (030915ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【13】

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>>159249

マルコスが一九七〇年代に第2期の探索活動を始め、闇の金を売りさばくための援助を必要とした時、マルコスとエンタープライズは共通の目標を持った。なぜなら、エンタープライズのメンバーはCIAの飛行機、米空軍機、米海軍艦の使用することができたのである。スービック湾やクラーク空港からマルコスの金が出発した時、こうしたことがアメリカ政府により公式に行われたのかエンタープライズによって秘密に行われたのかはなんとも言えない。十四章ではこの二重構造が示す数々のエピソードをお見せしよう。

次第にマルコスは自分が発見した金の管理、支払い、管理について、レーガンのアメリカ政府と主導権争いをしていることに気がついた。彼はアメリカ政府を出し抜くためにあらゆる策略を用いた。これが彼の失脚につながることになる。国際金融当局は、中央銀行が直接民間から金を購入できるように決定した時、マルコスはフィリピンで採掘したすべての金が中央銀行に直接販売しなければならないと布告した。これでマルコスは自分の金のいくらかを売れるようになったし、銀行はその時から、苦労なしに金を海外へ移動することができるようになった。一九八一年の十一月、フィリピン政府は今回の布告のせいで国際マーケットにおいて「金保有以来の局所的な過剰」をもたらすだろうと言明した。三ヶ月以上にわたって、約三十万オンスの金が香港、ニューヨーク、ロンドンそしてチューリッヒに船で運ばれた。その金はフィリピン政府の金として印がつけられていたが、関与した商業銀行はその金での支払いを許されたが、そのことは金が短期間のうちに取引されたことを意味している。この特権のために、銀行は1%の手数料を支払いそれはマルコスのもとに流れた。フィリピン人の元外交官によると、フェルディナンドの自家用機はスイスまで何回も往復をした。民間機もまた使用され、それは貨物運送状によって証明されている。十二回の極秘輸送がKLM、PAL、エアフランス、サベナ機で行われたと言われている。

たとえば、一九八三年九月には、KLM機のマニラ・チューリッヒ間のフライトで金塊七トンが運ばれている。同時期に別の1.5トンの金塊がロンドンまで運ばれている。その間に、CIAのパイロットと国防総省の貨物飛行機は定期的にマルコスの金をオーストラリアと香港に空輸した。CIAがマルコスの金塊を物理的に移動している間、マルコスはアメリカに財産を貯め込むよう仕向けられた。このことは、一九八三年から一九八五年のロナルド・リウォルドのホノルル詐欺裁判で明らかになり、マルコスの投資財閥会社であるビショップ、ボルドウィン、リウォルド、デリィンハム&ウォンがCIA資金のための一般的なルートだったことを明らかにした。その財閥会社はマルコスや他の裕福なフィリピン人がアメリカで不正の金を投資するのを助けた。イメルダが後にニューヨークで強請の罪で裁判にかけられた時、彼女の弁護人はイメルダと夫マルコスはホワイトハウスの友人からそうするよう働きかけられたのだと述べた。

ホノルルでの裁判証言によれば、フィリピンンの億万長者、マルコス一家の友人であるエンリケ・ゾベルの援助によって、秘密ルートがリワォルドによってつくられた。リワォルドは、ハワイでポロクラブを経営し、ゾベルは世界一流のプレイヤーだった。リワォルドは、ゾベルは自分同様CIAの協力者だと証言した。アヤラ・ハワイのような共同事業を通して、彼らとCIAは、「アメリカへ現金を持ち出したい外国の上級外交官やビジネスマンの金を保護し、いざと言う時にアメリカで役に立てるのだ」。ゾベルとの関係は、当時、ジョー・マクミキング大将が、小島少佐を拷問したG2のサンタ・ロマーナとランズデール大佐の直属の上官だった一九四五年までさかのぼる。その後、金をたっぷり持って、マクミキングはドン・エンリケの叔母、メルセデスと結婚し、ゾベル・アヤラ一族が世界的な金持ちになるのを手伝った。この秘密を漏らさない境遇の中で、エンリケ・ゾベルはひとかどの裏切り者である。UCLAでの勉強した後で、マニラの上流マカティ金融社交界を発展させて名前をあげた。彼のマルコスファミリーとの関係は複雑で変わりやすいものだった。一九八〇年代のはじめには、大統領の後継者の可能性もあると言われるほどだった。マルコスの旧友エドアルド・コンジャンコはサンミゲル社、つまりサンミゲルビールの醸造会社で、アヤラ・コーポレーションの重要な所有会社のひとつを攻撃的にのっとろうととりかかった時、マルコスファミリーはドン・エンリケがごく簡単に屈服すると考えた。このことはおばのメルセデスとおじのジョーを大変不愉快にさせたので、彼らはゾベルからアヤラ社の支配権を奪い彼の最初のいとこにそれを譲った。

ドン・エンリケはその後、独自の道を歩んだ。ゾベルは戦争略奪品を発見しようとするマルコスの骨折りの多くを知っていた。一九七五年にレーバーグループの使節ミュータックはゾベルに、ゾベルがペニンシュラホテルを建築中のネルソン飛行場の管制塔の下にゴールデン・リリー地下金庫室があると通告した。一九七五年六月三日、ミュータックは書いている。「私たちは、古い管制塔の内外の敷地に、少なくとも数億ドルの膨大な量の宝石や金塊から成る財宝の収集品が埋蔵されていることを証明する重要な地図と目撃者を抱える一グループと一緒にいる。我々は前述の敷地が明け渡された事は知っている。そして、ある建築工事が当該の敷地で完了したかも知れないと危惧している。その場でやると計画したどのようなプランも私たちが財宝収集品を探し出し取り戻すまでは待たなければならない」と。

一九八三年、ゾベルはスポーツ花形選手のグレゴリー・アラネタと結婚するイレーネ・マルコスの贅沢な結婚式の後援者だった。グレゴリーはランズデール配下のトップの殺し屋、ナポレオン・バレリアーノの継子だった。イメルダはその結婚式に二千万ドル使ったと言われている。オーストリアのカート・ワルトハイムから贈られた銀の馬車は、モロッコのハッサン王から贈られた七頭のアラブ種の馬に引かれた。お返しにマルコスはオーストリアとモロッコの銀行に多額の金を預けた。(この金の証拠は二〇〇一年に表ざたになったが、それはドイツ政府がイレーヌとその夫をスイスの銀行からドイツの銀行へおよそ一三四億ドルを不正に移そうとしたとして告発したときだった。)

このように金をみせびらかすのはマルコス家の習性のようなものだ。マルコスはアヤラ基金のような慈善信託を立ち上げられたはずだったし、イルコス・ノルテの邸宅に隠居できたはずだった。アンドリュー・カーネギーはかつて「金持ちで死ぬ奴は馬鹿で死ぬ。」といったことがある。マルコスには慈善に費やす時間がなかった。なぜならレーガン政権から米国の対外政策の目的のために、もっと多くの闇の金を出すよう頻繁に圧力を受けていたからだ。マルコスファミリーの情報筋によれば、「ビル・キャセイはフェルディナンドに、もしお前がCIA指定の銀行に闇の金を預けることに同意するなら、アメリカ政府は永遠に権力の座を維持させるだろうと言った。」ということだ。結果として生じたひとつの取引がいわゆる「中国指令」である。マルコスファミリーの情報筋によれば、一九七二年、ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャーは周恩来首相と秘密の取引をした。それはマルコスが差し出した多量の金と引き換えに、中国が台湾に関して米国との争いを避ける取引だったと主張している。我々はその政治的詳細を確認できないでいた。しかしながら、長年にわたって明るみにでた銀行の書類は、はっきりと多量の金塊がこの時期に中国本土の銀行へ移されたことを示している

そしてサンタ・ロマーナ、フェルディナンド、イメルダ・マルコス、一族のメンバー、そして裕福な仲間はその銀行の金塊口座をもっていた。こうした連中はみんな徹底した反共主義者で、彼らが冷戦のさなかに中国の銀行へ金塊を移すもっともな理由などないのだ。そうした理由だけでも、この話は十分に真実味がある。この情報筋によれば、一九七一年から一九七二年にかけて人民共和国の経済はかなりひどい状況で、外貨準備高は底をつき、世界規模の石油危機と国内の飢饉でさらに悪化していた。そのすべては正しい情報である。共産党政治局へかかる圧力で、党のタカ派は発言力を増し、台湾の資産の支配力を得るため台湾侵攻を主張した。CIAと国防総省のアナリストは、中国は今にも台湾侵攻を始めそうだ、しかしアメリカはベトナム対策で手いっぱいだとの結論を出した。この状況は核戦争につながりかねなかった。ひとつの方法が緊張を和らげるために見出される必要があった。CIAのアナリストが提案した新しい解決策は、マルコスから得た闇の金を多量に投入し、中国が自国経済を安定化させるのを助け、戦争の圧力を減じるというものだった。もしアメリカが中国を国内危機から救えば、フィリピンにも利益をもたらす平和の一時代を招来させることが出来る。

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9af899 No.159251

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>>159250

我々の情報筋が言うように、ニクソンとキッシンジャーは秘密裏に、マルコスが中国へ金塊で六百八十億㌦(マルコスが持つと彼らが知った量)を提供し、五~六年の間に多くの薄片の形でPRC銀行(中国国営銀行)に移すように依頼した。これは即金の贈り物ではなかったようだ。贈り物は追加的に香港や中国大都市のいろいろなPRC銀行に預金され、金塊は銀行に資産担保として残り、事前に協議したいろいろな目的のために割り当てられたのだろう。中国銀行は強化され、中国経済は安定化し、共産党政治局の穏健派は勢力を回復し、台湾侵攻を主張したタカ派は沈黙をさせただろう。米国基金はひとつも関与していない。「それはマルコスが発見した日本軍の戦争略奪品のなかで、よい使われ方をした唯一のものだ。」と我々の情報筋は言った。周恩来はきわめて現実主義者で、その作戦を徹底して推進したと伝えられている。マルコスが協力したことは重大で、彼はアメリカ政府から十分に支援を受けただろうし、多くの形で報われただろう。アメリカ政府はマルコスに、彼とイメルダは北京を公式訪問ができ、それが世界中に彼らの名声を高めることになると保証し、取引を気に入るようにしたのだ。加えて、中国はフィリピンに対して農作物援助を実施してお返しをしたはずだ。

一九七四年、イメルダと息子のボン・ボンは北京を公式訪問した。彼らはびっくりした表情のひ弱な毛沢東を間に挟んで、のぼせて笑いながら写真を撮った、毛沢東が写っている写真の中で最も奇妙な一枚である。フェルディナンドは翌年北京を訪れたが、あけすけにものを言う冷戦主義者としてかれの行動は奇妙なものであった。予定外の余禄として、イメルダの兄弟コケイ・ロムアルデスは自分の知性以上の忠誠心を述べたおかげでフィリピンの中国大使となった。我々のマルコス情報筋によれば、中国指令はニクソンの歴史的中国訪問と、中国政府との外交関係設立の基盤であったと主張している。資料によれば、中国指令は一九七二年に始まり、長年にわたって続き、マルコスの金塊はPo Sang 銀行と香港の中国銀行、シアメンにある他の中国系銀行を含む中国政府所有の銀行に移されたことを示している。こうした銀行からの書類は、サンタ・ロマーナ、フェルディナンド・マルコス、イメルダ・マルコス、他の大変大きな口座の存在したことを示している。われわれのCDにはコピーした関係書類の中に、金仲買人が金の移転がうまく実行できた時に支払われるべき手数料を請求する手紙がいくつかある。マルコスファミリーと金持ちの友人たちは、その後にこうした口座を抱える中国銀行の新社屋落成式に参加するため、シアメンを旅行している。シアメンはアモイに隣接しており、フェルディナンド・マルコスの実父に長く関係のあった福建省グループの故郷なのだ。

二〇〇〇年には更なる証拠が出てきた。それはイメルダがこれらの金口座に近づくため銀行職員を買収し、中国人の女を雇った容疑で香港政庁から告発された時である。一九九九年の十二月に、香港政庁の検察官によれば、中国銀行、HSBCそしてシアメンのPRC銀行の口座から二十五億ドルを取り戻すために、イメルダは賞金稼ぎに三十五%払うことに同意した。イメルダの弁護士は、彼女は貧しい人を助けるために金を工面しようとしただけだと言った。その後、もうひとつ、秘密のマルコスの金塊口座がスイスのUSBにあるというニュースが流れた時、イメルダは「驚くことではないわ、昔はお金を持っていたんだから」と嘆いた。中国におけるこれらの金塊口座の存在が明らかにされた時、冷たい戦争がなお続いていた一九七〇年代のはじめ以来、どのようにして金塊口座が中国にもたらされたのか誰も関心を持たなかった。誰も、金塊口座がもたらされた理由とニクソンの一九七二年の北京への公式訪問とを結び付けなかった

一九八〇年代のはじめに、もうひとつおかしな展開があった。フェルディナンドとイメルダは太平洋戦争後にゴールデン・リリー略奪品をもとに開設された特別の秘密口座の存在を知った。これは、大阪の三和銀行の十億ドル金塊信託で、マッカーサー元帥と裕仁天皇の名前で開設されており、第九章で述べられた通りである。日本人はそれをマッカーサー基金と呼び、一方米国人はそれを裕仁の在位時代の名前を使って昭和信託と呼んだ三和銀行は日本の古い銀行のひとつで、裕仁は第二次世界大戦前からかなりの量の株を所有していた。

その信託はロバート・B・アンダーソンによって開設されたが、それは彼がマッカーサーやランズデールとゴールデン・リリーの財宝の所在地を回ってまもなくのことだと明らかになっている。マーカーサーの名前は信託に使われているが、少なくとも直接的にはマッカーサーに利益をもたらすよう意図していたとは言えない。裕仁に関しては、ジャーナリストで米軍占領時代初期にSCAPの記録を読むことが出来たポール・マニングによると、天皇は戦前から海外に作った口座に金と通貨で秘密の十億ドルを所有していた。天皇は米軍占領中に海外投資からの利益で年に五千万ドルを引き出しており、SCAPの財務相談役はこれらの収入を生み出す資産に気づいていた。重要なことに、三和銀行はSCAPのマクアット将軍の経済科学局によって不問にされた三つの日本の銀行のひとつだった。他のふたつの銀行は東海銀行と第一勧業銀行で、田中クラブによってM資金からの引き出しが増加していることと関係していた。今日、三和銀行は「我々は世界で成功してきた。」というスローガンとともに世界規模の銀行活動を宣伝している。本当かい。

フェルディナンドとイメルダは、サンティの死後、その書類を整理するなかで、三和銀行にある昭和信託の存在を知った。我々がコピーした資料によると一九八一年までに昭和信託は四半期ごとに三億ドル以上の利益、または年に十億ドル以上の利益を生み出していた。銀行オーナーの一人、裕仁天皇は間違いなく有利な利率の権利を有していた。(これらを示す資料はマルコスが権力を剥ぎ取られ、フィリピン政府にマラカニアン宮殿が没収された後、マルコスの個人金庫で発見された。)マルコス一族は、もし自分たちがうまくカードを使えば昭和信託を手に入れることが出来たと考えた。少なくとも、自分たちに利子支払い分のいくばくかを手に入れられたのにと思った。もし、合同信託のニュースが漏れ出たならば、いくつかの理由で日本政府やアメリカ政府にとってかなり具合の悪いことになるであろう。第一に、裕仁は大変貧しく、生計を維持するためには年俸二万二千ドルを与えねばならなかいという見せ掛けを日本政府はなおも維持していたし、第二に、日本自由民主党はその時、田中贈収賄を含むもうひとつの大きなスキャンダルにもがいていたのである。アメリカ政府にしても、日本はまったく無一文だと繰り返し宣言していたので、一九四五年以来の裕仁・マッカーサー合同信託の存在が開示されると、手の込んだやっかいな対策が必要になるであろう

交渉人ナティビダッド・M・ファジャルドを含むマルコスチームは、昭和信託の三人の受託者(ひとりの日本人とふたりのアメリカ人)を含む日本政府役人と非公式の協議のために東京へ飛んだ。ファジャルドは数多くの金輸送でマルコスのために行動した仲買人だった。東京へのファジャルドの旅はロナルド・レーガン一期目の大統領就任の間に発生した。レーガンはマルコス家の重要な友人だった。レーガンと妻ナンシーは一九七〇年、マニラのイメルダ文化センターの開館式にニクソンの個人的代表として参加するため、初めてフィリピンへ行った。それがマルコスとレーガンがお互いにたたえあう長い友情の始まりだった。ファジャルドとそのチームは東京に着いた時はじめて、彼らの東京訪問の真の目的を明らかにした。簡単に言うならば、マルコス家は、フィリピンのための財政支援策として偽装した膨大な支払いを受け取る代わりに、昭和信託について沈黙を守ることを申し出たのだ。彼らは信託からの四半期分の利息をマルコス家に譲るべきだと要求した。これは強請のごときしろものだ。日本政府は大変驚いて、ファジャルドと彼の連れを武装警備のもとで日本滞在中、都ホテルの部屋にずっと隔離した。そのせいで、いつも彼らは自分の部屋で食事を取らねばならなかった。

ファジャルドが東京からイメルダに送った一九八一年二月二二日づけの手紙には、「日本のフィリピン向けの財政援助は、マッカーサーが皇室に対し、信託の形で残したドル基金(原文ママ)からの蓄積した利息収入で構成されます。・・・・・我々は日本大蔵省の許可のもとでいかにして金を香港へ持ち出すかの手段を考案し・・・・フィリピンで大事業をなしている日本企業に対し融資されます。日本政府はその企業にカワサキがふさわしいと判断したことが明らかになるでしょう。皇族の手のもとにある信託金は、すでに大阪の三和銀行へ預金されており、香港への振替手配が整っています。これを実施するため、三〇年間、無利子でカワサキへ融資されることが明らかにされるでしょう。フィリピンのファーストレディのための大型経済発展計画を財政支援する金を出すのはカワサキになるでしょう」と書かれている。

ファジャルドにより交渉された取引が行われたかどうかは分からない。しかし、銀行の書類によれば、今日でも三和銀行香港支店に多くのマルコスの口座が存在している。日本政府は多分アメリカ政府にこの脅しについて訴え、そのことが直後のマルコスの失脚につながったはずである。しかし、アメリカ政府が最終的にマルコスに見切りをつけた主要な理由は、レーガンによる『虹のドル』戦略の失敗にある。レーガン大統領は政権のはじめに、一九七一年にニクソンにより廃止された金本位制にもどり、『虹のドル』と呼ばれる金本位の新しい通貨を導入すると宣言した。ニクソンの決断以来の一〇年間で、米国はひどいインフレーション、不況、そして高金利の時代を経験した。レーガンの対策は金本位制に戻ることだった。財務長官ドナルド・リーガンはこの政策が「途方もない好況」をもたらすだろうと言った。大量のドル紙幣が世界に循環していたので、もしその紙幣が金に兌換できるようになれば一九三三年以前の事態のように、アメリカ政府は金塊の需要に振り回されるはずだ。解決策は2段階方式だった。『虹のドル』は徐々に現行のドル紙幣と置き換えたとしても、一般大衆は『虹のドル』を金に換えることが出来なくする。『虹のドル』は中央銀行に保持されたときだけ、金に換るというのが『虹のドル』の特別な解決策となるだろう。この政策を実行するために、アメリカは、金価格を操作できるに足る大量な金の備蓄を必要とする。金価格があまりにも下落したなら、アメリカ政府は通貨価値を安定させるために金を買えばよい。もし金価格が高騰したなら、中央銀行は政府からの金塊を必要とし、政府は市場へ金塊を放出することで価格の高騰を抑制するだろう。これがレーガン政権の主要なプランだった。『虹のドル』制度に変更することは、ヘロインやコカインの麻薬ボスのように不正な現金を蓄えている連中が古い通貨を新しい通貨に換えなくてはならず、多くの金が隠匿場所から出てくるということを意味した。このことで連邦政府の赤字を減少させることになるだろう。

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9af899 No.159252

Originally posted at >>>/qresearch/20510241 (030917ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【13】

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>>159251

レーガン大統領は非公式にマルコスへ『虹のドル』を支えるため、闇の金の貯蔵分を貸してくれるよう頼んだ。いつものように、彼は金を貸すにあたり手数料をレーガンに請求することができた。マルコスにとって不幸だったのは、彼が要求した手数料がアメリカ政府が公正と考える以上に高かったことだ。当時ホワイトハウス職員だった人物を含む我々の情報筋によると、レーガンは古い友人が自分を失望させたことを嘆いたそうだ。昭和信託について日本政府を恐喝した当時の試みを考えても、レーガンのアドバイザー、特にキャセイはマルコスはやりすぎたと唱えた。マルコスを退陣させ、その過程で彼が貯めこんでいた多量の金塊を剥奪する時機が来ていた。キャセイは即座に行動に移った。その後数ヶ月の間に、国民のパワーはマニラの道路にあふれ、群集はマルコスの退陣を要求した。民衆の抗議の声が通りにあふれたとき、キャセイはリーガン財務長官、CIAのエコノミストのフランクヒ・ グドン教授弁、 護士ローレンスク・ リーガーとともにマニラに飛んだと言われている。

マルコス側近によれば、会談の目的はフェルディナンドを説得して七万三千トンの金を譲るようにすることだった。キャセイとリーガンはマルコスに最後のチャンスを示していた。リーガンはマルコスに、米国債務証書で八〇%、現金で二〇%と引き換えに金を譲渡する署名をするよう繰り返し説得した。マルコスは終末が近いと感じながら、現金で八〇%、債務証書は二〇%だけにするよう要求した。押し問答が無駄だとはっきりした時、ホグドン教授はマルコスに、「二週間以内」に権力の座から降ろされるだろうと通告したと言われている。実際、数週間の後、マルコスはハワイで事実上自宅軟禁状態だったのである。同じマルコスの側近によると、大詰めでの次の動きはキャセイ、リーガン、ヒグドンとの会談数日後にあり、三者委員会の使者が、マルコスに地球開発基金に対して金塊で五百四十億ドルを提供することを求める内密の要求書を手渡した。その場に居合わせていた我々の情報筋によると、マルコスは文体が華麗なその文書を一瞥し、軽蔑したように発送済書類入れの中に放り投げたと言うことだ。特使は急いでマカティにある三人委員会の事務所にもどり報告した。三日後、マルコスはレーガン大統領の仲介者、ネバダ州上院議員ポール・ラグゾールトから最終提案を与えられた。その時までマルコスはマラカニアン宮殿で事実上立てこもり状態だった。狼瘡をわずらい腎臓と肝臓が衰えた重病の男、マルコスはあきらめて米軍ヘリコプターで救出される見返りに自分の「金」を剥奪された

その晩、荷船がパシグ川を宮廷まで引かれ宮殿の地下倉庫、大統領保安部隊の敷地や宮殿に隣接したビルの地下倉庫からから多量の金棒が積み込まれた。この作業は一晩中続けられ、多くの人々に目撃された。明け方、荷を積んだ船はマニラ湾そして、最終目的地のスービック湾の海軍基地まで引かれた。その基地で金は最初に軍用品地下倉庫に保管され、その後アメリカ海軍の大型船に乗せられたと言われている。(アメリカ政府は一九五〇年以来公式に金の在庫を監査していないので、その後に金に対して何が起こったかを述べるのは難しい。ただ、アメリカ政府は八千トンの金を所有していることは認めている。)その晩、アメリカ陸軍のヘリコプターがマラカニアン宮殿の庭を急襲し、マルコスファミリーとその取り巻きを積み込んだ。マルコスたちが驚いたのは、マラカニアン宮殿からイルコス・ノルテにある彼らの本拠地に連れて行かれたのではなかったことである。彼らはイルコス・ノルテで自分たちの領地のための防御物を築く計画だった。彼らはハワイの軟禁所に連れて行かれた。「我々は救出されたのではなく、誘拐されたのだわ」とイメルダは噛み付くように言った。イメルダはホノルルに彼らが到着した時、持っていた数十億ドルの価値のある金証明書をアメリカの税関職員が押収したと言った。税関が用意した公式リストにはその証明書は載っていなかった。

その後、イメルダはアメリカ財務省が証明書を押収したことを認めたと主張した。しかし、専門家は証明書のすべては偽造であると決定した。我々が見てきたように、金の証明書を偽造品だと非難することは、本物であったとしても、決まりきった手順だろう。これが押収品に対して一般的に行われるやり方である。このような事情を考えると、今もしくは将来に銀行が金持たちから預かった金証書を偽物だと告げる大きな可能性があるにも拘らず、金持ちが銀行に金を預け続けるのは不思議に思える。そんな詐欺の気配があるなかで、財務省が押収された金の証明書に対してどうしたかを詳しく知ることは興味深いことである。リーガン財務長官は確かに多くを語っていない。彼とCIA長官キャセイは、イラン・コントラ時に資金洗浄と銃密輸で果たした役割で不評を招き辞任せねばならなかった。イラン・コントラ事件でキャセイが果たした役割を見れば、外国政府を操作したり、アメリカ国内の右翼民兵に資金援助をするため、日本の略奪品を不法に使った事件でも彼が任務を果たしたことは十分認識できるものだ。

マルコス家がハワイに到着したときに、彼らから金品をまきあげたり、彼らの金証明書を押収したりしたことは十分に価値のあることであったが、多くの疑問がうやむやのままである。はじめに、どうしてイメルダとマルコスは自分たちの闇の金を他人に管理されている銀行に移そうと主張したのか。全てを押収されたらどうするつもりだったのか?ハワイで、ふたりは苦労して海外に隠した金塊を引き出すことが出来ないことを理解した。腐敗し失脚した独裁者がやったように、金塊が不正に取得されたという口実で彼らの口座は封鎖された。これがアメリカ政府の態度であったが、アメリカは三〇年以上マルコスと同盟を結んでいたのだ。スイス政府はマルコスがスイスの銀行にいくばくかの金を所有していることを簡単に否定して、より現実的な態度をとった。世界中の銀行家たちはマルコスの口座については何も知らないと言明した。ホノルルで彼らがもはや勘定を払うことが出来なかった時に、フェルディナンドは旧友ドン・エンリケ・ゾベルに危機を乗り切るために二億五千万ドルの借金を頼んだ。ゾベルによると、マルコスは借金の返済能力があることを示すためにゾベルに金証明書を見せた。その証明書はアメリカ税関に押収されていなかったものだった。これらもまた後になって、アメリカ財務省によっていかさまであると宣告された。

数ヵ月後、ますます、むくんで黄疸症状の進んだマルコスは、自分と友人に大量のマクドナルド・バーガーとポテトフライを買いにやらせた。食事のさなか、マルコスはビッグ・マックをのどを詰まらせ、ひどく咳き込んだ。翌朝、一九八九年一月一五日、彼は肺の虚脱のためホノルル・セント・フランシス・メディカルセンターに入院し、同九月の彼の死まで、生命維持装置をつけたままだった。そんなふうに、アメリカ政府の歴史の中でもっとも腐敗した関係のひとつが終わった。もしくはそのように思われた。サンティーは死んだ。マルコスも死んだ。一九八七年の五月にキャセイは死んだ。しかし、エンタープライズを作った多くの民間組織の指導者たちはフィリピンの地中に多くの戦争金が残っており、サンティーの世界中の銀行口座は手つかずのままだということを知っていた。彼らは地中から、もしくは銀行から金を回収できるかどうかを確認しようと決めた。どこをさがすべきか正確にはわからないので、ジョン・バーチ・ソサエティは彼らにロバート・カーティスに接近して、過去のことは本当に過去のことなのか確認するようにせかせた。

(訳注、マルコス政権の崩壊は我々リアルタイムで見ていた。今から思えば民主化運動と言うのはこのような理由で行うのかと言う事に驚く。そして、今でもその手法は世界のあらゆるところで実施されている。きっと、そんな程度なのだろう。まさに、びっくりだ。レーガンのレインボーダラーも初耳だ。もし本当なら暗殺されかけたのもうなづけるし、成功していたら大変に良かったのに。)

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9af899 No.159253

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Originally posted at >>>/qresearch/20510938 (031432ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ライブ:トランプ大統領、バージニア州リッチモンドで「投票率向上集会」を開催 - 3/2/24

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>>159247

>>>/qresearch/20507477 Q Research General #25154: Can't Rig This Edition

>>134916 #25154 NOTABLES

>>134891, >>134895, >>134897 LIKE CLOCKWORK. Q PROOF

>>134875, >>134885 RALLY LINKS: President Trump in Richmond, VA

>>134881, >>134887, >>134882, >>134885, >>134883, >>134884 観客は熱狂している!!!! バージニア州リッチモンド

>>134886 ケネディ一族 - PDJT

>>134892 「それとAIの間には、たくさんの問題が起きています」

>>134893 Gavin NewSCUM -PDJT

>>134908 あなたが米国をダメにしたら、私たちも[あなた]をダメにする -PDJT

>>134911 "あなたの一票で、バイデノミクスを捨て...マガノミクスを復活させる!" --- バージニア州リッチモンドでのトランプ大統領

>>134912 大統領 - "不正操作するには大きすぎる。大きすぎて操作できない!"

>>134910 ダン・スカビーノ トランプ氏、アイダホ、ミズーリ、ミシガンの各選挙を制し、バイデン氏に対する全米世論調査のリードを奪う。

>>134898 ドナルド・トランプ氏がアイダホ州の共和党党員集会で勝利した。

>>134899, >>134900 自由で公正な選挙を阻止するために法執行機関を武器化。バイデンはファシストに操られている - djt

>>134901 ダン・スカビーノ:ノースカロライナ州グリーンズボロ

>>134902 チャールズ・マクゴナギル ロシア・ロシア・ロシアと声高に非難し、自分たちはロシアから金を受け取った

>>134904 大統領「私は決して彼ら(.あなた)を黙らせません。」

>>134905 Q+: 彼らは私を追っているのではなく、あなたを追っているのだ。

>>134876 トランプ大統領が演説を一時停止:救急隊員が心肺蘇生を始めたとき、人々は「アメージンググレース」と歌い始めた。

>>134914 djt: 退役軍人を虐待した9000人を解雇しました。彼らはゴールデンタイムにそれを行うことはできませんでした。 qpost 9000、15 投稿

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9af899 No.159254

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Originally posted at >>>/qresearch/20510975 (031443ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / ライブ:トランプ大統領、バージニア州リッチモンドで「投票率向上集会」を開催 - 3/2/24

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>>159253

>20508055 あなたが米国をダメにしたら、私たちも[あなた]をダメにする -PDJT

適確な訳がわからないため、英文を掲載しておきます

If you screw US, we screw [YOU] -PDJT

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9af899 No.159255

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Originally posted at >>>/qresearch/20511007 (031456ZMAR24) Notable: ピエロの温床であるCIAを含む、ウクライナとクリントン財団に関する重要な情報

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>>>/qresearch/20507477 Q Research General #25154: Can't Rig This Edition

>>134916 #25154 NOTABLES

>>134909

>>>/qresearch/20508010

ピエロの温床であるCIAを含む、ウクライナとクリントン財団に関する重要な情報

アノンたちはクリントン財団の援助にだけ興味を持つべきです!!!

https://8kun.top/qresearch/res/16095125.html#16095733

以下は、クリントン財団と、このN.G.O.およびその関連団体とつながりのある慈善団体からの直接リンクと引用である。C.F.は腐敗しており、ウクライナはこの犯罪組織への最大の寄付者である!

だから、まずこのリストで検索を絞り込む手助けをしよう。

スクリーンショットとソースのみ。

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https://www.clintonfoundation.org/stories/organizations-mobilizing-to-support-the-ukrainian-people/

ストーリー | 2022 年 3 月 2 日 | 12 分で読めます ウクライナ: 支援する組織

気候変動と災害復興 |クリントン・グローバル・イニシアチブ

国連難民機関は現在までに、2月24日以来470万人以上がウクライナから避難していると報告しており、さらに数百万人が地域全体に支援を求めてウクライナから避難する可能性があると推定しており、圧倒的な人道的ニーズを生み出している。国連の報告によると、世界人口の1パーセント以上、つまり95人に1人が現在強制的に避難させられており、この紛争は危機を増大させています。国外に避難する民間人が急増していることに加え、多くの人が今もウクライナに留まり、紛争の真っ只中に巻き込まれている。

さらに詳しく知り、ウクライナ人への援助、救援、避難活動を支援したいと考えている人たちのために、ウクライナと近隣諸国の両方で民間人に救命救急を提供しているクリントン・グローバル・イニシアチブ(CGI)コミュニティのパートナーと組織のリストをまとめました。

この記事は 2022 年 4 月 14 日に更新されました。今後も新たな取り組みや開発中の取り組みについて知りながら更新を続けます。

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アフィア財団

アフィアは、この戦争行為に対応し、緊急に必要な物資を梱包して #ウクライナ に届ける災害対応ハブの能力を活性化するために、あなたの助けを必要としています。https://t.co/YtQEQRtcFq --- アフィア財団 (@AfyaFoundation) 2022年2月25日

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エアリンク

エアリンクは、#ウクライナ での最近の侵略と紛争激化を受けて、ヨーロッパ地域対応計画を発動しました。優先ニーズには、医療用品、WASH、国内避難民や難民に対する総合的な支援が含まれます。 ➡️ https://t.co/f32l2aUkIo http : /// pic.twitter.com/H7SPgybl11

--- @AirlinkFlight (@AirlinkFlight) 2022年2月26日

ソース

https://data2.unhcr.org/en/situations/ukraine

https://twitter.com/Refugees/status/1498768548633903105

https://news.un.org/en/story/2021/06/1094292#:~:text=Despite%20COVID%2Drelated%20movement%20restrictions,1%20in%20159%20in%202010

https://www.rescue.org/topic/ukraine-crisis

https://wck.org/relief/activation-chefs-for-ukraine

https://afyafoundation.org/campaign/disaster-response-hub-ukraine/

https://www.americares.org/news/2022-0302-americares-deploys-response-team-for-ukraine-crisis/

https://www.unhcr.org/ua/en

https://data2.unhcr.org/en/documents/details/91114

https://airlinkflight.org/responses/ukraine/

https://www.israaid.org/media/israaid-launches-ukraine-re

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9af899 No.159256

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Originally posted at >>>/qresearch/20511027 (031503ZMAR24) Notable: BRICS: 中国が西側諸国に進出し、ゴールド・カンパニーを現金で買収

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>>>/qresearch/20507477 Q Research General #25154: Can't Rig This Edition

>>134916 #25154 NOTABLES

>>134880, >>134894

BRICS: 中国が西側諸国に進出し、ゴールド・カンパニーを現金で買収

2024 年 3 月 2 日

BRICS加盟国の中国は西側諸国に進出し、数百万ドル相当の現金で金探査会社を買収している。中国の銀泰金会社は、カナダの金探査会社オシノと3億6,800万カナダドル(2億7,200万ドルに相当)で売却契約を結んだ。中国は2億7,253万ドル相当の現金を支払って、カナダの金探査会社を完全に買収することになる。

オシノは中国の銀泰金に会社を売却する前に、カナダの金鉱山会社ダンディー・プレシャス・メタルズとの2億8700万カナダドルの契約を終了する予定だ。協議は中国の銀泰とカナダのオシノの間で昨年12月に始まった。中国企業インタイも契約解除料1000万ドルを支払う予定だ。この動きは、BRICSの国である中国が、アフリカや他の発展途上国と同様に、西側の有望な企業を買収していることを示している。

BRICS:アフリカの企業買収後、中国はカナダの金企業に注目

BRICSの国である中国は、アフリカ全土の発展途上国の数社の企業を買収または完全買収した。この共産主義国家はパキスタンとスリランカにも勢力を広げ、大部分の企業を支配している。さらに、中国は発展途上国に融資を行っており、返済が滞ると最終的には港湾を管理することになる。

アフリカの発展途上国は現在、共産主義国家が経済の一部を支配しているため、中国の言いなりになっている。 BRICSのリーダーである中国はカナダでも同様の戦術に注目している可能性があるが、足場を築くのは難しいかもしれない。カナダは先進国で豊かな国であり、自国の産業を完全に中国に売却するつもりはない。

OsinoのCEO、ヘイ・ダウン氏は「DPMからの前回の提案には感謝しているが、銀台からの全額現金による提案はDPMの提案価格に大幅なプレミアムを相当するものであり、明らかに優れた提案であり、Osinoの株主にとって素晴らしい結果となる」と語った。と声明で述べた。

https://watcher.guru/news/brics-china-enters-western-territory-buys-gold-company-with-hard-cash

>>134880

確認

Canada #54 >>138192

中国の銀泰ゴールド、カナダの金探査会社オシノを2億7200万ドルで買収へ

ロイター通信 2024 年 2 月 25 日

2月25日(ロイター) - 中国に本拠を置く銀泰金(000975.SZ)は日曜日に新しいタブを開き、カナダの金探査会社オシノ・リソーシズ(OSI.V)を3億6,800万カナダドルで全額現金取引で買収すると発表、日曜日に新しいタブを開く(2億7,253万ドル)。声明によると、オシノはカナダの金鉱会社ダンディー・プレシャス・メタルズ(DPM.TO)との2億8,700万カナダドルの契約を終了し、12月に発表された新しいタブを開き、インタイも契約解除料として1,000万ドルを支払うことになる。

OsinoのCEO、ヘイ・ダウン氏は「DPMからの前回の提案には感謝しているが、銀台からの全額現金による提案はDPMの提案価格に大幅なプレミアムを相当するものであり、明らかに優れた提案であり、Osinoの株主にとって素晴らしい結果となる」と語った。と声明で述べた。

この契約は、オシノがナミビア中部にある完全所有のツインヒルズ・ゴールド・プロジェクトの開発を迅速に進めるのにも役立つだろう。

この取引はオシノ普通株1株当たり1.90カナダドルの現金対価を提供し、株主に推奨したオシノ取締役会の特別委員会によって承認されたと声明は付け加えた。

https://www.reuters.com/markets/deals/chinas-yintai-gold-buy-canadian-gold-exploration-firm-osino-272-million-2024-02-25/

さらにソース:

銀泰ゴールド、オシノ・リソーシズ買収で2億7,200万ドルの契約に署名

2024 年 2 月 26 日

https://www.mining-technology.com/news/yintai-osino-resources/?cf-view

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9af899 No.159257

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Originally posted at >>>/qresearch/20511050 (031512ZMAR24) Notable: チャールズ国王は英連邦記念日を欠席

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>>>/qresearch/20508251 Q Research General #25155: LIKE CLOCKWORK ~ THE CLOCK IS TICKING ~ 2 BIG 2 RIG = Q+? Edition

>>135007 #25155 NOTABLES

>>135003

チャールズ国王は英連邦記念日を欠席; 緊急事態が発動されました

伝統的な手続きに心からの適応を図り、チャールズ国王はこの英連邦記念日にビデオメッセージを通じて英連邦に温かい敬意を表する用意ができている。がんと勇敢に闘う中、国王は、3月11日に予定されている尊敬されるウェストミンスター寺院の礼拝への物理的な出席を放棄するという難しい決断を下した。

現在進行中の治療のため今回の欠席はやむを得ず、健康と義務に対する国王の献身的な姿勢を浮き彫りにしている。知名度は信頼性と同等であるという王室の精神に共鳴する象徴的なジェスチャーとして、チャールズ国王はウィンザー城で胸を打つメッセージを事前に録音しました。

今年の英連邦デーは、「One Resilient Common Future(一つの回復力のある共通の未来)」という旗印の下、国王の事実上の参加によって増幅される団結と集団的強さの証しとなることが約束されている。王室は先月の診断を受けて国王に心からの祈りと思いを伝え、連邦全土から善意を願う人たちが支援の波に包まれている。

この世界的な団結は彼のビデオメッセージで認められる予定であり、イギリス連邦諸国を結び付ける永続的な絆への現代的な敬意を表しています。この祝賀会には王室の他の著名なメンバーも君主国を代表して参加する予定で、カミラ女王はウィリアム王子と並んで王室最上級の出席者となる予定だ。

https://www.msn.com/en-us/health/other/king-charles-absent-from-commonwealth-day-contingencies-activated

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9af899 No.159258

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Originally posted at >>>/qresearch/20511092 (031526ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / アメリカ出身でない人、そしてアメリカの政治カレンダーにおけるスーパー・チューズデーが何であるかを理解していない人のために

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>>>/qresearch/20508251 Q Research General #25155: LIKE CLOCKWORK ~ THE CLOCK IS TICKING ~ 2 BIG 2 RIG = Q+? Edition

>>135007 #25155 NOTABLES

>>134997

アメリカ出身でない人、そしてアメリカの政治カレンダーにおけるスーパー・チューズデーが何であるかを理解していない人のために

アノン同士の真剣な会話はどうだろう?

今、私たちは何を強調すべきなのだろうか?

今一番の話題はスーパー・チューズデーです。

なぜスーパー・チューズデーなのか。

ブリタニカによれば、以下のような事実がある。

注:かつては歴史的データの公平なアーカイブであったブリタニカでさえ、物語をコントロールするためにメディアに煽動されている。

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によって書かれた

事実確認済み

最終更新日: 2024 年 3 月 2 日 • 記事履歴

ジミー カーターのキャンペーン ボタン、1976 年

ジミー カーターのキャンペーン ボタン、1976 年

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カテゴリ: 歴史と社会

場所: 米国

最近のニュース

2024 年 3 月 2 日、午後 8 時 36 分東部標準時 (AP)

トランプ大統領、バイデンが米国を転覆させようとしているという根拠のない主張で移民に関する発言をエスカレート

2024 年 3 月 2 日、午後 7 時 21 分東部標準時 (AP)

トランプ氏がミズーリ州とアイダホ州の党員集会で勝利し、ミシガン州の共和党大会を圧勝

2024年3 月 2 日、午前2時27分 東部時間(AP)

ノースカロライナ州は、投票規則を変更する共和党の州のひとつである。予備選は試金石となる

2024 年 3 月 1 日、午後 11 時 13 分東部標準時 (AP)

ヘイリー氏は2月に1200万ドルという多額の資金を調達したが、トランプ氏を倒すための長期計画を示すことはできないと語る

2024 年 3 月 1 日、午後 5 時 45 分東部標準時 (AP)

AP通信の決定ノート:スーパーチューズデーの大統領候補指名争いで何を期待するか

https://www.britannica.com/topic/Super-Tuesday

スーパー・チューズデー(Super Tuesday)とは、アメリカ合衆国において、大統領選挙年の2月または3月の火曜日のこと。スーパーチューズデーに参加する具体的な州は様々であるが、これは米国の各州が独自に予備選挙の実施方法と時期を決定しているためである。

スーパーチューズデーには、民主党または共和党の大統領候補が1人で獲得できる大統領大会代議員数が多いため、スーパーチューズデーの選挙結果によって、各党の大統領候補のフロントランナーが固まることが多い。選挙や世論調査の専門家は、一般的に、スーパーチューズデーの選挙結果は、大規模でかなり多様な投票集団が参加する通常選挙であることから、米大統領候補の有力な指標となると見ている。スーパーチューズデーに大統領予備選挙が実施される州の数と州によっては、民主党全国大会と共和党全国大会のどちらか、または両方の代議員の3分の1以上を、スーパーチューズデーに投じられた票によって獲得される可能性がある。

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9af899 No.159259

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Originally posted at >>>/qresearch/20511101 (031531ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / トランプの最後の4つのtruthsと retruths、17のタイムスタンプとダンの最後のtruth

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>>>/qresearch/20508251 Q Research General #25155: LIKE CLOCKWORK ~ THE CLOCK IS TICKING ~ 2 BIG 2 RIG = Q+? Edition

>>135007 #25155 NOTABLES

>>134999

トランプの最後の4つのtruthsと retruths、17のタイムスタンプとダンの最後のtruth

7:37 = 17 Dan

8:36 = 17 Trump

8:45 = 17 Trump

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9af899 No.159260

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Originally posted at >>>/qresearch/20511124 (031540ZMAR24) Notable: ドナルド・J・トランプ大統領 BUN / @realDonaldTrump: 偉大なるサイレント・マジョリティ(静かなる多数派)はかつてないほど立ち上がりつつあり、我々のリーダーシップの下で、忘れ去られた男女はもはや忘れ去られることはないだろう!

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>>>/qresearch/20509419 Q Research General #25156: Enter The Comfefe Edition

>>135032 #25156 NOTABLES

>>135019

Donald J. Trump

@realDonaldTrump

偉大なるサイレント・マジョリティ(静かなる多数派)はかつてないほど立ち上がりつつあり、我々のリーダーシップの下で、忘れ去られた男女はもはや忘れ去られることはないだろう!

Mar 03, 2024, 12:17 AM

https://truthsocial.com/@realDonaldTrump/posts/112030060831748862

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9af899 No.159261

Originally posted at >>>/qresearch/20513237 (040125ZMAR24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / 能登6市町の倒壊家屋、「公費解体」ゼロ…被害認定調査や罹災証明書の交付に遅れ

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能登6市町の倒壊家屋、「公費解体」ゼロ…被害認定調査や罹災証明書の交付に遅れ

2024/03/02

能登半島地震で甚大な家屋被害が出た石川県の6市町が倒壊家屋の「公費解体」を始められずにいる。3市町は開始時期のメドも立っていない。手続きに必要な被害認定調査や 罹災証明書の交付が遅れているためだ。2か月がたっても、がれきだらけの光景が変わらず、復旧の妨げとなっている。

公費解体は被災地の復旧を進めるため、自治体が所有者に代わって家屋を取り壊し、撤去する制度。今回は「半壊」以上が対象で、国が費用の97・5%を、市町が残りを負担する。二次災害の危険性が特に高い約30棟は例外措置の「緊急解体」が行われた。

通常の公費解体は〈1〉家屋の被災程度を調べる被害認定調査〈2〉罹災証明書の申請・交付〈3〉解体工事申請〈4〉解体・撤去――の順で進む。

だが、輪島、 珠洲

すず

、七尾市、能登、穴水、志賀町の6市町は解体の手前の段階で苦戦しており、2月末時点で、計5万4910件の証明書の申請に対し、交付は3万7147件(交付率67・7%)にとどまる。

 古い木造家屋の倒壊が膨大な数となったうえ、市町職員のマンパワーは全く足りていない。七尾市の担当者は「制度を詳しく知らず、手探り状態」と打ち明ける。

 輪島市は証明書の申請7440件に対し、交付は6447件(86・7%)。市内を230エリアに分け、調査が済んだ約80エリアに限定して申請を受け付けているため、交付率は高いが、申請自体がまだできない人も多い。家屋被害は現時点でも1万3000棟余りに上り、さらに増える見通しだ。交付率62・4%の珠洲市も一部地域で申請を制限している。

 一方、「一部損壊」などとされた人が「全半壊ではないか」と再調査を求めるケースも増え、6市町で4600件超に上っている。調査をやり直せば、交付はさらに遅れることになる。

 こうした中、輪島、七尾、志賀の3市町は解体の段階に進めず、工事の開始時期を「未定」としている。

 環境省は「公費解体の経験が豊富な人材は全国的に少なく、人繰りが難しい」(災害廃棄物対策室)としつつ、他の自治体の協力を得ながら職員の応援派遣を続ける方針だ。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240302-OYT1T50148/

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9af899 No.159262

Originally posted at >>>/qresearch/20513256 (040128ZMAR24) Notable: 日本政府/日本時事 BUN / AUKUS、日本と防衛技術協力を検討 中国抑止狙う

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AUKUS、日本と防衛技術協力を検討 中国抑止狙う

2024年3月2日

米国は英国とオーストラリアとの安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス)」で日本と技術協力する検討に入った。原子力潜水艦を除く防衛技術開発を対象とする。中国抑止に向けて多国間協力をめざす。

複数の米政府当局者が日本経済新聞の取材に、日本の協力に関して英豪と協議に着手したと明らかにした。

米国のバイデン政権は岸田文雄首相が国賓として訪米する4月10日までの合意をめざす。実現すれ...

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1603O0W4A210C2000000/

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9af899 No.159263

Originally posted at >>>/qresearch/20514695 (041045ZMAR24) Notable: GOLD WARRIORS "金の戦士" 【14】

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>>159252

黄金の兵士 第十四章 危険人物たち

ロバート・カーティスはフェルディナンド・マルコスとの金の探索に関係したことで大きな代償を支払った。しかし、カーティスは頑固に戦後明るみになる日本軍の財宝地図の唯一のフルセットを、今でも持っていた。ゆっくり自分の転落人生を元に戻そうと、彼はスパークスからラス・ベガスへ転居し、そこで大きなシボレー販売特約店の販売部長になった。暇なときに、彼は地図を調べ、ゴールデン・リリーの地図製作者が暗号化した謎の多くを解明し、次に(次があればの話だが)どのようにして金塊回収に取り組むかを決定した。だから一九七八年のある日、電話が鳴った時、彼は自分に幸運が巡って来た事をなかなか信じられなかった。信頼している彼の知人が、カーティスに外国の外交官と会うように依頼してきたが、その外交官の政府は、フィリピンで、大掛かりな秘密の戦争金塊の回収に対する支援を望んでいた。待ち合わせの場所はラス・ベガスホテルで、カーティスは西の大国の「首相」と直接の接点を持った。「首相」は潜水艦を含むすべてを準備しており、半々で山分けしようと申し出てきた。我々が、その国の名前も、首相の名前も明かさないという条件で、カーティスは以下のことを詳しく話した。(訳者注、参考までに、当時の日本の首相は福田(十二月まで)、と、大平だ。)

「首相」は初期のマルコスの金回収活動も、カーティスが演じた重要な役割についてよく知っており、カーティスに、潜水艦による深夜の金塊回収に適した場所を選ぶよう依頼した。カーティスはコレヒドール島を選んだ、そこに3ヶ所の大きな貯蔵所があることを知っていたからだ。国際的な紛争を避けるため、首相直属の海軍は、部下を海辺に配置して貯蔵庫を開ける様なことはしなかった。なぜなら、海辺に配置するだけで部下は逮捕される可能性があるからだ。一台の巡洋艦は南シナ海の国際水域のルゾン沖に停泊した。その潜水艦は海岸にかなり近づいたが、特殊部隊がゴムボートを出し、海岸から金の延べ棒を回収する夜まで水中に潜ったままだった。貯蔵所を開けるのも、金塊を海岸に運ぶのもカーティスまかせだった。マルコスはなおも権力を持っていたので、カーティス自身はマニラへ行けなかった。なぜなら彼は逮捕され、殺害されるだろう。そのかわりに、彼は数人の部下を送り金塊を発見させて海岸に金塊を運ばせることにした。そして彼の部下たちは潜水艦から送り出す事が出来た。

「これはわくわくすることだった」カーティスは我々に言った。「私はマルコスには腹を立てていたから、これで五分五分になるわけだ。でも、その辺の事情については、決して話すことはできないだろう。」金持ちになることで、多くの傷は癒されるであろう。「私はコレヒドール島の南端を選んだ。そこはオタマジャクシ型の島の頭部にあたるとこだ。と言うのは、潜水艦には海が深くて都合がいいからだ。大変狭い海岸に向かって断崖を下りるため、私の部下たちはふたつの峡谷のひとつを横断しなければならなかった。」満潮時に海岸は水面下に沈んでいるので、いいタイミングをはかることは、非常に重要なことだ。特殊部隊がゴムボートで近づくには、月の光がない夜で干潮時である必要があった。コレヒドール島はマニラ湾の入り口で、バタン半島沖にあった。バタン半島のマリベレスにマルコスは避暑用の宮殿を持っていた。島は東西に広がり、西側のオタマジャクシの頭の部分をトップサイドという。低地で東側のしっぽの部分は、ボトムサイドと呼ばれた。コレヒドール島の住人はボトムサイドのサン・ホセの町に住む6人だけだったが、毎朝観光船がマニラから到着する。狙いの場所として、カーティスは旅行者用に踏み固められた小道のはずれにあるモルタルの砲床、クロケット砲台の下にあるコンクリート製の防空壕を選んだ。アメリカ沿岸警備隊は、千九百一年にこれらのモルタル砲床を建設していた。コンクリートの厚板の下に、交差するふたつのトンネルが最初は軍用品の倉庫として使用された。千九百四十二年のバタンとコレジドール防衛戦の間に、一斉射撃によるクロケット砲台への直接の着弾により、火薬庫は吹き飛ばされ、多くの防空壕が破壊された。

日本軍が支配権を手にした後で、秩父宮は破壊された砲床の下のコンクリートに裏打ちされたトンネルを見て、そこに金の延べ棒(六十五ポンド、約三十kgのバー)を隠すことを決め、六フィート(1.8m)の厚みのコンクリートで覆い、元のままの砲床に見えるようにした。クロケット砲台が爆破されたことを誰かが覚えていることなどありそうもなかった。冶金化学者として、サーマイト(テルミット)を十分に強化できれば、それを使ってコンクリートの厚板に人間サイズの穴を焼ききることが出来る、とカーティスは考えた。サーマイトはアルミニウム粉と酸化鉄粉が等分の簡単な化合物である。ひとたび着火すると、大体三千℃ぐらいで燃焼する。サーマイトは第二次世界大戦の間、焼夷弾としても使用された。今日では、サーマイトは防壁を貫くため、あるいは熱感知ミサイルに対する熱おとりとして使用される。サーマイトを着火するのはかなりの熱が必要だ。最も簡単な方法は、線香花火を着火するためのマッチを使うことだ。それはサーマイトを着火させるに十分な熱で燃える。ネヴァダ砂漠で、カーティスは六フィート厚さのコンクリート厚板を使ったテスト台を手配し、普通のサーマイトでは時間がかかり過ぎることを確認した。彼は他の配合物を加え、サーマイトを強化して、五千℃近くで燃える化合物を手に入れた。「こいつは、四十分で六フィートの厚みのコンクリート板を焼き切り、一人の人間が這って入れるだけの大きな穴を開けることが出来た。」、と彼は言った。

カーティスは二人の男だったら金塊を発見し、浜辺まで運ぶことが出来ると考えた。彼は二人の男を知っていて、二人はこの仕事に適任のようだったし、彼らはやる気まんまんだった。二人とも“ボー”グリッツエ大佐と特殊部隊にいたので、カーティスは、彼らなら何とかやれると考えた。「一人は大柄の男くさい軍人タイプだった。ラスベガスの大会社で保安部の主任だった。彼には、ラスベガスの元保安官の息子で似たような経歴の友人がいた。」、とカーティス言った。彼らをゲーリーとマイクと呼んで置こう。二人は強化したサーマイトの使用法を学ばなくてはならなかったし、峡谷のあちこちを何度も行き来し、浜辺まで金塊を何とか運び出すことが出来るよう、肉体的に強化する必要があった。この仕事のために、カーティスは馬具職人に二つの頑丈な金の延べ棒をかたどったリュックサックを作らせた。何週間にわたる激しい訓練の末に、ゲーリーとマイクは、一度に2本の金の延べ棒を何とか運べるようになったと判断した。強化サーマイトが入ったふたつの二十五ポンドのバッグは、たくさんの予備を持っていたんだろう。サーマイトは発火装置なので、飛行機では運ぶことはできなかったのだから。そこで、特別強化混合物は外交文書用の封印ポーチに入れられてマニラに運ばれた。

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9af899 No.